アナーキー時評 98年


 

 

12月23日  あの旗を射たせてくださいッ!98年版   (N)


 「おねがいです。隊長殿、あの旗を射たせてくださいッ!」次々と倒れてゆく散兵線で、たまりかねた兵隊が絶叫する。「畜生!あの旗が射てたら…」あの旗。上海戦でも南京攻略でも、どこでも冷然と敵陣地の上に掲げられていた─米英の国旗。その旗が、支那事変始まって以来、第三国の名にかくれて、事ごとに我が作戦を妨害したのだ。その旗が皇軍将兵に無念の血を流させたのだ。いま抑留同胞に非道な虐待を加えつつあるのは誰だ。病院船を撃沈したのは誰だ。可憐な国民学校の児童に機銃掃射を浴びせたのは誰だ。漂流するわが遭難乗組員を追求、砲撃したのは誰だ。しかも…正義と人道を世界中にわめき散らしているのは誰だ。ルーズベルトやチャーチルよ、反攻を豪語したければするがいい。長い間、我々が非憤をたぎらせたその旗を、いまこそこの手で引き裂き、この足で踏みにじってやるのだ。見ろ!我々の喜びに輝いたこの力強い顔を、もはや不平もない、泣き言もない、すべての生活、すべての希望を、この一戦にかけて、国内も戦場も、我らは戦いに戦い抜くのだ。この地球上から米国旗と英国旗の影が一本もなくなるまで、撃って撃って撃ちのめすのだ。←(注1)
 サダム・フセイン様どうでしょうか。上記壁新聞の文案使えませんでしょうか。版権は大丈夫だと思います。壁新聞の製作依頼者だった大政翼賛会という団体は、もう50年以上前に影形もなくなりましたから。少し固有名詞などを手直しするだけで充分ご希望に添えるかと思います。ただ、若干の難点もありますな。この壁新聞を必要とした国家は、今回の貴国への攻撃を他国より先んじて賛同いたしております。先の湾岸戦争においても、多額の戦費を貴国の敵対国に供給しましたな。いやそんなに怒らないで。VXガス、核テロを使うなんてことはやめて下さい。弾劾大統領のおわすかの国にはいいなりが倣いになってまして、全く深く考えてないんですから。それに貴国も、50年もしたら昨日の敵は今日の友になってるかもしれませんよ。え?それに至るまではもう少し死体の数が必要だって。おおせのとおりでございます。
                     (注1)「撃ちてし止まむ」難波功士 講談社より


 

12月15日  「いい戦争」「悪い戦争」   (K)


 朝日新聞の「歴史認識次代で共有」に、文芸評論家の加藤典洋がこう答えている。
「小林よしのりの『戦争論』を読みました。私も『戦争論』を教材に学生一人ひとりに、もしどこかの国が攻めてきたらどうするか、とたずねたが、答えを聞いて、いまの若者に戦争に対する想像力がほとんどないことにショックを受けました。どんな戦争も悪い、と教えられているから想像力が働かない。例えば、日本が中国や韓国に攻め入った。−中略− 中国や韓国にとってはやらざるをえない戦争であって、悪い戦争になるだろうか。抵抗としての戦争もあるわけで、戦争論で従来の盲点を突かれた」 というような話で、この文芸評論家の戦争に対する想像力のなさにショックを受けました。
 なるほど抵抗の戦争には「正義」もあるだろうし、二元論的にいえば「善」であるが、それを誰が決めるのか。どんな国家においても自国に「正義」があるというだろうし、例えば前の戦争において日本には欧米からの「アジアの解放」というスローガンがあった(もちろんでたらめだが)。末端の兵隊が殺しあいをしている場面で「正義」や「善」という概念がどれほどのなぐさめになるというのだろう? またそれに付随する民衆の殺戮には、「正義」や「善」があれば殺されても仕方がないと思えるのだろうか? もちろん日本がアジア諸国に行った戦争は侵略戦争で、その意味においては歴史の共有化をはかられなければならない課題だ。だが加藤のいうように「悪」の戦争はダメで「抵抗」の戦争はいい戦争などと考えるのは、加藤が教えている学生より加藤自身のほうが、いかに「想像力」がないかを証明しているにすぎない。
 なるほどぼく自身も、スペイン戦争でのファシスト・フランコに対する戦争は否定しにくい部分もある。でもそれを肯定してしまうと「殺人」が肯定されるのと同じことなのである。個人がやった行為が「殺人」で、国家が行った行為が「戦争」であるという視点に立たないと、ぼくらは「殺人」も裁けなくなるし、「戦争」にも反対できなくなるだろう。「いい戦争」「悪い戦争」というバカげた考え方がある限り、歴史の共有化などしてもなんら意味のないものになってしまう。


