中国黒竜江省酪農乳業発展計画
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2003年度トピックス


調整員交代(2003.6)

2003年6月に、これまで「女房役」としてプロジェクトの運営を支えてきた調整員が交代した。

新任の調整員は中国のプロジェクトでの経験もあり、今後のプロジェクト運営の一層の円滑化が期待される。なお、当人はテニスを趣味としており、休日はテニス三昧で過ごしたいとしている。

なお、しばらく後のことであるが、当調整員はドラえもんのニックネームをつけられることとなった。各専門家が調整員に対して、業務に必要なものの購入を依頼すると気前よく(??)購入してくれるからであるとも言われるが、また本人の体型がドラえもんに似ているからという説もある。


飼料生産担当長期専門家交代(2003.6)

2003年6月には調整員と共に飼料生産担当長期専門家も交代することとなり、これまで飼料生産分野を担当した長期専門家が帰任し、後任の長期専門家に引き継いだ。帰任する長期専門家は酪農サイトのカウンターパート等にも慕われ、酪農サイトを出立する際には多くの人達が見送り、別れを惜しんだ。また哈爾濱太平空港にも多くの人達が見送りに訪れた。プロジェクト関係者一同、飼料生産部門の「立ち上げ」及びプロジェクト全期間に及び構想の策定及びプロジェクト前半における調査のカウンターパート指導等に尽力された前任の飼料生産担当長期専門家に心より感謝したい。

後任の飼料分野担当長期専門家は独立行政法人家畜改良センターから派遣されたが、JICAでの活動では、これまでも中国河北省(滄州市)及びパナマの2カ所での指導経験があり、当地での活躍が期待される。本人は中国語(聞き取り、会話)に不安を持っているとのことであるが、一方で写真が好きでデジタルカメラで当地のいろいろなものを撮影したいとしており、また中国の歴史(特に春秋時代〜漢の時代)にも興味があるとのことで、これらの趣味を通じた当地の人達との交流が期待される。

なお、上記調整員同様に当専門家はトトロのニックネームを付けられることとなった。その太めの体型と、茫洋とした印象から付けられたものである。

飼料生産担当長期専門家交代関係写真
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第3回モニタリング委員会(2003.7.30)

第3回モニタリング委員会が2003年7月30日、酪農サイトがある黒龍江省安達市において行われた。

委員会に先立つ29日には関係者が酪農サイトがある安達市友誼牧場のプロジェクト関係施設(牛舎、建設中の事務所等)の状況を調査した。

30日に安達会館会議室において委員会が行われ、2003年前半の各分野における活動状況を報告すると共に、年度後半の活動計画等について協議した。

第3回モニタリング委員会関係写真
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堆肥盤整備完了(酪農サイト)(2003.9)

これまで友誼牧場には堆肥盤は整備されておらず、牛舎脇に野積みされていた。このため、良質な発酵をせず、できあがった堆肥には発芽可能な雑草の種が多く混入しており、雑草が広がる原因の一つになっていた(良く発酵する場合は50度以上に温度があがり、雑草種子の多くは死滅する)。また牛舎付近はところかまわず牛糞が堆積されており、家畜衛生の面でも問題があった。

このようなことから、牛糞を良質な堆肥に調製することを実証展示するために、本年度JICA予算で堆肥盤を建設することとした。

当初計画では堆肥盤の建物三方(両側面及び奥)の上部を吹き抜けにする計画であったが、冬季寒冷条件下でもできるだけ温度が保たれるようにと、建物の手前部分(南側に面している)を除く三方ともに屋根の所まで壁を作ることとした(吹き抜けにしない)。なお、これに伴う経費増加は中国側負担とした。なお、吹き抜け部分が無くなった(3方前部を軒まで壁で覆った)ため、今後は「堆肥盤」というよりは「堆肥舎」と呼ぶべきかを思われる。

最初に牛糞を入れた時は、糞の水分が多すぎてうまく発酵しなかったので、これを取り除き、水分が少ない糞を入れ、発酵が進むようにした。今後牛舎においてバーンクリーナーが設置されるので、これにより固形物(糞)の部分と液体部分がかなり分けられるので、堆肥盤に搬入される牛糞は現在よりも水分が少ないものになり、より発酵しやすくなるものと思われる。

今後は堆肥盤の有効活用により牛糞の肥料としての活用、そして堆肥を通じた雑草の広がりを押さえることが期待される。

堆肥盤整備関係写真
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酪農サイト事務室完工、引っ越し(2003.11)

