吾妻山吾妻山

1994年の秋、5日間かけて福島の二本松から山形の白布温泉までの山と高原をつないで歩いた。安達太良山に山中一泊して幕川温泉へと抜け、ここで停滞ののち一切経山を往復して浄土平に泊まり、4日目の朝、この山旅の最終部分、吾妻連峰の横断にかかった。谷地平という山中の湿原を見たかったので一切経山からの稜線縦走は行わず、酔ヶ平を抜けて姥ヶ原からその谷地平に下り、湿原を横断して主稜線に出ることにしていた。


浄土平のすぐそばにある吾妻小屋ではなごやかな雰囲気で過ごさせてもらった。朝食後、小屋主の遠藤さんにお礼を言って出発。今日はまず東大巓への行程を辿る。桶沼周辺にも浄土平にも、まだ7時前だというのに三脚をかかえた人たちやハイカーが目立つ。駐車場脇のレストハウスが開くのは9時なので、一般観光客とは別の早朝行動派のみの世界だ。
浄土平から浅い谷のようななかに延びる道すじを酔ヶ平へ向かう。今日も朝方の空は曇りだが、今回の旅にして初めて風がなく、雲がほとんど動かない。徐々にあたりが開けてきて右手に酔ヶ平避難小屋が見えてくる。左手には鈍い銀色に光る鎌沼が広がる。寒々とした水面の彼方に黒々とした東吾妻山を見やりながら、姥ヶ原へと道は続く。
吾妻山
足取りも軽く歩ける平坦な道のりは姥神石像の前で終わる。ここから谷地平までの下りの長いこと、地図の上では沢を渡ると平坦な湿原にたどりつくように読めたので、小さかろうが沢が目の前に現れるたびにもう終わりだろうと思っては、まだまだ続いてがっかりする。目に映るのは黒木ばかりで色づいたものは少ない。
ようやく谷地平に出た。池溏こそ少なく面積もあまり大きくないが、四方を山に囲まれて尾瀬の雰囲気に似たものがある。本家は今頃大賑わいだろうが、ここでは見渡す限り誰もいない。風の吹きそよぐ音とてない。足下から広がる一面の茜色の果てを区切るのは赤や黄色に染まった木々。進行方向には燧ヶ岳や至仏山のかわりに昭元山や烏帽子岩が視界を遮り、振り返れば東吾妻山が黒くわだかまる。凝縮された静謐が漂い、すぐに歩き去るのは惜しい。腰を下ろして何度目かの休憩をとる。


谷地平を抜けると、信じられないほど泥の露出した溝のようなところを行くようになる。見事に滑って転びもする。行く手を遮るように沢が出てくるが、渡るには足場になる岩が足りない。手近にあった西瓜大のをひとつ、流れの中に放り込む。派手に水しぶきが上がった。
そこから主稜線に出るべく大倉新道という登りにかかる。これもまた地図で見ると最初は緩やかだが、途中から急勾配になることが読みとれる。先だっての姥ヶ原からの下りが地図から感じるほど楽ではなかったので、ここも辛いかもしれない。登りだすと、鎌沼の畔を離れてから初めて人に出会う。道が悪かったと言って下っていった。
じっさいのところは、単にぬかるんでいただけだった。傾斜の急な部分は尾根を斜めに絡むように歩くので、それほど息を切らすところもなく稜線上に出た。一切経山や家形山から東大巓に至る縦走路だ。ここでようやく吾妻小舎で昼ご飯用に作ってもらったおにぎりを食べた。朝から口にしてきたものといったら昨日に吾妻レストハウスで買った”みそ味のパン”つまりみそパンと、水だけだった。だからとても旨い。
吾妻山
彼方に一切経山が見える。もう午後になっているが、空を覆う雲は一向に晴れそうにない。東大巓の山頂には寄らずに、稜線上の避難小屋である明月荘を目指す。到着は午後2時で、先着はひとりだった。これが水汲みから帰ってみると5〜6名になっており、10名からなる中年女性の団体は来る、単独行者が来る、2人連れ、3人連れが来る、で、夕方の5時には寝返りをうつのがやっとという状態になった。
夕飯はあいかわらずみそパンのみ。それにお茶がつくだけ。山に来て豪勢な食事を作っているパーティーが多いが、単独行では作るのが面倒だし、荷も重くなるので、常日頃から適当に済ましている。立ちくらみがせず腹に力が入ればよい。とはいえここ明月荘では隣のがっしりとした高年二人組から味噌汁をやると言われるとほいほいとコッヘルを差し出すのだった。今日の朝、自家製の味噌であり合わせの野菜を煮込んだものだという。ミョウガ、ネギ、ナス、芋に豚の挽肉入りなので豚汁といった方がふさわしい。しかしこれがまた美味い。提供者は市販の味噌なんて食べられないよと口を揃えている。郡山の人たちで、山は初めてとかで重たいオイルランプを担いで来ていた。酔っぱらって夜中まで大声で会話し、たまりかねた他の客から注意されてふてくされていたが、どういう人たちだったのだろう。「よく消防士に間違われるんだよな」と言っていたが、職業は最後まで教えてくれなかった。どことなく権威がかった雰囲気があった。


