ご挨拶

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2012年度の新しい体制で、すでにいろいろな動きを始めています。
ここでは、新しい役員のご紹介をかねて、ご挨拶させていただきます。

白沢 史子 理事長(新任)

「格別の思い」

 皆さん、こんにちは。
 このたび理事長になりました大分の白沢史子です。前理事長の松本さんの足元にも及びませんが元気パワーで一生懸命努めさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。
 私が1000チェロを知ったのは入院中の時でした。回復が悪く、おちこんでいました。そんな時、奈良のチェロ仲間から「阪神淡路復興支援のための1000人のチェロコンサートがあるよ。寝込んでなんてなんかいられないよ。」という知らせ。すぐに参加内容のFaxが何十枚も届きました。
 「すごい!すごい!! 1000人のチェロ!?」もちろん、即申込みました。
 それから北海道有珠山復興支援・新潟中越復興支援には大分でもチャリティーコンサートを行ない、寄金を届けました。
 チェロを通じて全国にたくさんの「仲間」ができたこと、そしてその「仲間」と国際平和、震災などの復興支援活動ができることは、私には格別の思いです。
 昨年の東日本大震災復興のために、どうぞ皆さん、1000人チェロのパワーを届けて、少しでも被災された方々の心を癒やし、勇気づけになるよう、がんばりましょう。
 また、この会はチェロを演奏できる方だけでなく、「チェロは弾けないけど会員になって一緒に活動したい」という方々もぜひ入会していただけたらと思います。お声かけもよろしくお願いします。
 最後に……本当に頼りないかと思います。副理事長の寺田先生、事務局長の田原さん、理事の方々、そして会員の皆さんどうぞお力添えよろしくお願いします。

寺田 義彦 副理事長(留任)

「ともに喜びと希望を分かち合いたい」

 NPO国際チェロアンサンブル協会員の皆様、理事の寺田義彦です。私は約20年前からスズキ・メソード(社団法人才能教育研究会)のチェロ・インストラクターとして、高円宮憲仁親王殿下とお嬢様の女王殿下方のチェロご指導に携わり、殿下のご紹介から、創始者の松本巧前理事長と会って、1998年「第1回1000人のチェロ・コンサート神戸公演」開催に参画いたしました。
 以降「1000人チェロ」開催のたびに、得がたい経験と感動を得まして、今日に至っております。それらはこの紙面では尽きぬほどの量ですが、今回はご挨拶代わりに2006年10月7日と8日に敢行しました「中越地震復興支援チャリティーコンサート」のエピソードをご披露します。
 最後の会場、川口町「田麦山小学校」に全国から集まった約100名のチェリストが到着したのは8日の昼過ぎでした。同校庭には被災された方々の仮設住宅が並び、コンサート会場の体育館に敷かれたゴザにはもう数名の地元の方々が座っていらっしゃいました。奏者の使う折りたたみ椅子も整然と準備されていました。あいにくと前日も当日も天候には恵まれず、時折雨風の天井を打つ外の音が会場内に聞こえることもありました。
 しかし、この最後の「田麦山小学校」コンサートでは何とも偶然なことが起きました。開演直前に雨が止み、演目冒頭の「ゴルターマン作曲「レリジオーソ」を奏でると雲の合間から太陽が顔を出し始めたのです。体育館上部の大きな明かり取り窓から陽が柔らかく差し込み、観客と演奏者たちも音楽に合わせて、すべてが光に満たされるかのような感慨深いコンサートとなりました。
 このような想い出から、NPO国際チェロアンサンブル協会員の皆様とともに、東日本大震災復興支援チェロアンサンブルコンサート開催を進め、チェロの音で観客と演奏者がともに喜びと希望を分かち合えるようにと願っております。

田原 光子 事務局長(新任)

「チェロで、誰かの役に立てる機会が、ここにはあります」

 理事兼事務局長の田原光子です。
 私は「第1回1000人のチェロコンサート」に参加し、その素晴らしさに感動して、直後にできたこのICES(国際チェロアンサンブル協会)に入会しました。その後、2006年より理事として、いろいろお手伝いをさせていただいておりましたが、今期松本さんが理事長を退任されるにあたり、白沢新理事長のもと、事務面を一手に担当すべく理事兼事務局長をさせていただくことになりました。
 【自分たちだけがチェロを楽しむこと】はどこでもできますが、【チェロで少しでも誰かの役に立てる活動】となるとなかなか難しく、その意味で、ICES はそういう機会を与えてくれる素晴らしい会であると思っています。
 これからは、もっと多くの人に私たちの活動とその精神を広めていけたらと思います。
 また、全国的な組織を生かしつつ、もっともっと会員同士の絆を深めるような体制作りをしてまいりたいと思います。
 会員の皆様も決して受け身ではなく、一人ひとりができる仕事をして、皆で協力して会をもり立てていただけたら幸いです。
 どうぞよろしくお願いいたします。

