大野山のイヌクビリ近くから望む檜洞丸(中央)、左に下るのは石棚山稜、右に同角ノ頭
西丹沢の盟主とされる檜洞丸には、だいぶ前に蛭ヶ岳からの縦走で登ったことがあった。たどり着いた山頂はコバイケイソウが目立ち、木々のなかにある山頂は塔ノ岳や蛭ヶ岳のような開放感がなく、文字通り一山越した安堵感だけもって犬越路へと下って行った。日々が経過し、再び西丹沢に戻ってきてあちこちの山から見上げるたび、改めて登ってみなければという思いが強くなってきた。


陽春の日、新松田駅から西丹沢行きバスに乗ること一時間強、終点近くの箒沢公園橋で下車する。人道橋で川を渡り、古いバンガローの建ち並ぶキャンプ場脇をかすめ、指導標に従って山道に入る。沢沿いに行くようになれば水音が道連れだ。初めは流域が広いので、よく注意していないと二股の部分で違う沢筋に入りそうになる(指導標はある)。振り返れば谷間の空が青くて高い。正面奥に三角錐なのは箒沢権現山だろう。あれにもそのうち登ってみたいものだ。
板小屋沢沿いの、まだ穏やかなコース
板小屋沢沿いの、まだ穏やかなコース
大きな堰堤を鉄枠だけの梯子で乗り越え、沢が細くなり出した頃、尾根に乗る。板小屋沢ノ頭までの急登の開始だ。地図を見ると高度差約400m、岩も出ていて歩きにくく、辛抱の登りが続く。まだ歩き始めだから余力はあるものの、疲れることにはかわりなく、ときおり周囲を窺っては梢越しの眺めに気を紛らわす。右手には尾根続きの遠見山と大杉山が徐々に俯瞰できるようになり、ブッツェ平あたりが望めるようになっていく。
板小屋沢ノ頭直下で直角にコースが曲がる
板小屋沢ノ頭直下で直角にコースが曲がる
登りっぱなしの終点は板小屋沢ノ頭というピークだが、てっぺんの手前で右へと巻いていく。やっと穏やかになったと喜ぶのもつかの間、次のコブとの鞍部に下り出すところで、目の前に二段になってそびえ立つコブが目に入る。手前の1、210mピークと奥のヤブ沢ノ頭とが重なる姿は予想外の威圧感だ。ええっまだ急登が残っていたのかという驚愕とがっかり感で足が止まる。
見下ろせば、手前のコブとの鞍部は、高低差も距離も大したことはないものの、稜線右手の切れ込み方が凄まじい。落ちたらまず無事ではいられない。左奥の彼方には檜洞丸から犬越路に続く壮絶な尾根がそそり立っている。しばらく立ち止まったままあちこちに視点をさまよわせ、丹沢の凄絶さの見本市を堪能する。
1、210mピークに登り返す前で北に大コウゲを乗せる稜線を望む
1、210mピークに登り返す前で、
北に大コウゲを乗せる稜線を望む
見た目で驚かされたコブを越えると前方に左右に伸びる稜線が目に入った。さほど高低差のなさそうなのが緩やかに左奥へと高まっていく。あれを辿っていけば檜洞丸に達する。振り返れば鈍重そうな大室山が春の陽気に霞んでいる。もうひとつコブを越え、ヤマザクラ咲く玄倉への分岐を過ぎると、厳しい行程は終わった。


