新松田からバスで寄に出て登るシダンゴ山からは、背後に迫る檜岳山稜が大きい。稜線はさほどの起伏もなく歩けば快適と思わせる。寄から周遊コースを採ると8時間くらいかかってしまうためか訪れる人も少ないようで、下草が繁茂し始める前に歩いてみようと、雪が残っていそうな3月中旬に出かけてみた。


9時過ぎに寄でバスを降りて雨山峠に足を向けたのは自分一人だった。賑やかな寄沢の水音を道連れに、広い谷間にまっすぐ走る車道を歩いていく。奥を見やればこれから辿る雨山が浮かぶ。その右には鍋割山に続く稜線が右肩上がりだ。本日まず目指すは雨山と鍋割山とを結ぶ稜線がもっともたわんだ場所、雨山峠である。道ばたには菜の花が黄色く輝き、今日はいい天気だよと見送ってくれる。
谷あいが狭まり、周遊して戻ってくる寄大橋に着く。少々開けた場所で、自家用車が7台ほど停まっていた。見ると湘南ナンバーと横浜ナンバーだけだった。ゲートの脇を抜け、あいかわらずの沢沿いを、しかしあちこちに企業名が大書された看板が立つスポンサー付きの林を抜けていく。
沢沿いから離れてようやく山道となった。足下にはほんの少し雪が残るが歩くには差し支えない。大きな堰堤を右岸から越えると谷間が広がる。流水に洗われた石に覆い尽くされ、冬枯れの山に囲まれた谷底はほぼ真っ白だ。沢の本流はいまでこそ細いものだが、相当の雨が降ればこの幅一杯に水が溢れるのだろう。
土砂で埋まる寄沢
土砂で埋まる寄沢(下流に大規模な砂防ダムがある) 
中程に赤テープが付いた木の枝が立っており、これを目印に対岸に渡っていく。さらにまた沢を渡り、右岸を行く。なぜまたすぐに渡らせられるのかと対岸を見れば、流れのすぐ上に深い緑色した一枚岩が屹立している。色からするに海底火山の噴出物であるグリーンタフなのだろう。丹沢では1万メートルを越える厚さで積み重なっているらしい。


主沢を離れ、さらに枝沢を渡って尾根末端に取り付き登りだす。振り返れば穏やかな三角形の佳い形が見下ろされる。シダンゴ山だ。視線を右に移せばダルマ沢ノ頭も視野に入る。尾根を回り込んで再び沢に降ろさせられる手前では、山腹を横切る登山道が崩れて土砂が沢底に落ちており、高巻き路が付けられていた。沢を何度も渡り返したりとスリリングな道のりだが、これは雨山峠という峠に向かう道のりのはず、生活道としてこの経路だったのだろうかと訝しみつつ行く。
支沢に沿って斜度の上がった尾根を辿り、振り返るとシダンゴ山(左)とダルマ沢ノ頭が浮かんでいた
支沢に沿って斜度の上がった尾根を辿り、振り返ると、シダンゴ山(左)とダルマ沢ノ頭が浮かんでいた 
釜場平手前でさらに支沢を渡る
釜場平手前でさらに支沢を渡る
沢を渡り、長い木の階段を登ると釜場平という少々開けた場所に出る。開けたと言っても植林されていて見晴らしはないが、尾根筋にあって平坦な場所というのは本日のルートでは初めてだ。名前からすると山仕事に来た人たちが昼食を作るのに使った場所なのかもしれない。尾根伝いを行くとさらに次の枝沢、コシバ沢というものを越える。右手に行けば危険、という案内がわざわざ立っているのは、地図によればこの沢筋を辿ると鍋割峠にたどり着くことになっているからだろう。随分と標高を稼いできたためか、沢は一またぎの幅だった。
日の光が余り回らない谷あいでは山の斜面の細い沢筋に雪が詰まっていたが、コシバ沢から一尾根越した先ではついに歩いている沢床を満たすまでになった。ところどころ穴の開いた場所を見ると流れで積雪の底が融かされスノーブリッジになっているのがわかる。ルートはその上を行くらしく、先行する踏み跡がそこここで表面を踏み抜いている。覗いてみると文字通り底が抜けて流れが見えるものがあった。積雪に覆われた上を歩く距離はせいぜい50メートルから100メートルくらいだったが、緊張するところだった。
