水燿通信とは
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336号

若松丈太郎詩集『わが大地よ、ああ』

 福島県南相馬市在住の詩人若松丈太郎の新しい詩集『わが大地よ、ああ』が、昨年12月に出た。2011年6月から2014年7月までに作られた詩のうち、福島原発事故(氏は原発事故ではなく「核災」の語を用いている。この呼称に関しては309号参照)に関わる作品を収録している。
 事故が起こってから3年半に及ぶ間に著者が感じた様々なこと、突然それまでの生活を奪われた者の思い、国から出されるその時々の指示、警告、命令などに振り回され、長年に亘って培われてきた互いの結びつきが分断されバラバラになっていく地域被災民の様子などが、悲しみ、怒り、そして何よりもかけがえのないものを奪われた者の深い喪失感と共に描かれている。
 こういった特質は大震災後の若松の詩集を含む著書にも見られたが、ことに本著を特徴づけていることは、それらに加えて、自らに残された時間があまりないことを意識の底に置きながら、今、自分は何をすべきかを考える視点が強くなったことである。
 著者は「あとがき」で述べている。
……核災はまた、未来への想像力を駆りたてる必要性をわたしたちに対して求めている。人類にとって未経験の途方もなく長い時間のむこうにある未来、たとえば、もし存続しているのであれば十万年後を生きる末裔たちに、私たちが犯した罪――核を悪用し誤用し、さらには処理できずにいることの罪――について伝え、謝罪しなければならない。……
 福島はまだ全く終っていない。そのことをしっかり認識し、この事実から目を逸らさないためにも、是非読んでおきたい詩集である。
 なお、以下に、この詩集の中からひとつ作品を紹介しておいた。
わたしが生きた時代

こどものときに考えたことがある
六十六歳までは生きたいと
六十六歳まで生きたら
二十一世紀を自分で確かめられる

イメージのなかの二十一世紀は
ユートピアの時代だった
戦争なんかない
だれもが等しくゆたかに暮らしている

わたしが生きた時代は
ゲルニカ空爆を嚆矢として
無差別大量殺戮の時代
死神が人類にとりついた時代

死神はもしかしたら
わたしではないのか
わたしが死んだら
こんな時代は終わるのだろうか

ほどなくわたしは死ぬだろう
だが見届けたいのだ 始末できるかを
わたしたちの愚かさがつくりだした
核という愚かなしろものの始末を
(『いのちの籠』第二二号・二〇一二年十月二十五日)
(元の詩では「死神が人類にとりついた時代」の「死神」には「しにがみ」のルビがついています)
当通信では、若松丈太郎の著書や作品を何度か紹介している。
297号 「福島から 福島原発事故の前と後と」で『北緯37度25分の風とカナリア』の書評
306号 「BSの海外ニュースを見る」の末尾で詩「こどもたちのまなざし」を紹介
309号 『福島核災棄民 町がメルトダウンしてしまった』の書評
『わが大地よ、ああ』(土曜美術社出版販売 2014年12月20日発行  2300円+税)
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〈今月の一句〉
薫風のみちのくはなほ翁の地  森澄雄
 『俳句界』2014年8月号の特集「命の重み“絶句”を読む」の中で、上野一孝(「梓」代表)が取り上げている句。文中で「ふとこの作品が、東日本大震災の後に詠まれたのかしらという錯覚にとらわれた」という個所に私は注目した。
 震災以来、「がんばろう東北」をはじめ多くの激励の言葉が発せられた。俳人からも幾多の励ましや「被災者の力、俳句の力を信じている」といったメッセージを込めた俳句作品が作られた。だが、「松尾芭蕉が愛した佳き東北は今もなお健在だ」と詠んだこの句は、これらのどのような励ましよりも、当の被災者に元気をもたらすものではないかと感じられたのである。
 実際のところ、掲句は森澄雄の主宰誌「杉」に掲載された澄雄最後の作品3句のうちの末尾に置かれているものであり、澄雄最晩年の作品ではあるが、彼は東日本大震災が起こる前年に逝去している。
 上野一孝の文は次のように結ばれている。
 澄雄は生前、松尾芭蕉の句から淡海に引き寄せられ、多くの佳作を遺したが、最期、芭蕉への思慕を下敷きに、東北への思いを一句に遺したのも、今にして思うに何かしらの示唆を感じずにはいられなかった。
 森澄雄は、昭和47年8月、53歳の時、シルクロードを旅したが、そこでは森は1句 も成さなかった。しかし、旅の一夜、ふと芭蕉の〈行く春を近江の人と惜しみける〉の1句が浮かびあがり、何故かふかぶかとした思いに誘われた、という。そして帰国後、堰を切ったように近江行が始まり、芭蕉への傾倒を強めていく。
 上野の文は、こういった事実を踏まえて書かれている。「今の東北が、この句のとおりであったら」と感じながら、私は文を読み終えた。
(2015年3月11日発行)

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発行人 根本啓子