北東へと延びる石棚山稜は緩やかで、ブナが目立つ。枝振りのよいのが多くて愉しい。山稜名になっている石棚山は、標柱が立っていたものの山頂とは思えない場所で、実際にどこが山頂にあたるか、よくわからない。途中のテシロノ頭でも、なんのことはない平坦なコース上に標柱が立っている。右手前方に高まるものを巻いていくので、こんな妙な場所に立てたのだろう。
石棚山からは穏やかな稜線
石棚山からは穏やかな稜線
鹿の食害から守るためか鉄柵に囲まれた一角がそこここにある。そうでない場所は下草がないので歩きやすそうに見えるが、経路外は歩かないよう求める案内板が繰り返し立っていた。進むに従いブナも大木が増えてくるが、幼木は目につかない。鹿をなんとかしないと、丹沢はそのうち禿げ山になってしまう気がする。
ブナ、芽吹きはまだ
ブナ、芽吹きはまだ
おおよそ穏やかになっている稜線だが、崩壊が迫って眺望が開ける場所がある。同角ノ頭が姿を現し、背後には檜岳山稜が長々と稜線を延ばし、空は大きく光がまわり、足下は枯れ草の草原、このあたりで腰を下ろせればよいのだが、コースアウトしないようにの要請を守って先に進む。
再び森の中となるとテーブル付きのベンチがあったので、山頂到着を待たずにお茶休憩とした。周囲は荘厳なブナ林なのでとにかく愉しい。一つとして同じものがない枝振りと不定型な幹の斑紋は単調ならざるパターンを見せ、飽きることがない。天然の彫刻広場のなかでのんびりしていると、登山者が下ってくる。パーティとしては多くても3人くらい、単独行者が多い。蛭ヶ岳か丹沢山に泊まったのかもしれない。
あいかわらずブナの姿が愉しい稜線を歩く。コバイケイソウの群落が鮮やかな鞍部があり、そこはユーシンへの分岐で、分かれていく山道の先には同角ノ頭が屹立している。その姿たるやいよいよ不気味に端正なドーム状で、あれを越えて来るのは骨が折れるだろう。その先、山頂手前のコブへの登りは左手が広く開けて眺望が愉しい。大室山が全身を現し、彼方には三つのコブが印象的な今倉山が浮かぶ。東西二峰に加えて、すぐ西にある1,450m峰までが綺麗に並んでおり、意外な姿だ。さらに左には畦ヶ丸が御正体山を背負って霞む。
ユーシン分岐、奥は同角ノ頭
ユーシン分岐、奥は同角ノ頭
ツツジ新道分岐のピークに登る途中で左手に大室山を望む
ツツジ新道分岐のピークに登る途中で左手に大室山を望む。彼方に道志の今倉山が霞む
ツツジ新道分岐のピーク、山頂はあの向こう
ツツジ新道分岐のピーク、山頂はあの向こう
ここまで来れば本日の最高点は近い。ツツジ新道への分岐を見送り、コバイケイソウの群落の上に渡された木道を辿る。最後の登りにかかり、右手に丹沢表尾根、加えて蛭ヶ岳まで見えてくると、山頂だった。
ずいぶんと久しぶりなのでまるで見覚えがなかったが、木々がそこここに立つ山頂はゆったりとベンチが配されていて、悪くないところだった。記憶の通り眺めはよくなく木々の合間から表尾根や近くの大室山を眺めるくらい、疲れてもいたし、時間帯が遅く人影の少ないのを幸い、ベンチに横になって青空に浮かぶ枝が揺れるのを眺めていた。
山頂直下から蛭ヶ岳を望む
山頂直下から蛭ヶ岳を望む
見上げる山頂部
見上げる山頂部
疎林の山頂
疎林の山頂
下山は予定通りツツジ新道へと向かう。犬越路に向かう下山口には案内板が立ち、こちらは新道に比べて危険箇所が多いとある。かなり前に辿ったきりなのでどうだったか覚えていないのだが、本日の往路に遠望した限りでは急激な下りの部分で苦労することだろう。
ツツジ新道は木の階段が多い。クサリ場もある。手が入りすぎてかえって歩きにくいのではと懸念していたが杞憂で、危険箇所への補強も十分で急傾斜のわりに楽に行ける。ほぼ下り一辺倒なので右手に見上げる大コウゲの稜線がどんどん高くなる。左手にはテシロノ頭付近から始まる壮絶な山崩れの跡が迫力十分だ。自分が歩いている足下に白っぽい岩が散乱しているが、山崩れと同じ色なので、ひょっとして雪崩のように眼下の沢底から跳ね上がってきたのではと想像してもみる。
ツツジ新道にて、テシロノ頭付近からのガレを見上げる
ツツジ新道にて、テシロノ頭付近からのガレを見上げる
ツツジ新道にて、大コウゲの稜線を仰ぐ
ツツジ新道にて、大コウゲの稜線を仰ぐ
途中の”展望園地”にはベンチがあり、山頂では省略したお茶休憩をすることにした。展望というほどのものはなく、枝に邪魔されながら畦ヶ丸方面が見えるくらいだが、赤みが加わりだした日の光がよい雰囲気を醸しだしている。なにより誰もいなくて静かでよい。
さて日没に間に合うよう、あらためて慎重に下山だ。ゴーラ沢出会いまでは山道が続き、出会いで沢を飛び石伝いに渡れば、路面に岩は出ていない歩きやすい径となる。ただし手すりのない木橋を渡ること一度ならず、桟道を行くことも同様なので、常時散歩気分で行けるものではなかった。
ゴーラ沢の出会い
ゴーラ沢の出会い。徒渉の案内と異なり、
ゴーラ沢を渡ってから東沢を渡った
東沢北方の山腹コースから箒沢権現山(左)と畦ヶ丸
東沢北方の山腹コースから箒沢権現山(左)と畦ヶ丸
周囲の山々の山腹は徐々に日陰になっていく。稜線部さえ日が当たらなくなってきた。車道に出たのは6時過ぎで、さすがに夕暮れの空気が漂っていた。西丹沢のバス停には終バス発車の30分くらい前に着いた。乗り込む頃にはすっかり日が沈んでいた。
2015/04/26

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