赤岩山から古賀志山古賀志山

宇都宮市郊外に低山らしからぬごつごつとした姿を晒す古賀志山について、画家の小林泰彦さんは著書『日本百低山』で「北関東屈指の名低山と確信をもって言える」と書かれている。「日光への入口に位置することや、独立した姿がまことに見事なこと」をその理由に挙げられているが、姿についての評価にはまったく異存がない。すぐ近くにある鹿沼の岩山という山に登った折り、穏やかな田園風景の彼方に西日を受けて浮かぶ低山らしからぬ稜線に強く惹かれ、「このあたりなら次はこの山に」と思ったものだった。
その3年後の秋、宇都宮市街に前泊して古賀志山に登った。顕著に上下する稜線を歩きたかったので主稜線西方の赤岩山をまず目指し、御嶽というピークを越えて古賀志山の頂を踏む一日行程とした。残念ながら古賀志山山頂は巨大なアンテナ施設があってあまり好ましい雰囲気ではなかった。むしろ御嶽のほうが展望が広く山頂らしい趣きがある。その御嶽に至るまでの岩稜歩きがまたスリリングで楽しく、赤岩山からの道のりはまた辿ってみたいと思えるのだった。


日曜の朝、宇都宮の宿で眼が醒めてみると空には斑模様の雲が広がっていたが、予報では晴れることになっているのでそれほど心配はせず、身支度して駅へ向かった。一時間に1〜3本の日光線の時間調整に、駅のハンバーガーショップで朝食を食べ、ホームに向かうと高校生がたくさんいた。和弓を持った生徒が何人かいて、どことなく日光という歴史ある土地の近いことを感じさせてくれる。列車はわずか二両編成で、休日だからか立つ人が出るまでにはいたらなかったが、平日の朝夕は通学で相当混むことだろう。宇都宮を出て最初の駅こそすぐに着いたが、10分ちかく走って次の駅というのを二度繰り返して無人駅の文挟(ふばさみ)に着いた。降りたのは自分一人だった。
文挟駅からの県道沿いにて 文挟駅からの県道沿いにて
赤岩山の登山口へはここからが一番近いのだが、バスがないので一時間ほど歩かなくてはならない。駅舎出口すぐにある車道は国道なのか交通量が多く、地図を見ると鉄道を挟んで反対側に県道があり、比較的静かと思われたのでそちら方向に歩いていく。県道に出てしばらく行くと左手前方に赤岩山から続く古賀志山の稜線が見えてくる。途中、左手に分かれる”林道背中当線”というものに入って登山口である風雷(ふうじん)神社に至る予定なのだが、もうそろそろかなと思えるあたりに来ても、林道名も赤岩山登山口を示す標識も見あたらない。
いつしか左手にガソリンスタンドがあるところまで来た。そこには登山道を示すらしい標識が山の方を向いて立っており、近寄ってみたものの文字がすっかりかすれてしまって読みとることができない。しかも山に向かって上がっていくはずの道は雑草と灌木で覆われ、とても入っていく気がせず、ここが山道入口とはおもえない。それでさらに進んでいくと、左手にスキー場のような斜面が開け、赤岩山を文挟駅とは反対側から見上げるようになってしまう。山腹になにか丸い人工物があり、目を懲らしてみると、どうもカーブミラーらしい。それなら車道があるはずだ。ここでようやく、その道を歩いていなければならず、林道への分岐をかなり過ぎてしまったことに気がついた。
ガイドを事前によく読み、地図をもってきていても迷うというのは前日光の尾出山でも経験したが、このあたりの山の常なのだろうか。しかたなく後戻りし、県道から分かれる舗装林道をみつけて上がっていくと、意外とすぐに風雷神社の石造りの鳥居が目に入ってきた。そこには先ほどのガソリンスタンド手前と同じように標識が立っているが、これまた同様に書かれていたはずの文字はまったく読みとれない。麓を見下ろしてみると、スタンドまで続いていたはずの山道は一面の雑草に覆われている。すっかり廃道と化しているようだ。


山道に入ると雑草に覆われかけてはいるが踏み跡は明瞭だ。しかしこの時期は種子ができる季節なので、はいているスラックスはふと気づくと裾が植物の種だらけになっている。鳥居をくぐって10分ほどで赤い鉄製の鳥居を右手に見る。山道は涸れ沢状の石がごろごろしたものとなり、すこしほどで右手と左手によく踏まれた道が分かれるところに行き当たる。右のものに入ってみると、岩壁につきあたって終わってしまう。左手のものに入ると、涸れ沢に沿ってあがっていくようなのでそのまま登っていった。しかしこれはじつは作業道だったらしく、やはり涸れ沢状のものを追うのが正解らしかった。というのも徐々にこの踏み跡は右手の岩壁から離れて左手の岩壁に近づいていき、しかもいつのまにかトレースが消えてしまったからだ。
右手の岩壁の上には稜線が見える。そこまで行けばよいのだとばかり植林のなかの崩れやすい土壌を踏みしめながらジグザグに上がっていくと、小屋の足場のような建造物が見えてくる。その手前まで行くと踏み跡が右手から合流してくる。足下が落ち着いて安心だ。建造物はパラグライダーのスタート地点だった。着いてみるのとほぼ同時に下からごとごと言う音が近づいてくる。これは杓子山でお客さんごとパラグライダー道具を乗せて上がってきたのを聞いたときと同じ音だ。案の定、木の間隠れにモノレールがあがってくるのが見えた。
赤岩から御嶽の稜線上空を舞うパラグライダー
赤岩山から御嶽の稜線上空を舞うパラグライダー
スタート地点から階段道がさらにすぐ上に見える稜線に続いている。パラグライダースクールの参加者がたどる山道かもしれないがとにかく上がるんだとばかりに行けば穏やかな雑木林の稜線に出て、しっかりした踏み跡が左右に続いている。右に行けば一分もかからず赤岩山山頂だったが、そこは通路の途中という風情で荷を下ろして休むような気が起こらない。やや戻るとちょっとした平らな岩場があったので、そこでザックを下ろし、一息ついた。