高橋 明 理事(新任)

「被災地支援、1000人のチェロ、そして日常活動の充実を」

 このたび、歴史と伝統ある国際チェロアンサンブル協会の理事にさせていただきました。自己紹介と理事としての決意表明をさせていただきます。
 1952年、埼玉県生まれで、音楽は小学校ヴァイオリン(1〜5 年)、鼓笛隊(5〜6 年)、中高吹奏楽(ユーフォニウム)、大学古典ギター(独学)で以後長いブランクの後、2009年11月からチェロ開始。10年5月の「第4回1000人のチェロ・コンサート」に無謀にも出演(参加規定には3年「程度」のチェロ歴とあるも申込み時点で数ヵ月)。右も左もわからない状態で、経験した1000人のアンサンブルは異次元の体験。ゲリンガス氏の希有な「鳥の歌」に感激しました。
 そして3・11に出逢いました。千年に一度の大震災で、世界観が変わりました。沿岸の被災地の惨状をじかに見て、音楽による支援を考えるに至りました。同じ時期に仙台フィルのメンバーが街に出て、140 回ものボランティアコンサートを行ない、市民に多大な励ましと勇気を与え、かつ聴衆からエネルギーを受け取るさまをつぶさに体験。「音楽の力」を確信。11年の夏休み前から学生、大学院生、ボランティア演奏家などの協力を得て、被災地支援コンサートを継続しています。チェロの技倆を上げる喜びと演奏する喜び、アンサンブルの喜びをチェロ学習の早期に経験したことに感謝しています。
 国際チェロアンサンブル協会の公式イベントとして、11年11月に仙台、陸前高田、気仙沼でアンサンブルコンサートに取り組みました。初めてお会いしたアマチュア・プロのチェリストが、たった1回のリハーサルで旧知の間柄の如く、仮設住宅の集会所で演奏できたことに改めて感動。強行軍で、遠方からの参加者にはご負担をおかけしましたが、充実した演奏イベントとなったと思います。来たるべき「第5回1000人のチェロ・コンサート」を成功させ、さらに協会を盤石の体制とすべく微力を尽くしたいと考えています。
 理事会では、本年度は数回の被災地支援コンサートを行なうことを計画しています。協会としては、日常活動を強化することが急務の課題と考えます。財政的な基盤を強化することはもちろんのこと、「1000人のチェロ・コンサート」だけでない、日常の活動を強化することが鍵と思います。そのためには各地域での日常的なチェロアンサンブルの活動を活発にすること、そのために協会としてできる限りの支援、教育を行なうことが大切です。お金はないが、エネルギーとやる気、時間を使える限り投入する心構えです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

畑井 貴晶 理事(新任)

「全身全霊でプロデュース」

 第1回から裏方、黒衣として関わってきましたが、このたび理事に就任することになりました。松本理事長が退任される折、白沢新理事長と新理事会を盛り上げていかねばならないと気を引き締めています。
 私はマーケティングからコンテンツまでの業界でプロデュースを生業とするもので、プロデューサーとは社交ダンスの男役のようなものであると叩き込まれています。理事になったとしてもそれは変わらぬ役どころです。心置きなくチェロを弾いてもらえるよう、みなさんのチェロが被災して傷ついた人々にちゃんと届くよう、十全なお膳立てをすることが私の役目です。プリマドンナはみなさんなのです。
 どんなに急造でも音楽になっていることがみなさんの役割であるように、私もこのプロデュースには全身全霊、持てる矜恃をすべてかけてやっています。ボランティア活動だからといってまったく手を抜くつもりはありません。
 昨年に引き続き、今年と来年にかけて行なう予定の東北キャラバンは、数百キロを移動するもので冒険要素も伴います。心して取りかかねばなりませんが、我々がその地に出向くことには大きな意義があります。意義というより単刀直入に言えば、愛ですね。「気にかけております」という愛です。それを被災者の方の胸に直接手渡しできる。演奏を終えると聴いておられた方々の顔がほころんで、口々にお礼が出る。我々もお礼をする。お礼にはお礼をもって返す。この世で一番美しい交換です。
 一人でも多くのチェリストにこの交歓を味わってもらいたいし、またチェロを弾けなくても一人でも多くの人に携わってもらいたい。
 私はそう心から信じ、願い、理事としてプロデューサーとして、自分の役割を全うしたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

藤代 庄司 事務局(新任)

