大ブナ尾根から御前山奥多摩湖から御前山

 
残暑も去ったその日、ほんとうは三頭山に登るつもりでいた。新宿から来るはずの奥多摩行き直通列車に立川駅で乗りさえすればよかったのだが、JR東日本の中央線工事が8時間も遅延したため来るべきものが来ず、昼近くなって奥多摩駅に着いたときは乗るはずだったバスが半時も前に出たところで、日に5本しかないため次は午後の便になってしまう。当初の下車予定地はバスで一時間近くかかる。単独行の身で高額に及びそうなタクシーを使う気はしない。
よし、三頭山は次回に登るとして、今日のところはまだ辿っていない大ブナ尾根から御前山に登ってみよう。バスで奥多摩湖の停留所まで行けばよく、これなら本数は豊富だ。現にいま目の前に停まって発車を待っている。では乗り込もう。


降り立った奥多摩湖畔のバス停周辺は観光客で賑わっていたが、ダムの上を歩いて対岸に渡れば静かなものだ。ここから大ブナ尾根へはベンチやテーブルにトイレまである園地のなかを通っていく。その園地にも人影は少なく、一段高い見晴台になると誰もいない。ハイカーの姿も見えないのは、昼近くなので下って来るには早すぎ、登るには遅すぎるからだろう。
急坂の後に
急坂の後に
大ブナ尾根はサス沢山という小ピークの手前までは急な登りの連続で、ストレッチのように両脚の裏側の筋肉を伸ばしながら歩く。ぐいぐいと高度を稼ぐので爽快でもある。植生は自然林が卓越していて、眺めはないものの秋の乾いた風がよく通る。残念なのは湖畔の道から車やバイクのエンジン音が盛んに聞こえてくることだが、このあたりの常なのでしばらく我慢することにしよう。


登りの傾斜がなだらかになってしばらくすると目の前にコンクリ製の施設が現れる。そこがサス沢山で、踏み跡は左側、東方へと急角度に曲がっている。山頂らしくない場所だがここの西面は見事に開けている。金網に囲まれた施設の脇まで出てみると、足下から奥多摩湖の湖面が延び、そこに両側からいくつもの支尾根が流れ落ち、沈み込んでいる。水面が尽きるかなた、こちらに押し寄せてくるように鹿倉山が丸く盛り上がっている。
この眺めだけでも大ブナ尾根を登る価値はあった。まだ登りだしてわずかだが、腰を下ろして湯を沸かすことに決めた。
サス沢山から奥多摩湖を俯瞰する
サス沢山から奥多摩湖を俯瞰する
奥の山は鹿倉山
サス沢山からはしばらくなだらかな道が続き、枝振りも面白い木々が密過ぎず疎過ぎずに出迎えてくれる。斜度が上がってくると左手に植林が現れて風通しが悪くなりもするが、防火帯のように切られたなかを行くようにもなれば開放感も戻ってくる。徐々に斜度を上げながら御前山の脇仕えとも言うべき惣岳山に達すると、本峰はすぐ近くだ。
すでに2時前後というのに山頂には女子大生とおぼしきグループや中高年の単独行者が数名ほどいて、食事の準備や後かたづけに余念がなかった。いつものようにここは素通りし、避難小屋方面へと向かう。


しかし今日は小屋には寄らない。本日二杯目の温かい飲み物はそこでは摂らない。夕暮れまでには時間がだいぶありそうなので湯久保尾根を下り、かつて辿ったときに見つけた三頭山方面を見渡す素敵な場所、そこで昔同様に闊達な風景を眺めながら飲むつもりだった。人通りの少ない尾根道の脇での一杯は心落ち着くものだろう。
尾根へはまず山腹を絡むようにして下り始める。植林のなかを行くのだが、もう10月も目の前だというのに左右からヤブが被さってきていて鬱陶しい。尾根筋に乗るとようやく林間の歩きやすい道となるが、これが長々と続く。ときおりヤブも復活する眺めのない道で、樹間から左手にほんの一時、隣の大岳山が見える程度だ。
そして、「ここがかつて2月の午後に腰を下ろしてコーヒーを飲んだ場所だ」と思える場所に着いた。いまでは植林が生育し、枝越しにすらなにひとつ見えない。暑苦しいくらいに密生した針葉樹は、腰を下ろす気さえ失わせた。そこで思い出した。荷を下ろしたのは植林されたばかりの幼樹の前だった。それから20年近く、成長の早い木々は広々としていた視界を全て覆い隠してしまった。
湯久保尾根途中の差し掛け小屋
湯久保尾根の差し掛け小屋
残念だが山の暮らしのゆえのこと、通りすがりのものは受け入れるしかない。しかしそれから麓の集落の屋根が見え始めるまで、この尾根では眺望というものについに恵まれなかった。沢のせせらぎもなく、植林が多いので広葉樹の葉擦れの音も聞こえない。幹の彩りも単調だ。湯久保尾根はやや味気ない尾根と思えるようになってしまった。
本日のコースはガイドにも紹介されているもので、一度は歩いておこうと思っていたものだった。歩いてみて、御前山に登るコースとしては大ブナ尾根が最も好ましいと思えた。もっとも、北面であるこの尾根に雪が着けば、急斜面での登りはかなり苦労するだろう。
一方、湯久保尾根だが、冬になってヤブの葉が落ち、雪模様の空が覆うころ、南面の雪のない道筋をたどりたいときに適していると思える。余力があれば山頂から西へ主稜線を歩いて小河内峠から陣馬尾根を下った方が、同じ植林帯のなかを行くにしても生活道路であっただけ興趣が涌くものと思えた。


尾根を下って集落を抜け、小さな川を渡るとバス停で、次の便が来るまでそう待たずに済む時刻だった。かつてこの尾根を下ったときは尾根末端の山道でバスを見送り、停留所の時刻表を見るとだいぶ長いこと待たなくてはならず、しかたなしに車道を武蔵五日市方面へ歩いて佛沢の滝入り口を過ぎ、すっかり暗くなった元郷のあたりで折り返しバスをつかまえたものだった。そのときも今回も時間帯はあまり変わりないので、本数が増えたということだろうか。このあたりに住まいを構えて都心部に通勤する人たちが多くなったのかもしれない。
近くにはトイレもあり、そこの水道で手と顔を洗って背伸びをしていると、集落から若い女性とお婆さんが別々に出てきて車道を渡り、こちら側を山奥のほうに歩いていく。若い方は素知らぬ顔だったが、お年寄りは「こんにちは」とていねいに挨拶をしてきてくれた。頭上に上げていた腕を慌てて下ろして返答かたがた頭を下げる。奥多摩で登山者以外のかたから挨拶されたのは久しぶりだ。きっとこのひとが若いころ、ハイカーはもっと地元のひとたちと近しいものだったのだろう。その系譜の端くらいに位置する資格はあったのかもしれない。
もちろん、それはただの挨拶。しかしただの挨拶でさえ貴重なものになってきているとしか思えない昨今だ。そう、改めて考えてみると、再訪した湯久保尾根は最後の最後にふたたびよい思い出をくれたのだった。長い長い植林の尾根、眺望のなさを知りつつも、きっとまた懲りずに訪れることになるだろう。
2003/9/28

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