八海山カッパ平から八海山稜線を望む

同宿の女性は上村さんのところに昔アルバイトに来ていた男の子の母親だそうだ。その息子さんは今日大倉ルートを登って女人堂に泊まり、明日の朝ここに来るとのこと。さらに女性の母親がまた翌日にゴンドラで上がってくる。そのほかの親戚も集まってくるそうで、「変な家族なのよ」「いやぁ、家族で集中登山ですね。面白いですね」
日が落ちていくらも経たないのにもうかなり寒い。宿泊客連は着込めるだけ着込んでも寒さに震えているのに、上村さんは比較的薄着で、しかも裸足で平気でいる。あまりに寒い(気温は7度くらいだったか)ので寝ることにし、「今日は布団を干したから暖かいはずだよ」というわけで敷き布団と掛け布団と毛布をふんだんに使って寝る。午前中の僅かな晴れ間に何枚もの布団を一人で干されたわけで、ありがたいことこの上ない。確かに、こんな暖かい布団を使って山小屋で寝たことは未だかつて無い。なんていい小屋だ。「ゴンドラができてから、最近は日帰りの人がほとんどだよ。空いている山に来たければこの山に来たらいい」
寝に着いたのは7時前であったと記憶している。二人とも酒も飲む気もせず、疲れてすぐに寝てしまった。が、私は二時間後に風雨のうるささで目が覚めてしばらく寝付かれなかった。耳をすますと、まるで大型台風が来ているような不規則な大風の吹き方に叩きつけるような雨音だ。加えて屋根がミシミシと鳴る。「風速65メートルの風でも大丈夫だったから、心配することはないよ」と上村さんは言っていたが、子供の時に木の雨戸に釘を打ち付け、石油ランプを天井から吊したとき以来の嵐の凄まじさに恐怖さえ感じたものだ。


朝、目が醒めると、なんとまだ雨が降っている。それも結構強めだ。週間天気予報では今日は曇りのはずだ(しかしここは山の上だ)、と思いながら朝食ができるのをうとうとしながら待つ。すると突然宿泊室の戸を叩いて20代前半くらいの男性が上気した顔を覗かせる。同宿の女性の息子さんである。前夜女人堂に泊まって、今ここに着いたところという。野村万歳の顔をちょとだけ幅広にしたような面差しだ。
朝食は昨日と同じ味噌汁に、白米に細身のうどんだ。ごはんが少な目だから、というわけでうどんも追加されたわけだが、そんなこともなかった。食事後、4人になった宿泊客と上村さんとで雑談を交わす。女人堂には幽霊が出る噂があると聞かされたときは、一瞬みな黙って、息子さんの顔を見て大笑いであった。
風がやみ、雨が小降りになって親子が出発し、我々も稜線歩きに出かける。気温は夜明け時よりもなおも下がって3.6度だとのこと。「やっぱり。干していた雨具がバリバリだった」とK氏は言う。それを着込んで小屋の外に出る。地蔵岳と不動岳との鞍部に本日最初の鎖場が現れる。続く何本かは鎖にそれほど頼らずとも登れたが、不動岳の下りあたりから鎖に体重をかける場面が続くようになる。幸いなことにこの辺で雨が上がり、ガスだけになる。だが雨で濡れた岩場は滑りやすい。緊張度は晴れの時とは当然違う。だからこそ岩の表面の要所要所に足場が切ってあるのを見るに付け、遭難救助隊の方々の労苦がありがたく感じる。
最後の大日岳を登る鎖場は、千本桧小屋の上村さんの話では最も多くの遭難が発生した場所とのこと。ここから落ちれば300m下までバウンドしながら落ちていき、発見されて見れば四肢がバラバラという状態になるらしい。ここには梯子が3、4年前に取り付けられ、それから遭難はめっきり減ったそうだが、緊張することにはかわりがない。この鎖場は、大日岳の下りを間違えて元来た道に下ったため、二度も登ることになってしまった。
大日岳を下り、主要な鎖場が終わって入道岳方面に向かいかけると、中ノ岳から縦走してきた50代くらいの精悍な男性二人組に出会う。大日岳に向かって「イッ!」と気合いを入れていた。入道岳は小広い山頂で晴れていれば中ノ岳が見えるのだろうが、ガスの中で展望はまるでなし。しかも雨が再び降り出す。小憩後来た道を折り返して大日岳手前の巻き道ルートに入る。巻き道の途中から新開道に入るが、最初から鎖場の連続する急降下。鎖場の連続が終わるとやや平坦な歩きやすい快適な道となり、下の平野部は晴れているのが見える。雨も上がり、カッパ平の手前で昼食とする。しばらくすると山頂部が晴れてきて、今朝歩いてきた岩稜帯が千本桧小屋やロープウェー乗り場も含めて見渡せて、昨日からのルートがほぼ一望できる。そこからは特に危険なところもなく、無事林道との出会いまで下る。そこまで誰にも会わず、静かなものだった。


刈り入れ直前の田圃を脇に見ながらバス停留所のある集落を目指す。振り返ると八海山が山頂部の岩壁を左右に広げて圧するように立っている。着いた先のバス停では時間がだいぶある。「八海山荘」というところで木工作業をしている年輩の方に電話を借りる。タクシーを待つ間、お茶にお茶菓子まで出していただき、恐縮する。孫にあたる小学三年生の男の子が自転車でおそらく遊び先から帰ってきて、玄関で塾や学校のことなどを聞く。人見知りしない子だ。タクシーが来たのでご主人とお孫さんに挨拶して乗り込み六日町に出た。会った人皆親切ないい山旅だった。
1997/9/27-28

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