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未知との遭遇・あなたは未確認飛行物体を目撃したか?


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言い訳の駄文

何かを書きたいと思ったとき書くための形式が気になるのはどうしてかな?
書きたいことを書けばいいのに、人間というものは、何か型にはめないといごごちが悪いらしい。
そこで随筆を辞書で調べてみる、「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。漫筆。随想。エッセー。」
とある。エッセーとはで調べてみる、「エッセー【essai フランス・essay イギリス】〓随筆。自由な形式で書かれた個性的色彩の濃い散文。」とある。散文とはで調べてみる、「(「散」は制限のない意) 平仄(ヒヨウソク)・韻脚もしくは字数・音節数などの制限のない通常の文章。」とある。だんだん難しくなったのでここで調べるのはやめる。
何かを書こうと思ってこの手のホームページを検索すると書き出しは、にかよったものが多いと感じた。なぜなら
これから書くにあたって駄文だからこの程度ですよと予防線をはる潜在意識が随筆とはエッセイとは駄文とは
と同じ言い訳文章から始まるのだと思う、自分も同じ。私は駄文なら書けそうなので駄文家を肩書きにするかな。
随筆家というのはなかなか重厚な感じがするしエッセィシストというのはよくあるがカッコイイフレーズに感じられる。
まとめて駄文家でもそれほど違いがないが格好は良くないな。


魔術
子供電話相談室で魔術の呪文はどんなのがあるのですか?という質問があって、回答者はたとえば僕が悪いことを
してお父さんお母さんにばれないようにと思ったとき、わからないように、わからないようにと何度も心の内で思うでしよ。
それが呪文なんですよ、と回答していました。それを聞いていた私はなるほどそうなのかと感心してしまいました。
私たちは困ることがあると神頼みになったり念じたり、祈ったりしますよね、集団で行うと宗教というものになるのかな。


念仏とか、念じるとかというものは本当に効果あるものなのだろうか、効果あるものならより効果的な念じ方はないもの
かと、よく私は考えます、この子供電話相談室に質問してきた子供はお金持ちになる呪文を知りたかったらしいのですが
私も知りたいし、多くの大人も知りたいと思いますが。
そこで祈りとか念を科学的に考えてみると。

祈りの科学
人間が普段意識しているレベルは顕在意識と言うらしいのは知っていると思います。フロイトは無意識の意識を潜在
意識と唱えて現在では潜在意識という意識があるというのも常識となっていると思います。
潜在意識は私達の秘めたる能力を引き出すカギとも言われています。つまり潜在意識をもしコントロールできるものなら
秘めたる能力を自分のものとすることができる。そこで昔からその方法を宗教家といわれる人たちは宗教というビジネス
でうまくお金儲けをしているだろうと私はおもっているのですが、宗教なら念じる、祈願する、祈る、信じるという方法
を伝授するわけで民間伝承なら丑三つ時に念じるとかお百度を踏むとかいろんな方法で自分の願望を実現しょうと
するわけです。願望をかなえる方法として間違ってはいないが、では科学的に祈るのにはどうするのか。
自分が望むことを確定的に一日に20回以上心の内でも声を出してでも書いてでも方法はなんでもよいが20回
繰り返す、念じる。祈ることです。なぜ20回なのかは20回のうち一回くらいは無心の状態でいのることができるだろう
という確率からです。潜在意識というものは顕在意識から無心状態のときに祈るとその潜在意識に届くと言われている
からでそれを毎日続けることによりその確率を上げるわけです。
潜在意識というものは無意識のうちに願望を実現しょうと働いているわけで、人間というのは潜在意識によって意識
することなく無意識状態で生命を維持するように働いているから生きているわけで、だから潜在意識に生かされている
わけです。その根源に働きかける行為が科学的祈りの方法です。

潜在意識はDNAに書き込まれた情報
私達の知識とは生まれてから今までの経験、情報を根源に知識として蓄えて、それを使う。この考え方だけではどうして
も説明できないように思えます。今の子供たちは生まれたときからあたりまえのように電子機器を使う能力を持ってい
ます。人間も動物もこの地球に生まれたときから、いやこの宇宙が誕生したときからその経験を蓄積してそのDNAに
遺伝子情報と蓄え、生存を維持するためにその情報から優位を獲得できるように進化もしてきました。私はこの
宇宙に誕生してからのすべての情報知識を遺伝子に書き込んであると考えています。
その情報を引き出すことができるのが潜在意識です、この潜在意識を使えば不可能を可能にできるほどの情報をもって
いるのです。天才とは99%の努力と1%のこの情報を引き出すことの出来る能力を持っている者であると思います。

