連れが山歩きをしたいと言う。あまり賑やかでないところがよいと言う。ならばと言っていわゆるバリエーションルートに連れて行くわけにもいかず、安全第一を考えるに、丹沢の大野山あたりがよいのではと思いついた。山頂は賑やかだろうが広いので場所を選べば気にならない。いつものように少し時間を遅らせて登り出せば登路もわずらわしくないだろう。しかも現地でさらに静かなコースを選んだので、じつに落ち着いた山行になった。


昼前に降り立った御殿場線の山北駅は好天だった。駅前の商店街も土曜日だからかちらほら店が開いている。おいしそうなコロッケを店先に出している肉屋があり、連れと二人分、種類を違えて4つ買った。これと連れのおにぎりと地元の駅で買った焼売で、眺めのよいタケ山休憩舎で食事休憩だ。ではあらためて出発しよう。
肉屋の前で木彫りの猫が客招き
肉屋の前で木彫りの猫が客招き
線路沿いの裏道に出てみると桜並木はまだ青い。道ばたに咲く秋の花々など撮りながら国道246号沿いに出て洒水の滝へ続く車道を見送り、古い方の安戸トンネルをくぐり抜けて右に折れ、大野山へ上がる車道をたどっていく。登るにつれ、ほんの少しだが色づいた木々が目につくようになっていく。
右に上がれば古宿経由、まっすぐ行けば深沢経由とあるところでは古宿への道に入る。後者は延々と舗装道で、しかも観光で上がっていく車に追い越される。古宿へは人間にしか遭わない。もう登ってきたのか、昼前だというのにハイカーが三々五々下ってくる。鍛冶屋の集落を抜け、鬱蒼とした木々に覆われてやたらと急な坂道を登ると古宿で、廃校になってしまった共和小学校脇に出ると頭上に大野山が牧場の稜線を延ばしている。10月なので斜面は狐色だ。残念ながら牛には出会えそうにない。
共和小学校前から仰ぐ大野山
共和小学校前から仰ぐ大野山
ほどなく舗装道は二股に分かれる。左行けば山道が続く地蔵岩コース、右に行けば市間という集落に続く。当初は初訪時に登った地蔵岩コースをたどるつもりでいたが、そのとき寄り道したタケ山へ直登するのが市間からのコースらしいので、新しいルートを行ってみたいという欲が出る。少々大回りになるけど、と連れに了承してもらって、右手のに入る。


いったん舗装道は下っていく。谷間を巡る斜面に見上げる木々がどことなく山深い。週末に来て合宿するのか、「若者自立塾」と看板が掲げられた棟の並びを過ぎ、やや登り気味になると尾根の上で、変速的な十字路になっている。左へ、集落につづく尾根上の簡易舗装道にはいると、左手にはゆるやかにカーブを描く谷間の斜面に日が回り、茶畑が整然と広い。道ばたにはススキとパンパスグラスが並んで穂を揺らしていた。
市間の茶畑
市間の茶畑
行路は山腹を行くようになり、舗装もいつしか途切れて道幅もせいぜい車一台分になる。すれちがいもままならず、ここを普通車で通るのは勇気がいるだろう。気兼ねなく追いついてきたエンジン音は郵便配達のバイクで、枝分かれする道に入っては戻ってきて自分たちを追い越し、別のに入っては戻ってまた追い越していく。
左手は山の斜面で、可愛いものながら岩盤を伝い下る滝まで見られる。右手は広い谷間が落ち込んでおり、見通せない底から川音が喧しく上がってくる。谷を越えた彼方には高松山からシダンゴ山方面に伸びる稜線が広く、ダルマ沢ノ頭があいかわらず丸い。谷の奥では秦野峠のたわみが顕著で、峠の向こうには枯れた山肌が見える。鍋割山あたりだろう。峠の左手にはブッツェ平を起こす稜線が延び、後ろには伊勢沢ノ頭が姿を見せ始めている。
高杉付近から皆瀬川の谷間を巡る山々。
高杉付近から皆瀬川の谷間を巡る山々。
  左奥に高く伊勢沢ノ頭。
  その右手手前に台形なのは林道秦野峠の上に高まる無名峰。
  その右に丸く小さくダルマ沢ノ頭が顔を出す。
  右にかなり高まって稜線直下が赤茶けているのは西ヶ尾。
  中央、途中に小ピークをもたげる尾根は高松山に続く人遠尾根。
  左中頃に高圧線を這わせているのはブッツェ平(日陰山)の山腹。
 
行く手から郵便配達のバイクが戻ってくる。最奥の家の配達まで終わったのだろう。道幅からすると先に人家があるように思えないが、そうではないらしい。先が明るくなると、こんな奥にと思えるところに家が建ち、道向かいの斜面には黒々とわだかまるものがある。社でも建っているのかと思ったそれは、近寄ってみると、斜面を這い下りて肘をつき、改めて空に向かって伸び上がっている。傍らに標柱が立ち、「高杉のウラジロガシ」とあった。少々おどろおどろしいが見応えは十分にある。
高杉のウラジロガシ、神奈川県指定天然記念物。
高杉のウラジロガシ、
神奈川県指定天然記念物。
 
