水燿通信とは
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309号

『福島核災棄民

――町がメルトダウンしてしまった』

若松丈太郎著

 福島県南相馬市に住む詩人若松丈太郎が、東日本大震災から1年9カ月経った昨年12月、『福島核災棄民』を出した。
 本著は「町がメルトダウンしてしまった」という詩で始まる。その中で、著者は自分の育った町は、外にも開かれ市民文化が醸成されていた町だった、その後移住した福島県相馬郡小高町も育った町とよく似た町で、さまざまな文化活動が行なわれていたと語り、「そんな町の仕組みを壊したのが一億総動員体制だ/国民皆兵やら〈隣組〉やら愛国婦人会やらが/…町を壊していった」と続ける。さらに「暮しを支えあう関係がなんとか残っていた地方の小都市に/アメリカ渡来の大型店が闖入してきた/町なかにシャッターが降りたままの店がふえた/…町は町としての機能をなくしてしまった」と続け、最後のフレーズでは次のように語る。「アメリカ渡来の〈核発電〉が暴発して/…小高町は〈警戒区域〉になった/…〈核発電〉のメルトダウンがあって/地方のどこにでもあるような町がメルトダウンしてしまった/…町は町でなくなってしまった」  (この詩の中では〈核発電〉は「げんぱつ」と訓ませている)
 かけがえのないものを奪われた人間の深い憤りとかなしみが作品全体をおおっている。この詩に表現されている怒りとかなしみは、本著に一貫してながれている雰囲気を象徴的に表わしている。
『福島核災棄民』というタイトル
 若松丈太郎は2012年に『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告 1971〜2011年』という本を上梓した。それから1年経ったとき、同じ福島原発被災者を表わす言葉を全く違った言葉で表現した本著を出した。原発難民、被災者といった言葉になじんできた大半の人の中には、今回のこのタイトルに一種の「あざとさ」を感じる向きもあるのではないだろうか。だがそのように感じるのは、実際のところ適切なのだろうか。
 若松が『福島原発難民』の「あとがき」を出版社に送ったのは、原発事故から1カ月経ったばかりの4月13日、福島市にある義姉の家に避難中の時期であった。つまり『福島原発難民』はその大半が事故前に完成しており、著者が被災者としての事故直後から体験したことを中心にしてまとめられたものが、今回紹介する『福島核災棄民』だと言っていい。
 本著で著者は、情報は意図的に隠蔽されたり分かりにくくされただけでなく、量そのものがとても少ないこと、政府側から一方的に出される「屋内退避」「自主避難」「計画的避難区域」「特定避難勧奨地点」「緊急時避難準備区域」といった呼称が、地域や避難民を分断し混乱に陥れ行動を規制した実態、また原発労働者の苛酷な勤務状況などを語る。そしてなによりも、原発建設推進側はその危険性をはじめから十分に認識していて、「原子炉の周囲(略)は非居住区域であること」「非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること」と定めていることを指摘する。ここには過疎地を狙い撃ちにし、そこの住民が犠牲になる、棄民となることをも厭わない構図が明確に示されている。また「あとがき」で著者は「ある人から「東電関係者のあいだでは、福島を〈植民地〉と言っている」と聞いた」と語っているが、ここにも推進側のそういった意識をはっきりと窺うことができる。
 また「同じ核エネルギーなのにあたかも別物であるかのように〈原子力発電〉と称して人びとを偽っていることを明らかに」し、「〈核爆弾〉と〈核発電〉とは同根のものであると意識するため」、さらに「〈原発事故〉は、単なる事故として当事者だけにとどまらないで、空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす〈核による構造的な人災〉であるとの認識」を持つようになったことから〈核災〉〈核発電〉〈棄民〉の語を使うことにしたと語る。このような文に接すると、著者が本著のタイトルを『福島核災棄民』とした理由が、十分に納得できるのではないだろうか。
美しい自然に吸い寄せられていく文明の毒
 四章に「教科書を介しての出会い」という文章がある。そのなかに、石牟礼道子著『苦海浄土』の「ゆき女きき書き」の一部「五月」に出会った時のことが記されている。
 豊穣な不知火海の自然と調和し共生している人びとの営みは、人間のさもあるべきもののように思われました。そして、その生活に根ざしたことばの生き生きとした確かさ。この海に文明の毒が潜んでさえいなければ、そこはまさしくこの世界の〈浄土〉とも称せらるべきでしょう。しかし、たとえば下北にしても祝島にしても、あるいは辺野古にしても、そしてまたいま福島にしてもそうですが、わたしたちの文明の毒はうつくしい自然のあるところに吸い寄せられてゆくようです。そして、そこに住む人びとの悲しみによって、自然はいっそうそのうつくしさを際立たせているかのように見えます。
 なんという美しいそしてかなしみに満ちた文だろう。文明の毒の流される地域とは、実際、この上なく美しく豊かな自然に恵まれた土地であるのだ。