赤岩山の頂を越えるとすぐにパラグライダーの別なスタート地点が現れる。これは上級者用なのだそうだが、ここまではモノレールがなく歩いて上がらないといけないせいか人影はない。稜線はスタート地点の最上端となっており、灌木のなかに踏み跡は続いている。木々が挟み込む中に入ってみると、すぐ2メートルばかり急降下させられて、右手にはワイヤーが張られている。黄色いテープが付いていて、最初は進入禁止のサインかとも思ったが、じっさいにはこのワイヤーをくぐり抜け、その先にあるパラグライダー転落防止用の緑色のネットの下を進んでいく。
赤岩山を越えれば岩稜
赤岩山を越えれば岩稜
この日は日曜だったからかパラグライダーが頻繁に宙を舞っていた。そのうちの一機が近づいてきて、「こんにちは!」と挨拶してくる。長いこと山を歩いているが、空中から挨拶されたのはこれが初めてだ。面白い経験ができる山だ。
道のまんなかに岩が出始める。最初の難関と呼べそうなものは切り立った2メートルほどの岩場を下ることだ。「最初からクライムダウンか」。最近岩にはご無沙汰の身には、以前ならなんということもなかったはずの課題も少々緊張する。そのためか勘も鈍り、最初は背中を岩に向けて降りようとし、これでは危ないと気づくのに時間を要した。
御嶽付近から二股山(右奥)を望む
御嶽付近から二股山(右奥)を望む
小さな岩場で手をかけて登り降りするところならいくつもあった気がするが、印象に残ったものといえば先のクライムダウンの洗礼のほかに二つある。赤岩山と御岳のあいだにある546メートル峰ピーク手前の溝状になったところを登るものがまず一つ。溝の部分は見た目より楽に登れるのだが、最後に垂直の岩が集中を要する。しかしこれは登りだからまだよい。
もう一つは、御嶽も間近と思えるころ、大きなクラックのようになった5〜7メートルほどの垂直の岩を下るところで、これが最も緊張した。やや古い鎖がかかっているが、降り始めるところで鎖を岩に固定しているのはよく見かける直径3センチほどのリングで、思わずこれに指をかけかねず、じつに危ない。鎖そのものはクラックの中心にではなく左側に開いている岩に垂れている。そのため両手で持てず、あくまで補助として使う。これは下りだしてわかる。降りて振り返って見上げてみると、岩の両側いずれにも巻き道があるように赤ペンキで印されている。やれやれ。鎖が古いわけだ。しかし面白かったのでよしとしよう。
御嶽付近から赤岩山を振り返る
御嶽付近から振り返る赤岩山
(山頂近くにあるのはパラグライダーのスタート地点)
岩場混じりの稜線なのだが、低山のせいか好展望に終始するわけではなく、灌木に遮られて眺めがないところもある。「もう岩はおしまいか?」と思うほど落ち着いた山道が続くようになると、祠が見えてきて、ひょっこりと御嶽山頂に出る。ここは展望がきわめてよく、赤岩山の山頂にあるパラグライダーのフライト地点までじつによく見える。本日は霞がかかっているようで、空気が澄んでいれば望めるという日光の山々や高原山などはどの方角なのかさえわからないが、山頂周辺からは姿かたちが顕著な二股山、先年登った岩山、いつか登りに行きたい笹目倉山などが関東平野末端の田畑のなかに眺められ、まずまずといったところだった。


御嶽から先にも鎖や岩はあるものの一般のハイカーが歩いて問題ないコースになる。人影も多くなり、15分ほどで到着する古賀志山やその先にある見晴台はもっと登りやすいルートから上がってきた人たちでいっぱいだった。見晴台はその名の通り眺めがとてもよく、落ち着けるものならゆっくりしたかったのだが腰を下ろす場所もないほどだったので早々に後にし、鞍掛山に続く稜線に入って富士見峠から山を下った。
山頂から1時間もかからずに着く東麓の赤川ダムの周縁は森林公園という一大公園になっていて、おおぜいが車で詰めかけてきていた。車のない自分は遠いバス停まで歩かざるを得ないが、車の往来のない農道を歩いて地元産の大谷石でできた蔵をそこここに眺め、山麓の畑地を見渡しつつのんびり行く行程は悪くはなかった。振り返れば彼方に古賀志山から赤岩山に続く稜線が浮かび、再訪の約束を迫ってくるのだった。
2005/10/30

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