道了尊本堂

道了尊から明神ヶ岳

箱根の明神ヶ岳へは金時山または明星ヶ岳から稜線をたどってばかりで、どのガイドブックを開いても記載されている大雄山最乗寺、通称道了尊からのルートは歩いたことがなかった。長い外輪山のすそ野をだらだら登るだけではと敬遠していたのである。しかしじっさいに歩いてみると予想以上に変化に富んだ面白いコースで、もっと早く出向くべきだったと反省することしきりだった。思いこみと食わず嫌いは山においても得にならない。


紅葉の気配にはまだ早い9月の末、空一面に雲が広がる道了尊のバス停に着いたのは朝の8時だった。日曜とはいえバスに乗っていたひとは自分を入れて6人くらいで、停留所まわりの土産物屋もようやく店の戸を開け始めたところだ。日差しがないぶん、目の前の古い大寺の入口が余計に重々しく感じる。
大きな石段を上がっていくと古色蒼然たる参道が目に入る。まだ時刻が早いのか、右手の車道を車で上がる人が多いのか、人影はほとんどない。森閑とした木立の中、左右には古びた石碑が延々と建ち並び、奉納された金額や杉苗の本数が刻まれている。かつての杉の奉納本数は二万本が相場だったらしい。奉納者は一人や二人ではなく、誰がどこにどう植えたのだろうと余計な心配を始めてしまう。
右手に塀が見えてくる。門があるのでくぐってみると、清々しい境内だった。バス停から10分ほど経っていた。今日は大祭の日にあたるらしく幟があちこちにはためいている。総受付の前には旅行鞄が積まれ持ち主たちが談笑している。昨夜からの参籠者だろう。山の水が通る境内ではあちこちで賑やかな音が響いている。何の知らせか本堂から太鼓の音が鳴り渡った。朝の寺は気持ちがよい。信心の多寡にかかわらず敬虔な気分にさせてくれる。本来なら早々に山に向かうべきところなのかもしれないが、慌ててもろくなことはないよと言われているようで、ベンチに腰掛けてしばらくあたりを眺め、落ち着いた気分に浸らせてもらう。
巨大な高下駄
巨大な高下駄
とはいえ主目的は観光ではなく山なので、重い腰を上げて再び参道に出る。巨大な高下駄が谷間に鎮座しており、薄闇の漂うなかに浮かぶ鼻緒の白と下駄の赤が妙に生々しい。山中の寺といえば天狗、天狗といえば団扇に下駄。下駄は一対で一組というところから夫婦和合にも通ずるそうで、夫婦仲を修復したい向きは手を合わせていくのがよいらしい。


