水燿通信とは |
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297号福島から福島第一原発事故の前と後と |
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東日本大震災とその直後に起こった福島第一原子力発電所事故から1年が経った。地震と津波で大きな被害を受けた地域は、苦難の中にも復興の動きが見え始めてきている。だが事故を起こした原発は現在に至るも収束の目途が立っていないのが実情で、日本はこれから放射能との気の遠くなるような戦いの日々が続くことになる。今回は、その福島に住む詩人と作家から発信された2冊の本を紹介することにした。ひとつは事故の前に発行されたもの、そしてもう1冊は事故後に出たものである。 |
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若松丈太郎詩集『37度25分の風とカナリア』 |
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北緯37度25分線は、石川県能登半島の北端を通過し、いったん日本海へ抜けたのち新潟県に上陸、越後山脈を越えて福島県に入り、猪苗代湖を横切り太平洋岸に達する。このゾーンは、原油湧出、国内最大級と推定される天然ガスの埋蔵量、水力発電所、電源開発、地熱発電所、そして原子力発電所など、古くから日本のエネルギー供給地帯としての役割を担ってきた。《このことに気づいて以来、北緯37度25分が通過している市町村を可能なかぎり直接訪ね、そこで生きたひとびとのそのさまざまな営みを作品化しようと試みてきた》(本著あとがき)のが本著で、福島原発事故の1年あまり前の2010年1月に刊行された。著者は福島県南相馬市に住む詩人。 |
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海の彼方のユートピアを想定したり、五穀豊穣の祈願をしたりするためのお祭り、地域に漂う正体不明のまぼろし、観音堂・道標・お地蔵様・横穴墓などについて地元に伝承されている話、天明期に起こった大飢饉、祭りの中にふと出現する異界などなどを、ときに懐かしく、ときに重々しくまた恐れを抱かせながら、またおおらかにユーモアを交えたりしながら描いている。全体を読むと、これらの地域には興味深い伝統的な行事や風習が数多く残っており、懐かしく豊かな雰囲気が濃厚に立ちのぼってくるのが感じられる。だがこのゾーンはまた多くの限界集落を抱えるところでもあり、こういった行事も存続が危ぶまれたり消滅しつつある。 |
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これらの詩作品の中に、突然現代が顔を出す。原子力発電所に関するものである。著者はこのことについて、あとがきで次のように語っている。 |
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当初、この連作では原発に関する作品は書くまいと考えていた。ところが、チェルノブイリ事故に先立つ一九七八年に福島第一原発で起きた臨界に準ずる事故を、東電が二〇〇七年まで三十年近くも隠蔽していたことが明らかになったり、また、同年の中越沖地震によって柏崎刈羽原発が甚大な被害をこうむったことがあって、「みなみ風吹く日」と「恐れのなかに恐るべかりけるは」とを書くこととなった。 |
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この2作品のうち「恐れのなかに恐るべかりけるは」は、2007年に起きた新潟県中越沖地震を、その被害状況やそれによる柏崎刈羽原発の被害や東京電力の対応、『方丈記』『日本書紀』からの引用などを交えつつ描き、地震への恐れを忘れた東電の姿勢を静かにだが怒りをこめて問うている。 |
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また「みなみ風吹く日」は、1978年ころの福島第一原子力発電所に近い福島県原町市北泉海岸の、サーファーたちの頭が見えかくれしここちよい南からの風が吹くさまの描写で始まり、その後この原子力発電所の近辺で起こったさまざまなこと、たとえば植物の花びらの変化、海岸土砂内の貝や小学校校庭の空気からのコバルト60検出、原発事故の隠蔽などが語られ、そして、サーファーの姿も見えず世界の音も絶えた2007年11月の同じ北泉海岸の描写で終わる。 |
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読後、深く底流させた怒りや最後のフレーズに表われた絶望の強さが心に残る。2011年に起こった福島原発事故を殆ど予見しているような作品だ。 |
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本著に収められている「大熊 風土記71」は、東京電力福島第一原子力発電所の1号炉が運転を始めたばかりの1971年に書いたもので、同年11月『河北新報』に掲載されたのが初出。双葉郡大熊町の厳しい自然や、その中で生きなければならない町が原子力発電所によって否応なく変貌させられていくさまが描かれており、読後、この大熊町が福島第一原発事故の真只中に位置していることが思われ、なんともやりきれないかなしさが読者をうちのめす。 |
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表現としては、活字の組み方の工夫や、カタカナ書きや方言の使用、古典からの引用などさまざまな試みがなされている。私は時おり挿入される方言が、作品に温かみとふくらみをもたらしていることに特に感じ入った。 |
