千沼ヶ原に向かう道のりから振り返る乳頭山(烏帽子岳)

八幡平から秋田駒ヶ岳へ(三)

昨夜の途中に眼が醒めてしまって寝付けなくなったものの、翌朝は5時くらいには起きた。昨日苦労して汲んだ水で茶を飲み、食事を作る。日はすでに高いが小屋前を通って乳頭山に向かう声は聞こえてこない。本日登ろうとしていて麓の温泉に泊まった人たちは、今頃ならまだ布団のなかか、朝風呂を使っているかというところだろう。
乳頭山という呼称は秋田県側からのもので、岩手県側から見ると傾いだ姿から烏帽子岳と呼ばれる。乳頭山の読みは”にゅうとうさん”で一般的と思えるが、1940年発行の三田尾松太郎『奥羽の名山』では同じ漢字に”にゅうつむりやま”とルビを振っている。秋田駒に登った著者は快晴下に乳頭山を遠望し、縦走したいと思ったものの道がないこと、乳頭山は黒湯から往復するしかないらしいことを残念そうに語っている。


<<五日目:2007/07/27(金)>> 乳頭山−笊森山−湯森山−笹森山−秋田駒八合目(駒ヶ岳八合目山荘泊)
一昨日、昨日に続けて貸切だった小屋を出て、三田尾氏の時代にはなかっただろう田代平から乳頭山への道のりを辿る。見晴らしよい登路で、頭上すぐそこに山頂を見上げ、右手に秋田駒を眺めつつ行く。
黒湯からの登路と合流すると山頂はすぐだった。目の前の笊森山が大きく、岩手山はすぐそこに見える。振り返れば来し方の大白森や曲崎山が遠く、八幡平はさらに遠い。やや近くを見渡せば、田代平以外にも大小の湿原が散見される。千沼ヶ原は笊森と三角山の鞍部にあるのでここからは見えない。笊森山の稜線が左方に下る向こう側、三角山に近いところにあるのだが、名の通り三角形の山が見えるもののどうも地図と合わない。それは高倉山で、本来の三角山は名とは違って台形の山だった。
山頂はときおり強い風が吹くが、それをものともせずに調子っぱずれの口笛のような鳥の声が響いていた。木々がないのでどこかそのあたりの茂みにいるのだろう、間延びした無調の現代音楽のような鳴き声は細いながらも堂々としていて、いつまでも聞いていたいと思わせる。ザックに頭を乗せて横になり、姿なきソリストの声にしばらく耳を傾けていた。
乳頭山山頂から田代平と田代平山荘の彼方に大白森(右)と小白森。遠くは(たぶん)森吉山
乳頭山山頂から田代平と田代平山荘の彼方に大白森(右)と小白森。遠くは(たぶん)森吉山。
乳頭山山頂から秋田駒ヶ岳。左手前は湯森山 乳頭山山頂から千沼ヶ原・笊森山に続く山道を見下ろす。
乳頭山山頂から秋田駒ヶ岳。山頂直下の白いのは爆裂火口の硫黄鉱山跡。左手前の急崖が目立つのは湯森山。 乳頭山山頂から絶壁の下、千沼ヶ原・笊森山に続く山道を見下ろす。火口跡が目立つ。
千沼ヶ原へは登路をそのまま直進して下り出す。ついつい眺めの良さに足下が疎かになりがちで、右手が絶壁のヘリでもあるし注意が必要だ。だいぶ下って見上げれば乳頭山が岩峰のように見えるころ、ガスが飛来し始める。しかしあたりは素晴らしいお花畑で、頭上のことなど構っていられない。昨日まで歩いたオオシラビソの森のなかでは見られなかった花々が咲き乱れ、立ち止まってはカメラを向ける。千沼ヶ原と笊森山との分岐に着く頃になるとガスは周囲を閉ざすまでになっていたが、笊森山の山腹を行く千沼ヶ原への道のりに入ると山かげとなり、風もガスもなく、岩手山が見えるほどには眺めがあった。
この山腹道は何度も小さな沢を渡るもので、ひさしぶりの水音を耳にして本当に嬉しくなる。最初に出会ったものは何もせずやり過ごす分けにはいかず、立ち止まって三日ぶりにざぶざぶと手や顔を洗った。草原の斜面の中を流れるものの近くではミズバショウも咲いていた。岩のうえを流れる沢を目にして、一度はすぐ通りすぎようとしたが、ここもまた何もしないで立ち去るに忍びがたく、荷を置き、八瀬森山荘以来ひさしぶりにタオルを水に浸し、何度も身体をふいた。


