尊敬できる大人はいるのか  8/29
 我が国の首相やアメリカの大統領のやっていることを見ていると、子どもも若者も、まじめに生きようという意欲を失うんじゃないでしょうか。朝青龍問題を見ていると、
仕事で勝ちさえすればあとは適当に好き放題やっていればいいんじゃないって思うでしょうね。それから、週刊誌にスキャンダルを書き立てられて出版社を名誉毀損で訴えた民主党横峯議員。記者会見を見ていると、その辺のアホな政治家とどこが違うんだ、と言いたくなります。
 次は身近な人から聞いた話。ある小学校の校長は、それはそれは厳しい指導で有名でした。教職員にはとにかく働け働けの前近代的労働観を押しつける。子どもたちには一糸乱れぬ規律を押しつける。ところがその校長が、実は職場の女性教師と不倫をしていたことが最近発覚し、解雇されました。学校の創立○周年行事のひとつとして去年から準備してきた研修授業が「道徳」だったというから、笑っちゃいます。こんな人がなんで校長になれたのだろう?
 ニュースを見ても隣を見ても、ろくでもない大人が多すぎるんじゃないか。……いやいや、まともな人ほど目立たないから、実際以上に世の中が悪く見えちゃうのでしょう。メディアもぼくらも、意識して「良いもの」に目を向けなければ。正気を保つためにも。

小さい秋きこえた  8/27
 残暑は続きますが、確実に秋の気配が感じられるようになってきましたね。
 処暑の前日(22日)、暑さやら騒音で眠れなくて、明け方
3時頃起きていたら、窓の外からコオロギの声が。ふと、心が涼しくなったように感じました。いつの間にか草の陰、土の中に秋が少しずつ準備されていたんですね。ここ数週間、蝉たちが連日24時間営業をしていたから、コオロギの声は、画用紙に秋色がぽとんと落ちたよう。これからどんどん広がって行くのでしょう。
 コオロギだけじゃなくて、2日後には家の中でカネタタキの声も聞こえてきました。去年も何匹か見つけたのですが、今年は声を聞く前にすでに3匹ほど見つけています。そのうち1匹は、娘がゴキブリの子どもと間違えて叩きつぶしました。あ〜あ、かわいそうに……。
 カネタタキは、チッチッチッと、とても小さい声で鳴くので、よく耳を澄ませないとわかりません。でもそんなふうに感覚を研ぎ澄ますことが、季節を感じ取るためには大切なのですよね。耳だけじゃない、目や鼻や舌や皮膚、あらゆるものを動員して季節を感じていきたいものです。
 さて、陣内大蔵さんの本が出ました。ニュースをご覧ください。これも新しい季節の新しいお便りです。

世界陸上  8/26
 昨日、陸上競技を見てました。やはり思いがけないドラマがあります。その最大は為末の予選落ちでしょうか。競技に向けてコンディションを整えることがいかに難しいかが、素人にもよくわかりました。
 男子100mも見ていたのですが、予選段階から、みんながどんな走り方をするのか、興味深く見てました。注目は何と言っても9秒77の世界記録を持つパウエルとそのライバル、ゲイの走りですが、第1次予選でのパウエルの走り方を見ていて、世界記録保持者はこういうものなのだ、と驚いてしまいましたよ。
 何に驚いたかというと、スタートして20mくらい過ぎてからは、明らかに力を抜いたというのがわかるんです。まるでジョギングのような走り方をする。予選から全力を出す必要はないわけですよね、当然。順位も2位。それでいて記録は10秒3ですよ。いったい彼らの体はどうなってるんだって思いましたね。コーチが、第1次予選では10歩まで、第2次では20歩まで本気でやれ、と言ったとか。いやあ、別次元のお話で……。

子どもたちの絵  8/20
 おとといから昨日にかけて、あきる野市の秋川で教会学校のキャンプを行いました。参加した子どもたちは、幼児から中学生まで9名。大人はのべ19名。メインの行事として、河原で
面白い石を拾って絵を描こうという企画をやってみました。
 最初川遊びに夢中だった子どもたちが、はたして興味を持ってやってくれるかな、と少し不安でしたが、実際にやり始めたら、子どもたちは実に楽しそうに絵を描き始めました。そして、こういうことをする時いつも驚かされるのですが、子どもたちは必ず大人の想像を超えたものを創り出すのです。
 見ていてわかるのは、子どもたちは線も色も迷わずに描いていくことです。その即興性がハッとするような面白いものを生み出すのでしょうね(ああ、しまった。みんなの作品を写真に撮っておけばよかった)。
 アーティストの重要な要素の一つは、そんな子どもの柔らかい感覚や表現力を何歳になっても持ち続けていることなのだと、ぼくは再確認しました。