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懐かしくおおらかでおかしく、時に恐れを抱かせられ、そして最後にはやり場のないかなしみと解決の糸口の見えない怒りに襲われる、重い課題を突きつけられる本である。 |
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(2010年1月30日 弦書房刊 2000円+税) |
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鐸木能光(たくきよしみつ)著『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 |
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著者鐸木能光は福島第一原子力発電所から約25kmの双葉郡川内村に住んで、執筆、作曲、その他の創作活動を幅広くやっている人。原発事故が起こったとき、一旦は川崎の仕事場に避難したが、川内村が事故現場から近距離にありながら奇跡的に放射線量の低い土地であることがわかって以来、村に戻って暮らすことにした。著者はこの本を書いた動機をまえがきで次のように述べている。 |
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2011年の「フクシマ」を、原発30キロ圏内の川内村という「現場」からの目でしっかり記録しておきたい。……福島の中からしか見えない事実、報道されない現実を、幸か不幸か、ぼくは直接体験して知っている。……「現場」に暮らしていて、日常が非日常に変わっていった様子を見ているわけだから、外から取材に入って、いきなり「非日常」部分だけを見た人たちとは違う視点でお伝えできるはずだと思う。 |
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なお本書では福島第一原子力発電所は、地元住民や関係者の呼び方に倣って1F(いちエフ)と表記されている。 |
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読んでみると、新聞やテレビで報道されていることと地元の人達が実際に体験したり見たりしたこととの違いの大きさに驚かされる。それは現場に居ないからわからないという事情もあるだろうが、それ以上に政府、東京電力による隠蔽やごまかし、その意向を受けたメディアの情報操作によるものが多いことがわかる。 |
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文科省は事故直後から周辺地域の放射線量を知っていたにも拘らずすぐには発表しなかった(その一方で、米軍には事故のすぐあと提供していた)ため、当初は単に1Fからの距離だけが人々の行動の判断基準となり、危険地域の住民が何の指示も与えられずにそのまま生活を続けたり、放射線量の低い地域から高い地域に避難したり、また海岸寄りの地域では放射線量は低かったが津波による被害が大きかったのだが、自衛隊も怖がって近付かず、救助を待っている多くの人たちが放置されたまま見殺しになった。調査データが発表されるようになってからも測定地点の地名を出すようになったのは事故から1ケ月も経ってからのことで(パニックと「風評被害」を煽るという批判を恐れて故意にやったのではと著者は語っている)、住民は厳しい状況の中で、測定地点の地名を推測するのにさらに少なからぬ労苦を強いられた。 |
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大手メディアは、1Fから一定の距離(社によって20〜40キロと多少違う)圏内の取材を「自主規制」し、20キロ圏内の取材を敢行したジャーナリストの映像はどの放送局も放映してくれなかった。気象庁や環境省は「放射性物質はうちの管轄でない」の一点張りで全く動かなかった。 |
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国や県が地域住民に対して出すさまざまな指示、「屋内退避」「警戒区域」「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」「作付け禁止」などなどは、住民にとっていかに不合理で苦痛を増やすためだけのものだったか。そんななかで、原発周辺の地域住民は、被曝のリスクではなく避難することによるストレスで疲弊し亡くなる人が多数いたという事実がある。 |
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だが著者はまた、県や地元が熱心に原発誘致をしたこと、「避難太り」とも言うべき人々がいることにも触れている。避難所では何もしなくても3食無料で与えられるので仮設住宅に入ろうとしない人、自宅で普通に生活していながら「避難者生活支援制度」をフル活用して公営のコテージやアパートを別荘代わりや仕事場にする人などもいる。避難所周辺のパチンコ店は、連日避難者で盛況だった。また事故後、「原発ぶらさがり体質」をさらに強めた県、地元、そして住民。一方、指定区域からわずかに外れた地域では、被害は大きいのに何の補償もなく援助物資も届かず、収入は途絶え将来の見通しも絶たれて自殺した人も出てくるという有様だ。 |
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そんななかで、地理的にも精神的にも福島原発とは無縁で、村民の間に自分たちの村は自分たちの力で育て守り抜くという意識が強く根付いていた飯舘村が、偶々当日の風の吹き具合で高濃度の放射線を浴びることになり、「計画的避難区域」に指定され一時的に村が消滅することになったという事実は、なんともいたましい話だ。《天候次第で、東北・関東のどの地域も、飯舘村並み、あるいはそれ以上に汚染された可能性がある》という話も実に怖ろしい。 |