当プロジェクトの酪農サイト事務室は安達市友誼牧場内にあったが、手狭であり、また暖房の利きが良くない等の問題があったため、安達市友誼牧場側の費用負担により新たな事務棟が建設された。

事務棟には日本側専門家が執務する事務室、実験室、衛生室(薬品等を保管すると共に、友誼牧場の獣医等のスタッフが執務する)、トイレ、ボイラー室等よりなり、冬季の暖房も従来より改善された。

新事務室は10月末に完成し、旧事務室からここへの移転(事務機器、事務用品、書類・資料の移動等)は11月始めに行われた。

酪農サイト事務室関係写真
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短期専門家(茎葉サイレージ)の指導(2003.11)

茎葉サイレージ調製技術指導のための短期専門家が2003年10月8日〜11月22日の期間、酪農サイトにおいて指導を行った。当該短期専門家は2002年にもサイレージ調製技術を指導しており、今回は2回目となる。

当該短期専門家は、カウンターパートに対して「各種サイロの作成方法」、「サイレージ調製時の基本事項」、「酪農セミナーにおける講演」等の講義を行うと共に、トウモロコシ茎葉を用いたバッグサイロ及び小型のスタックサイロの調製を行い、カウンターパートに対してサイレージ調製に関する技術移転を行った。

加えて、同氏が簡易な土壌分析等についても技術を有していることから、この技術についても指導していただいた。

また、未利用資源の状況調査ということで、黒龍江省西部で大規模に稲作を行っている査哈陽農場における、稲わらの発生状況を調査した。なお、ここでは発生した稲わらのほとんどは焼却しており、飼料利用は全く行われていなかった。

同氏は中国での技術指導は初めてであるにもかかわらず、カウンターパートとも友好的に交流し、また当地の生活(食生活等)にも慣れ親しんだようであった。

短期専門家(茎葉サイレージ)関係写真
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短期専門家(農機具整備)の指導(2003.11〜12)

農機具整備技術指導のための短期専門家が2003年10月9日より2003年12月9日の2ヶ月間、酪農サイトで指導を行った。

トラクターのオイル交換等の保守点検技術、作業機の適切な使用方法及び保守管理技術、農機具の部品管理方法等についての指導を行った。

酪農サイトがある友誼牧場では、当プロジェクトにより高性能な農機具が配備された。これら農機具の適切な稼働のためには適切な利用、管理、整備技術が備わっていることが重要であるが、カウンターパートやオペレーターはこれらについてはまだ十分修得したとはいえず、このたびの短期専門家の指導により、かなりの技術レベルの向上が図られた。

なお、指導を始めた当初はカウンターパートやオペレーターは農機具整備の重要性に対する認識が薄く、当該短期専門家の活動に対しても、単に農機具の整備に来た人といった感覚でしかとらえず、指導に対して積極的な対応を見せなかったが、終盤頃になりようやくその重要性を認識するようになった。

なお、同氏による指導は10月から12月始めにかけて行われ、この時期は次第に寒さが厳しくなる時期に当たっていた。また指導に当たった短期専門家は、日本では温暖な九州にある公的機関より派遣され、当地のような寒さには慣れていないことから寒さに震えながらの指導であったが、寒さにもめげず積極的な指導を行っていた。

また、指導した期間は前記の茎葉サイレージ調製技術を指導した短期専門家とも重なっており、両氏は当地の生活もかなりエンジョイしたようであった。

短期専門家(農機具整備)関係写真
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北極村旅行(2003.12.5-9)

プロジェクトの日本側及び中国側メンバーの有志で、黒龍江省の最北端(中国の最北端でもある)の漠河県の北極村等に行った。北極村の「北極」とは「北極・南極」の北極ではなく、中国の「最北端」の意味であろう。

12月5日夜に列車で出発し、翌朝、「加格達奇(ジャガタチ)」で乗り換え、6日夕刻に漠河県に到着した。

7日は漠河で、「松苑」、「大興安嶺五・六火災記念館」、「漠河県のシンボルタワー」、「市場」等を見た後、チャーターしたバスに乗り、途中、「臙脂溝(清代の金鉱跡)」や「李金纒_」を見つつ、黒竜江沿いの「北極村」に向かった。

