伏馬田入口から綱子天神峠を越えて入道丸

いまは相模原市の一部となった藤野町の山では、入道丸はもっとも交通の便の悪い山の一つだ。車で山稜東の綱子峠下まで出れば一時間強で山頂に着けるが、公共交通機関を使用するとこれが最低でも倍近くになる。しかも帰りの足が悪い。それで長いこと足が向かないできたが、行きについてはやまなみ温泉までバスで出て、そこから車道を伏馬田入口まで歩き、東海自然歩道(サブコース)に沿って青根に向かう道のりを歩き、途中で綱子川のほとりに出ればなんとかなると気づいた。東野行きに乗ればもう少し楽だが藤野駅を出るのが早く、最近ぐうたらになってきた身には早朝出立が難しいのだった。
山頂を越えて平野峠から月夜野に下れば周遊登山も可能だ(「荒れている」とガイドマップにあるのが気になるが)。月夜野から出るバスに乗るのも久しぶりで楽しかろう。かなり前から夕方一本のみとなってしまった時刻に合わせて計画を組み、立春を越したとはいえまだ寒い2月のなかば、藤野駅へと向かった。


藤野駅からやまなみ温泉へのバスはわりと人が乗った。半数以上を占めていたハイカーの団体は杉金剛山登山口で下りていった。終点では乗客のほとんどが温泉に吸い込まれていき、さらに先へ行こうとするのは自分を含めて三人だけだった。
木々に囲まれて寒々とした車道をゆるやかに登っていく。一尾根越えると日の光のまわる集落で、進行方向左手正面に石砂山が大きい。三叉路があり、薪のカゴを背負ったおばあさんがいて挨拶を交わす。どっちに行くんだねと問われ、方向が同じなので会話しながら歩く。すぐ真上にそびえる峰山には祭礼の時を初めとして何度も登ったという。昔のように樽酒を担ぎ上げるわけではないそうだが、5月3日の祭りの日にはあいかわらず賑やかなものらしい。今の季節、畑には冬野菜の大根、白菜、ネギ、コンニャクがあり、たぶん秋だったのだろう、親戚が集まった際には庭先で焚き火をしてサツマイモを焼いたそうだ。「田舎は食べ物がおいしくていいよ」。次の集落でおばあさんは自宅へと下っていった。
自分はあいかわらず車道を行く。見るたびに大きくなる石砂山のおかげで登り勾配もあまり気にならずに伏馬田入口の三叉路に出て、右手へ、菅井の集落へと向かう。東海自然歩道の標識に従い、石砂山から峰山へと辿った道のりを辿る。庶民信仰の名残の感じられるところで、二十三夜塔や光明真言の石碑から始まり、集落の前後では馬頭観音が出迎え、山道の先に出る綱子天神峠では重々しい百番観音供養塔が立つ。落ち着いた雰囲気の峠を真っ直ぐ行くと峰山だが、本日は東海自然歩道を追うべく左へ、幅広の道に入る。

菅井から綱子天神峠へ向かう山道
冬枯れの枝越しに右手が開け、峰山の背後に遠近の山が浮かんでいる。足下の谷底を流れるのは綱子川で、その上に延びる稜線が入道丸に続くもののようだ。高圧線の鉄塔が立つ伐り開きの奥に黒々とわだかまるのが目指す山だろう。まずはいま歩いている尾根筋から綱子川の畔に下りなければならない。
ところがその下る地点がわからない。東海自然歩道からして標識不足で、綱子天神峠を後にしてすぐ左へ曲がる道幅の広いものと、比較的まっすぐ進む狭いものとに分岐するが、どちらに行けとも案内がない。方向性から判断して真っ直ぐ行く狭い方に入ったものの、よく踏まれているとはいえ急激にヤセ尾根化する足下に不安が募る。高圧線鉄塔巡視路を示す標識があって少しは安心したものの、このルートでよいのかまだ半信半疑だ。やっと自然歩道の案内標識が出てきた。時計を確かめると峠から20分ほどしか経っていない。不安な心理状態では時の経過は遅くなるもののようだ。
しかしあいかわらず綱子川側への下り地点がわからない。自然歩道の標識は青根へを示しているのみであり、巡視路のものに至っては当然ながら鉄塔の番号しか教えてくれない。しかも道のりは目の前に立つコブを前に下りだす。進むにも戻るにも登り返しかと懸念するうちに鞍部に着いた。見ると右手に明瞭な山道が分岐しており、巡視路標識が立っていて「佐久間東幹線NO.357」とあった。ここから下ることにした。
足下は比較的しっかりしているが、左手に急激に落ち込む沢底を見下ろしながら下る傾斜は少々きつく、滑って落ちたら面倒どころではなさそうだ。慎重に下っていき、やっと斜度が落ち着いたあたりで小憩する。道の真ん中で魔法瓶のコーヒーなど飲み、さて出発しようと腰を上げてほんの少し進んだところで右手に踏み跡が別れている。その先を覗き込んでみると、小平地があり、その真ん中に、こんな山の中なのに、堂々としてしかもそんなに古くなさそうな墓石が一基、背後に十を下らない石仏石碑を従えてこちらを向いて立っている。石仏石碑のなかにはお地蔵様もあれば観音様もあり、宝峡印塔まであった。時空を超えたものが漂っていてもおかしくない雰囲気だ。暗くなってから足を踏み入れるのは少々度胸がいることだろう。(私有地のようなので明るくても入るものではないが。)


