青梅丘陵東半分。
右上は青梅駅周辺。中央下の手前は多摩川。

長淵山ハイキングコース西端の愛宕山から望む。
 
青梅丘陵西半分。
左端は雷電山。右に辛垣山。右手に離れて整った三角錐を見せるのが三方山。
盆地中心部は吉野梅郷。
上と同じく愛宕山から。 
先年、青梅市街地南方に広がる丘陵地、いわゆる長渕山ハイキングコースというのを歩いて多摩川越しに青梅丘陵を眺め、とくに西半分の起伏ある地形に惹かれるものがあった。「丘陵」という名称に公園みたいなものを想像していたが、まるで見当違いだった。とはいえ標高は低いので夏場に行くには気が引ける。季節が巡って空気が澄んできたころ、そろそろ出かけてみるかと地図を引っ張り出した。4時間少々の距離なので朝ゆっくり出ても問題ない。それでも雨具とヘッドランプなど山歩き必須品は携行し、青梅線に乗るべく家を出た。


一年ぶりに降り立つ青梅は好天だった。毎年行われる市の祭りを告知する横断幕が駅前広場の中心で揺れている。立川方面へ線路沿いに歩き、突き当りのように見える十字路を左へ折れ、跨線橋で青梅線を越えて車道を上がっていく。登り着く十字路で右奥の鉄道公園を見送って左に曲がり、さらに上がって青梅丘陵ハイキングコースに入る。
コースは始まっているとはいえ舗装された一車線幅の道路が続く。土の上を歩きたくなって右脇に続く踏み跡に入ってみるものの、すぐ舗装路に舞い戻ったので、そのまま舗装路を行くことにした。幅広で平坦なので、トレランで走っている人、軽装で歩いている人が目立つ。山と構えて来ていない人たちも多く、傍らのベンチで簡単な昼食を摂りながら談笑している街歩き姿の若いグループもいる。
左手は梢越しに青梅市街地が垣間見え、彼方には多摩川対岸の丘陵地帯が窺える。葉が落ちればもっと遠望が効くだろう。コースが尾根を乗り越す傍らに神社らしき建物が乗っている。市街地を正面にしているので前に回ってみると金比羅神社という。御嶽遙拝所なるところがあり、遠くを見やれば御嶽とその奥の院が霞んでいた。
第一休憩舎を過ぎて
第一休憩舎を過ぎて
ハイキングコース東半分には四つの休憩舎がある。やや高めのコブの上に設置された第一休憩舎は意外にもちょっとした高度感が味わえる場所で、開けた谷間越しに関東平野が俯瞰できる。第一休憩舎を過ぎると足下は未舗装になるが、道幅はそのままで依然として歩きやすい。尾根上にある第二休憩舎は木々に囲まれて見晴らしはないが雰囲気はよく、落ち着くところだ。尾根筋を直進して、右に曲がって続くところで曲がらず下りると、幅広の道に戻る。背の高い台座の上に観音像があり、脇の立派な石碑を読むと本尊如意輪観世音菩薩と書かれていた。見上げる仏様はじつに柔和で誰でも救ってくれそうな面をしていた。
本尊如意輪観世音菩薩
本尊如意輪観世音菩薩
神社や観音像はよいとして、妙なものも建っている。団子を重ねたような巨大な塔だ。左手のちょっとした高台にあるので正面に回って説明書きを読んでみると、どこかの新興宗教団体が造営したものらしい。不死の象徴のようなもので、「原子爆弾退避構体」なるものでできているという。それにしても誰が土地を売ったのだろうかと思いつつさらに行けば、道ばたになにやら細かい字の看板が立っている。売地国有地とあり、山林を売るという告知で、よく見てみると入札で、2014年の6月に行われるとあった。帰宅してから調べてみたが、応札者は1名のみ、不動産業者で、落札していた。山腹を切り拓いて何を建てるつもりなのだろう。2014年秋の時点で巨大霊園が造成されようとしている渋沢丘陵のことが思い浮かぶ。
コース左手すぐ下が市街地のため、車の音がよく聞こえてくる。第三休憩所は少々登るところで、市街地を挟んで高まる丘陵の稜線、赤ぼっこ付近と思われるあたりが木々の合間に眺められる。やっと長渕山ハイキングコースの稜線を識別できて喜んでいたら、休憩所を出た少し先で多摩川側が伐採されていて広大な見晴らしが展開し、少々複雑な気分になった。ともあれ奥多摩から続く山地がゆるやかに広がっている様は壮観だ。実際にはこまかく谷間が入り組んでいるのだが、遠望してみると準平原ではとさえ思える高まりが(おそらくは関東平野的スケールで)延々と続いている。中央本線の上野原と同じく青梅市街も河岸段丘上に発達していることや、彼方の丘陵が多摩川に削られて崖になっている様子がよくわかる。
多摩川の河岸段丘上に広がる青梅市街、そのかなたの長渕山ハイキングコースを望む
第三休憩所の先の伐採地から、多摩川の河岸段丘上に広がる青梅市街、そのかなたの長渕山ハイキングコースを望む。
左端の市街地から立ち上がる山がハイキングコース開始点。
右奥に霞む稜線が赤ぼっこのピークを乗せるもの。(ただしどれが赤ぼっこなのかよくわからない。)
 