藁葺き屋根の家屋も残る高杉集落だが、住む人は少ないらしい。それでも養鶏所の鶏の声が賑やかに響き、道ばたにはイヌタデらしきが今を盛りと花絨毯を広げる。振り返れば秦野峠を取り巻く山々はいよいよ背を伸ばし、表丹沢や西丹沢のよく見慣れた山の並びとは異なる景色を広げてくる。
高杉の一角、イヌタデの群生
高杉の一角、イヌタデの群生
「くだかけ生活舎」なる建物を左手に見送ると、相変わらず続く舗装道は斜度を増し、暗い植林の中を登っていく。車道が尽きた先には予想外に大きな神社があった。白木造りの簡素ながら浮ついたところのないよい建物だった。眺望はないが境内は広く開けて空虚感さえ漂う。例大祭があるとして、そのときはこの広場が賑やかさで溢れるのかもしれない。
予想より遙かに大きい神明社
予想より遙かに大きい神明社
時計を見れば13時30分、駅から飴をなめて空腹を紛らわしてきたが、予定のタケ山休憩舎まで待ちきれず、ここで食事休憩とすることにした。少しだけ食べてあとは眺めのよい休憩舎で、と思っていたがけっきょく二人ともみな食べてしまった。お茶まで飲んだらこれ以上登る気がなくなるだろう。お茶はタケ山の休憩舎でとしよう。


神社左脇の山道を上がる。ようやく土の上を歩けるようになった。植林が雑木林に変わり、右手に牧草地の斜面が見えてくるとすぐに空が大きくなる。タケ山の休憩所までは半時とかからなかった。
神明社左脇から続く山道を登る
神明社左脇から続く山道を登る
タケ山休憩所から箱根連山
タケ山休憩所から彼方に霞む箱根連山。

左奥に明神ヶ岳。正面奥に神山。右奥に金時山。
神山と金時山の間にあるのが矢倉岳ではと。
予定通り、休憩所で改めてお茶休憩とした。初訪時と同じく周囲は大きく開け、箱根の山がいつものように茫洋として大きい。隣の大野山はよい感じに明るく枯れている。連れが納得して、なるほどここで食事休憩にしたかった理由がわかったと言う。途中からは誰にも会わず、大野山を登りながら期待通りの静かな山だ。風はなく、日差しが回って暖かいなかでコーヒーを飲む。


初訪時に作業中だったタケ山のアンテナ工事はとうの昔に終わったらしく、道路脇に雑然としていた設備は取り払われていた。尾根沿いの舗装道は立ち入り禁止になっており、丹沢側とは反対の山腹に付けられたコースを行く。足下に刈り払われたササが散乱し、足首周りのカットが低い靴の連れはササの茎の切れ端が入ってかなり難儀をしていた。
地蔵岩コースと合流すると稜線に再び乗り直し、西丹沢の山々を眺め渡す。初めてここに来たときは畦ガ丸、菰釣山、檜洞丸といった有名どころ以外では丹沢湖畔の権現山くらいしか認識できなかったが、あらためて遠見山を識別する(目の前だ)。ここからだと檜岳方面から望む優美な背はわからず、魅力が伝わらない。そのせいでか遠見山は大野山の近くにありながら静かなままなのだろう。
イヌクビリ手前から遠見山
イヌクビリ手前から遠見山。
正面奥は大室山。左に箒沢権現山。
右奥に石棚山稜。
大野山の頂には車で上がってきた観光客が10数人いた。富士山は雲の中で見えなかったが、丹沢湖を取り囲む山々はよく見えた。雪が来る前に、見えている山の一つか二つは登ってみたいものだ。
大野山山頂から丹沢湖の向こうの山々
大野山山頂から丹沢湖の向こうの山々。
左正面に世附権現山。その右奥にやや低く山頂が平らに見える屏風岩山。
屏風岩山左上は大界木山、右上に高い畦ヶ丸。畦ヶ丸は右手前に尾根を延ばして箒沢権現山を立ち上げる。
箒沢権現山の上に加入道山がかすかに頭を出し、右手の大室山に続く。電柱に隠れがちな右正面は遠見山。
本写真左奥に菰釣山の一部。左手前は不老山に続く尾根。
大野山山頂から不老山に続く尾根の上に番ヶ平
大野山山頂から不老山に続く尾根の上に番ヶ平
右奥に菰釣山。左奥に御正体山が霞む。
下りは地蔵岩コースを下る。山道は記憶にあったよりは長い。山中の沢筋を回り込むように山腹を下っていく。改めてこちらのほうが山道は長いとわかったが、眺望はない。できるだけ舗装道を避け、森に浸りたいときに選べば最適なコースだろう。尾根筋に乗ったところでようやく車道に出れば、市間との分岐はすぐだ。あとは朝にたどったコースを逆に歩いて下った。
共和小学校前から夕暮れの富士山
共和小学校前から夕暮れの富士山
国道246号線に合流する手前に喫茶店がある。連れの要望で、登り出す前から帰りに休憩と決めていたとおり、静かな店内でコーヒーをいただいた。久しぶりに飲むマンデリンが美味しい。日が沈んでから着いた山北駅裏の入浴施設で一風呂浴び、駅前の居酒屋で新ぎんなんを初めとする美味しい料理で夕食とした。飲んだ酒は”丹沢山”。大野山と山北を満喫した一日だった。

2014/10/18


回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue

All Rights Reserved by i.inoue