 

12月 9日  嫌い   (T)


 「日曜洋画劇場」で、どう見てもつまらないサイテー映画を放映した時があった。その日の解説ではその映画の話はほとんどなく、出演している俳優や監督の話ばかりだった。淀川長治さんは「ぼくは今まで嫌いな人にあったことがない」と言い、映画もそのように見ていると発言していたので、意地悪く注目していたのだ。確かに彼の口から映画の批判や悪口を聞いたことはなかった。しかし必ずほめている訳ではないと知って安心した。「やっぱり嫌いな映画もあるんじゃないか。」
 好き嫌いの感情は人間誰しも持っているはずで、その感情がないなんてあり得ない。淀川さんにだってあるはずだ。ではなぜ「嫌いな人に会ったことがない」のだろう。
 淀川さんによると、どんな人にだって必ず良い点が一つや二つはある。人に会ったら常にその人の良い点を見つけるようにすれば、嫌いにはならないのだという。「嫌いな人に会ったことがない」というのは、その感情がないからではなくて、そのように努力した結果だったわけだ。嫌いという感情があったとしても、努力によってそれは解消されうるということだ。映画も同様に「必ず良い点を見つけよう」と思って見たという。そういえば彼の解説から、ぼんやり見ていては見逃してしまう所や気が付かない点を教えられることが多かった。
 俗人中の俗人であるぼくは、どうしても人の欠点・悪い点ばかりに目がいってしまう。気がつくと悪口や批判を口にしている。これを続けていると、どうしても物事が見えなくなったり偏見を育てたりしてしまう。とても淀川さんのようにはなれないが、良い点も見るよう、少しくらいの努力はしたい。(できないかもしれん。)

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11月28日  マスコミはマスのゴミ   (N)


 えっとなんだっけ、管直人が事業に失敗した妻と別れて、即結婚した愛人が広末涼子で、すでに妊娠中で悲しみをこらえて義母の葬儀に出た。妻の方は、別れた夫との間に、子供がいた。義理の兄の出現に驚いた仁科明子だが、見事早稲田の推薦試験に合格して、夫への復讐に、ヒ素入りくず湯を飲ませたんだっけ。まあどうでもいいや。どうせ「有名人」「悪い」「隠してる」定番3点セット。インチキ出鱈目苦しゅうないわ。電信柱の影に吐かれた小間物屋についつい目が行く因果な私。しかし私が見たいのは、嘔吐連、正義の味方、マスコミの方々の生態だ。さぞかし、人の範たるべく品行方正、謹厳実直、清廉潔白な生活をされているに違いない。一度、そんな志の高いお方の尻の穴まで、後学のために拝見したいものだ。えっ?公人と一マスコミ人は同列には論じられないというなるほどの正論。いえいえ心配ご無用。憲法改正や「人権屋」批判、悪法は尊守せずともよいと、すでにマスコミ関係者は、自ら率先して法の下の人権をも手放されておられる。殴ろうが殺そうが好きにして良いのである。林真須美さんなどはさすがにそのあたりを察知されたのか、犬かシロアリ駆除感覚で水をかけたのであろう。あれは愉快でしたね。
 マスコミへの検閲も、自民党を中心として何かと声が上がっているが、大いに結構。記者クラブの闇カルテルまがいや、ジャーナリズムならぬ、〇×善悪二元論のジャリズムがせいぜい。朝日は赤色、サンケイは白地赤丸と一度覚えておけば、読まずにわかるというもんだ。マスコミ問題は、「報道の自由」のレベルじゃなくって、公害問題だ。精神衛生に重大な悪影響を及ぼす環境汚染なんだから、規制は当然。精神衛生ばかりじゃない。バブルの時は、買った買ったまた買ったとさんざん煽っておいて、今度は大大不況の国難非常時報道だ。あげくは「戦犯は誰だ!」なんだから。さすが戦争の度に肥え太ったことはあるわな。これが本当の焼け太り。こんなのこれ以上野放しにしといたらろくなことにならない。政官財とみんなOUTの今、残るは第四権力。空前の電脳化により、最早メディア・ファシストの出番はない。マスコミ幻想サラリと捨てて、各々しっかり情報アナリストならぬ 情報アナキストになりましょう。