雑木林の中を行くと、第四休憩所の前に出る。ここはまた多摩川の眺めがよい。休憩所を過ぎた先では葉の落ちた梢を透かして赤ぼっこを中心とした稜線が近い。長渕山ハイキングコースの眺めはこのあたりが最後になりそうなので、あらためて山座同定してみようとするが、あいかわらず赤ぼっこは特定に自信が持てない。青梅線沿線に下る分岐がある矢倉平には展望台があり、上がってみると梢越しに少しばかり多摩川の眺めがある。ここは稜線のさらに先にある辛垣城の物見の場所だったという。戦国時代のことらしい。


矢倉平を境に青梅丘陵は西半分に入る。道幅も徐々に狭くなってくる。大小のコブを登ったり下りたりしながら稜線を追ううち、いつしか市街地からだいぶ離れている。頻繁に聞こえていた街の音がようやく途絶え、トレランで走る人やただの散歩者もだいぶ少なくなって、あたりはすっかり山の気分だ。
青梅丘陵西半分の山道 青梅丘陵西半分の山道
眺めのない稜線をしばらく行くと、右手が広く伐採されたところに出た。ベンチがあって傍らには説明板が立ち、天気がよければ北関東の山々も見えると書いてある。この日はみな雲の中だったが、説明にない手前の山々はよく見える。どこの山かなとコンパスと地図を取り出し確認してみて、奥武蔵の山々とわかる。そうかあの台形の山は伊豆ヶ岳か。とするとあれが武川岳に二子山、あれが武甲山だ。青梅丘陵は奥多摩の一部と思っていたので、稜線から奥武蔵が広く眺められるのは意外だった。
伐採地から奥武蔵の山々を望む
伐採地から奥武蔵の山々を望む。
彼方に霞む右端の山は伊豆ヶ岳。その左は古御岳。左にゆったりと武川岳。さらに左に武甲山。さらに左は大持山
 
青梅丘陵の西半分半ばには三方山という形の佳いピークがあるが、コブの上下にかまけているうちに気づかず通り過ぎてしまった。次の目標は辛垣城跡というものだ。大きいのやら小さいのやら樹林の中のコブを乗り越えていくと、目の前にそそり立つようなピークが見えてくる。それが城跡だそうで、登るにはメインルートから離れて寄り道となる。
登りだしてみるとなかなか急で、秋だというのに汗を流しながら高度を上げていくと左右に岩盤を立たせた門のような地形が迫ってくる。自然の造形なのか人の手が入っているのか不明だが、いかにも城だ。「門」を過ぎると広くくびれた平坦部に着く。周囲が高まっているのでそこここから見下ろされているような落ち着かない気分だ。平坦部奥に説明板があり、読んでみるとじつはこの中央部は石灰岩採掘で破壊されているとある。なぁんだと言いたいところだが、あいかわらずどこかに何かが潜んでいるような雰囲気は消えないのだった。
辛垣(からかい)城へ登る
辛垣(からかい)城へ登る
ピークから下っていくと堀切があり、あらためて山城であることがわかる。岩を削ったような跡もある。石灰岩採掘にしても、よくこんな山の上まで掘りに来たものだと感心する。武甲山や叶山を考えれば珍しくないのだろうが・・・。このあたりからだったか、秩父側からダンプカーか何かがバックするときの警報音が頻繁に聞こえてくるようになった。メインルートに戻り、再び登ったり下ったりを繰り返して最後のピーク、雷電山に向かう。
雷電山は遠望する姿からは異なり山頂部はやや茫洋としていて、縦走路は最高点を通らず巻いていくほどだ。上がってみると小広い平坦地で、木々に覆われた静かな山頂だった。一カ所切り開きがあって奥武蔵方面を見通せる。ついでに真下の採掘場を見下ろすようにもなっている。先ほどから聞こえていた警報音はこのあたりからだったのかもしれないが、今は静かだ。本日の操業は終了したのかもしれない。
雷電山から奥武蔵を遠望する
雷電山から奥武蔵を遠望する
あとは階段道となった山道を楢峠まで下っていく。雷電山の登りはさほどではなかったが、下っていく西側はずいぶんと急に感じる。やや滑りやすいところもあった。
楢峠
楢峠
楢峠は二車線の舗装車道だった。ここから左へ、青梅線軍畑駅に向かう。車の往来が少なくないので、集落内を通る旧道らしきがあれば通るようにした。右手から高水三山のコースを合わせ、頭上に軍畑の鉄橋を見上げるようになると駅は近い。下り続ける車道から右手に逸れていく細道に入って人で溢れる駅に着いた。すぐにやってきた青梅行きはかなり混んでいた。

2013/10/25


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