岩山岩山、C峰の脇を抜けて

11月初旬の連休に、仲間うちで栃木にある低山を一泊二日で訪ねる、という企画が立てられた。「初日は単独で鹿沼の岩山に行く」と言って別行動とし、宿で合流してみると、名前は知らないが鹿沼にある岩っぽい山に行ったのだろうと思われていた。「『岩山』という名前の山なのか」と驚かれた。
300メートルを少々超すくらいの低山だが、山中はボルダリングをしたくなるような岩がごろごろしており、その合間を縫ったり簡単な岩登りをしたりする山道は変化に富んでいる。しかも繰り返し開ける岩場からの眺めは素晴らしく、北に古賀志山、北西に二岐山(鹿沼の)、その合間には日光山群を遠望し、振り返れば鹿沼市街地を見渡せるとあれば文句の言いようもない。
ただ、道に迷うところが意外と多い。低山であるがゆえにルートがたくさん開かれて踏み跡が錯綜しているのだろう。しかしどこでも下れるわけではなく、山名どおり岩の山の性格を持っているのでとても太刀打ちできない岩壁などもあり、無理は禁物である。冒険するとしても、時間に余裕のあるときにすべきだろう。力量に応じた場所を行けば、かなり面白いことは間違いない。


岩山は一の岩、二の岩、三の岩とおおむね三つのピークから成っている。全部辿ってミニ縦走をしても三時間強ほどのようで、鹿沼に着くのは昼過ぎでいいだろうと高をくくっていたのだが、当日は電車の乗り継ぎの失敗で最寄り駅到着が二時になってしまった。鹿沼駅からタクシーで日吉神社近くの登山口に乗り付けたのが二時十五分。すでに十一月の声を聞き、五時には暗くなるだろうからこの出発時間は少々きついのだが、ここで登らないと栃木で泊まる意味がなく、けっきょく登りだしてしまうのだった。
まずは植林の中のゆるやかな道を辿る。岩が出てくれば、そこはもうA峰、B峰、C峰などと名付けられたちょっとした岩峰群だ。A峰だったかのてっぺんでは小さな子供を連れた夫婦が休んでいるくらいで、このあたりは散歩道の延長のような雰囲気である。地形のせいかさすがに杉林は途切れて紅葉の始まった雑木林に囲まれているのも心地よい。多少の傾斜のある岩盤の道はステップが切ってあったり、それでも足りなければハシゴがかかっていたりと至れり尽くせりなので、三点確保の概念に乏しくても十分歩ける。岩を回り込むと次の岩峰がそこに、という調子で、高度を稼いでいるという感じすらしない。
A峰、B峰、C峰のいずれか
A峰、B峰、C峰のいずれか
山中には岩場がとにかく多い
山中には岩場がとにかく多い
この方向で進めば、三の岩から始まって最後に一の岩にたどり着くことになる。これでもかこれでもかと三メートルから五メートルくらいの高さの岩が出てくるなかを行くうち、どうやら三の岩は過ぎてしまったらしい。岩ばかりでなく土の上も歩くのだが、登れそうな岩が多いので「どれか一つくらいは」という気になってくる。とくに山道脇にあるようなのは凹凸が多くガバやらポケットやらホールドが豊富で、傾斜が緩いのを選べば登山靴でも大丈夫そうだ。スタートが遅いので遊んでいるヒマはないのが本当のところだが(全体としては遊んでいるのだが)、一つ二つ楽そうなのを選び、ザックを背負ったままボルダリングのまねごとをして愉しんだ。ザックには旅館泊まり一泊二日用品が詰まっており、岩登りをするには少々重いのだが、それでも登れる岩を選んでいたわけである。
山中の岩とハシゴ
山中の岩とハシゴ
小さい上り下りをこなして到着する二の岩も、ボルダリング用と思える大岩がいくつか屹立したところである。そのうちの一つに上がってみると、ゴルフ場の彼方に古賀志山がギザギザの稜線を誇示しており、目の前にはビュート状の一の岩が色づき始めた木々に覆われて傾きだした日に輝いているのだった。
二の岩から一の岩を望む 二の岩直下の紅葉
二の岩から一の岩 二の岩直下の紅葉
だがここから道に迷うことが多くなる。そもそもこの二の岩からして、岩をトラバースするように下っていくのだが、この下り初めがわからず山腹を下ってしまいそうになり、道形が怪しくなったのに気づいて再び山頂部に戻り、大岩のまわりを点検してようやく正しい下り口を見つけたのだった。ガイドによればここから一の岩までは稜線を外さないようにするとあるが、ゴルフ場方面に下るエスケープルートを見送った後、気づかないうちに左手に下っていく踏み跡に導かれてしまった。右手頭上に稜線があるのに気づき、今度は歩きやすいところを選んで正しいルートに戻った。
一の岩から二の岩(左中)を振り返る
一の岩から二の岩(左中)を振り返る
岩場を越え、コブを越え、道に迷いつつ着いた一の岩の頂は開けていて明るく、トリを飾るにふさわしい場所だった。二の岩でも遠望した古賀志山はいよいよ暮れて赤茶色に輝き出す寸前のようだ。ゴルフ場の向こう側にある畑では何を焼いているのか白い煙が上がり、西日の前に立つ山々は深い黒に沈んでいる。そういえば登り始めのA峰でひとにあっていらい、誰にも遭遇していない。荷物を投げ出して周囲の眺めに浸りながら、里山でもこの時間であればじゅうぶん静かであることに喜んだ。