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そうこうしているうちに、現地では利権がらみの公共事業になりかねないものがうごめきだしている。除染ビジネス、エコタウン構想、メガソーラー計画、再生可能エネルギー全量高額買取り……。原子力が駄目なら今度は風力発電をといった安易な動きも強まっている。ここで著者は強調する。 |
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重要なのは、国が金を出さない(税金を投入しない)ことだ。国がやるべきことは、企業(電力会社)に公害発生を起こさせず、徹底的な安全対策をさせること。安全対策義務違反を厳しく罰し、毒物・処理困難物の発生にもしっかりと罰則や税金をかける。不正を行った企業は容赦なくつぶす。企業は儲からないことはやらないので、事故や公害発生の代償としての罰則や税金がそれより大きければ、手抜きせず、金をかけてしっかり運営する。これが健全なビジネスの姿だ。(第5章「裸のフクシマ」) |
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正義感と怒りに裏打ちされた歯に衣着せない率直な物言いが本著全体を貫いているが、第5章「裸のフクシマ」ではそのトーンがさらに強く、正義面(せいぎづら)をしてうまみを吸い取ろうとする組織、人、仕組みなどを糾弾する。 |
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ところで本著を読んでしばしば気になったことがある。著者の言う《東京の発想》や、地元の意見として紹介されている郡山市の小児科医の発言にある《高いところからの物言い》などに象徴的に感じられる見方、つまり都会人はみな同じ、御用学者のいうことを真に受けてろくに知りもしないことについて無責任な発言をする、テレビの美談をそのまま信じる、などとして、被災した当事者以外の人の発言を否定的にみる視点である。 |
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現代は情報を得るさまざまな手段があり、テレビと新聞だけが情報源だなどという人はむしろ稀になってきており、それ以外のネットなどから情報を得ている人たちは沢山いる。ネットにもさまざまなものがあり、公正中立を装って偏った情報を流すようなものもあるから受け手も気をつけなければならないが、昨今は大手メディアの報道よりもそういったものからの情報の方が信じるに足ると考えている人たちが多くなってきている。御用学者の言葉など信用していない、被災地の美談報道にメディア側の作為を感じて不愉快になる、といった人も私の周りにはいくらもいる。 |
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もっともジャーナリストの佐々木俊尚などは「当事者として発信することで人は動く。第三者的な場所、安全圏に身をおいて発信することはむしろ危険だし信用されない」として当事者主義を主張している(『ほぼ日刊イトイ新聞』糸井重里との対談で)。つまりネットなどの情報手段の発達にもかかわらず、依然として現場の実際と情報との乖離が大きいということなのだろうが、それなら情報の伝え方、質に疑問を向けるべきではないか。どんな人間でも全てを経験することなど不可能なのだから、当事者でなければ発言できないというのであれば、大半の人間の発言を封じることにもなると思う。 |
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部外者も一色ではない。表層しか知らないで無責任な発言をする人もいるかもしれない。だがそれだけだと決め付け、現地の人間以外の人のいうことはおおかた駄目だとするのはどうか。部外者には、もしかしたら渦中にある人には見えないものが見えていることもあるかもしれないのだ。 |
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ともあれ、本著には現場でしか知り得ない事柄がいっぱい詰まっている。読むと東電、政府、メディアに対する怒りが、改めてふつふつと湧いてくる。最近、メディアには東電があまり登場しなくなって、国民はどこが事故を起こしたのかを忘れるくらいになっているが、補償などを要求する相手はまずは事故を起こした東電であり、国はその次であることを、被災者もそれ以外の国民もきちんと押さえておくべきだろう。 |
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事実を知れば知るほどやりきれなくなるけれど、かといって、騙されっぱなし、隠されっぱなしでいるのは悔しい。……… |
頑張ろう日本、ではない。変な方向に頑張ってもらっては、この国はどんどんひどいことになる。そうではなく、もう騙されるな! 日本、と言いたい。(前半は「まえがき」、後半は第5章「裸のフクシマ」より引用) |
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本当にそう「もう騙されるな! 日本」なのだ。被災地以外の人には特に読んでもらいたい本である。 |
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(2011年10月15日 講談社刊 1600円+税) |
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(2012年3月11日発行) |
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発行人 根本啓子 |