航研機、記録飛行パイロット

藤田雄蔵少佐の手記

4.飛行準備は完了

 飛行前の準備もなかなか容易ならぬものである。あそこが悪い、ここが悪い、そういう間に日が経つ。すっかり完全になったというのは今年(昭和13年)5月の5日か6日で、試験飛行の結果もうこれなら大丈夫というところまで漕ぎ着けた。それから例によって天気を待った。天気図を毎日見る、ところが私も陸軍で職務を執っていたし、航空研究所の先生達も何もあればかりやって居る訳でなく、航空研究所の仕事をされて居る。別に天気を待って居る間遊んで居る訳にも行かないので、私共は立川に行って勤務し、航研の先生達は研究所へ行き、毎日別々に天気図を見ていた。

 一体、天気図というものは、朝の6時のものが大体8時半か9時頃になると出来る。そこでこれならよさそうだと思った時に、私の方から駒場の航空研究所へ電話を掛ける。『どうだ、よさそうだからやろうじゃないか』というようなことになる。すると方々に世話になる所がある、その方へ電報や電話で通知する。併しそれだけでは天気はまだ3日保つとは、はっきり分らない。それでお昼の天気図をまた見る。お昼の天気図は午後2時頃に分るが、その天気もまた大体よさそうだということになると、それから我々は陸軍機で羽田へ飛んで行って、羽田であの飛行機に乗り換え木更津へ運ぶ。

 それから2時にやる仕事の中には、糧秣廠に航空糧食の注文を出す。航空糧食というのは長いこと置くと腐ってしまうから、飛ぶすぐ前に作る。午後2時に糧秣廠に電報を打つ。それから粗秣廠は多分色んなものを買い込んで、お弁当を作って、それを包装するのだから木更津へ持って来る頃には夜中になる。我々は飛行機を運び、方々に勤務員を配置して手配する。夜の9時頃にまた天気図が手に入るので、それを見ると、そのまま寝てしまう。

 地上勤務員は夜中に飛行機を滑走路に運んで行く。これも油を沢山積むと飛行機が重くなって無理が出来る。それで出発する飛行場に飛行機を空のまゝ引き摺って行く。そうしてその飛行場の端に飛行機を据えて、それから燃料を積み込む。燃料といっても、4トン半ばかりの燃料を積むのだから、ドラム缶で30本ばかりになる。これは私は寝ているのだから見ないが、あとで話を聞くとなかなか大変な仕事らしい。

 飛行機の中には大小色々なタンクがぎっしり入っていて、16もタンクがある。そのタンクの中に、燃料をどのタンクには何10リットルという風に入れる。出鱈目に燃料を入れて置くと、上で使っていて、まだあると思う中に切れてしまったりするので、正確に量って、1号タンクには何10リットル、2号タンクには何10リットル、こういう具合に入れる。4トン半のガソリンをそうして積み込むのであるから、それを積み込んでいる中に段々朝になってしまう。その外にまだブレーキの圧搾空気だとか、潤滑油だとか、航空糧食だとか、色々なものを飛行機の中へ積み込む。そういう仕事を一生懸命でやり終る頃、大体朝の4時頃になる。

 我々はそれまで失礼して寝てしまって、朝4時頃起きると、顔だけ洗って、飯も食わずに飛行場へ行く。そうして飛行場へ行くと丁度真夜中の天気図を持って来てくれるから、それを見るとすぐ飛び出す。実際飛び出すまでにはこうした準備が要るのである。

5.スタートより離陸ヘ

 長距離飛行で一つの難しい問題は離陸である。小さい発動機で大きな飛行機に沢山油を積んで、揚れるか揚れないかという際どい所で揚るのだから離陸はなかなか難かしい。発動機に全馬力を掛けた時に、その飛行場でもって辛うじて揚れるだけの油を積むのであるから、発動機が少し調子が悪くなると揚れなくなる。そうすると止まる訳に行かないから、滑走したまま前の障害物にぶつかって失敗する。

 それからもう一つは脚が飛行機を辛うじて保てるだけの力しかない。一般にこの記録飛行の飛行機というものは必要程度に、最小限に軽くすることが先決条件で、耐久力は問題ではない。とにかく1回か2回周回が出来れば、それから先は壊れてしまってもよい、こういう飛行機である。第一あの飛行機は6,000kgの設計であるのに、9,200kgの重量にして走るのだから、脚なども少し無理してバウンドでもすると、脚が折れることがある。折れゝばそこでつぶれてしまって重大事故になる。それで離陸の時は何となく重苦しい感じがする。

 併しこの飛行機は舵が割によく利く飛行機なので、上手に操縦する事が出来る、という特長がある。私は今まで、長距離飛行機の離陸というのをそう沢山見たことはないが、10年ばかり前に、フランスのコストという人が立川からハノイまで無着陸飛行を行ったのを見たことがある。飛行機がなかなか走らない、ダラダラ走って行く、その上に舵が利かない、あっち向いたりこっち向いたりする。それを直し直し、少しづつ速度をつける。速度がついてくると舵が利いて、飛行場の外れに行った時にやっとどうやら揚れた。

 その後太平洋横断が流行った時に、アッシユという人が来て淋代から飛ぶのを見たが、前述の調子でなかなかうまく走れない。とうとう離陸が出来ない、というのも見たのである。話に聞くと 昔、外国の長距離飛行は離陸する時、発動機を廻わしても動かないので、若い元気な人が飛行機の翼や胴についてワッショワッショと押して行き、発動機を一生懸命に廻す。その内に人間の方が走り切れなくなる。そうなると、その惰性で飛行機が動いて揚る。大体に於て長距離の記録飛行は昔からそういうものが多いようだ。

 それに比べるとこの飛行機は、のろいとはいいながら、兎に角自力で走って行く、そうしてどうやら飛行場の外れで離陸が出来る。滑走路を1,200m走って、まだ飛行機が離れない。あと100mの芝地の半分位走つて芝地の外れの4、50m手前で車が離れる。

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