塔ノ岳・丹沢山・鍋割山塔ノ岳山頂から丹沢主脈を眺め渡す。右奥の丸い山頂は蛭ヶ岳、左奥の高いのは檜洞丸。その右手奥に大室山。中央奥は小金沢連嶺。写真左奥隅に白く南アルプス(北岳のあたり)。

「人はなぜ山に登るか」という命題がある。ここでの”人”を人類一般にすれば哲学的問題になるかもしれないが、個人に限れば「その山を選ぶ理由」になる。あるときは単なる訓練または運動のためだろう。連続登頂記録を作るためとか、山頂からの定点観測のためかもしれない。場合によっては挑戦的要素も加わることもある。レベルはさまざま、たとえば「丹沢大山スタンプラリー」なるものがあって、登山口の大倉・伊勢原駅に加えて、大山、塔ノ岳、丹沢山、鍋割山の計6カ所を回ってスタンプを台紙に集めるというのは、簡単そうに思えて一日では相当難しく(トレランの経験者なら可能か)、二日でも少々気合いがいる(丹沢山の扱いをどうするか)。
このスタンプラリー、2012年度は記念品が丹沢の連嶺が描かれた手ぬぐいだという点で、動機付けとしては及第点だった。しかし最終的に手を出す気になったのは、年度の終わりに2ヶ月延長が発表されたからだった。ホントにやらないの?という最後の問いかけにも思えて、慌てて着手したワケである。伊勢原と大山は年度内にスタンプを集めたものの、肝心の残る4カ所はできなかった。あと二ヶ月、天候や仕事の都合を考えると、一日でみな回ってしまうのが得策だ。という次第で、かなり久しぶりに三山の頂を踏みにでかけたのだった。


GW前半の連休二日目の朝、まだ一番バスが出たばかりだというのに、小田急線の渋沢駅はハイカーの姿が多かった。停留所の長い行列はバス一台では収容しきれず、動き出した車内から振り返ると早々に増便が来ていたようだった。大倉へは車で来る人も多いようで、バス停がある広場の脇の駐車場入口から渋滞になっており、すぐそこが終点とわかるのになかなか降車できない。GWの東丹沢がHighSeasonだということを改めて認識した。
大倉のバス停前にあるどんぐりハウス。食堂・売店・休憩所あり。
大倉のバス停前にあるどんぐりハウス。食堂・売店・休憩所あり
さてまずスタンプラリーだ。どんぐりハウスで大倉のスタンプを押す。同じようにスタンプを押している人が少なくない。バス停周辺は人が滞留していて捌けない。仲間のトイレ待ちなのか準備運動なのか、あまり大勢に紛れて登るのは気疲れするので少々待っているのか。自分もそうなので風の吊り橋を眺めに行ったりしてぐずぐずしていると、ようやく人影が減ってくる。そろそろ出発しよう。
とはいえ前後に人がいる状況は変わらない。親子連れも仲間同士も単独行者もいる。自分のペースを守り、追い抜くときは追い抜き、追い越されるときは追い越されるままに歩いていく。舗装道がいつのまにか山道に変わる。少し進むともう山小屋が見えてくる。歩き出して15分たっていないが、暑いから脱ごうと、もう休む人も出てきていた。つられて休むとペースが崩れるので次々現れる山小屋を見送りながら登り続ける。常に前後で話し声がする中を登り続けるというのは、人影のない山ばかりを歩く身には勝手が異なる。
登高はまだ始まったばかり。
登高はまだ始まったばかり
なんとなく足を止める気にならずにいたが、駒止小屋あたりでさすがに疲れて土間に入り飲み物を買って腰を下ろす。意外にもダルマストーブに火が入っていた。空気が乾燥していて少々肌を刺すくらいだったので、日陰の小屋内ではほどよい輻射熱が心地よかった。