99%努力とは
民間に伝承された丑三つ時に念じるとかお百度を踏むとかの方法は夢を持ち続ければ夢はかなうと言われている
ことを具体的に実践する方法を昔から人間はやってきたのです。この使いかたにはブラスもマイナスもありますが
あえてマイナスのことは取り上げません。あきらめずに人事を尽くせば夢はかなう、つまりそのくらいしっこく目標
を念じる行動をとれば、その内のいくつかは無の心の状態でこころの奥の潜在意識に届いてその目標を実現
するために必要な全ての情報をひきだしたり引きつけたりすることが可能になる。
だから目標を実現させるためにはあきらめずにチャレンジすることが大切である。

体験
私は東京のど真ん中でも今日はこの人と必ず逢なければならないと思ったとき逢う自信がある。
当然逢ううための努力はするがいい加減あきらめて帰ろうとした時道端でばったり逢ったりする、これは
100%の確率である。人間にはその人を引き寄せるなにかしらの力を加わえる力があるようだ。
この力はいろんな場面でもいろんな経験をする、だからそのこと強く思うことによってなにかしらの力を発生させる
ことができる、それを念というものではないかと考える。

念通信
現実の世界ではデジタル情報が自分の目の前に大量に流れている、人間には認識できないが現実である。
それと同じように人間の意志が念通信情報としてデジタル情報と同じように自分の目の前を大量に流れている、
目にみることができないから信じられないと思うけど、携帯電話やパソコンが情報をやりとりできるように存在する。
私たちが流している念通信情報は肯定的念通信情報もあれば、否定的念通信情報も流れている、その中から
肯定的念通信情報を受信するためには、自分の周波数をよい念通信周波数に合わさなければならない、
だから肯定的思考、肯定的ことば使いが大切になるのだ。念通信情報は過去、現在、未来の情報すべてが
流れている。そこから必要な情報を引き出すには肯定的思考をすることで、貴方が信じるならばあなたに
とって必要なあらゆるものは用意されるであろう。
聖書にも「持つ者にはさらに与えられ、もたざる者からはさらにうしなう」という教えがあります。
肯定的思考をもつている者には肯定的未来が約束されるのです。

ラジオの電波
最近TBSラジオが急に雑音だらけになって聞こえなくなったのでいろいろネットで検索したら外部アンテナを
つければと書いてあったので、そういえばうちのラジオにもアンテナが付いていたなと思ってみたら壁に
固定したままになっていて、はずしていろいろ位置を変えたらうまく入るようになったんです。
電波というのは方向ばかりでなくちよっと高低を変えるだけでも入り方が違うのです。
そんなこと知らなかったのかと馬鹿にされそうですがそんなものですよ、ほとんどTBSラジオかNHKが聞こえれば
すんでいたのでアンテナを移動するという発想がなかったのです。
このことで私達の念通信も方向とか高低とかあってそれに合わせないとうまくキヤッチできないのではないかと
考えました。想像を膨らませていろいろその状況を空想すると面白い映像が浮かんでこの世の中というのは念
情報でつくられている仮想現実世界でそれが現実で、今の自分が現実とおもつているのは非現実ではないのか
なんて思ったりして次のネタの展開になるなとかんがえながらラジオの電波の位置を探っていました。


未知との遭遇(信じられない話し、その1)
信じれないのはこのページの中を空飛ぶ円盤が飛び回っていることである。(笑い)
未確認飛行物体との遭遇はどうでしたか?

信じられないことと言えば、妻のがん消滅である。
妻のがん体験を書いたことがこのホームページの開設のキッカケであるが、信じられないのが掲示板の書き込み
によい健康食品の情報がありませんかと書かれていることである。
私の妻は食品でまぎれもなく癌を消滅させた、それも抗がん剤の投与を受ける前にである。これほどの体験情報
があっても一発で治るような健康食品を望んでいるのでしょうね。
そのようなものがあるのなら癌のホームページなど書いても誰も見てくれないと思う。
これを使えば絶対治るという方法があるのなら私も知りたい、でも残念ながら癌の専門家でもわからないもので
ある。それが現実であって現実的思考をしなければ治るチャンチを逃してしまうと思いますけど、どうですかね。

仏との遭遇(信じられない話し、その2)
私が栃木県の足利市の渡良瀬川の土手のうえを車で走っていた時である。突然この世の中がすべて二重に見える
のである。あれ何か変だぞ、私はそのまま何故か**の眼科へ直行し。

