子檀嶺岳仁古田南方の山あいより望む子檀嶺岳

上田周辺には小振りながら個性的な独立峰風情の山がいくつもある。子檀嶺岳(こまゆみだけ)もその一つで、塩田平方面からだと山頂から急崖を落とす台形の山容が印象的だが、見る角度によって姿が変わるらしい。頂稜が長く、その南側は断崖を落とし、北側は緩斜面が広がっているためだろう。いずれにせよ、見て佳し、登っても佳しの山だった。


難しい読みの山名だが、明治初期編纂の『長野県町村誌』(清水栄一氏の『信州百名山』ハードカバー版から孫引き)では子檀嶺と記載されている。おそらく奥多摩の御嶽や大嶽が御岳山や大岳山と呼ばれるようになったのと似た状況があったのだろう。『町村誌』には別名として冠者岳の名が上がってもいる。冠者とは「元服式を済ませて冠を付けた若者」のことで、往時の人々はこの山に凛々しさを感じたものらしい。山頂には祠が三つ仲良く並んで立っている。すべて麓の地域のものらしく、この山が広く親しまれていることをあらためて教えてくれる。
山頂に立つ三つの祠
山頂に立つ三つの祠
「上田地域の山」に分類されるが上田市には属しておらず、全山が隣の青木村に属する。夫神岳(おがみだけ)、十観山(じっかんざん)と併せて青木三山とされ、これらの山々と同様に山頂への道筋は複数ある。バス路線の通る国道143号線側に2本のルートがあるので公共交通機関を使用しての周遊登山もできる。


5月の連休、昨年に続いて戸隠高原へ出かける計画を立てた。今年はその途中に連れの知人を青木村にたずねることにしており、すぐ近くに子檀嶺岳の登山口があるので登ることにした。とはいえ青木村に着いたのは午前も遅い時刻で、山にかけられる時間が少なかったため短時間で往復できる当郷からのコースを歩くことにした。
国道から分かれて当郷地区を抜ける道を行き、突き当たりを左に行くと小さな駐車場が右手に見えてくる。山道はここから始まり、アカマツ林の中を登っていく。「この山の茸採るべからず」の張り紙があり、秋にはマツタケが出るらしい。水場を過ぎると林道で、雑木林の新緑がパステル調で浮き立つようだ。再び山道に入り、子檀嶺神社の額がかかる鳥居をくぐってジグザグの道のりを登っていく。折り返しの振幅が小さくなってくると山頂稜線で、祠の立つ山頂はすぐそこだった。
アカマツ林を行く
登山口からしばらくはアカマツ林を行く
山頂から望む青木村中心部、夫神岳(右)、独鈷山(奥)、その手前に女神岳
山頂から望む青木村中心部、右手前に夫神岳、左奥に独鈷山、その手前に女神岳。右奥は美ヶ原
南側、青木村方面が切れ落ちていて眺めは素晴らしい。正面に夫神岳が大きく、その背後に女神岳、大明神山が我も我もと背を伸ばす。独鈷山は鋸歯状の稜線を誇示して穏やかな山里の風景に活を入れている。遠くに広がるのは美ヶ原で、高曇りでなければさらに八ヶ岳連峰も見えるはずだ。足下に視線を落とせば山あいを縫って延びる農地や山腹に点在する家屋敷の屋根が一つ一つ数えられる。連れの知人宅はどこだろうと二人で推量しあった。丘陵地が切り開かれて白い木々がかたまっているのはリンゴ農園だろう。まわりに淡い色を見せる山肌は新緑の森だ。


山頂では半時ほど休憩して往路を戻った。山中では数組の登山者にしか出会わず、連休中だというのに静かな山だった。コースによっては短時間で往復できるので、大概のひとは午前中の早い時間に登って下りてしまうのかもしれない。今回は時間に追われたたため麓にある大法寺の三重塔にも寄らず、田沢温泉や沓掛温泉にも浸からないで終わった。次に訪れる際はもうすこし余裕をもてるように計画しようと思う。
2009/5/4

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