 

11月20日  仕事を辞めよう!     (K)


 最近のリストラ・倒産などで失業率が上がっている。今や「終身雇用」という日本型システムも壊れ、右肩上がりなのは公務員ぐらいしか見あたらなくなった。
 その中で、企業では残された(というより今だに仕事があるというべきか)労働者が(こうカテゴライズされるのもバカらしいが)狂ったような長時間労働を強いられているようだ。そりゃそうだろう、リストラで人員を整理され、その人員分のしわ寄せを受けているのだから。
 「SPA」によると毎日3時間しか睡眠を取れない銀行員とか、結婚をしたいといったら上司から「この忙しいのに何を考えているのだ」と言われて結婚が破談になった人が載っていた。
 また、週何十時間も残業しているのにそのほとんどがサービス残業だ。もちろん労働基準局に訴えるバカがいない事を見こして企業はサービス残業を強いるのだろうが。労働者もこんなバカげた仕事など即刻辞めるべきだ。なるほどマンションのローンや子供の養育費もいるだろうが、「過労死」してまで仕事をする価値があるのだろうか? 借金があるなら自己破産でもして身軽になり、家族を捨てて気楽に生きよう。一年でもインドを旅すれば、今までのバカげた価値観も変わるだろう。(ただしぼくは10年ほど前にインドを旅行したが、何の価値観も変化しなかった)


 

11月 8日  消費税値上げの勧め     (T)


 現在の不況は消費不況だそうである。人々の消費マインドが冷え切っているために、何をやっても景気がよくならないのだそうだ。そのため、景気対策の切り札として、自民党の一部さえも消費税切り下げを唱え出した。
 消費税は消費に対しての罰金みたいなものだ。上げれば消費が落ち込むのは当然である。だからその逆をやって消費を拡大しようというわけだ。もっとも消費税を廃止しようというのではなく「景気が悪いから一時的に下げよう」ということらしいが・・。商品券構想や減税論議も、すべて「消費の拡大」が目的である。
 たしかにそういった対策は、一時的に消費を増加させる効果はあるだろう。しかしそれで景気が良くなるどうかは疑わしい。全国各地の廃棄物処分場は、ダイオキシンなどの深刻な汚染問題を引き起こしている。「大量の消費」がもたらす「大量のゴミ」を棄てる場所がないのだ。地球温暖化を防止するためのCO2排出削減も、消費を拡大しながら達成するのは極めて難しい。一時的な消費拡大策によって景気が回復しても、これらの難問を解決しない限り温暖化や汚染が一層深刻化し、もっとひどい不況をもたらす可能性もあるのだ。
 いま必要なのはむしろ、消費を拡大していかなければやっていけないような社会や経済の構造を変えることではないだろうか。生産や消費を無制限に拡大しながら成長を続けることは、もはや不可能なのだ。不況だからといって消費を拡大しても、いずれまた行き詰まるに違いない。目先の消費拡大に走るより、消費が一定でも困らない社会や経済システムを作る方が賢明であろう。
 そこで消費税の値上げである。この際、むしろ過剰な消費に対する制裁として消費税を値上げし、社会や経済構造の転換を促すというのはどうであろうか。
 誰も賛成しないだろうな、きっと。

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10月28日  死刑は殺しのパスポート     (N)