墓地があるのなら民家はすぐかと期待したがそうでもなく、車も通る道に出るには少々かかった。路面は雪が凍って滑りやすく、一度は油断して歩いて足払いを食らったように倒れてしまった。ザックを受け身に使って怪我はしないで済んだが迂闊もいいところである。頭上を走る高圧線と傍らを流れる細い綱子川から、目指す入道丸への登り口は上流とわかった。ほんの数分で案内の標柱が立つ場所に出る。右手の林道に入り、すぐ左手の踏み跡に入り、ようやく入道丸本体に登り出すことができた。すでにやまなみ温泉を歩き出してから2時間が経過していた。
綱子川沿いの綱子峠入口。
雪が多かった。
綱子峠から阿夫利山(奥)を望む
狭い沢沿いから山腹を辿って出るのは綱子峠で、冬の明るさが漂っている。葉の落ちた枝越しに見える正面の稜線は阿夫利山に続くものだ。奥に尖って突き出しているのが山頂らしい。その姿を右奥に見るように稜線を辿っていく。
右手の谷筋の先は枝越しに見通せるのだが、肝心の入道丸は登っていく先の伐採地斜面に隠れて見えない。登り切ると送電線鉄塔が立っていて、周囲が刈り払われているため眺めは予想以上に素晴らしい。藤野の山のおそらく全てと、遠く高尾山から陣馬山に続く稜線、笹尾根の上に高い奥多摩の御前山まで遠望できる。目の前に延びる阿夫利山はいよいよ大きい。休憩するによい場所だが、この日は風が強くて吹きさらしに腰を下ろす気になれず、立ち止まって写真を撮るぐらいにした。

送電線鉄塔基部にて.。
北東に藤野中心部と峰山(右奥)を遠望する

同じく西に御牧戸山(鳥井立)を望む
鉄塔から離れると植林が優勢となる。手入れはされているらしく荒れた感じはないが、同じように立つ木立の眺めはさすがに単調だ。頂稜近くになると斜度が緩み、雑木林も戻ってくる。最初に出くわす三等三角点のあたりから進行方向を見るとさらに高いところがある。そろそろ荷物を下ろしたいなと思いつつ先に進む。
最高点らしきでは木の枝に小さな標識がくくりつけられていて「入道丸」と刻まれていた。だがよく見ると、後から書き加えられた×印と、今過ぎてきた場所を指す矢印が目に入るのだった。麓からだとこの地点は仰ぎ見えず、入道丸であると指呼するのは下の三角点があるあたりなのかもしれない。とはいえ登ってみて改めて最高点を山頂と認識する場合もあるはずとは思う。この山もまた、稜線続きの朝日山・赤鞍ヶ岳や棚ノ入山と同じく、どこがその山名を冠する山頂なのか意見の分かれるところらしい。
せっかくの高みだが丹沢側があいかわらず植林帯で眺望がない。藤野・上野原側にしても灌木の枝越しなのですっきりとした眺めは得られない。それでも目の前の阿夫利山は眼前に広がって大きく、小さくも鋭く突き出す山頂部分以外の頂稜は平坦に長い。その向こうには高柄山らしき台形の姿が浮かぶ。
しかし季節柄、山頂は寒々しい。山域には人影一つ見えないうえ、里に近いのに犬の鳴き声一つ響いてこない。ときおり吹き抜ける風が木々を騒がすだけだ。くつろぐにしても日差しが足りず、グラウンドシートの上で延ばす脚が冷えてくる。手早く火を焚き暖かいものをつくって飲んで、山頂を後にした。

入道丸最高地点。
向かいは阿夫利山に続く稜線。
平野峠へと続く西方への下りは少々急だった。バス時刻に余裕が無くなってしまったため、多少慌てて下っていく。気づかず平野峠を越え、気づかず月夜野への道に入っていた。そういえば山腹道を歩いているな、見上げれば稜線が遙か上ではないか、という調子でやっとわかったくらいだ。この日の自分も危なっかしいが足下の道もまた危なっかしく、ところどころ踏み跡が崩れ、または土砂に埋まり、左手下に落ち込む急斜面への滑落が真実みを帯びるほどだ。ガイドマップに"荒れている"とあるのはそれほど誇張ではなかった。
とはいえ左の眼下には道志川に沿った里が広がっているのが見下ろせ、すぐにでも里に出られるだろうと高を括っていた。しかし山頂を出て30分を少し過ぎたところで倒木が左手の道を塞ぐ分岐が現れる。ガイドマップにはどちらに行けとも、そもそも分岐の表示がない。それぞれ尾根筋を振り分けて分かれるもので、入り方次第では出る場所がまるで異なってくる可能性がある。どうせならなにかあったときに戻りやすそうな方へと、広く歩きやすそうな右のものに入った。木橋で沢を二度渡り、あいかわらず崩れやすそうな場所をやりすごしていくうち、正面に畑地が見えてきた。やっと一安心だ。時計を見ると分岐から15分ほどしか経っていなかった。平野峠からこのかた、長く感じる下りだった。


紅梅が咲き、黍殻山が見下ろす里を下っていく。あまり歩かれないコースだからか月夜野バス停への案内などというものはない。車も通る舗装道を歩くようになって、左への分岐が出てくる。そちらに折れるのが正しいが標識などない。まっすぐ行ってしまったが相当な遠回りになると気づき大急ぎで引き返した。道志川に沿う車道に飛び出すと、月夜野の停留所までははそれほど遠くなく、バスはまだ来ていなかった。

月夜野。
停まっているバスは富士急のもの。
この日はもう走らないようだった。
2011/02/19

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