高度を稼いできたので右手には表尾根が木々の合間に窺えるようになる。平頂が際だつ三の塔が大きい。左手には富士山がいまだ雪を被った姿を見せている。さらに左手には愛鷹連峰と箱根連山が霞んでいる。以前何度か歩いた大倉尾根では好天であっても愛鷹連峰は記憶にない。ばてずに登るだけで手一杯だったのかもしれない。
右手の表尾根が見えてくると、三ノ塔が大きい。
右手の表尾根が見えてくると、三ノ塔が大きい
富士もところどころで顔を出す。
富士もところどころで顔を出す
どの小屋も軒先は和やかな雰囲気。写真は堀山の家。
どの小屋も軒先は和やかな雰囲気。写真は堀山の家
かつて大倉尾根には人を恐れない鹿が多かった。山道の脇に座り込んで悠々と登山者を見送っていたのとかが記憶にある。今回は登山道を横切るように飛び出してきた雌鹿に出会っただけだった。林床の草から木の樹皮まで食べてしまううえに、ヒルまで連れて回ることが疑われ、かなり好意的感情は薄れているが、まぁ元はといえば人間のせいでこうなったのは同情の余地ありだ。とはいえ対処は必要だろう。丹沢で猟銃を撃つのは無理だろうから柵で防ぎ罠で捕らえることになるだろうが、崩壊地が多いから柵もすぐさまダメになっていくことと思う。労多くして功少なしになる気がする。
とつぜん飛び出して登山道を横切っていった鹿。
とつぜん飛び出して登山道を横切っていった鹿
花立直下の急登で再び疲れが出てきた。展望もさらに広がったことだし花立山荘前で足を止め、腰を下ろした。確実に季節が逆戻りしているのだろう、小屋脇ではヤマザクラが咲いていた。山荘入り口に出ている案内に、甘酒があると書いてある。その手前でこの山荘名物のかき氷の旗が舞っている。どちらも今日はやめておこう。まだ先は長く、甘酒を飲めば必要以上に長居をしてしまうだろうし、氷を食べるには涼しすぎる。
花立付近で来し方を振り返る。左から伸びて新緑に覆われているのは三ノ塔尾根。彼方に秦野市街地が広がり、その上に渋沢丘陵が霞む。
花立付近で来し方を振り返る
左から伸びて新緑に覆われているのは三ノ塔尾根
彼方に秦野市街地が広がり、その上に渋沢丘陵が霞む
母に付き添われ父を追う息子。頂上はもうすぐだ。
母に付き添われ父を追う息子。頂上はもうすぐだ。
花立の階段道はいつ来てもたいへんに思う。
花立の階段道はいつ来てもたいへんに思う
ここからの広い階段道をじっくり登って、人だかりのしている塔ノ岳に着いた。人の多さは予想通りで、老若男女に子供までいて、ほぼ町中の光景だ。この山頂が最終目的地であろうとなかろうと、たいていは腰を下ろすに違いない。眺めがよいし、なにより大倉尾根の登りでくたびれているはすだから。
あまりに長いことご無沙汰だったので山頂からの眺めはかなり新鮮だった。深い谷間の上に顔を出す蛭ヶ岳や檜洞丸は明瞭だが、丹沢山は縦列に並んだ山並みに紛れて少々影が薄い。塔ノ岳から見て左側、谷間を隔てて正面にガレた斜面を山頂から落とす不動ノ峰のほうが印象深く、これが丹沢山だったかなと思ったほどだ。相模平野側に眼を向ければ、平地から浮き上がって屈曲する表尾根、その彼方に端正な姿を浮かべる大山の眺めがまた棄てがたい。しかしまわりに人が多い。いつものように景色を眺めてうろうろするとぶつかりかねない。そろそろ落ち着くこととしよう。
不動ノ峰(正面右)、棚沢ノ頭の向こうに蛭ヶ岳を仰ぐ。
不動ノ峰(正面右)、棚沢ノ頭の向こうに蛭ヶ岳を仰ぐ。