笊森山の登路が分岐している千沼ヶ原の最上段に着いてみると、いったいどこから現れたものか、20人近い団体が木道の上に座って休憩している。きっと秋田駒八合目に車で早朝に入り、ここまで縦走してきたのだろう。それはそれで偉いものだが、せっかくの美しい湿原に騒がしいのはいただけない。乳頭山に初めて登ったときから「千沼ヶ原へはいつか」と思っていたが、訪れるまで20年以上かかった。来たからには静かに雰囲気に浸りたいと思うものである。仕方ないのでどこかに行ってもらうまで一帯を傾斜して下る木道を歩いていく。千沼ヶ原はいくつかの湿原で構成されているらしい。個々の湿原はより開放的であったり、より奥深さを感じさせたりしているが、たいがいがニッコウキスゲをよく咲かせていた。この山行ではよくこの花を目にしたが、ここでは盛りのようにたくさん咲いていた。
末端と思えるところまで下ったが、休憩に適したところはない。引き返して笊森山分岐まで戻ってみると団体はいなくなっており、おそらくここ本来のものと思える明るい静謐さが漂うようになっていた。ザックを下ろしてコーヒーの用意をし、池塘群を眺め渡しながら今朝の一杯目を飲んだ。離れたところに夫婦がひと組、同じように腰を下ろしていた。話し声は大きくなく、よい雰囲気だった。
千沼ヶ原への途中で見るミズバショウ 千沼ヶ原に続く笊森山山腹の道にて
池塘の多い千沼ヶ原
(左上) 千沼ヶ原への途中で見るミズバショウ

(右上) 荷を下ろしたくなる沢

(左) 池塘の多い千沼ヶ原
笊森山への登り返しは急だったが、風がでてきたので涼しく、ガスで日差しも遮られて暑くなく、歩みは捗る。昨日までの炎暑とは大違いだ。しかしそのガスのおかげで着いた山頂では目の前にあるはずの乳頭山がまるで見えず、ときおり風で吹き払われても深い谷間が垣間見えるくらいだ。木々もなく広いので天気さえ良ければ四方八方が見えるのだろうが、本日のところ遠望できるは盛岡側の平野部だけで、振り返ればあいかわらずひゅうひゅうという風の音とともに白い影が飛んでいく。
笊森山から秋田駒方面へはゆったりとした幅広の稜線を行く。風は強いものの周囲の山々を閉ざすガスが晴れる見込みはない。ときおり上がっても盛岡側が覗けるくらいで、越えてきた笊森山の山頂は見えない。だが両側が笹原のなかを通る岩だらけの道筋は明瞭であり、とても1000メートル台の山稜とは思えない広大さがわかるほどには晴れているので気分は悪くない。こんな山稜が首都圏近くにあればよいのだが、あればあったで余計なものが建ったり造られたりしていることだろう。金曜だというのに盛んに何人かのパーティーとすれ違い、人気の縦走路とわかる。


笊森山の隣の湯森山は真正面の山腹に丸く大きな残雪を置いている。近づいていくと登路はやや離れたところを通るものの水音が大きく聞こえてくる。雪解け水が沢筋で小さな滝となって落ちているのだった。湯森山は山頂手前に岩が積み重なったところがあり、岩陰で風を避けて休憩する。山頂はガスがなくても開放感がなさそうなところで、早々に通り過ぎてしまう。分岐があり、ここから左手に行くのが横岳を経て秋田駒山頂部に達するものだが、笊森山に着いたときから秋田駒は山頂部をガスのなかに隠しているので本日行っても眺望は得られないだろう。なにより八合目小屋の豊富な水場を渇望していたので、笹森山を経て八合目に下る道筋にはいった。
入ってすぐ右手を見ると乳頭山を覆っていた雲が取れている。もう少し長く湯森山頂に滞在していればよかったかもしれない。このあたりになると秋田駒周遊コースの一部なのかひとの姿がよく見られる。笹森山は八合目に向かう途中から分岐して山頂を往復した。
笊森山から湯森山への広々とした稜線 湯森山の残雪
笊森山から湯森山への広々とした稜線 湯森山の残雪
笹森山への稜線から乳頭山と笊森山(右)
笹森山への稜線から乳頭山と笊森山(右)を望む
左手に湯森、笊森、乳頭山の並びを見ながら崩れやすいのを丸太で補強した山腹道を下り、沢を渡ってほんの少し登り返すと舗装道に出て、目の前が駒ヶ岳八合目避難小屋だった。拍子抜けする間もないほどにあっけなく俗世間に帰ってきてしまった。売店もあり、閉店直後だったが頼むとビールを出してもらえた。
宿泊所の二階に上がると先客が何名かいた。駐車場近くだからわざわざ泊まる人はいないのではと思っていたがそうでもないらしい。そのうち話の輪に入れてもらい、昨日まで阿弥陀池避難小屋に泊まっていたというご夫婦からは昨夜は定員15名の小屋に18人の団体が押しかけ、しかも夜半まで酒盛りをしていたとの話を聞いた。当初の予定ではちょうど泊まりあわせていたはずで、そんな状況に遭遇しないでよかった。しかし定員以上の人数で避難小屋に向かうのはどういう計画なのか、リーダーの見識を疑う。山での行動食についてのアイディアやあちこちの山域の情報を交換したりして、退屈しない夕べとなった。


