(改訂版) |
プロローグ(昭和37〜41年頃の回想)
当時小学校の6年生になっていた私は、もう1人で簡単なプラモデルでしたら、作れるようになっていましたので、このプラモデルも当然作ってみようと思いました。それに、まだ色を塗るというようなことは出来ませんでしたので、ただ組み立てるということだけの作業は、実に簡単でありました。その模型は、日本模型製の「マンタレィ」という当時流行り始めていた新しい遊びである「モデルカー・レーシング」というものだったのでした。プラスチック製のボディに、モーターを組み入れた金属性のシャーシをねじで止め、その先端についている“ガイドシュー”という物を、溝のついた専用コースにはめて、電気を流して走り出すという新しい遊びでした。しかし、出来上がったものの走らせるコースもなく、当時出来始めていた、専用サーキットへ行くには、まだまだ私は、子供でしたから無理であり、しばらくは「マンタレィ」は箱の中に逆戻りという状態でありました。そして、約半年の月日を隔てて、この「マンタレィ」は、突如開花するのでありました。 詳しい内容は、「モデルカー・レーシング入門記」をのぞいてみてください。 |
とにかく、当時は、田宮模型の“エルバ・マクラーレン”がほしかったのです!ところが、私は、誕生日のプレゼントとして、両親から同じく田宮から発売されていた“プリンスR380”の方を買ってもらったのでありました。(実は、当時エルバを買ったのが早かったか、プリンスを買ったのが早かったかの記憶が定かでありません。あしからず…。)突然心変わりがしてしまい日本初のミッドシップレーシングカーであったプリンスに心引かれたのでした。とにかく、とてもカッコ良く見えました。そんなこんなで、愛車だった“マンタレィ”は、追憶の彼方へ! 学友のHくんの愛車である同じく田宮から出ていた“フォードGTスパイダー”もカッコ良かったけど、なぜかその頃は、プリンスが一番でありました。多分、第3回日本グランプリをTVで見た余韻が残っていたのでしょうか、夢中でありました。ところが、細かく言うと、実際の田宮製“プリンスR―380”のスタイリングは、第3回日本グランプリ時のボディではなく、前年国際記録に挑んだ時のふっくらしたボディを持つ方であったのでした。さらに、サイド“エアー・インテーク”も記録車の特徴であったスパッと切れたタイプでありやや抵抗を持って製作した記憶があります。しかし、シャーシは、エルバ・マクラーレンと同じスプリング・サスペンション付きで、モーターも最強のマブチFT−36Dでありました。ただし、シャーシの材質が、エルバの真鍮に変わって“ステンレス”製であったのが唯一の相違点でありました。そういえば、エルバと同じシャーシを持つ“フェラーリ330P−2”も同時期に発売されてはいたが、なぜか当時はあまり興味がわかなかったのはどうしたことか、フェラーリだったのに…。ところで、いろいろなメーカーから、「モデルカー・レーシング」は発売されていましたが、その中でも、田宮模型のパッケージのセンスは群を抜いており、今ではとてもやらないと思われる組みたて式のホチキスなしの2重箱であり、白地のつや入り塗装に写真と見間違えるほどの車の絵がシンプルに印刷されている優れものでありました。その中に、箱と同じく印刷された約11センチ四方のカードが入っており、その車の実車における性能や、活躍が説明文として書かれておりました。このカードにより私は、当時大変勉強になった思い出があります。 |
田宮模型「モデルカー・レーシング」キット付属カード!!
(詳しく知りたいと思われる方は、どうぞこちらへお寄り下さい!!)
|
田宮としては、珍しい活字ミスのある“ローラT70”、正解は、“LOLA T−70”であります。シャーシは、エルバと同じ型式でありながら、軽量なアルミ焼付けシャーシを持っていました。そして、珍しい1/32スケールの“ロータス30”。マブチFT−16Dをインライン式に搭載し、このクラス最強を誇りました。田宮では、ホームサーキットセットにこのロータス以外に“1/32フェラーリ365P”があったのですが、ついに単体での発売はありませんでした。 |
こんな特集もありました!!
69年日本グランプリを間近に控えた8月17日、東京大田区のカマタグランドサーキットにて、ニッサンチームの北野元、タキレーシングチームの長谷見昌弘、田中健二郎、そして、津々見友彦ら8人の有力ドライバーが集結し、モデルカー・レーシング「日本グランプリ」が開かれたのでした。名誉会長として、タキレーシングチームのオーナーである故滝進太郎氏が開会宣言をして多いに盛り上がったと聞きました。ちなみに、優勝者は、当時若手であった長谷見昌弘選手がなんと優勝し、滝氏より田宮製の「1/12スケール ロータス49フォード」を優勝商品として受けとったのでありました。トヨタ、ニッサン、タキレーシングがしのぎを削っていた69年当時、なんとも和やかなことでありましょうか。写真の中ほどに、各レーシングカーがスタートラインに並んでいますが、8レーンの一番外側が、クライマックス社製クリヤー・ボディの“ポルシェ917“、そのとなりから同社製“ローラT70MK3”が2台、同じく“ニッサンR−381(ウイングなし?)”が2台、そして、田宮製“ポルシェカレラ6”と良く分からない(?)フォーミュラカーが1台が並んでおります。きっと、実車通りのドライバーが操縦したのでしょう。見てみたかったというのが本音でありました。 まだまだ、このノートは続きますが、この続きは次回のPART2までお待ちください。お楽しみに!! (つづく) |
ご意見・ご感想をお待ちしています。
|