朝の5時頃、小屋全体が目を覚ました。建物内はとにかく混雑しているのである程度の人数が外に出ないと出発準備の作業が捗らない。わりと隅に陣取っていたので何もせずしばらく待った。6時頃には室内に余裕ができ、ゆっくりコーヒーを淹れて飲んでから荷物をまとめて外に出た。
東大巓から西吾妻山方面に下り気味に行くと、展望が開け、本日これから辿ることになる山並みが右手から左奥へとほぼ平らかに眺められる。籐十郎から西大巓へと続く稜線は伸びやかな上に展望も申し分なさそうで、山上歩行の愉悦を期待するに十分だ。今回の山旅はこれを眺めこれを歩くために来たと実感する。ところどころに小さな湿原が繰り返し現れ足下も飽きない。昨日同様に雲は多くとも、気分良い稜線散歩だ。
籐十郎を超えて人形石の少し手前で休憩していると、西吾妻方面から来た30代くらいの男女に挨拶される。西吾妻小屋の昨晩の宿泊者数を尋ねてみると、12人くらいだったという。明月荘の混雑度を聞かせると驚いていた。
吾妻山
ところで人形石という奇妙な地名であるからには実際に人形のような石があるのだろうと思ううち、3個ばかりの巨大な岩が転がっている場所に出くわして、これがそうだろうと思いながらも一体どの方向から見れば何がそんな形に見えるのか、周りを巡ってみたものの、人の形は浮かんでこない。肩の力を抜いて眺めていると、おやおや、最も背の高い岩が、西側から見るとあたかも姫だるまのような形を見せる。なるほど、人形という呼称に西洋人形を想像してしまったのが誤りのもとだった。


ここから西吾妻への登りとなるのだが、今までとはうってかわって都会の公園内のような道となった。ロープウェイやリフトで登ってくる観光客が多いのでこんな立派なものなのだろう。吾妻連峰唯一の2,000m峰である西吾妻山は、何の変哲もない山頂だった。到着時刻のみ確認してすぐに下った。すぐのところに西吾妻小屋があり、手前の分岐のところで昼には早いが登山者がおおぜい集まって食事をしている。小屋は明月荘より小振りで、建物前から眺める西大巓は磐梯高原側から這い上がってくる雲に覆われ、頂に着いたところでまるで眺望が期待できない。ならば行くまでもなかろうと、西大巓は他日を期すこととする。
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人形石の手前で出会った二人連れによれば、稜線より白布温泉に下るリフトは動いていないという。その下は歩くには不自然なスキー場だ。大部分の登山者はそこを下るだろうから騒々しくもあって余計に嫌だ。ならば西吾妻から直接に白布温泉に下る道を辿ることにしよう。この道のり、前半はかなり急な下りで、石と木の根が出ているうえに泥で滑りやすい。3回くらいは転んで、もう泥だらけである。登りにくたびれて休憩していた夫婦連れに出会ったので話をしてみると、下っているのに会ったのは自分で6人目だという。稜線で見た人の数からすると予想通りに少なく、静かでよい。
労多い行程を2時間かけて美女平というところに出た。平坦な場所にたどりついて一安心していると、山道脇で不自然な色彩が目を惹く。よく見ると、派手さでは1,2を争うだろう茸のベニテングダケが、それも高さ20センチ以上、傘の幅10センチ以上のが、シメジのようにひとところから群生している。まぁシメジほどには本数はないが、それでも6本から8本くらいが同じ根元から生えている。単独で生えているのは見たことがあるがこのようなのは初めてだ。
吾妻山
この美女平で最後の休憩とした。ザックに残っていたみそパンを食べ尽くし、お茶を飲んだ。白布温泉までの道のりは、緩急の変化があって飽きず、加えて足下の不安のないものだった。温泉街では日帰り入浴を「中屋」に求めた。ここの敷居をまたぐのは3度目だ。ここ何日かの汗を流し、ザックを背負って凝ってしまった肩を打たせ湯に打たせながら、安達太良、吾妻とつなげた山行を反芻しては、満足感に浸った。
1994/10/8-9(安達太良山浄土平を含む全行程:10/5-9)


追記: 幾たびかの日帰り入浴で親しんだ白布温泉の「中屋」だが、2000年の火事で全焼してしまった。あの重厚な藁葺き屋根がもう見られないと思うととても残念。なお、中屋別館の「不動閣」は営業しており、WEBで見ても風情のある建物で、尋ねてみる価値はありそうだ。また、中屋本館跡地両隣にある東屋と西屋は今も営業中。
2004/12/1 記

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