怒塚山から金甲山に続く稜線より児島湾・岡山市街地越しに本宮高倉山
岡山にある連れの実家へ帰省した折り、岡山市最高峰の本宮高倉山へ登りに行った。最高峰といっても457メートルなのだが、市街地を超えた児島半島から眺めると空に向かって鋭角に峰頭を突き上げ、背景に高い山もなく存在感を放っている。随分と長いこと貝殻山とかから遠望していただけだったが、ようやく登ることができた。


市街地付近の大半の山と同じく、この山にも数多くの登山口があるらしい。初回なので山と渓谷社『岡山県の山』でのガイドに従うこととし、岡山駅前から宇野バスに乗って山陽団地方面に向かう。
牟佐上というバス停で降車し、大きな車道に出てしばしで高倉神社参道入り口の細い車道が分かれる。ここから登高開始だが、民家の並びの奥に牟佐大塚古墳というのがあるというので寄ってみる。見えてくるのは周囲の家々に押し込められたような円墳で、大きめの入り口の奥には20メートル近くある石室が延びており、驚いたことに再奥部の高さは3メートルくらいあって余裕で立って歩ける。
牟佐大塚古墳の石室。影になっている最奥部は天井高が最大3.2m。
牟佐大塚古墳の石室。影になっている最奥部は天井高が最大3.2m。
通路に敷かれた丸石は路面保護を目的とした現代のもの。
これを踏んで若干背をかがめながら奥に向かう。奥では余裕で背を伸ばせる。
見上げる岩天井は明日香の石舞台古墳を思わせる規模。これは凄いものだ。もし周囲が開けていて、別な見所が一つ二つあれば立派な観光地になっていたことだろう。幸か不幸かあたりに駐車場すらないためあまり知られることなく今に至っているのではと思う。こういう巨石墳があと二つ吉備路にあるという。恐るべし岡山。


登山路は山腹にある高倉神社へと続く一車線舗装路で、無理のない斜度で上がっていく。元から歩く人のための参道だったのかもしれない。足下遙かを走る山陽自動車道のエンジン音が響くところもあったものの、深い谷間を隔てて岩場の断崖絶壁が見られるなど山の迫力も感じられて悪くない。
小さな流れを渡ることもある。
小さな流れを渡ることもある。
長々と歩いた先、神社直前の急坂を上がり出すところでは、傍らを流れる小さな沢が手水場とされて新しい注連縄が掛けられている。拝殿は簡素な民家のような造りで拍子抜けしたが、その裏にある本殿は海老虹梁も優美な白木造りで荒れたところはなく、大事にされていることがわかるものだった。
高倉神社本殿。
高倉神社本殿。
神社裏でほんのわずか山道を歩いた後、林道を経て再び舗装道となる。もうそろそろ山頂かというところで藪の中に入るショートカット道があったので入ってみたが、最近付けられたような道で2008年版の吉備人出版『登山詳細図』にも記載がない。山へのアクセスが容易な分、こういう道が増えていくらしい。
山頂部は広々としていて葡萄畑かと思えるほどの藤棚まである。すぐ隣の金山が旭川を隔てて大きい。日の回る瀬戸内側を眺めれば岡山市街地を隔てて児島半島の山々が逆光に霞む。いつもはあちらから眺めているのを、本日は逆に眺め返している。少しばかり、過去の自分を眺めているような気分になった。こんなに天気がいいのに平日だからか誰もいない。山頂の市街地側は芝生の斜面でじつに心地よい。車道が上がってきているので無駄だろうと湯沸かし道具を置いてきてしまったが、持ってくればよかった。
山頂の芝生越しに岡山市街地方面を望む。
山頂の芝生越しに岡山市街地方面を望む。
下りは東に延びる一車線舗装道を辿る。『登山詳細図』が基とした国土地理院地図では日当たりのよい尾根筋は果樹園とされているが、いまでは太陽光パネルが延々と設置されている。開ける谷間は深いところもあり、山の斜面は急峻で、底に造られた灌漑用溜め池の水面は窺えない。500メートルに満たない標高の山の舗装道を歩きながら深山の趣を感じもする。


麓近くに出たところで右折して南に向かい、備前国分尼寺跡を見に行く。足の神様であるらしい足王神社に詣で、畑地が広がるなかを山陽自動車道の高架目指して歩いて行くと、大きく開けた場所に案内看板のようなものが立ち、建物の礎石のようなものが並んでいるのが見えてくる。あれが寺跡かと近づいてみると、それは講堂跡で、周囲の広い範囲がみな境内だったという。時の権力者が造る施設は墓にせよ寺にせよ規模が大きい。
国分尼寺跡。日影の縁に講堂跡の礎石。
国分尼寺跡。日影の縁に講堂跡の礎石。
帰りのバスは往路の路線を戻るわけなのだが、途中で旭川という大きな川を渡る。渡るのは大原橋という太い柱で支えられた古いアーチ橋で、自家用車普及前にできたのか恐ろしく幅が狭く、橋上の対向車線に普通車がいるだけでバスはとても進入できないと思えるのだが、これが驚いたことに入っていく。橋の柱にサイドミラーがひっかかりそうで気が気でない。もっと幅広の新しい橋がすぐ隣に架かっているのだが、生活圏の道筋にあるからかバスはこちらを通る。しかもこの橋は川幅が広いので距離が長い。運転手さんはたいへんだと思うが、ここの通過もひとつの見所かと思う。
2021/12/10

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