大正10年(1921年)海軍はロ号甲型の後継として十試水偵を計画し、中島から佐久間一郎らが応援にでていた。この十試水偵は英国の技師フレチャーを招聘して設計したものであったが、離水性がはなはだ悪く不採用となってしまった。
そこで急遽海軍は大正11年(1922年)第一次大戦の敗戦国ドイツからの戦利品のなかにあったエルネスト・ハインケル技師設計のハンザW-29を国産化して海軍の水上偵察機とすることにした。その戦利品を原型として築地の海軍研究所で図面を起こし、中島と愛知に、三菱のヒ式発動機を搭載して総数180機あまりを製作させた。
その後昭和5年頃まで使用したが順次民間に多数払い下げられ、遊覧魚群探索や郵便輸送に盛んに使われた。機体は木製主材合板羽布張り構造で、浮舟がそのころは珍しい双フロートであった。また垂直尾翼が下向きに装着されているのがおもしろい。 |