下駄の脇から明神ヶ岳への登山道が始まる。岩の出た急な山道を小刻みな歩幅で登って尾根筋に乗る。途端に穏やかなものとなり、右手の足下には優しげな表情を湛えた十二体の石仏が迎えてくれる。このあたりでも水音が賑やかに響く。道了尊近くを流れる沢の響きだ。杉林の中を登るにつれて徐々に閑けさが広がるようになり、前後するハイカーの足音だけが消えずに残る。
林道を二度横切って見晴台にもなっている避難小屋前に着いた。小屋は壁がところどころ破れていて雨を防ぐくらいのもので、とても泊まろうと思えるものではない。樹林越しに大山を初めとする丹沢山塊が見えるものの眺望は広闊とは言えず、腰を下ろせば周囲の林が視界を遮る。それでもさすがに登り一辺倒で疲れたのか、見た限りではたいていの人がここで休息を取っていた。
丹沢山塊、正面は大山
丹沢山塊、正面は大山
再び植林のなかを登っていく。単調で暗い光景に滅入ってくるころ、右手の茂みに山中には不釣り合いな金属物が目に留まる。差し渡し1メートルはあったか、大きな歯車だ。いったい何の痕跡かと訝しむうちに周囲はススキに包まれる。しかしまだ9月末だからか銀波となる穂は出ていない。やっと開放的になった幅広の道を行くと前方に索道のヤグラが立っている。ケーブルはもちろんない。中央本線の鶴ヶ鳥屋山のように、どこかに鉱山があって、尾根を越えて産出物を運び出していたのだろうか。
ヤグラの立つススキの道
ヤグラの立つススキの道
山道途中にある第一の水場はパイプから豊富に出ていて、カップで掬って飲んでみるとのどが渇いているせいもあってじつに美味い。後から来た方がこんなに出ているのを見るのは初めてと言われていた。水場の上に出ると眺めが格段によくなった。片瀬江ノ島、三浦半島、横浜のランドマークタワーまでが目に入る。振り返るたびに眺望が広がっていくのでなかなか歩みが捗らない。
ススキの道のりが途絶え、山腹を行くようになると、広葉樹の木々が曇天の空を柔らかに覆っている。紅葉の時期は見応えがあることだろう。道ばたには再び湧き水が迸り、沢さえ目に入る。箱根にこれほどの高度で流水があるというのは驚きだ。水音と葉擦れの音に心なごませられ、これは悪くないルートだと改めて思う。
山腹を行く雑木林の道
山腹を行く雑木林の道
歩きやすい山腹歩きは長くは続かず、再び直登に転じると傾斜は急だ。だが地図によればそんなに長くはないはずと気合いを入れて歩を早め、ぐいぐいと高度を上げていく。空に向かって近づいていく感触が快い。ふわっと明るくなって稜線に出た。空が大きくなる。目の前の空間も大きくなる。その中央に鎮座する神山がずっしりと重い。這い上がる強羅の建物群が目障りに感じないのは、もう見慣れたせいか、何度か足を運び泊まりもしたので懐かしいせいか。ともあれまた箱根火口原を目にできて嬉しい。ひと山ひと山確かめつつ、中央火口丘の山々に挨拶を送る。
登り着くと目の前に神山
稜線に出ると目の前に神山
山頂はすぐ右手で、よくない天気とはいえ人気の山、三々五々ながら先着のハイカーがいる。賑やかなのは周囲の眺めだ。富士山は雲の中だったが愛鷹連峰はよく見えた。金時山が相変わらず愛嬌のある姿で背を伸ばしており、左の丸岳へ続く稜線は穏やかなものだ。その足下の仙石原はまだ薄の穂並みが波打つには早いらしい。登りと違って吹き越す風が強く落ち着かないが、この景色を見ずに休憩するのはもったいなく、荒れ地の真ん中に取り残された岩に腰を下ろし、着込めるだけ着込んで周囲を見渡しながら湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。しかしだんだん手が凍えてきた。体熱も容赦なく奪われて寒い。他のハイカーはみな風を避けて食事をしている。やせがまんをしているのは自分一人だけなのだった。
山頂から望む金時山(右端)、愛鷹山塊(左奥)
明神ヶ岳山頂から望む金時山(右端)、愛鷹山塊(左奥)。金時山の背後に裾野だけの富士山
まだ9月だというのに二重構造のカップに注いだコーヒーも早々に冷めるほどの寒さで、これ以上は耐えられないというところで山頂を辞した。稜線を明星ヶ岳にむかって下り、登ってきた道了尊への道をやり過ごし、その先左手に分岐する塚原駅への道筋に入る。ほとんどの人が金時山や明星ヶ岳方面への稜線縦走をしたり、強羅へ下ったりするはずで、このコースを歩く向きはまずいないと思えるのだが、予想外に道筋は踏まれていて、迷うようなことはない。最初こそ急傾斜の下りだが徐々に穏やかなものになり、明るい森のなかで好印象を受ける。
しかし残念なことに半時ほどで植林帯に突入し、そのまま気分的に長い半時をさらに歩く。出る先は林道だが車は滅多に走らないようで静かで好ましい。左手に下っていくと「見晴台」と標識の立つ小さなコブがあって、ベンチとテーブルが一組設置されている。丹沢山塊を見渡す展望地だが、大山は雲の中だった。
すぐ脇から二宮金次郎草刈り路なるハイキングコースが始まる。延々と植林のなかを行くもので本当に草を刈りつつ上り下りしたのだろうかと思えるくらいだ。きっと往時と今とでは植生分布がまるで異なるのだろう。半時ほどで出る林道の脇は沢水が道路表面に溢れ出ていてことのほか賑やかだ。樋で引かれた水も出ており、下りではかなり汗をかかされたので顔と腕を洗えたのは嬉しかった。ここからは山間の林道歩きとなり、二宮金次郎腰掛け石を左手に見るとすぐ集落に入る。自動販売機が見えるとじつに開放的な八坂神社で、軒先を借りて休憩した。
八坂神社社殿
八坂神社社殿
さらに下り、高級住宅地か別荘地かの一帯に入るとT字路の車道に出て、右に行く。バス停留所があるが土日休日は運行していないとの案内があった。車がよく通る車道を淡々と歩くが中古車売り場が連なるところで面白みがない。このコースは八坂神社まではそれほど悪くはないのが、その後はどうもちょっと、というところだ。


左手に昨日一年ぶりに登った矢倉岳のシルエットを眺めるころになると駅は近い。明神ヶ岳を振り返ると今日一日の曇り空は山頂を覆い隠すまでに下がってきていた。今日は長い距離を歩いたぶん、疲れたかい、でもまた来なよ、とかなんとか言って見送ってもらいたかったので残念だ。塚原駅に下るコースは、少なくとも車道部分はもう歩かない気がするが、山にはまた来るだろう。明神ヶ岳はよい山だから。
2008/09/28

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