本日は軽装登山を旨としているため湯沸かし道具を持参していない。であるので予定通り尊仏山荘でコーヒーを頼むことにする。扉には張り紙があり、本日の泊まりは一杯で予約なしの受入は不可とあった。小屋内はそう広くないがたまたま席が空いていたので荷を下ろし、運ばれてきた熱いのをすする。飲んでいる合間にも丹沢大山やまなみスタンプラリーのスタンプを押しに来る人が次々と現れる。このイベントはなかなか盛況のようだ。コーヒーついでに、小屋特製の手ぬぐいを買う。在庫は臙脂色だけで、紺色のはなく、「いつか入ります」とのことだった。いつ入れるつもりなのかは聞きそびれた。


ふたたび人だかりのなかに出て、丹沢山へと向かう。ひとしきり下ると穏やかな道のりとなり、笹原のなかを行く。眺望も広く快適だ。左手には幅ある谷間が広がっていて底には砂防ダムが連なっている。稜線からでも広く平らな谷底が砂で覆われているのがわかる。沢登りで有名な丹沢だがこの箒杉沢は論外に違いない。
丹沢山へと日高の笹原を辿る。
丹沢山へと日高の笹原を辿る。稜線はまだ春浅し
眺望がよいのはよいが、風が吹き渡ってずいぶんと寒い。悲鳴を上げながら歩いてくる軽装のハイカーもいる。登山口では暑いかなと思えたものの、さすがに高度差1,200メートルは無視し得ない。よく言われている尺度に「100メートルで0.6度下がる」というのがあるが、これに従えばここは大倉より7度は低く、風があるので体感温度はさらに低いことだろう。歩き出しが22度だとしても、ここは15度以下となり、3月あたりの気温となる(2013年の春はだいぶ暖かな日が多かったが)。丹沢に雪はもはやないが、雨でも降ろうものならかなり冷えるに違いない。
ところで今回の山ではザックやアウターウェアなどハイカーの装備に若草色が目立つ。昨年ないし今年の流行色なのだろうか。季節を考慮したハイカー個人のコーディネートだとしたら、ザックや上着を季節毎に持っていることになる。そうであれば少々贅沢だな。まぁそのおかげで山岳人口が増えているようなので、悪くはない。メジャーな山であればだいぶ明るさが増えたということでもある。見た目からも活気を感じる。これはさすがにヤブ山では求めても得られない。
北尾根を伸ばす大山を竜ヶ馬場から望む。
北尾根を伸ばす大山を竜ヶ馬場から望む
塔ノ岳を下ると目の前に高まるのは日高、これを越えれば竜ヶ馬場への登りは大したことはなく、続く高まりが丹沢山だ。ここに到達するのはこれでやっと三度目くらいだが、気のせいかどことなく開けた気がする。おそらく新装なったみやま山荘の清潔そうな外観のせいだろう。内装も感じよく、いつか泊まってみたいと思えるものだった。ここでも手ぬぐいを買い求めながら宿泊状況を聞いてみると、尊仏山荘同様に今夜は一杯だそうだ。かつて蛭ヶ岳山荘にGW連休最終日に泊まったときに聞いたことには、連休中の好天の日は土間にまで寝てもらったという。この季節、アルプスや八ヶ岳にはまだ雪があるので、中級レベルのハイカーまでが丹沢山地に集中すると思われる。
丹沢山頂から箒杉沢の上に塔ノ岳(左)と鍋割山稜、日に赤めく鍋割山を望む。右奥に雨山、檜岳が続く。
丹沢山頂から箒杉沢の上に塔ノ岳(左)と鍋割山稜、
   日に赤めく鍋割山を望む。右奥に雨山、檜岳が続く
来た道を塔ノ岳へ向かう。このあたりから似たような行程を歩いている人が目につくようになる。計画が同じで足の速さもほぼ同じなのだろう。丹沢山の先まで進む人もいたようだ。蛭ヶ岳泊まりか、どこかから下るか。一方で、バテたのか、丹沢山に向かって追い越していく人に、XXは戻ると伝えてくれと伝言を頼む人もいた。たいへんそうだなぁと思うとともに、携帯電話が当たり前になった時代に昔の面影を見た気もした。


