015. ブランデンブルグD.I 戦闘機 [オーストリア]
 
Brandenburg D.I Fighter [AUSTRIA]
 

全幅:8.50m、全長:6.30m、翼面積:24.0u(上下合計)、発動
機:ダイムラー水冷4気筒185馬力、
総重量:1,047kg、最大速度:175〜185km/h、武装:8mm機銃×1、乗員:1名
初飛行 1916年
 
                                                 Illustrated by KOIKE, Shigeo  , イラスト:小池繁夫氏 2006年カレンダー掲載

  第一次世界大戦は、オーストリア -ハンガリーの皇太子と同妃がセルビアの一青年から狙撃されたことが発端になった。 そのことさえ知る人が少ない日本では、オーストリアの航空技術史に関する文献は極めて少ない。 
 ブランデンブルグ社は、当時のオーストリアを代表する飛行機で、ザノニアの実を主翼の平面形にするエートリッヒ・タウベ(注↓)の量産を見込んで設立されただが、やがて経営を巡ってブランデンブルグ社とハンザ・ブランデンブルグ社に分かれた。
 この両社の技術担当重役兼設計主任のような役割を果たしたのが、第二次世界大戦でドイツ航空技術の一翼を担うことになる若き日のエルンスト・ハインケル(注↓)だった。 両社における彼の業績については、戦利品として分配され、中島でもコピー生産し、大日本帝国海軍で使用された低翼単葉の水上偵察機W29以外はほとんど知られていない。
 
 このD.I 戦闘機も彼の作品だとされているが、彼の自伝"嵐の生涯''には、このD.I 戦闘機に関する記述はない。 あまりにも過去のことだし、いまさら話すようなことは無いと考えたのだろうか。 ともかくこの戦闘機の特徴は複葉の上下翼を結ぶ翼間支柱を「星型」と呼ばれる独特の構成にしたことである。 主翼の捩りに対しては高い剛性を発揮するだろうが、空気抵抗が少なくなるとは考えにくい。 その後、二度と使われなかったことからみて、成功だったとは思えない。 また機関銃は撃った弾が自分のプロペラに当たらないように上翼の上に取付けられている。
 
 (注)「エトリッヒ・タウベ」は、オーストリアの航空黎明期に作られた機体で、第一次世界大戦初期の軍用機のひとつである。 タウベは鳩のことで、主翼の形状が鳩の翼の形からきているとされるが、そもそもは南洋のウリ科の植物ザノニア・マクロカルパの種が安定した滑空をすることを知った設計者のイゴ・エトリッヒが、その種子に似た翼の形の無尾翼グライダーを作ったことにはじまる。 そしてエンジンを搭載した飛行機に発展しても、主翼についてはこの徴的な形は残された。
 
 「エルンスト・ハインケル」はオーストリアのグルンバッハ (Grunbach) に生まれた。彼は1909年、フランクフルトの航空ショウでツェッペリンの飛行船を見て航空機に興味を抱くようになった。 その後、彼は航空株式会社 (LVG, Luft Verkehrs Gesellschaft)に勤務するようになり、さらにドイツのアルバトロス社 (Albatros Flugzeugwerke) に行き、ハインケルは アルバトロスB-IIを設計し、第一次世界大戦の初期に活躍した。 1922年、ハインケルはヴァーネミュンデ (Warnemunde) にハインケル航空機会社 (Heinkel-Flugzeugwerke) を設立した。しかしヴェルサイユ条約により航空機の製造を禁止されていたのでハインケルは飛行艇の設計図を持ってスウェーデンに渡った。 ヒトラーが力を持つようになると、ハインケルの会社は空軍の拡張のために第二次世界大戦まで、年々拡大していった。  この時期に He 59、He 70、He 115、He 111 が生産された。 ハインケルはとくに高速機の開発に情熱を注いだ。 そして飛行機の生産にも鋭い感性を示し、新しい技術を切り開いていった。 その一つがターボジェット機の研究でハンス・フォン・オハインを援助しジェットエンジン機をモノにした事である。 ジェットエンジンは当初、イギリスのホイットルによって開発されたが、先見性のあるハインケルの方が早く飛行した。
 


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