ゴキちゃんを飼う  8/16
 猛暑続きで虫たちもあちこちに出没しています。昨日の朝、新聞を読んでいたら、床の上を小さくて黒い虫が這い回っていました。どうやらゴキブリの子どものよう。
確かおとといも似たような虫を子どもたちが見たと言ってました。数日前には、カネタタキも家の中で捕まえたし、ベランダには連日、蝉たちがバチバチと飛んできます。
 ゴキブリをティッシュでくるんでフィルムケースに入れて見せたところ、おととい見たものとは形も模様もちょっと違っているとのこと。わが家にゴキが複数いるわけだ。それがわかったらさっさと殺すか、と思ったのですが、ふとゴキちゃんがどれくらい生きられるか実験してみることにしました。ずっと前に、ゴキブリは1滴の水で3か月生きられる、というのを聞いたことがあるのです。
 カネタタキは、キャベツや水を与え、空気も入れ替えていたのに、4日ほどで死んでしまいました。ではこのゴキブリはわずかの水だけでどれくらい持つか、その生命力をちょっと見てみようと思います。

高校野球の気になる仕草  8/14
 甲子園の高校野球が始まって1週間たちました。ぼくの郷土代表、福井商業は開幕試合で早々に敗退しました。残念。
 テレビで各県の代表が決まるニュースを見ていたら、どの地方でも選手たちが同じようなことをやっていることに気づきました。試合に勝って選手たちが一斉にマウンドに駆け寄ったとき、みんな人差し指を空に向かってつき出しているんですね。去年早実が
全国制覇したときも同じことをやっていたように記憶しています。あの仕草は「俺たちが一番だ」という意味なのでしょう。でも、いつ頃からやるようになったのでしょうか?
 それから、ピンチの時にみんなでわざとらしい笑顔を作っているチームをよく見かけます。平常心を保つためなのだろうけれど、いかにも誰かに強制されてるようで、ウソの高校生らしさだと思ってしまう。引きつった笑顔はかえって不自然さを強調するだけだから、やめて欲しいと思うのですよ。去年の斎藤佑樹君や田中正大君はそんなことしなかったから、やはり役者が一枚上ですね。  

ケータイの日本語入力  8/9
 昨日まで
私用で福井に帰っていました。その間ぼくにしては珍しくケータイを頻繁に活用していたのですが、ケータイのメールはやりづらいとつくづく思いました。
 前々から感じていたのですが、ケータイの日本語入力は言葉を紡いでいる感覚が全くありません。それは何か、記号をかき集めて貼りつけているだけのような、無機質な感じを受けるのです。文章が生成される過程を含めて、ぼくの言葉ではないな、と思っています。
 日本語文字に関する本をあれこれ読むと、木版印刷や活字印刷、さらにコンピュータなどのメディアの変化は、日本語の構造そのものを大きく変えてきたことがよくわかります。
 統計によれば、今の十代の人たちのケータイ利用法はメールが8割、通話が2割だそうです。将来コミュニケーションがケータイだけで行われるようになることはないでしょうが、少なくとも言語生活の大部分をケータイで行う人たちは、別種の言語を使う人たちなのだと言うことを、特に50代以上の古い世代は認識しておいた方が良さそうです。

阿久悠さんの詩  8/2
 作詞家・作家の阿久悠さんが亡くなりましたね。ぼくはNHKFMを聞くことが多いのだけれど、4月から「ミュージックメモリー」という番組を担当されていました。ご自身がかかわった歌をかけながら、作品にまつわる思い出をNHKの葛西アナウンサーといっしょに語る番組でしたが、1年間の予定だったのが、6月の末に突然葛西さんが「阿久さんが長期療養に入られたので、今日が最終回です」と伝えて、番組が終了しました。それから1か月ちょっと。あっと言う間でした。
 どの歌を聴いても懐かしいのだけれど、ぼくが歳をとってから、好きになった歌が結構あります。ああいいなあ、歌詞を覚えたいと思って作詞者を見ると、どれも
阿久悠さんだったとわかりびっくりしてしまう、そんなことがよくあるのです。
 阿久悠というおかしな名を初めて知ったのは高校時代「さらば涙と言おう」(森田健作)の
歌詞を覚えたとき。そして今ぼくにとってのベスト2は、「時代おくれ」(河島英五)と「舟歌」(八代亜紀)。

月の「ごあいさつごあいさつ」