戻ってきた塔ノ岳山頂は、昼時を過ぎたのに人の数はあまり変わっていないように思えた。まだまだ到着する人が減らないからだろう。ハイカー同士、おや久しぶり、なんていう会話も聞こえたりする。みなお年を召しているので自分だけで来てしまいましたとも聞こえてくる。人気の山域は人間模様まで窺えてしまう。高尾山などどうなっていることだろう。
あらためて山頂から周囲の眺めを見渡す。登りついたときは気づかなかったが、大倉尾根コースへの下り口脇がだいぶ荒れている。かつて日の出山荘なる小屋があった場所らしい。初めて登ったときはすでに休業中だったものの建物は残っていたが、いつのまにやら取り壊されたらしい。下りだした大倉尾根は午をまわって降りていく人たちが多いので、無理して追い越さず、行列して下ることになる。途中、金冷ヤシの分岐から鍋割山へと向かうと格段に人の数が減った。前後に人の姿が見えなくなるくらいに減った。大倉尾根は山の尺度では非日常性充分と言うところだろう、町中の日常性の延長状態であるという意味で。
一部に急な下りもあるが、鍋割山稜と呼ばれる木立の穏やかな稜線は心落ち着くものだ。振り返れば花立あたりの大倉尾根が高い。見下ろせば秦野盆地が眼下に広がる。眺望がよいにしても塔ノ岳から丹沢山のあいだとは異なり、背の高い里山という風情だ。すぐにでも町中に下れそうな気がするが、まだ先は長い。
鍋割山稜から仰ぐ大倉尾根の花立
鍋割山稜から仰ぐ大倉尾根の花立
咲く花は馬酔木
同じコースを歩いていた祖母と孫(と、思います)
同じコースを歩いていた祖母と孫(と、思います)。二人とも元気元気。
正面に見えてきた鍋割山
正面に見えてきた鍋割山
鍋割山は塔ノ岳に比べれば丹沢山同様に人の数が少なかった。時間も遅くなってきたからだろうが、それでも宴会をしているグループなどあり賑やかだった。相模野側に傾斜した芝生の斜面は心地よく、時間さえ許せば腰を下ろしてゆっくりしたいところだった。鍋割山荘では500mlペットボトル飲料を買った。400円だった。
鍋割山頂から秦野市街地を俯瞰する
鍋割山頂から秦野市街地を俯瞰する
鍋割山からの下山路は急傾斜が続く。長時間歩いて疲れた身にはバネを効かせて下るなどということはもはやできず、ゆっくりゆっくり下っていったら、後から下ってくる人たちに次々と追いつかれ追い越された。しかしあいかわらず長々と急なのが続く。これを登るのはあまり愉しくなさそうだ。塔ノ岳周辺へなら、やはり大倉尾根を辿ってしまうだろう。表尾根を辿るという手もある。これも歩いて久しく、いつか時期をみて再訪したいと思う。


二俣分岐で左折して東の谷間に下り、ようやく林道に出てからも、疲れているせいで足どりは捗らない。しかも、他人の行動に無批判に追従したため、二俣で大倉に向かわず、三廻部に向かってしまった。多くの人は三廻部からの林道上部にある駐車場近辺に車を停めて山を往復したらしい。こんな林道あったっけ・・・とか恨めしげに思いながらも、もはや戻る気がせず、もういいやと、三廻部まで、そのまま元気なら渋沢駅まで歩くことにした。
廻部付近から振り返る塔ノ岳。右へと伸びるのは表尾根
三廻部付近から振り返る塔ノ岳。右へと伸びるのは表尾根
途中で空腹になったのでラーメン屋に入って夕食を食べたりして、駅に着いたのは夜の7時頃だった。さすがに疲れたので座席確保を確実にしようと、小田原に出て東海道線に乗り換えた。贅沢にグリーン車に乗ってビールを飲み出したものの、ふと気づいたら頭が回っておらず、なぜかアテンダントのお姉さんが盛んに声をかけてきていた。頭上の改札ランプは赤だ。寝込んで二駅ほど乗り過ごしていたのだった。
2013/04/28

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