 著者はまた、福島原発事故で避難区域に指定された地域にある墓地の、樹齢300年といわれている大樹ベニシダレにも触れている。その桜の夕陽によって妖しく染めあげられる時刻に西方から見る佇まいが好きだという著者は、ことしは見る人もいず、死者をなぐさめるためだけに咲いているだろう、いや生者は見てはいけない桜なのだろうと想い、ソネット形式の詩「飯崎(はんざき)の桜」を作る。
撃つべきは撃たねば
 東日本大震災のあった2011年末、著者は「年の暮れに」という文をまとめている。
…3・11後をふりかえってみると、わたしには詩やブンガクからはほど遠いところを流離っているとしか思えません。信天翁どもがしでかした〈核発電〉の暴発とその後処理のぶざまさになんでつきあいつづけねばならないのかと、くやしい思いです。戦争のさなか、戦争には目もくれずに、江戸川柳の字彙などというどうでもよさそうなことにこだわって、貧乏暮らしを厭わず、その蒐集と研究に没頭した大曲駒村(1882〜1943 福島県相馬郡小高町の人)を手本に、残された数年間は自分がしておくべきと考えていたことを仕上げるための期間としてつかうつもりでいましたし、いまもそうしたいです。
 だが、撃つべきは撃たねばなりません。…(下線は筆者)
 この部分を読んで、私はある心の傷みを感じながらも、深く共感するところがあった。というのも、私自身、同じような想いを抱くことが多いからである。
 私は元々、実生活に直接役に立つようなことにはあまり関心がない人間だ。生きていく上では知らなくても何の支障もないような詩歌を愛し、小説を読み、映画を見、また音楽でも絵画でも焼き物でも、すべからく美しいと感じられるものに接することにもっとも心を注いで生きたいと思っている。
 だが、東日本大震災以来、被災者、特に福島原発事故の被災者に対する東電、国のやり方のあまりの無責任、無策に、単に被災者のみならず日本という国のこれからにも危機感を抱くようになり、自分の意見、考えを発せずにはいられなくなった。
 世の中には自分に直接降りかかってくる問題にしか関心を示さず、政治問題や社会問題に行動的な人を見ると「こういうこと好きな人っているんだよね」といった反応を示す人がいる。だが、反原発運動に好き好んで取り組むような人間などいるだろうか。みんな原発政策のあまりの危険さ、杜撰さを痛感し「撃つべきは撃たねば」という思いにかられ止むに止まれずやっているのではないだろうか。
 それに原発問題、特に福島の被災者の問題は、本当に福島の人だけの問題でそれ以外の土地の人には関係ないことだろうか。若松丈太郎は、本著の中で次のように書いている。
…アメリカが自国民に避難勧告した八〇キロという距離には大きな意味があるように思われます。深谷武久が「コンパス」と題した詩でしているように、試みに国内のすべての〈核発電〉施設を中心に八〇キロの距離をコンパスで示してみると、神奈川県・和歌山県・香川県・徳島県・沖縄県の五県以外の都道府県すべてがその圏内に入ります。つまり、自分が住んでいる県に〈核発電〉があろうがなかろうか、「(もしかしたら私だったかも……)」という事態に巻き込まれる可能性があるということです。
 世界有数の地震国でもあるこの狭い国土にひしめいている54基の原発の存在を考えたら、原発問題は決して「私には関係ない」などと言っていられる日本人は殆どいない筈なのだ。その事実に国民はもっともっと真剣に向き合うべきだと思う。
 著者は、1986年に起きたチェルノブイリの事故の被災地を、8年後の1994年5月に訪れているが、その時にまとめた「キエフ モスクワ 一九九四年」には、責任ある立場の人間の対応、被災民の事故に対する認識、被災民の体調などに、この数年内には福島でも同様のことが起こるのではないかと思わせられるような事例がいくつも見られ、恐ろしくなる。
 本著にさしはさまれている3・11以後の小高地区を中心とした数葉の写真は、本著全体にただよっている深いかなしみをさらに強いものにしている。だが私たちはこのかなしみを感じ心を痛めるだけで終ってはならないと思う。この苦しみ、かなしみは一体誰によって、何によってもたらされたものであるのか、その事実をしっかり見据え考え、追及しなければならないのではないか。著者の次の言葉は重い。
 戦争責任を徹底して追及しなかった結果としての現在があると考えるわたしは、将来に禍根を残さないために、〈核災〉の原因者たちの犯罪を明らかにしなければならないと思っている。
 多くの人にぜひ読んでもらいたい本である。
 (本著には、著者の詩「神隠しされた街」を加藤登紀子が歌ったCDが付いている)
※『福島核災棄民』(2012年12月 コールサック社刊 1800円+税)
「コールサック社」東京都板橋区板橋2―63―4―509 〒173―0004
電話番号03−5944―3258 Fax03―5944―3238
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(2013年3月11日発行)

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発行人 根本啓子