<<六日目:2007/07/28(土)>> 秋田駒八合目−阿弥陀池−秋田駒八合目=田沢湖駅
朝は7時あたりまで晴れていた。小屋の前から女目岳が朝日に輝くのが見上げられる。昨日の天気から、今朝はあと一時間ほどこの晴れ間がもってくれればと思いつつ登りだしたものの、登りだしてすぐの硫黄採掘所跡まで来たあたりでガスが麓から沸き上がってくるのを目にする。すぐそこに見える笹森山が視界から消えたと思うと間もなく、あたりは10メートル先ぐらいしか見えないほどになる。残念ながら今日は駄目なようだ。やはり昨夜は阿弥陀池避難小屋に泊まっていた方がよかったかもしれないが、今さら言っても仕方がない。
この山は花の山として名があるが、これは昔からのようで、冒頭に引いた『奥羽の名山』でもその旨記載がある。「秋田駒ヶ嶽は高山植物の豐富な點に於て有名だ。其種類も二百七十餘種に及び」なのだそうだ。遠望はまったく利かないが、山腹を巻いて上がっていく道筋の右手に見える斜面にはとりどりの花が咲き、この何日間かいろいろ見てきたものの改めて見ても飽きさせない種類と量がある。かなり早めに登りだしたおかげで前後に人影はなく、ガスの流れる森閑とした雰囲気のなかにふと現れる花々を見ながら歩むのは悪くない。
やがて足下が木道になり、しかし前方になにがあるのかまるで見えないままの状態で阿弥陀池に着く。池にしても水際がやっと見えるくらいで、大きな池ではないのに対岸は見えない。男岳も女目岳も裾野のほんの一部しか見えない。初めて登ったときは女目岳など山は同じようにガスで見えなかったものの、池全体は眺め渡せられたのだが、今回はそれ以下になっている。木道を伝って池のへりを回り込むと阿弥陀避難小屋で、なかに入ると暖かい。宿泊のための二階には二人ほどいたようだが、寝ているのか音がしない。一階の休憩所部分に腰を下ろし、バーナーに火を点けコーヒーを飲んだ。
小屋を出て、さすがにすぐに山を下るのはもったいない気がして、これからどうしようかと木道の上を考え込みつつ歩く。横岳に向かう分岐まで来ると、足下に湧き水の水場があった。これが昨夜泊まりあわせたかたから「飲めそうにないように思えるけど飲むと美味い」と教わったものだ。用意されている重たい金属製のひしゃくで掬って飲んでみる。美味しいのでもう一口飲んでみる。顔を上げると、ガスが吹き払われ、女目岳が姿を現した。山の水を飲んだお礼に秋田駒が歓迎の意を表してくれたらしい。これに気をよくしてふたたび閉ざされたガスの中を女目岳の登路入口に向かったが、風はあいかわらず強い。ほんの少し登っただけでよろけるような風が吹き付けてくる。調子に乗るなというメッセージなのかもしれない。いずれにせよ登っても何も見えないのは初登時と同じだろうからやめておいた。
一瞬、ガスから姿を現した女目岳
一瞬、ガスから姿を現した女目岳
これで今回の山は終了として、来た道を戻り出す。木道ですれ違った単独行のかたから「コマクサはどうでした?」と訊かれる。天気が天気なので群落地には行かずわからないと答えるが、満開と聞いて来られたとのことだった。こんな空模様でも20人以上はいるだろう団体も含めて次々と登ってくる。登り優先として止まって待つので、登りと同じかそれ以上の時間がかかった。八合目小屋に戻ると、バスで来たハイカーはみな出発したあとで閑散としている。ひとり残っていらしたかたに話を聞くと、昨夜は阿弥陀小屋に泊まられたとのこと、泊まりはそのかたを含めて3人だけだったという。ここでまた「阿弥陀小屋に泊まれば良かったかな」と思ったが、秋田駒へは、いずれ再々訪することだろう。


八合目からシャトルバスでアルパこまくさという複合施設(秋田駒ヶ岳火山防災ステーション(情報・展示)、秋田駒ヶ岳情報センター(情報・展示)、自然ふれあい温泉館(日帰り温泉)から構成)に8時ごろに着く。温泉は9時からだとのことなので、展示施設を眺めたり玄関先で売っている"みそたんぽ"を食べたりして時間をつぶし、白濁した硫黄温泉で5日間分の汚れを落とした。露天風呂もあって田沢湖が見下ろされた。風呂上がりちょうどに来た田沢湖駅行きバスに乗り、折から降ってきた雨のなか、すっかり新しくなった駅に着いた。山あいを見上げると濃淡混じった雲が広がっていたが、それでも秋田駒は賑やかなのだろうなと思うのだった。
2007/07/23~28

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