この一の岩から猿岩に出て、そこから長い鎖場を下りれば山は終わる。夕刻が近づいているので迷うことなく行きたいところなのだが、まず猿岩への五分か十分ばかりの行程で迷った。古賀志山を正面にするように尾根を下りていくのだが、途中に左手斜面のなかを下っていく踏み跡があり、そちらに入り込んでしまって急傾斜になったところで行き詰まった。近くの岩によじ登ってあたりを見渡してみても、進行方向がよくわからない。なんどか行きつ戻りつして、ようやく尾根筋を外したことに気づき、稜線に戻った。
夕日に輝く古賀志山
猿岩から夕日に輝く古賀志山
正しい道を行けば、猿岩はすぐだった。再び古賀志山がよく見える。足下の左手には、話に聞く長い長い鎖場が始まっていた。見下ろすと、ほんとうに長い上に、けっこうな傾斜で、しかも途中から斜度が強まっている。しかしここを下らないと山中で暗くなってしまう。これだけ岩場があり道に迷いやすい山で夜を迎えたくはなく、真下に隣のゴルフ場のグリーンが見えるくらいだからここさえ下ればなんとかなるだろうと、まずは第一の鎖に手をかけた。
長い鎖場の始まり
長い鎖場の始まり
ここの鎖だが、全部で七本あるという。実際には全部の本数を掴まなくてもよかったのだが、一本目や二本目の鎖は長く、そして重い。しかも足をかける岩は、山の中でだと足がかりが豊富にあったのに、ここでは凹凸が少なく、加えてかなり滑りやすい。結局は腕力下りになってしまう。鎖を持ち上げるだけでも一仕事なのに、日帰りにしては重いザックをかついだ自分の重さまで支えるとなると、疲労は加速度的に蓄積していく。
三本目の鎖の脇にはロープが同じように垂れていて、鎖よりは軽いのでこちらを掴んで下る。ここまではなんとかなった。四本目の鎖は、途中から岩場がほぼ垂直になっている。その垂直な状態のところに足をかける。いや、かけようとしたが、足がかりがない。仕方がないので足裏の全てを岩場にかけて摩擦力で体重のいかほどかを支える。こうして、一応脚力も使ってじわじわと下っていく....つもりだった。
だが、すぐに足が滑った。腕力だけで鎖からぶら下がった。慌てて足がかりを探す。ない。頭ではわかったのものの、身体が納得していない。下半身がばたばたし続ける。しかも慌てているくせに余計な判断力が働く。「いま、この鎖だけが頼りだ。鎖の根本が外れたら、自分は死ぬかもしれない」。こんな考えが浮かんでしまえばもうだめだ。恐怖が意識の半分ほどを満たし始めた。「ああ、これは、パニックになりかけているな」。まだ幾分か冷静なところがある。そのうちにとにかく安全なところに逃れなければ。右手にほんの少し移動できれば、少しは足場があって斜度もちょっと緩んだ岩場がある。もがきながらそちらへ移動していき、どうやったのかは忘れてしまったがとにかく身体を乗り上げた。そのまま下ると同じ垂直の岩場になるので、鎖を離し、傾きがさらに緩やかな上部へ慎重に上がっていった。立木にすがりつき、恐怖が去るのを待った。


もう鎖はいい。鎖場で遊ぶのはもういい、少なくとも今日のところは。岩場の中心部から離れ、灌木を頼りに急斜面を下った。平らなところに出ると、ゴルフ場から出てくる車道には二、三分しかかからなかった。もう夕方五時だ。歩いている人は誰もいない。無茶もいいところだった。
新鹿沼駅までは歩いて戻った。日はどんどん暮れていき、夜空に月はなく、岩山は夜の闇に溶け込んでいくのだった。
夕闇の一の岩
夕闇の一の岩
2002/11/3

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