「皆様の窓口に」

  2011年秋から、事務局を仰せ付かった、藤代と申します。
 コンサートで〝観た〟チェロの移弦の格好良さに痺れて、楽器を衝動買いしてしまった慌てもののレイトスターターです。以来、妙な音を掻き鳴らしては周囲を困らせていましたが、演奏で貢献できない分、何か貢献できることはないか、と事務局を担当させていただくことになりました。仕事の内容も分からず、右往左往の毎日ですが、基本的には『自分の仕事は、会員の皆様方の窓口役』と心得ております。会員の皆様、どうぞ、よろしく、お引き回しください。
 私のICESとの出会いは、神戸での「第3回の1000人チェロ」。刺激と感動に満ちた、夢のようなチェロ漬けの1週間でした。このような団体からお声を掛けていただけたことが、とても嬉しくて、自分の非力を忘れて、お引き受けしてしまいました。 精一杯努めさせていただく覚悟ですが、能力以上のことは、気持ちだけではこなせません。どうぞ皆様、お力添えも、お願いいたします。
 チェロ以外の趣味はあり過ぎて困るのですが、遊びの名刺には、山登りとスキー、カメラ好きの、へボチェロ弾き、と記載してあります。以上、簡単ですが自己紹介とご挨拶まで。

松本 巧 顧問(新任)

「理事長退任の挨拶」

 全国のチェリストたちによる1998年11月29日の第1回「1000人のチェロ・コンサート」は、当時御存命でいらした高円宮憲仁親王殿下はじめ、参加者の全員が感動と震えを覚えた素晴らしいものでした。
 先日、久々にその時のライブCDを聴きました。何十回と演奏してきたフンクの「組曲」、三枝氏の「レクイエム」、どれをとっても今聴いても涙が出てくるほどの感動の演奏ばかりです。その感動が原動力となって、私たちのNPOは2001年に組織されました。
 以来、有珠山復興支援、第2回「1000人のチェロ」、宮様追悼、2005年5月にロストロポーヴィチ氏、シュタルケル氏、グリーンハウス氏の三大巨匠に参集していただいてのインターナショナル・チェロ・コングレスと第3回「1000人のチェロ」、中越地震の復興支援、広島での第4回「1000人のチェロ」、そして昨秋の東北での第1回東日本大震災復興支援と数々の社会的支援の演奏を行なってきました。僕自身が、それらすべてをNPOの理事長および事務局長としてのオーガナイズ・運営をさせていただいてまいりました。
 1997年以来、15年間にわたり、それらに費やされた時間と労力は膨大なものでした。僕がそれを専任でできる時間的・経済的立場であれば良いのですが、この15年間は完全に行動の軸足をチェロ&NPOにあって会社事業をまったく脇に押しやっていました。
 還暦を2年前に超え、創業社長として33年間、株式会社串乃家の経営のかじ取りもしてまいりましたが、軸足がチェロに移ってからは、社員の方々に申し訳ない業績の連続でもありました。
 自分自身の年齢を顧みて、事業継承も最後の段階にあり、このままNPOに軸足を置いたままでは、それらがままならないことを痛感いたしました。
 幸い、副理事長だった白沢さんが理事長就任を快諾してくださり、昨年から田原理事が首都圏事務局として会員の皆様のお世話もしてくださり、事務局長にも就任くださいました。その補助作業に藤代さんという素晴らしい事務参謀もお迎えできました。
 さらに、2月の総会・理事会を経て、新任の畑井さん(首都圏)、高橋さん(仙台)という素晴らしい新任理事もお迎えできました。安心してこれらの方々にNPOをバトンタッチしていただける確信を持ちました。
 会員の皆様におかれましては、執行部の方々に任せてしまうのではなく、「チェロを通じて何かの社会的活動」、「被災地の方々への少しでも勇気づけ」……いろいろな活動に積極的にご参画いただけますよう、また、いろいろなご意見やご提案などもいただけますよう、心からお願い申し上げます。
 そして、会員お一人、お一人が周りのまだ会員になっていないチェリスト、あるいはチェロを好きな非チェリストの方々をどんどん会員にご勧誘ください。
 僕はもう理事ではありませんが、顧問として引き続きNPOの活動には積極的に参加もし、会員増強にも協力してまいります。
 次なる東北復興支援や「1000人のチェロ・コンサート」で皆様にお目にかかれることを心から楽しみにしています。
 10数年の長きにわたりいろいろと会員の皆様にはご協力くださりありがとうございました。
 皆様のご健勝・ご活躍とNPO国際チェロアンサンブル協会のますますの発展を、心からお祈り申し上げます。

   2012年2月20日
松本 巧