 オウムの岡崎一明被告に死刑判決が東京地裁より下された。4人の殺人に関わり、しかも坂本弁護士一家惨殺の実行犯ともなれば、極刑もやむなしということだろう。被害者の遺族が極刑を望むのは当然だ。出来るならこの手でとも考えるだろう。国家に武装解除された無力な市民としてはさぞかし歯がゆいはず。それはわかる。がしかし、死刑代理人たる国家に復讐などという親切心はない。システムにとっては、奪われた暴力を本人の命をもって回復するだけなのだ。殺せるのはシステムだけなんだと。だから健全な市民も学習するだろう。「殺人犯には死刑は当然だ」→「あんな非道な奴は殺してもよい」→「あんな奴は殺せ」→「殺してもよい奴がいる」→「殺人もよい」と。やるかやらないかは別として、殺人もまた可能だということは留保していてよい。取り上げた権利ならまたいつでも奪い還せるのだと。電気椅子のそれは、元来俺が持っていたということになるのだから。それをまた、実際に私的に行使する連中も出てくる。和歌山の保険金殺人事件は、事実ならその好例だ。
 蛇足だが、近頃ベストセラーの小林某の「戦争論」とやらも「大義のための殺人/戦争」を奨励しておったな。公の為なら、自らの命を賭け、他者の命を奪うのも当然というわけである。公=国家なのだが、システムでなく、愛する郷土や人の為にというのである。しかし、これでは小林某の期待通りにはいかない。愛するというのは、誰を何を対象に選ぶかで違ってくる。「反日腑抜け市民と金まみれダイオキシンまみれの謝罪国家」のために死ねる未来の特攻隊はちょっと出ないだろう。となると、純粋な人やイデオロギーに殉ずることになる。鳴呼命知らずのテロリストたちが産声をあげるのだ。対象が何であるかは問題ではないのだ。
 治安維持の為に極刑を科す。大義のために死を覚悟せよとの仰せ。死そのものが究極のアナーキーであることを理解せず、乱用を奨励すると治安維持どころかアナーキーはかえって増大するのだ。見よ!ヒ素カレー事件の余波を。事件の追及が、便乗犯を産んでいる現状を。「こんなことはしちゃいけないんだ」じゃない。「こんな手もあったんか」である。極刑も歯止めにはならない。ハイリスクハイリターンだ。死刑に目覚めて、戦争に終る。これが殺人の王道である。


 

10月16日  日本の司法は機能しているか?     (K)


 毎日ワイドショーを見ていると、林さん夫妻の事件が報道されている。ここで人権侵害的な報道の批判をしようと思っているわけではない。あれはあれで見ていてバカらしくおもしろいし、官民一体となった魔女狩りは、林真須美という異人を排除、抑圧することでワイドショーを楽しませてくれる。
 では何が言いたいのかというと、林さん夫妻の誤解について少し。
 林さん夫妻は現在まで一切自白はしていないようだ。あの代用監獄での取り調べで自白をしないとは見上げた根性だ。無実の人でも自白するという取り調べで、黙秘するのはなかなかできることではない。弁護士などのアドバイスがあったのだろうが、自白しようがしまいが林真須美さんは死刑の求刑を受けるだろう。
 日本の裁判は、それほど甘くない。真須美さんが実際にやっていようがいまいが、もう死刑と決まっているのだ、万が一にも無罪になることなどない。日本の司法は軍事政権下の司法とそう変わらないという事を真須美さんは認識していない。だからいくら代用監獄や拘置所で六法を勉強しようが、いい弁護士を雇おうが同じ事なのである。起訴されれば99パーセントの驚くべき確率で有罪になり、3人以上殺したなら死刑判決を受ける司法に期待などしてはいけないのだ。
 アメリカなどでは、いい弁護士を金で雇い、うまくやれば無罪を勝ち取る事ができる事もあるが、ここは日本であり、そんな事は望むすべもない。そこに林夫妻の誤解がある。これからも再逮捕が繰り返されしんどい目をするだけだから、さっさと自白することを勧めます。
 あと残された戦い方は、死刑が残虐な行為であり違憲であるという司法闘争しかない。それも法務官僚の皆様により死刑確定後、見せしめ的に早いうちに執行されると思う。時間の猶予はあまりないのでがんばってください。他には大久保清のように獄中でアナキストになり、一切国家や司法などの指図を受けないと拒否する手もありますが、これが一番悪い結果を招く事はいうまでもないでしょう。


 

10月8日  国家の詐欺     (T)


 株式市場や為替市場が異常な乱高下を繰り返している。ヘッジファンドと呼ばれる投機マネーが異常な動きに拍車をかけているのだそうだ。
 金融ビッグバンによって、普通の人々もそういった動きに無関心ではいられなくなるという宣伝も盛んだ。これからは銀行の倒産もありうるから、下手な銀行に預けていると大損したり預金がパーになったりするというのである。
 これはどうもおかしい。金融市場という巨大な賭博市場に人々を無理やり動員しようとしているのではないか。銀行がその賭博市場で大損するのは勝手だが、なんで我々までがその影響を受けさせられたり、尻ぬぐいをさせられたりしなければならないのだ。聞くところによると、この賭博市場に はまっているのは銀行や証券などの金融機関だけではないらしい。年金基金や郵便貯金などのいわゆる「公的資金」も賭博市場に投入されていて、将来破綻することは明らかだという。これは何を意味するのか。まさに国家の詐欺ではないか。
 冗談ではない。そんなギャンブル狂の銀行や国にどうして金を預けられよう。銀行だの国だのに金を預ける習慣というものを、ぼくらは考え直した方がいいかもしれない。


 

9月28日  神戸空港普天間基地化計画     (N)


 神戸空港建設の是非を問う住民投票条例制定直接請求のために必要な署名が、全有権者の4分の1にあたる約32万人に達したそうだ。これは笹山神戸市長の得票数を上回る数字になっているとのこと。
 スピルバーグがまだ見れる映画を作ってた初期の作品に「シュガーランド急行」(邦題「続激突カージャック」)というのがある。養親に預けられている子供を実のワケアリ親が取り戻しに行くというストーリーで、カーチェイスあり銃撃戦ありのアクション映画だ。で、いましも実のアブナイ親が養親宅に押しかけてくるというので、警察の指示もあり避難とあいなったそのシーンで、玄関においてあった花瓶かなんかをそっと床に降ろすのである。さっしの悪い私は???。淀長さんの解説ではじめてわかった。いま子供を奪いかえしに来るか来ないかの修羅場に置いて、養親の関心は花瓶にあったということなのだ。いかな親たちなのかを簡潔な演出で示したものだったのだ。
 そんな名演出とは関係ない話し。あの悪夢のような1995年の阪神淡路大震災の惨禍が進行中と言ってよい時期に、笹山市長は、「空港はやります」とまったく場違いな発言をしたのを妙に覚えている。花瓶どころか、「こんなことぐらいで空港を断念してたまるか」と宣言したも同然だ。彼が何を第一に考えているかは言うまでもない。空港建設が誰のためかも言うまでもない。
 もし、空港を誰かのために役立てたいとするなら、沖縄の基地を、さしあたり普天間あたりを持ってくればよい。沖縄の人々は返還後も延々と、基地内で生活している状態だ。「こんな違憲状態の地域があって良いはずがない」と国法遵守の人々は思ってもらいたい。基地撤去とか出来もしない絶対安全運動を「本土」から遠吠えてるより、基地誘致をすべきだ。基地反対は目の前に基地を置いてやれば良い。その先駆けとして、まず神戸空港を米軍基地として建設しろ!それなら空港建設に賛成してやってよい。もちろん危険物を背追い込むのだから、国に恩をさんざん着せて、金でもぶんどって、それを被災者の援助に役立てればよい。
 え? 住民投票に賛成しないのかって? いいことでも悪いことでも「みんなで決める」というのが体質的に合わんのでね。


 

9月14日  貴乃花の絶縁・洗脳騒動     (N)


   横綱貴乃花が兄若乃花に対して絶縁宣言したとかで騒動になっている。なんでもかかりつけの整体師の洗脳による影響だとのこと。まあオウム以降、洗脳パニック、マインドコントロール恐怖今だ覚めやらぬということか。仲の良かった家族や兄弟に、第三者が介入し、とたんに人間が変わってしまった、やれそれ洗脳だ!というわけである。
 今報道されている事実から判断するなら、整体師が、貴乃花の抑圧していた影の部分を開放しただけとおもうが。親の良い子の相撲ロボットだったのが、はじめて己の欲望のために動いてよいと気付かされたということか。絶縁宣言は、直接的には兄に対してだが、背景には親、特にあの強固そうな母親なんかにも向けられているようにも思える。これまで唯々諾々と従っていたことへの反動が、行動の極端さを産みだしたのであろう。整体師は触媒にしかすぎないのだ。
 今場所、貴乃花には声援もなく、ヒールになってしまったと心配する向きもあるが、僕なんぞは、これまで貴乃花はすかんかったが、ヒール道を歩み続けるというならファンになっても良いぐらいだ。みんなの期待を裏切る、ただ己の強さのみ信じる悪横綱になれ!


