866mピーク付近から見たブッツェ平ブッツェ平(日影山)
ブッツェ平とは奇妙な山名だ。丹沢のやや深い場所、鍋割山の西に高まる檜岳山稜から県営牧場のある大野山に続く稜線の途中にゆるやかに頭をもたげる山で、西側など200mの急傾斜の山肌を落とす上に、100m四方はありそうな平頂を載せている。交通の便が良くないため静かな山歩きができるだろうと調べ始めると、ずいぶんと前に山名考証されていて、不思議な山名は”武士平”のことだという。南北朝時代、この地に勢力を張って南朝に与した河村氏が足利氏の軍勢の前に敗れ、敗残の武士たちがこの山域に隠れ住むようになったことから呼ばれるようになったとか。そうだとしても、同時代に口にされては隠れ里にならないので、住まう人たちがいなくなってからの呼称なのだろうと思いもする。
玄倉集落の南方に標高差600m弱で高まるので、玄倉バス停から直登ルートが拓かれていれば山頂到着はすぐなのだろうが、現在そのコースの一般路はない。なので取り付きは東からなら寄バス停から林道秦野峠経由、西からなら丹沢湖畔のバス停からになる。今回考えたのは寄からシダンゴ山を越えて林道に出て林道秦野峠まで歩き、ブッツェ平を経て、丹沢湖に下らず稜線を縦走し続け、大野山を越えて山北駅まで歩き通すというものだ。シダンゴ山を越えるのは寄から林道秦野峠まで林道ばかりを歩くのは避けたかったからで、丹沢湖で下りないのは長く歩きたく、大野山近辺まで行けば山道は林道となり日が暮れても安全と思ったからだった。こういう心の準備で歩きに行ったので、山の上で日が暮れたのは予定通りだったが、林道に出る前に日が落ちたのは予定外だった。


2月初日の新松田駅前9時半ごろ発の寄行きバスは満員だった。寄のロウバイが見頃だからだろうか、2週間前に訪れたときとはうってかわっての盛況である。立ったまま終点に着き、さっそくシダンゴ山へと向かう。バス車内と異なり山道は静かで、昼前に登り着いた山頂はあいかわらず展望がよかった。相模灘は穏やかで、蛭ヶ岳の雪はだいぶ融けている。翌週、翌々週と関東一帯に大雪が降る気配など微塵も感じさせず、春近しを思わせる眺めだった。
シダンゴ山を越えて林道に出たところから鍋割山、大丸。奥に鬼ヶ岩ノ頭、棚沢ノ頭、不動ノ峰。
シダンゴ山を越えて林道に出たところから鍋割山、大丸。
奥に鬼ヶ岩ノ頭、棚沢ノ頭、不動ノ峰。
鍋割山から左に落ちる稜線が撓んだところが鍋割峠。
早々に山頂を辞して西に下り、宮地山分岐を左に分けて林道に出る。右へ、車の来ない未舗装道を行く。キツネ色に冬枯れしたススキがそこここに立ち並び、開けた谷側はもちろん斜面を落とす山側も明るい。見上げれば広い谷間を隔てて浮かぶ檜岳山塊が徐々に姿を変えていく。東端の雨山が隠れ、中央の檜岳が隠れ、西端の伊勢沢の頭がのしかかるほどに大きくなってくると林道秦野峠で、三方向からの林道合流点には林道開通碑が建立されており、その手前にある小さな休憩所ではどこかの作業を中断して昼食休憩に入っているらしい作業員3名がカップ麺とか弁当とかで食事中だった。みなばらばらに座り、視線をまるで別な方向に向けている。一日顔をつきあわせているとそうしたくなるのかもしれない。
林道を渡って、真正面の尾根末端にとりつく。驚くような傾斜で、登山道が付けられてはいるものの丸太階段と土留めがなければすぐにただの溝になってしまうだろう。古い土嚢など袋が破れて元の土壌と区別がつかなくなっている。斜度が緩んで安心するのも束の間、今度は鹿柵が両側から迫る。鉄条網が鬱陶しい。痩せ尾根になると岩も出てきて気が抜けない。灌木の合間から眺める下は高度感十分の谷間で、これを下って登り返すのではあるまいなと心配になるほどだ。先ほどまで歩いていた林道が楽なことこの上ないように思えてくる。
檜岳山塊縦走に向かう山道との分岐に着く。標識は立つがブッツェ平方面への案内はない。右方の秦野峠から聞こえてくる人声を背中に、左手へ、あいかわらず細い尾根を注意深く下る。主稜あたりであればロープがかかっていそうなところで、正直ほしかったのだが、無いものは無い。あればあったで工事現場のように思えるので、なくて十分だ。
秦野峠分岐から下ったコブの先から田代沢沿いに西丹沢を遠望する
秦野峠への分岐から下ったコブの先から、
田代沢沿いに西丹沢を遠望する

