鶴峠から続く主稜線の道にて
余沢から向山を経て
三頭山 
奥多摩三山と言うと、大岳山、御前山、三頭山という多摩川右岸の主脈の山々が挙げられる。そのうち三頭山はかつて梅雨の時期に訪ねて雨に悩まされ、良い印象を持たずに下山した。「檜原都民の森」なるものが整備される以前の話である。悪天でも山頂は賑やかだったので今ではさらに賑やかだろう。ただ単に頂に達するのではなく、静かな道を長く歩いて山の大きさを実感するのが三頭山の愉しみ方と思ったので、あまり歩かれていなさそうな余沢からの道をたどって再訪してみることにした。幸いに見るべきものも多く単調に陥らず、植生豊かで山深ささえ感じさせられる行程だった。


10月初旬の日曜、一日に五便しかない小菅行きバスの二便目は奥多摩湖が見えたところで立ち客のほとんどを下ろし、湖岸線を左後方に見送ると乗客の大半を小菅の湯行きに移し替えた。その先の余沢停留所でわたしが下りてしまうと車内には夫婦者一組だけしか残らず、貸し切り状態になったバスは終点に向かって走り去っていった。
余沢からは三頭山側に分岐する細い車道をたどる。川を渡って左手にテニスコートを、右手に家並みを見送ってしばらくで道標が現れ、三頭山への登山道入り口を示している。身支度しようと荷を下ろした場所は二十三夜塔と、なぜか出羽三山の供養塔が併置されていた。靴ひもを締め直し汗止めタオルを首に巻いて裏手の未舗装林道を行くと、体育館の脇にあるような水場が出てくる。
林道終点の水場
林道終点の水場
山中としては非現実的な眺めを見送るとすぐ右手に丸太階段が登路入り口を示している。まずはしばらく植林のなかを行く。このあたりは森林植物園のようで、木々には名称と説明書きのあるプレートが付けてあった。尾根筋に乗ると雑木林で、ヤマボウシ、コナラ、ミズナラ、クリなどの看板が下がっている。しかし特徴は自分でつかまえないといけない。毛羽立っているのがスギで、そうでないのがヒノキ、縦裂のある樹皮が堅そうに見えるのがコナラで、ばさばさで水分を蓄えてしまいそうなのがミズナラという具合に。
右行けば三頭山、左行けば「展望台経由で三頭山」とある分岐を左に取り、さらに進んで右手から踏み跡が合流してくる分岐で戻り加減に右へ行くと、木々の合間に古びて威圧的な木造の展望台が現れる。ここが向山らしい。おそるおそる登ってみると隣の鹿倉山の稜線が伸びやかだ。後ろには雲取山とそこから続く石尾根が霞んでいる。右手には奥多摩湖の湖面の一部と御前山、さらに右には三頭山の大きな山体があるのだが、手前のクリの木が邪魔してやや見えにくい。すでに昼過ぎでもあり、だれも来ないようなので展望台のうえにシートをひいて腰を下ろし、コーヒーを淹れた。床板の隙間から10メートルほど下の地面が見える。床が抜けたら、とは考えないようにした。
向山の展望台から御前山を望む
向山の展望台から御前山(右奥)を望む


向山から鶴峠からの道に合流するまでは地図上で波線表示されている。初めこそ尾根が広いので、雪でも積もってトレースがないと戸惑ってしまうひともいるかもしれないが、そうでなければ登りなら迷うことはない。最初こそ背の低い植林が続くが、すぐに雑木林の道となり、見事な巨樹も見ることができる。興が乗って足取りが軽くなったか、おおよそ平坦な道だったこともあり、地図上の距離のわりには早く主稜線直下のルートに合流した。
これは大菩薩連嶺との境をなす鶴峠から三頭山へと延びる道である。鶴峠近くはいざ知らず、このあたりはまるで山中の生活道路のようで歩きやすく、初秋の彩りがまた楽しい。左手の多摩川側は北側に当たるから日照が少ないのか、黄葉している木々が目立った。右手の稜線は南面に当たるからかまだ色づいているものはほとんど見あたらない。すべてが色づいたときにまた訪れたいところではある。
鶴峠から続く稜線沿いの道にて
鶴峠から続く稜線沿いの道にて
合流点から40分頃経つあたりで踏み跡は分岐し、三頭山を示す標識に従って右の尾根筋を上るのをたどる。左へは散策気分の踏み跡が名残惜しく続いていたが、こちらはおそらく奥多摩湖の浮き橋へ続く尾根に出てしまうのだろう。分岐からすぐに標石のあるピークに着くが、ここが神楽入ノ峰と思えた。休憩かたがた立ち止まる。
わずかな切り開きから北都留の権現山方面を見渡していると、頭上の周囲にさわさわと満ちる葉擦れの音に気づく。この音、木々の立てるこの調べ。きっとシベリアの針葉樹林はこんな優しい音を立てないことだろう。そもそも木のないヨーロッパアルプスやヒマラヤなどの山々は問題外だ。この調べを耳にすると、いつしか安心している。そう、大げさな言い方だが、日本の山はやはり故郷の山なのだ。木々のないイギリスの低山を歩いた身には、そう思えるのだった。


神楽入ノ峰らしきところから三頭山はやや遠かった。岩がある庭園めいたところもあったが、奥多摩らしからぬ感触だった。日が陰り、標高も高くなり、時刻も遅くなってきたせいか、吹いてくる風に冷たさを感じるようになってきた。コブを三つ四つ越え、西峰に着いた。
そこは長い頂稜で、進んでいくと広場状になっているところがあり、中央峰を示す標柱が立っている。ベンチもたくさんあるが、もう3時半近くなので誰もいない。空には雲が広がり、周囲の山々は灰白色の影に溶け込んでいた。ここからも、さらに先の東峰からも、指呼できる山は一つも見えなかった。山頂部からは鞘口峠を経由して「都民の森」の森林館下のバス停に下った。
2003/10/ 5

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