金甲山  児島湾を隔ててアンテナの林立する金甲山(中央)を望む

金甲山は岡山県の岡山市と玉野市の境にあって、児島半島の最高峰である。とは言っても高さは400メートルとちょっと。山頂には駐車場はあるしアンテナも林立していて静かな環境とは無縁だが、岡山市内や瀬戸内の眺めはすこぶるよい。頂上まで車道が通じていて歩かないでも登れるが、海岸近くの集落の奧に入って尾根筋に取り付き、頂上直下まで続く山道をたどれば、低山とはいえ意外に豊かな自然があるのに驚かされる。だがこんな里山めいたところにも、最近の不景気風は吹き寄せてきているのだった。


実は岡山市内の児島湾を隔ててこの山を眺められる場所に連れの実家がある。里帰りするたびに金甲山に登って瀬戸内を眺めては、「この景色はかわらないなぁ」と思うのだそうだ。
確かに瀬戸大橋ができた以外は10年このかた眺めは一緒だろうが、転じて児島湾側を見ると何度か里帰りするあいだにも半島の田畑が次々と住宅地になっていくのに気付かされる。「老後はこのあたりに家を買って住むなんていうのはどう?」などと話題にしたこともあったが、きっとそのころには平坦地はみな住宅に占拠されていることだろう。市内に近いので車さえあれば十分居住圏になり得るところだ。
児島湾は今でも小学校の社会科で大規模干拓事業の例として採り上げられているのだろうか?市街地側から「締切堤防」の上の車道を走ると、右手に「淡水湖(湖の近くでは「児島湖」とは呼ばないようだ)」と呼ばれる人工湖が、左手に児島湾が望める。淡水湖のまわりにはきれいに区画整理された田んぼが広がり、そのあいだを貫通する道路に沿って等間隔に農家が並んでいる。だがここも秋田の八郎潟を干拓してできた大潟村と同じく、米増産のかけ声のあとに来た減反政策に苦しんできたのではなかろうか。夏になったらすべての田が青々としているのかどうか、私は冬しか行かないのでわからない。
金甲山の尾根をたどる
山頂への尾根道をたどる
里帰りの当初は車で山頂まで上がっていたが、それではさすがに面白くなく、ある年の冬、地元新聞社の出している岡山の山歩きガイドを見ながら連れとともに歩いて登ってみた。それからというもの、年末年始に里帰りをすると必ず登っている。
締切堤防をバスで渡り、突き当たりを左に曲がったところの停留所で下りて、目の前の広い谷の合間の道を詰めていく。この近辺に多い溜め池の一つのほとりに出たら、すぐ右手の送電線巡視に使われている山道に入る。バス停からここまで20分強か。落葉樹と常緑樹が混ざった森で、足下には落ち葉が厚く積もっている。
山道に入って20分ほど登ったところにある送電線鉄塔からは振り返ると児島湾越しに岡山市内が一望できる。その一角を指さして、「だいたいあのへんがうちじゃなないかな」と来るたび必ず言う。その背後に見える山々は標高がせいぜい500メートル程度の低山だが、寺社あり歴史ありで、いつかは行ってみたい山が多い。


「金比羅宮」への標識に従って登っていくと、山頂近くになって児島湾側に面した小さな社が出てくる。ここが金比羅宮らしい。麓でも、家並みの裏手にあったりして海岸沿いからの道からはわかりにくいが、あちこちの集落で立派な神社を見かける。二つばかりの神社の近くに行ってみたことがあるが、高台にある神社の建物の裏手にまわると必ず海が見える。
金甲山中腹の送電線から見た児島湾と岡山市内
中腹の送電鉄塔下から児島湾越しに岡山市内を望む
遠景左手は金山、中央は本宮高倉山
私の乏しい観察経験からすれば、単に農業だけの地域よりは神社の分布密度は高いように思える。おそらく半農半漁の生活をしてきた人たちにとって、海上生活の安全と豊漁は農地でのそれより神頼みの度合いが大きかったのだろう。海沿いの集落では蔵に漁に使う網らしきものがかかっていたりする家もあり、これらの神社がきれいに保たれているのはまだ海に関わる生活が続いているからだと思う。
金比羅宮のすぐ上は車道で、山道に入ってから50分経過していた。そこから3分とかからず駐車場に着き、さらに5分とかからず山頂に着く。大きな小豆島の眺めを初めとして、瀬戸内の島々が逆光の海面上に黒々と浮かび、彼方には四国の地が見える。もやに霞む屋根型の屋島を探し出しては、「あの辺が高松だ」とか言う。


1998年の山歩き納めとなったこの山では、山頂のレストハウスが大晦日だというのに営業していない。閉店してしまったのだろうか。ここで甘酒を飲むのを楽しみに登ってきたのに、残念だ。下山後、所有者である地元バス会社に問い合わせたところ、施設は他人に貸与しており、まだ営業は続いているはずとのこと。だが経営をやめたいとの申し入れも来ているそうだ。
レストハウスの屋上は展望台になっていて、屋外で飲料水とかを売ることのできるコンクリート製の東屋まである。かなり前のことだろうが、開店当初は眺望の良さもあってたくさんの人が来たものだろう。だが現在ではほとんど人がおらず、山頂から稜線沿いに続くハイキングコースも荒れ果てていて廃道化しているようだ。山頂までバス路線が通じ、児島半島を縦断するようなハイキングがレクリエーションとして成り立っていた時期もあったのだろうが、今は昔の話である。
このときは車道を歩いて下山したが、途中にある金甲山温泉ホテルなるものが、つい数ヶ月前に倒産したとかで管財人らしき会社によって封鎖されていた。ホテルは破産する直前に裏手の平地を整備してパターゴルフ場にしようとしていたらしいが、周囲がまるで残土捨て場のような景観の上に、温泉の敷地自体も荒れた感じで、ゴルフ場を作ったところで客足が戻ってくる感じでもなかった。いずれにせよ、1998年を象徴するような不景気な話ではあった。
1998/12/31

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