寄沢を詰めるに従い雪が増える
寄沢を詰めるに従い雪が増える
沢底のルートは抜けたものの雪道はなおも続き、後に滑るやら平行に足底を置けないやらで足どりは捗らない。右手頭上には鍋割山が雪を散らした姿を見せている。だが季節は間違いなく春に向かっているようで、雨山峠まであと200メートルという標識が見えても雪解けの流水の音が絶えなかった。雨山峠は狭いキレット状で、風が吹き抜ける場所だった。ベンチが一つあり、ザックを降ろして休憩する。檜岳山稜から若い男性が一人、軽やかに下ってきて挨拶もそこそこに鍋割山方面に向かっていった。
雨山峠
雨山峠
雨山峠から雨山に延びる尾根は随分と痩せている。すぐに階段道になるが、雪が着いている状態だとそれでも緊張が続く。ときおり滑りそうになる足下に気疲れして立ち止まり、言い訳がましく振り返ってみれば、おおっと驚くほどの大きさで主脈の山々がこちらを眺めやっている。這い上がり這い降りる白い線条が山肌を刻み、年月に耐えた荒々しさを誇示するかのようだ。山と人と、互いに見入っているかのような時間が続く。
雨山峠から雨山に登る途中で蛭ヶ岳(左)を振り返る
雨山峠から雨山に登る途中で蛭ヶ岳(左)を振り返る
広くなった斜面に出ると、周囲は雪原だった。ルートをはずれた先には何の足跡もない。鹿のものさえない。風もなく木々が静かに立ち並ぶだけの緩やかな頂稜をしばらくで、寄から数えて4時間超、ようやく雨山山頂に着いた。南側が多少木立が疎らになり、日が回って雪が融けていたが、土壌は水含みでスポンジのようだ。グラウンドシートを敷いて腰を下ろし、いつものように湯を沸かし出す。視線を下げれば日差しを浴びるシダンゴ山やダルマ沢ノ頭を載せる稜線が左右に延びる。数週間前にあの稜線から仰いでいたところを今日は歩き、過去の行程を見下ろしている。やっと来たなと思う反面、若干の空虚感も漂う。
雨山の頂稜北面は雪の原
雨山の頂稜北面は雪の原
コーヒーを飲みながらこれから辿る稜線を窺い見る。同じような高さの檜岳の右奥には、これまた標高に大して差のない伊勢沢ノ頭が顔を出している。下から眺めるとこれら山稜はただ立ち上がっているだけに見えて厚さを感じないが、縦に並べて見てみると悠々と山体を左右に膨らませて重厚感がある。檜岳は雨山と伊勢沢ノ頭を繋ぐ稜線から左側に若干張り出しているので山腹斜面が下まで見通され、ひょっとしたら縦走路の途中はだいぶ下らさせられるのではと思わせる。あらためて地図を引っ張り出し、やはりさほどは下らないと安心しつつカップを空にする。
雨山山頂からシダンゴ山を見下ろす
雨山山頂からシダンゴ山を見下ろす
雨山から檜岳へ向かう。灌木帯を抜けてゆるやかに下っていくと、右手、枝越しに尖塔のような山が垣間見えて単独行者を驚かす。檜洞丸の前にそびえ立つ同角ノ頭で、ここからは細長く黒いドームを空に突き上げる姿に見える。まるで何かの発信基地のようで、じつに不穏だ。
稜線の左手が開けたので足下を見ると地滑りした崩壊地の縁だった。さすが丹沢、山に分け入るほど心穏やかに歩かせてはくれない。ガレの先には寒々とした北面を見せつける檜岳の半身像が浮かび、明るい南の平野部の光景を遮っている。
ガレの縁から檜岳を遠望する
ガレの縁から檜岳を遠望する
檜岳はどこが最高点なのかはっきりしない山頂で、木々に囲まれながら小広く開けた雪上を先行者が付けた足跡に導かれて歩き回ってみるものの、標識はみつからない。なければないで構わないのだがやはり妙だ。さらにうろうろ歩き回って梢越しに主稜の姿を窺ってから稜線縦走の踏み跡に戻ると、そこに標識があって檜岳と書いてあった。少し前のガイドを見てみると一帯はカヤトの原で主稜側の見晴らしがよいとある。踏み跡下方にベンチがある理由がこれでわかった。今ではヤブに呑み込まれそうな場所なのだった。