 

9月 9日  北朝鮮は映画か?     (K)


   北朝鮮を見ていると、みんなが演技をしているとしか思えない、あの笑えるアナウンスといい、インタビュウの模範的な答えといい、裸の王様(キム ジョンヒル)を人民はみんな好きなのだろうか?
 もちろん本当に好きで偉大な同志だと思っている目出たい奴もいるだろうが、大半は私たちを苦しめるバカ息子だと考えているだろう。
 そう、あの国ではみんなが演技をしているのだ、まるで映画の中の役者のように、だからスローガンに「私たちは幸せです」などとバカげたことを書けるのだ。
 ただ、この映画はリアリィテイがありすぎ、役者は本当に飢えで苦しんだり、意味もなく殺されたりするが、どんな残酷な映画も表現できなかった本当の残酷物語である。
この映画は脇を固める役者はいいのだが現在の主役である役者がセリフを言えないのが難点だ。


 

9月 1日  ロシアの経済危機     (T)


   ロシア経済がひどいらしい。テレビでは銀行に並ぶ人々を映していたが、自分の預金がいつ払い戻されるのかメドも立っていないという。
 民主化以来急速に自由化したロシアの経済は、一部のエリート層とマフィアが牛耳る、貧富の差が極端に大きい経済になった。目先の効く連中が途方もない大儲けをしている一方で、庶民はメチャメチャなインフレと失業の大波をもろに受けた。今回の危機ではもちろん富裕層も打撃を受けただろうが、庶民の受ける打撃の方が大きいだろう。
 ソ連の崩壊・ロシアの民主化は、ロシアの人々にとって本当によいことだったのか。旧ソ連では、タテマエだけだったにしろ労働者は社会の基盤であり、それなりに保護されていたし、生活必需品なども安く供給されていたはずだ。政治的にはともかく、経済的には、ロシアの民主化は災厄でしかなかったのではないか。
 ロシアの迷走は当分続きそうだが、日本も他人事ではない。


 

8月23日  世界最大の暴力団     (T)


  まったくアメリカという国は、自分を何様だと思っているんだろう。
もし、アメリカ国内に反中国テロリストの基地があった場合、アメリカは中国から自国内へのミサイル攻撃を容認するだろうか。もちろんするわけはない。実際、米国内のCIA施設などでは、親米独裁政権のテロ部隊訓練をはじめ、親米テロリストの訓練活動をやっているそうだから、今後はそこを攻撃されても文句を言えないはずだ。
 相手が自分より弱いと見るや露骨な武力行使に出る、足元を見てアメリカ企業への市場解放を強要する、金力・武力を兼ね備えたアメリカは、今や世界最大の暴力団だ。イスラム原理主義の爆弾テロよりも、アメリカの国家テロの方がはるかに怖い。


 

8月15日 このジジイ殴ってやろうか     (N)


NHKの聾唖の人向けのニュースで、手話つきで永六輔がしゃべっていた。
途中から見たのでよくわからないけど、お年寄りに戦争体験を聞こうとかという話しで、そしたらあるおじいさんが、日本は前の戦争で負けて、3勝1敗になってうんぬんと言ったそうだ。そしたら永が、何言ってるのか、そんな話ししろと言っているのと違う、このおじいさん、いやこのジジイ殴ってやろうかと思ったそうな。殴ってやろうのくだりで、横にいて手話していた人が(この人は手話ニュースなどによく出てくる人)ブンブン腕を振り回して「殴る」を表現していたのがおもしろかった。それにしても「このジジイ殴ってやろうか」なんてことをギャグ以外でNHKの真面目番組で言うなんて、永らしい。


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