北極村到着は午後遅くであったため、「家庭賓館(日本で言う民宿)」に荷物を下ろし、ちょっと休憩した後で夕食と言うことになった。

8日はチャーターした馬橇に乗って村内を見物、そしてロシアとの国境である黒龍江に至った。川岸には「神州北極」の碑があり、ここで記念撮影をした。そして1m以上の厚さで凍結している黒龍江の上での橇滑りを楽しんだ。河の中央が国境であり、対岸ではロシアが看視しているということで、あまり河の中央部に行かないように注意された。黒龍江の氷の上では、氷に穴をあけて網をしかけ、魚取りをしている人達がいた。網をあげるのを見たが、あいにく少ししか魚は入っていなかった。

次に「中国最北の家」に行き休憩。ここで馬橇とは別れ、バスに乗り換え、中国側の看視塔である「了望塔」に行く。「了望塔」に登り、黒龍江の凍結した河面やその向こうのロシアを遠望した。バスに戻り、北極村の集落の中をぬいながら北極村入口の「北極村旅遊風景区」の門に向かった。「北極村旅遊風景区」の門や、近くにある「中華北陲の碑」で記念写真を撮り、バスに戻って漠河に向かう。先日宿泊した漠河賓館で夕食を取り、帰りの列車に乗った。そして往路と同じく「加格達奇(ジャガタチ)」で乗り換え、翌9日に安達及び哈尓濱に戻った。

北極村旅行に行った時期は冬の初めであったが、漠河や北極村は中国最北の地であり、気温はマイナス20度以下に下がるとのことで、完全装備の防寒衣類で出かけたが、北極村旅行の最中は当地としては異常に気温が高いとのことで、哈爾濱や安達とそれほど変わらない気温(マイナス12〜13度程度)であり、ちょっと拍子抜けというところであった。

北極村旅行関係写真
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チーフアドバイザー交代(2003.12)

プロジェクトも半ばを迎え、これまでプロジェクトを率いてきたチーフアドバイザーが交代することとなった。

新任のチーフアドバイザーは、農林水産省のOBであり、海外協力に関してはボリビアでのJICAプロジェクトでのチーフアドバイザーとしての経験もあり、プロジェクトの一層の推進が期待されている。

チーフアドバイザー交代関係写真
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第4回モニタリング委員会/第2回運営委員会(2003.12.16)

2003年12月16日、プロジェクトの実施管理室が主催する第4回モニタリング委員会及び黒龍江省科学技術庁が主催する第2回運営委員会が哈爾濱市にあるホテル、福順天天大酒店の会議室において行われた。

モニタリング委員会は、日本側からは専門家全員及び中国側からはカウンターパートの代表が出席して行われた。会議では、2003年後半の活動報告及び2004年全般の各分野における活動計画について審議すると共に、黒龍江省の酪農・乳業振興施策における当プロジェクトの位置づけや、プロジェクト推進上の懸案事項等について検討が行われた。また、この時期に交代する新旧両チーフアドバイザーが離着任挨拶を行った。

引き続いて運営委員会が行われた。司会を行った張畜牧局副局長による開会挨拶の後、プロジェクトの実施管理室長よりモニタリング委員会における審議結果が報告された。また退任するプロジェクトリーダーからは任期中の総括報告がなされ、また新旧両チーフアドバイザーによる離着任挨拶が行われた。最後に会議を主催した董科技庁副庁長による総括が行われた。

モニタリング委員会/運営委員会関係写真
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酪農セミナー開催(2003.12.18)

2003年12月18日に安達市先源郷政府大会議室において第2回酪農セミナーが開催された。今回の酪農セミナーには日本側からは酪農サイトの長期専門家の他に新任及び近く退任する両名のチーフアドバイザー、業務調整員及び乳業サイトの長期専門家(1名)が出席した他、来賓としてJICA本部の当プロジェクト担当職員も列席した。セミナーでは開会挨拶及び来賓挨拶の後、9時30分より昼食を挟んで午後3時まで下記内容による講演(括弧内は講演者)が行われた。

当セミナー出席者は酪農家及び安達市・先源郷政府の畜産関係者等122人であった。

酪農セミナー関係写真
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哈爾濱の冬を彩る「氷雪祭り」

例年、哈爾濱の冬を彩るイベントである「氷雪祭り」については、12月上旬より準備が進められていたが12月末にオープンした。

メイン会場は市街地から松花江を挟んだ対岸に設けられた「氷雪大世界」である。この他に友誼路に面した兆麟公園では「氷灯遊園会」が、また松花江に面した太陽島公園でも「雪雕遊園会」が開催される。これらは入場料が必要であるが、市内各地の公園でも(規模は小さいが)氷や雪のの像が作られ、多くの市民が訪れている。

氷雪祭り関係写真
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