檜岳山頂標識、最高点は背後のあたり
檜岳山頂標識、最高点は背後のあたり
檜岳から伊勢沢ノ頭へはあいかわらず幅広の稜線で、右手には鹿柵が続く。柵の向こうには植林の合間に主脈の山並みが厳めしい。檜洞丸は雪のない同角ノ頭に隠されつつあった。
雨山頂稜から丹沢主脈を望む
雨山頂稜から丹沢主脈を望む
左に同角ノ頭とその背後に桧洞丸、右端に蛭ヶ岳
伊勢沢ノ頭に近づくにつれ、足下の雪が少なくなり、ついにはほとんど消えた。北東から南西に延びる檜岳山稜だが、伊勢沢ノ頭あたりは南からの風を直接受けて雪が積もりにくくなっているのかもしれない。この山稜は1,000メートルを少々超す程度の高さだが、南側にはシダンゴ山から高松山に延びる稜線の彼方に秦野盆地が俯瞰できる。逆に言えば下から檜岳山稜を仰ぎ見られるわけで、風もよく吹き付けるにちがいない。
近づく伊勢沢ノ頭
近づく伊勢沢ノ頭
植林の黒木が立ち並ぶ頂稜が見えてくると、本日最後の名のあるピークである伊勢沢ノ頭は近い。ルート左手下にいつまでも見えているシダンゴ山が木々がない山頂部を見せている。丸く禿げていてまるで河童のようだ。その向こうには低いながら平坦な山頂部を広げる松田山が、低くかつ市街地に近い故に、ゴルフ場の背を広げている。伊勢沢ノ頭山頂は通路がちょっと高まったところに山頂標識が立つような場所で、檜岳以上に風情がない。麓から仰ぎ見ると鋭角的な姿を見せもするのでかなり拍子抜けだった。
伊勢沢ノ頭山頂付近から世付権現山(奥)と遠見
伊勢沢ノ頭山頂付近から世付権現山(奥)と遠見山
伊勢沢ノ頭近辺で腰を下ろすのであれば、秦野峠方面に下りだした先で場所を選んだ方がよいようだ。少なくともこの日は心地よい枯れ草の合間にルートが延び、ときおり開ける左手に相変わらずのシダンゴ山とその周辺の山々、その先には秦野盆地が見下ろされ、尾根道の頭上は広く、天気さえ佳ければ快適な行程なのだった。傾斜が強まってくると歩く先の視界まで開けてきて、黒々とした高松山を真正面に下るようになる。これらの眺めを堪能しているとなかなか歩みが捗らない。
冬枯れの山稜を行く
冬枯れの山稜を行く
高松山(奥)を正面に下る
高松山(奥)を正面に下る
ジグザグを切るようになり、展望のない植林の中を行くようになると秦野峠と呼ばれる場所に出る。ここを越える古くからの峠道は廃道になっているようだが、少なくとも寄側への道筋は幅広く、途中までなら行けそうな気がする。峠は小広い平地があり、往時に茶屋でも建っていたのかと思えたが、よく考えればこれは生活道であって街道ではなく、それほどの往来はなかっただろうと思い至る。
秦野峠から小さな沢筋を越えて登り返し、ヤセ尾根をたどって林道秦野峠に下り着いた。すでに時刻は17時をまわっていた。寄発のバスは終バスが19時台、その前のだと18時35分というのがある。それに乗るべく、空の明るさが消えていく速さと競争で舗装林道を猛然と歩いた。途中の寄大橋では朝に停まっていた車は一台もなく、歩いていく途中で遭った人といったら犬の散歩をしていた地元の方ただ独りだった。すっかり暗くなった寄に着いたのは発車時刻10分前で、ちょうどバスがやってきた。発車時の乗客は自分一人で、終点まで貸切だった。
暮れなずむ鍋割山(左奥)、小丸、大丸
暮れなずむ鍋割山(左奥)、小丸、大丸
2014/03/16

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue