愛鷹連峰 位牌岳付近から鋸岳岩峰群を手前に越前岳

東海道新幹線で東京から西へ向かい、丹那トンネルで伊豆と箱根を繋ぐ山並をくぐり抜けると右手に富士山が現れる。どうしても視線はこの「偉大な通俗」に行ってしまい、しばらくぼーっと眺めることになる。だがそのうち、押し寄せる富士の裾野の流れに抗してしゃんと背筋を伸ばして立つ一連の山々が目の前にあるのに気付く。愛鷹(あしたか)連峰だ。


このあたりを表した地図を広げて見ると、この連峰の裾野は全体として一つの円を描いている。今ではいくつかの山の連なりだが、風化浸食される前は一つの成層火山だったというのも納得できる。主要な山々は北から南へジグザグの稜線を描きながら並んでおり、9時間強で縦走することができる。しかし地元の人でもない限り日帰りは無理なので、前夜に御殿場に泊まって翌日一気に縦走した。
北から縦走した場合、主要なピークは次のように並んでいる。越前岳(えちぜんだけ:最高標高点)、呼子岳(よびこだけ)、鋸岳(のこぎりだけ:岩峰群)、位牌岳(いはいだけ)、袴腰岳(はかまごしだけ)、愛鷹山(あしたかやま)。だが山体の大きさはまちまちだし、ピークとしての顕著さにも差がある。縦走者からすれば呼子岳は単なる小岩峰だし、袴腰岳などは越前岳あたりからだと位牌岳の稜線の一部のように見える。
この縦走路はピークで考えるよりも個性の異なる4つの部分に分けて考えた方が捉えやすいと思う。つまり「主峰越前岳の樹林帯の中の登り」、「鋸岳岩峰群のスリリングな通過を含む位牌岳までのダイナミックな稜線」、「位牌岳から愛鷹山までの起伏の穏やかな山歩き」、そして「愛鷹山からバス停までの長い下り」。眺めは越前岳から袴腰岳の手前あたりまで始終良い。好天のせいもあってフィルムのなくなるのが早いこと。
越前岳へは富士の南の裾野上に広がる十里木高原から登るものと、その東側の須山というところから林道を入って愛鷹神社から登るものとある。変化を求めて後者を選び、朝7時前に神社前で御殿場からのタクシーを下りて歩き出す。森閑とした朝の冷たい空気の中で聞こえるのは鳥の鳴き声だけだ。大きな杉(?)の木に挟まれた小さな社を見て山道は植林の中を登っていく。
急登しばらくで愛鷹山荘に着いた。立て替えられたばかりのようで、トタン葺きの小さいがきれいな小屋だ。外壁に竹箒が立てかけられているのが好ましい。整備された水場もあれば、きれいに整地された二張りほどの幕営スペースもあり、岩戸山で目にしたのと同じような手作りの道標もある。ここが気に入っている人たちは多いらしい。きっとここで泊まって朝を迎えれば十分山の気に浸れることだろう。ただし予約制である。小屋の上の山道に上がると、新緑の谷筋を越えて向かいの箱根の山が見えていた。
それからすぐ稜線に出て、右に黒岳の道を分ける。植林は雑木林に変わり、木々の合間から右手に富士山が見える。五合目あたりまでまだ白いままだ。左手に展望が開ける場所があって、「鋸岳の展望所」との看板が立っている。右手の越前岳から正面の位牌岳のあいだに針峰を重ねたような稜線が続いていて、あのピークを全て辿っていったら相当な時間がかかるだろう、それに危険度も、と思わせられる。
越前岳への登路から鋸岳岩峰群 右端は呼子岳
越前岳への登路から鋸岳岩峰群 
右端は呼子岳
急なままの尾根を登り続けると、富士見台という富士山側が開けた小広い場所に出る。そこからの富士山は裾野から見上げるように伸び上がっていて、とても全部は視野に入りきらない。真正面には宝永火口が巨大な口を開けていて、ともすれば弛緩しそうな富士の表情を引き締めている。右手奧には丹沢や道志の山々も見えるが、眼前の図体の大きな山に押されきって影が薄い。


そこからはやや傾斜の緩やかな雑木林の道となるが、このあたりになると新緑はまだで冬枯れしたままだった。葉のない木々の合間から愛鷹連峰の核心部を透かし見つつ山頂に到達した。駿河湾方面の眺めが大きく開けていて、弓なりの砂浜が遥か足下から始まり、右手奧に向かって伸びている。その右手上方、富士山とのあいだには南アルプス南部の山々が白いままの姿を並べている。振り返った反対側には愛鷹連峰の大岳が急峻な頭をもたげており、その左手には鋸岳の稜線の奧に位牌岳の三角形の山容がどっしり構えている。
まだ朝の9時のせいか、十里木から登ってきたというご夫婦がいるだけで昨夜の雨のためにぬかるんだ山頂は静かなものだ。このご夫婦としばらく歓談したのち、海と平野の眺めのよいところに陣取って山中第一回目の食事とした。気分はすっかりお山の大将。
越前岳からの眺めは一級品だが、連峰縦走の最大のハイライトと言ったらやはり鋸岳の岩峰群の通過だろう。ここを歩いて、その先にある妖気を放つ名の位牌岳に登ることが何年も前からの望みだった。しかし鋸岳を目前にする蓬莱山のピークに立って、位牌岳を背負ったこの岩峰群を見ると思わず独り言がもれた。「なんだこれは」。いかにも浸食に弱そうな礫混じりの岩塔が崩れず何とか残っています、という風情に身体が強ばる。越前岳への登路から見ていたものの、直接目の前にすると迫力が違う。さすがにこれはちょっと怖い。予想以上に「悪い」感じだ。
蓬莱山から鋸岳岩峰群を目前にする 背後は前岳
蓬莱山から鋸岳岩峰群を目前にする 
背後のピークは前岳
地図で見ても、この鋸岳から位牌岳までの稜線は両側から深い谷が迫ってきている。地図を少し離して見ると、愛鷹連峰がここでまっぷたつにされようとしているのがよくわかる。遠い遠い将来、この部分の稜線は崩壊するかしてかなり低くなり、連峰は越前岳−呼子岳−大岳の山稜と、位牌岳−袴腰岳−愛鷹山の山稜に別れてしまうのだろう。


さて、本当にこんなところ通れるのかと思いながらも、いつものように危険を感じたら戻ればいいや、エスケープルートはすぐそこにあるし、と恐る恐る進んでみた。実際には稜線をそのまま通ることはせず基部を巻いていくので、鎖とロープに頼って見た目よりは楽に通ることはできる。だが腕力の弱い人とバランス感覚の悪い人は止めた方がいいと思った。風雨のときも通過は見合わせるべきだろう。ときどき振り返ると、岩峰が背後に列をなしているのが目に入る。巻いてきたとはいえ、よくこんなところを通過したなと思える。
ようやく鋸岳岩峰群を後にしてほっとしていたものの、位牌岳本体に登りにかかる直前に急斜面の山腹を横切る足下の危ない長い鎖場にでくわして再び緊張させられた。しかもこの山は距離は短いものの頂上までがけっこうな急登だ。肩で息をしながらたどりついた位牌岳山頂は灌木が茂っていて眺めはないものの、下草がないので落ち着いた明るい雰囲気だった。昼だというのにひとけも少ない。名前のおどろおどろしさとはまるで別なイメージにやや拍子抜けする。
位牌岳は高度の点では北の外れの越前岳に首位を譲るものの、きりっとした姿で山群のまんなかに位置している。実質的な連峰の盟主ではなかろうか。ここまでくればもう危険なところもなく安心したのもあって、食事して横になったら日差しが気持ちよくて半時も寝てしまった。おかげで顔も腕も過度の日焼け。
越前岳から位牌岳 右端に袴腰岳と愛鷹山が重なる
越前岳から位牌岳 
右端に袴腰岳と愛鷹山が重なる
そこからは特に危険な場所もなく、滑りやすい土壌のせいで何度か尻餅はついたものの、箱根連山を左手に、駿河湾方面を右手に眺めつつ稜線を下り、落ち着いた雰囲気の袴腰岳を過ぎて最後のピークであり展望地点でもある愛鷹山に着く。振り返れば越前岳を最奧に、その左手前に呼子岳、その右手前に位牌岳、その左手前に袴腰岳、と折り重なるような山並。誰もいない山頂の真ん中に腰を下ろして本日3杯目のコーヒーをいれて飲み、「よく歩いたものだ」と縦走の余韻にひたった。


だがもちろんこれで終わったわけではない。このあと樹林やササヤブの中の、眺めのない、だらだらとした長い下りが待っていた。ようやくの思いで車道に出た先にはゴルフ場があったが、その脇の車道を覆うように張られたネットの上にボールがたくさん溜まっていて、あまり気分のよいものではなかった。しかも延々と車道を歩いてたどり着いたコンビニ横のバス停(柳沢入り口)では、5分前にバスが行ってしまってあと一時間以上来ないのだった。仕方がないのでタクシーを呼んで沼津駅に出た。
1999/4/30

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