( 杓子岳の岩峰 と ミヤマシシウド )




若い頃の夏山登山は穂高岳周辺が多く、白馬岳は北アルプスの入門コースという認識があったせいか関心がうすかった。
最初にこの山域に入ったのは’61/11、その年の冬山登山に備えての偵察・荷揚げ(都合で冬山登山には不参加)。 翌年の冬山でも豪雪のため前進キャンプのテントに3日間閉じ込められて退却した。初めて頂上に立ったのは、学生時代からの親友たちを案内して登った’64/8で、これらを含めて若い頃に5回、55歳を過ぎてから4回 (合計9回)、この山域を訪れている。
冬山の偵察・荷揚げ山行で、当初から登頂を予定しなかったこともあったが、天候に恵まれないことが多く、横殴りの雨が吹き付ける山頂を素通りしたり、予定コースを変更したりで、晴天の日に山頂に立ったのはこのうち3回だけだった。

悔しい思い出も多いが、晴れてさえいれば夏の白馬岳は、高山植物の宝庫といわれるだけに、広大なお花畑に咲く色とりどりの花の群落、登山道の脇で風にゆられて可憐に咲いている花々、岩礫の中で孤高を保って咲く高山植物の女王「こまくさ」など、その種類も生態も多種多様で花好きにはたまらないし、大雪渓の登降も、山頂の360°の眺望も素晴らしく、夏山の魅力を満喫させてくれる。

 今回は下表の(1)〜(5)の山行の写真から拾い出して、「若い頃の山旅」の中に載せました。
 40年も昔の写真ですのでお見苦しい点はご容赦ください。
 (6)〜(9)については、「中高年の頃」に載せるべく準備中です。



白馬岳登山歴

下表の(1)〜(5)をクリックすると、その山行の詳細ページが表示されます。
年月日 コース 同行者 あらまし
(1)
’61/11/4〜5
猿倉→白馬尻→主稜(途中)
 →猿倉
山岳部員・2名 冬山の装備食料の一部を猿倉山荘に預け、白馬尻より主稜の途中まで這松を漕いで試登。
冬山は都合で参加出来なかったが、この正月の冬山は大荒れで、白馬山域でも数パーティーが遭難。仲間たちは雪洞を掘って3夜を過ごし、無事帰還した。
(2)
’62/11/中旬
猿倉→白馬尻→猿倉 山岳部員・3名 小雨、ガス濃く、白馬尻のi岩小屋で焚き火しながら半日を過ごす。雑木林で採ったなめこ汁で夕食後、仲間を残し、タクシー・夜行列車で一人帰京。(両夜行日帰り山行)
(3)
’62/12/30
 〜’63/1/6
信濃四ツ谷(現;白馬)→猿倉
 →小日向コル(停滞)→猿倉
 →信濃四ツ谷
山岳部員・7名 信濃四ッ谷より雪の夜道を歩き、31夜明けごろ猿倉着。昼から天幕食料など小日向のコルに荷揚げ、帰路45分。
1/1、前夜からの風雪でトレイルは全く消え、終日深雪を掻き分けてデポ地点到着時は夕暮れ時、10時間強を要した
38豪雪と言われたこの正月、天幕に閉じ込められ、雪かきに追われて、3日後のキャンプ撤収時は井戸の底だった。この時の愛知大13名の薬師岳遭難を後で知った。
(4)
’64/8/14〜15
猿倉→大雪渓→山頂→白馬大池
 →栂池
友人・3名(♀1) 登山未経験の3人を案内して、共同装備を一人で担ぐ大サービス。夜行列車の寝不足でオオバテの彼らを叱咤激励して村営小屋横にキャンプ。翌日は同行者も元気を取り戻し、花の写真を撮りまくることが出来た。こまくさに初めて出会った。
(5)
’65/7/17〜20
泊〜北又小屋→朝日岳→雪倉岳
 →白馬岳→鑓温泉
猿倉
山岳部員・2名 山岳部発足10周年記念に、泊〜焼岳の全山縦走を企画し最北部を担当した。
連日好天に恵まれた上、白馬岳以北は登山者も少なかったし、いろいろな高山植物にも出会えて、静かな花の山旅を楽しんだ。

(6)
’87/7/末
白馬尻→白馬岳→天狗山荘
 →不帰キレット→唐松岳
 →八方尾根
第1日猿倉経由、白馬尻小屋(泊)。第2日アイゼン利かせて早朝の大雪渓を登り、昼前山頂に立つ。杓子、白馬鑓を経て天狗山荘(泊第3日、日の出前に小屋を発ち、不帰キレットの鎖場でスリルを味わい、唐松岳を経て八方尾根を下る。
(7)
’89/7/末
平岩〜蓮華温泉→白馬大池
 →栂池
1.5時間バスに揺られて、昼過ぎ蓮華温泉着、付近散策(泊)第2日3時間強で白馬大池着、ガス濃く視界は10m、みぞれ交じりの雨も吹きつけて、白馬登頂、翌日朝日岳へ縦走の予定を断念、栂池に下山。
(8)
’90/7/末
平岩〜蓮華温泉→白馬大池
 →白馬岳→鑓温泉→猿倉
蓮華温泉までは前年通り、すぐに登り始め白馬大池(泊)朝日岳に向かう予定も、小蓮華岳で雨が降り始め白馬岳に変更、風雨の強まった9時頃白馬山荘に逃げ込む。夕刻より天候回復(泊)。快晴の早朝、杓子、白馬鑓、鑓温泉を経て昼過ぎ猿倉に降る。
(9)
’91/7/末
栂池→白馬大池→白馬岳→大雪渓
 →猿倉
栂池より白馬大池へ(泊)。この年も朝日岳を狙うも前年と同じで雨が降り出して方向転換。風雨の強まった白馬山頂を素通りして山荘に逃げ込む。休憩後大雪渓を駆け降り、白馬尻11.30、脚の力が抜けて猿倉迄が長かった。
3年連続で拒否されて
朝日岳はあきらめた。