鶴島御前山より南陵を見せる聖武連山を望む聖武連山

ある年の秋、中央本線沿線の上野原から鶴島御前山に登った際、奥高尾の山並みの前に小振りながらも目立つドーム状の山を見つけた。独立峰の風格を湛えて登高欲を誘ってくる。これが聖武連(しょうむれ)山だった。地図にあたってみると、登路については波線表示すらないが、顕著で比較的緩やかな南陵をたどればわりと楽に山頂に着けそうだ。南麓の聖武連集落からの標高差も350メートルほどで、葉の落ちた季節なら往復に半日あれば十分だろう。こうして年も改まった正月休みに登りに行ってみた。


聖武連山の麓に着くバスはない。上野原駅から出る向風(むかぜ)行きのバスに乗って鶴川の左岸を遡り、終点から車道を歩くことになる。むしろ、三頭山登山口である郷原へ向かうものに乗って鶴川の右岸を尾続(もしくはその次)で降り、おそらく車は通れないはずの聖武連橋で対岸に渡って出た方が早いだろう。しかし実際には上野原からタクシーで向風を越え、麓まで行くことにした。さいきんしばらく山に行っていなかったので、ちょっとぜいたくしてもよいだろうと思ったからだった。
向風を越えると鶴川の支流である黒田川を渡る。短い中見山トンネルをくぐって中見山橋を渡ると、山の麓にある聖武連の集落となる。登り口がわからないので集落をかなり行きすぎてからタクシーを停めた。運転手さんも聖武連山は知らないらしく、大判の道路地図を見て山の名を確認しようとするが、記載がないことがわかっただけだった。礼を言って車を降りる。
まだ昼前なので、まずは地形図と照らし合わせて自力で目指すべき尾根筋を見きわめることにした。南陵はここからだと集落の向こう側、中見山トンネルの上だ。来た道を戻りながら、車道から山側へ無理なく取り付ける踏み跡なりのサインを探していく。この道路が通る前は、聖武連集落には鶴川を渡る橋しか外部との交通路がなかったはずで、様変わりといってもよい光景だろう。右手下に立派な家の屋根を見下ろすあたりを行くと、左手に人家があるのに気がついた。道路のすぐ上、二万五千分の一地図では道路北方に”畑地・牧草地”として記載されているあたりだ。
道を尋ねてみようと軒先に続く簡易舗装路を上がってみると、本日は不在のようだった。しかし家の手前には山に向かう道筋がある。裏手の畑地か植林地に通じるだけのものかもしれないし、目指す南陵のひとつ隣を登ることになるかもしれないが、どこかで合流できればと思って入ってみることにした。
聖武連集落にて
聖武連集落にて
冬だからか、もう耕されていないのか、農作物のない開けた場所を過ぎると、ややヤブ加減ながら踏み跡よりは明瞭な山道が続いている。大晦日に降った雪があちこちに残っているが、動物のものらしい足跡が着いているだけだ。15分も進むと、どちらを選んでもおかしくない分岐が現れるが、右手に進むのが高度を稼ぐように思えてそちらに入る。すぐに尾根筋を行くようになり、目的としていた南陵に乗ったことを知る。右手には黒田川の谷を隔てて隣の能岳が梢越しに窺える。振り返ると秋山山稜が垣間見える。


だがこの道はやはり本質は植林の仕事道だったらしい。広場とも呼べない広さのテラスに突き当たり、左手に曲がってすぐに消えてしまう。どうやら正面のヤブっぽい中を上がっていくほか無さそうだ。時刻は正午過ぎ、影は自分の真ん前に落ちている。想定したルートはたどっているので、その点は心配はない。ところどころに残る雪の上に自分の足跡が残せるので、復路でも迷わないで済むだろう。
しかしこの先が一番の難所だ。ヤブが消えて植林になっていくとともに、勾配は増し、木につかまっていないと滑りおちてしまうようになる。距離は短いが緊張するところだ。斜度が緩み、稜線が西に向きを変えたことで、頂稜に乗ったことがわかった。予想外にも電柱が出てきて驚いていると、NHKのアンテナ施設が建つ山頂だった。登り始めて40分ほどが経過していた。この山には三角点が埋設されているらしいが、雪にまみれてどこにあるのかわからなかった。
山頂から大室山・加入道山と御正体山(右)
山頂から檜洞丸(最左端)・大笄と大室山・加入道山
眺めは期待以上によかった。それもそのはず、施設の工事でだろうか、南面の雑木が切り払われているからだった。幸か不幸か伐採されずに残った木々の合間に、丹沢山塊、秋山山稜から富士山までの幅広の眺めが展開する。すぐ近くに権現山の一峰である雨降山がのしかかるように見える。できるだけ遠いところを見るようにして昼食休憩とした。誰もいないし、おそらく誰も来ないだろう眺めのよい場所というのは、それはそれでぜいたくなところだ。
とはいえ、おにぎりを食べ、沸かした湯でいれたコーヒーを飲みながら、やはり近くを見回してしまう。伐採された木々の伐り口を見るとかなり最近のことらしく思えるが、アンテナの向く方向を見てもあまり必然性の感じられない場所の木まで伐られているようだ。単に眺めを得たいがためだけに伐ったようにさえ思える。目的のよくわからない人の手の痕跡は落ち着かない気分にさせる。自然のまま、少なくともそう見える森や林のなかに憩うのが、気が休まるというものだ。


山頂から、頂稜の反対側へ明瞭な山道が下っている。この道は北側に折り返し、いわば北稜となって突き出している稜線を下ってゴルフ場に出るものらしい。雪道を北稜の始まるところまで行ってみたが、一面雪だらけの急斜面を下る気にはもちろん、冬で閉鎖されているとはいえ本来私有地であるところに行く気もせず、帰りは元来た道をたどった。
頂稜直下の急勾配の植林地は、やはり難所だった。落ち葉に隠れた木の根に足をかけてしまい、足払いを食らったように横滑りしてしまったのである。悪いことに腕まくりしていたため、右腕を地肌のまま地面に打ち受け、しかもそこに何か悪いものがあったらしく、しばらくして痛むので見てみると、傷はないものの、かなり広くかぶれていた。
登山口に戻ってからは、聖武連集落を抜けて険阻な鶴川の渓谷を人道橋で渡り、尾続の集落で三頭山から下ってきたハイカーを乗せているはずのバスをつかまえようと思っていたが、集落入口に掲示があり、橋は全面通行止めとされていた。歩行時間としては充足していなかったので、とくに落胆もせず上野原駅方面に歩きだした。バス停のある新井という集落まで、登山口から45分ほどだった。
幸いに5分ほどの待ち合わせで来た折り返しのバスは、一人きりのハイカーのほかには、町中に友達を訪ねるらしい女学生を乗せただけだった。途中で、帰省先から戻る親子連れを拾った。停留所で手を振る祖父の姿が見えなくなると、父親に抱かれた幼い孫娘は、叫ぶように泣き始めた。駅に着くころに気づいてみると、父親があやし続けたおかげで、女の子は泣きやんでいた。
新井集落付近にて(背後は三ツ峠山)
新井集落付近にて(背後は三ツ峠山)
2005/01/03

追記:聖武連山の南方から電柱保守路(?)をたどって山頂に至るものもあるようだが、上に記述した行程はこれとは異なる。山中に標識も赤布さえもないため、地図は必携。ヤブの繁茂する夏場は避けた方がよいと思う。

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