林道の上に左右に延びる稜線は玄倉ノ野。
その左奥、ゆるやかな稜線の左端に顕著なピークは遠見山。
さらに左奥に独立峰風情なのは世附権現山。
遠見山右上に霞むのは菰釣山、その裏に御正体山。
その右下に頭を出しているのは(たぶん)屏風岩山。
右奥に高いのは(きっと)畦ヶ丸。
ほんの少し下っただけで、よく歩いている丹沢の雰囲気から離れ、西上州かどこかの藪山の雰囲気になる。実際にはこれが往時の丹沢であり、歩かれすぎて階段とロープに固められた今の丹沢こそ本来ではない姿なのだろう。下りついてほんの少し登り返したコブで腰を下ろして休憩する。地形が急峻なためか、もはや植林は見あたらず、葉の落ちた木々の合間からの眺めはかなりよい。丹沢湖周辺の山稜は緩やかな稜線を見せるものの、自分の足下では田代沢源頭が凄絶なガレを広げている。


この小さなコブから下って登り返すのがずいぶんと急で、かつ滑りやすい。ここもロープがほしいくらいだが、立木につかまりながらおっかなびっくり登っていくのが自然体というものだ。登り着いた先は広い山稜で、雑木林のなかをそぞろ歩きする体で心地よい。苦労して痩せ尾根を辿ってきた甲斐があるというものである。緊張感からいっとき解放され、久しぶりに穏やかな稜線歩きに今日は来てよかったと思うのだった。
途中、稜線が南下から西走するように変わる。標識はないが、地図を見ていた上に、見晴らしのよい場所なので踏み跡の連続は間違えようがない。あいかわらず木立のまばらな稜線を辿る。鹿柵が続いているが歩くには邪魔にならない。この鹿柵、最近設置したのではと思えるほど新しい部分もあれば、人ひとり楽に通れるような大きな穴が空いた部分があったりする。そんな部分は近くに落ちていた木々を拾ってきて塞いだりもしてみる。鹿はしばらくここは通れないだろう。
ブッツェ平を目指す幅広の心地よい尾根
ブッツェ平を目指す幅広の心地よい尾根
ブッツェ平はまだ先だが、稜線は一度たわんで林道を越えさせる。峠に下る直前は右手が開けていて眺めがよい。檜洞丸を中心とした山塊が彼方に浮かび、しばし山座同定に時間を忘れる。林道を越えてなだらかな山道を進むと、頭大くらいの岩が出ている尾根にでくわした。出だしは蟻の戸渡り風で左手がガレだが、右手を行けば見た目より遙かに楽に行ける。問題はその先、傾斜の強い登りだ。疲労もあってなかなか身体が上がらず、木々に掴まって腕力登りまでせざるをえず、来し方を振り返る余裕もなかった。
だいぶ息が上がった状態でようやく傾斜が緩み、行く先に平坦地が広がるのが目に入る。地図で見る通りの平頂で、奥に植林が立ち並んでいて展望はなく、振り返り見る来し方にようやく山並みが窺える程度、よほど林道を渡る前の稜線の方が歩いていて快適だった。山名標識は、中頃にある三角点の真上を通るように設置された鹿柵の下部にかけられていた(日影山の表記が主だった)。あまりぱっとしない山頂だが、それでも山頂は山頂である。腰を下ろしたくなる頃合いでもあったので、雰囲気を味わうため日が差す灌木帯のなかにグラウンドシートを広げ、湯を沸かす。
ブッツェ平山頂
ブッツェ平山頂
ブッツェ平山頂からダルマ沢ノ頭(左奥の高い方)から高松山に続く稜線を望む
ブッツェ平山頂からダルマ沢ノ頭(左奥の高い方)から高松山に続く稜線を望む
湯が沸く合間に、あらためて周囲を見渡してみる。灌木越しに2週間前に辿ったシダンゴ山から高松山への稜線が眺め渡される。あれは歩けば長いと思っていたが実際にはそうでもなかった。今日のほうがよほど時間がかかる。なにせまだ予定の半分くらいの距離しか歩いていない。人里から遠いわけでもなく、植林もされているが、里山という雰囲気ではない。標高が低く、鹿柵などの人工物も目に入るわりには、隔絶感を感じる山頂だった。コーヒーを飲み終わって立ち上がってみると、腰を下ろしていた場所はすっかり影になっている。時刻は4時をまわっていた。


山頂からは南にゆるやかに下っていく。地図で見ると、途中で西に、つまり右手に曲がるのだが、道を間違えてまっすぐ行ってしまい、笹ヤブ帯に突入してヤブこぎまでして、かなりの高度を下ってしまった。文字通りの踏み跡が途絶えてようやく間違いだと確信したのだが、登って戻るには傾斜が急すぎたので、西に伸びる稜線に結果的に乗ればよいのだと判断し、山腹を斜上するよう、仕事道なのか獣道なのかをたどり、そのどちらもないときは歩きやすそうな場所を選んで稜線に乗り直した。
間違った場所を確認すべく登り返してみると、右に曲がるべきところは当然ながら標識など無く、よく見ないと稜線が西に続いていることがわからないくらいには灌木が視野を遮っている。むしろ左手の鹿柵が踏み壊されていて人を誘い込むようになっており、こちらに引き込まれてしまったのだった。地図を見ると南下する間に下げる高度はそれほどでもないので、注意深く地図にあたっていれば回避できた間違いだった。自覚しているつもりだったが、時刻の遅さが焦りを産んでいたのだろう。
道間違い場所。
道間違い場所。

ここで左手の網柵をまたいではいけない。
踏み跡が続いているが、間違ってか、仕事でかのもの。

右手に続くかすかな踏み跡を追って稜線を緩やかに下る。
踏み跡はすぐに明瞭になる。
772mピークから箱根連山と大野山(手前の半分禿げた山)
772mピークから夕暮れの山々。

彼方に箱根連山(左から、明神ヶ岳、神山、金時山)。
手前の、半分禿げた山は大野山、かな。
大野山と金時山とのあいだで一番奥のが矢倉岳、かな。
失敗の原因がわかったので、同じ間違いをしないよう心に決めて、あらためて縦走を再開する。さほどのことはない倒木帯を過ぎると明るい雑木の立つ高まり(772mピーク)で、眺めがよい。先日歩いたダルマ沢ノ頭から高松山への稜線が谷越しに左右に延びている。箱根連山の連なりも広い。いつも矢倉岳から眺める光景が、その矢倉岳も含めたものになっているのが面白いところだ。市街地も見下ろされるので、山深さはさほどではないが、充分な広がりを感じさせる。同じ広がりでも林道秦野峠から上がった山塊で感じたものとは違う。あれは公園のなかで感じるようなものだった。ここでは遼遠の感が強い。しばらく前に歩いた稜線が彼方に見え、長いこと歩いていて、かつ日が傾きつつあったからかもしれない。
そう、日はだいぶ傾き、赤みが強くなってきていた。枝越しに届く日の光が弱々しい。左手の枝越しに窺える大野山へはまだ距離がある。また道を間違えて時間を浪費しないよう足下に気を遣いながら歩いていく。ササが太い塊になって生えている小さなコブに到着し、地図にあたって確認すると、ブッツェ平から西走する稜線の端にあたる小毛坊の頭というところだった。ササの合間を縫ってさらに端まで行くと、木々の合間から暗く沈んだ丹沢湖が見えた。ここでコースは南下し始め、大野山を目指す。山道は下り出すが、これが痩せ尾根の急なもので、疲れた脚では緊張するものだった。右手遙か下に再び丹沢湖の湖面が見えるが、じっくり目をこらす暇はなかった。


足下の危うい下りをこなすと標識があり、下る先は(丹沢湖の)三保ダム、稜線を辿る先は大野山と案内がある。しっかりした山道に合流できてようやく一安心だ(なお、いま来た方向に向く案内標識はなかった)。ここから疲れた足どりで二コブ越すと、ベンチがあったので、荷を下ろして休憩することにした。あたりには紗のような薄闇が漂っている。木立の向こうを透かし見ると、高松山とその背後の山々も影だけとなり、暗さを増す背後の空に溶け入りつつあった。行く手にある熊山なる平坦なピークを巻けば林道に出るが、これから歩く植林のなかには日暮れ時の日の光は届かない。当初予定では明るいうちに林道に出られるだろうと踏んでいたが、残念ながら時間切れのようだ。
熊山付近から明かり灯る国府津方面を望む
熊山付近から明かり灯る国府津方面を望む
山道のうちからランプを点けて歩く羽目になったのは予定外だが、足下は一般向けハイキングコースなので幅があって均された道なのでそれほど支障はなかった。この夜は星明かりばかりで月明かりはなく、頭上が多少は開けた林道に出ても日没後の暗さは増すばかりでランプが消灯できない。暗いとはいえ路面より低いところにガードレールが設置されていることがわかる。どうも後から路面にさらなる土盛りをしたらしい。妙な工事をしたものだと思いながら淡々と歩く。
湯本平分岐を越えて、しばらくして未舗装ながら少々足下が固まった。大野山の肩にあたるイヌクビリ近くになって舗装道になる。稜線向こう側から夜空に反射する小田原周辺市街地の明かりが届くようになり、ランプを消灯した。足下は充分明るい。登り着いたイヌクビリでは、道路脇の柵にもたれて休憩した。車道が上がってきているので誰かしらいるかと思っていたが、人っ子一人いなかった(すでにゲートが閉じられていて車は来られない時間帯だった)。自販機でもあれば温かい飲み物でも、と思っていたがそれもない。なのでただ休むだけだった。暗いし疲れたしで大野山山頂は割愛した。見るべきものは頭上にある。オリオン座が大きい。真上にはカシオペアが浮かんでいる。水ヶ森を越えて昇仙峡に下ってきたとき以来の、山上で見る星座だった。


山北駅への車道歩きは安全ながら、さすがに長かった。人家が出てくるあたりになると、集落のなかはともかく、集落を外れると小田原市街地の照明が低い山の端に遮られて届かなくなり、山上の車道を歩くより路面上の見分けが付かなくなった。東名高速を潜るころになって再び安心して夜道をたどれるようになった。暗い中をたまに車が脇を通ったが、20時近くにザックを背負って歩いている姿を見たドライバーは、呆れるか、ひょっとしたら幽霊なのではと思うかしたのではと思う。
2014/02/01

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