私:     先生、物が二重に見えるのですが
先生:    では視力検査します。これは見えますか?と一番上のCを指した。
私:     それは見えるけれどその他のものが見えません。私は唖然とした、一番大きなCしか見えないのである。
先生:    それでは眼底写真を撮ってみます。
先生:    その写真をみた先生は、これはダメだ。あなた失明しますよ。
私:     先生何とかならないのですか?
先生:    ほらこれをご覧なさい、ここに赤くなっているでしょう、これはダメなの。
私:      物的証拠を突きつけられて、私の肩はカックンとしました。
       漫画で肩がカックンとするのがありますが本当にカックンというのはあるのだなと心の中で
        そんなことを思いながら心が白くなるのを感じていました。

その後はどうして家に帰ったのかあまり記憶がありませんでした。
家に帰ってからどうしょうか両親や妻に相談して、来週の月曜日に*大の先生が**病院へ来るから
診てもらってそれから考えようということでその日を待ちました。
その間一週間今でもその一週間はどんな一週間だったのかよく判りません。
でも夢枕に観音様が現れて、私がここに居ますから私を買いなさいと夢の中で言っているのです。
観音様は私を買えば目を治してあげるからと言っているのです。私は夢の中で約束しました。
治っていたら必ず買いますから助けてください。
所詮夢ですからそのような夢をみたような気がします。
なんだかんだ一週間を過ぎて、その先生に診てもらいました。今までの経過もすべて話して診てもらいました。
検査の結果、どこも悪くないいうことでした。私は失明すると言われましたと話したところ、
その先生は笑いながら誤診ですよ、よくあることだからと。
誤診では済まないですよ、場合によっては自殺していても不思議ではないから。

てもこの話しはまだ尾ひれがついています。
私の父が*の眼科で診てもらったらやはり失明すると言われました。そして*大の先生にも診てもらって
やはり同じく失明すると言われました。
いわれましたが私の父は頑張って運動してその目が治ってしまいました。
交通事故で死ぬまで目は見えていました。
その*大の先生も治ってしまったので首をかしげて唖然としていました。
そう簡単に失明するなどと言ってほしくないものですよね。

観音様当然買いに行きました。その時に三体ありました。私はどれを買えばいいのかなと思って最初に手にとつた
観音さまがビリビリとなにかを感じました。二体め、三体目めと手にしましたが何にも感じられないので最初の
観音様を買い求めて、ありがとうございました、お蔭様目が治りましたので家に来てもらいますと本当に感謝の
気持ちで一杯になりました。
父の目の事件は観音様が我家へきてからのことでやはり観音様に救われたと思いました。

神との遭遇(信じられない話し、その3)
神様と仏様はどう違うかは日本人独特の感覚のように思います。多神教の風土の民族的思考方法で一神教の
民族の人には説明して理解できるものではない。DNAに組み込まれている感覚である。

私は夢枕の状態で神様から来るように言われたことがあります、ただ当然夢のなかですから起きたときにはほとんど
のことは忘れてしまいましたが、頭の中に(ni)というイメージだけ残っていて呼ばれているのはわかったのですが
雲を掴むような記憶だつたのですっかり忘れてしまいました。
それからどれくらい経ったのかハッキリしていませんが家族で榛名山へ遊びに行って、その帰り道の榛名神社に
寄っていこうということで神社に向かいました。駐車場を探したのですが年寄りもいるので神社に最も近いおみやげ
屋さんの駐車場の置かせていただこうとそこに無料駐車場と書いてあったので止めました。
その神社の帰りに悪いからここでお昼を食べて行こうとそのお店に入った瞬間、その店の女主人がツカツカと私の
ところへ近寄ってきて、あなたの右肩のうしろに神様がいる、あなたをいっも守ってあげているのに感謝一つしていない
と私に言っていると突然喋り始めたのです。私は唖然としましたが、おばさん、おばさんには神様が見えるのですか?
そのおばさんは見えますとハッキリ言うのです。私はでは聞きたいことがあるのだけど私は夢枕で神様に呼ばれて
いるのだけれどもどこかは私にはわからない、夢の中なのですべて忘れてしまったのですが心にひっかかっているので
おばさんにはわかりますか?と尋ねました。
そうするとそれは日光だというのです、私は日光のどこですかと尋ねるとそれは自分で調べなさいと言うのです。
そんなことがあってそのまま帰路についてすぐに日光の観光案内の本を広げて私のイメージとピッタリする場所
を探したのです。
日光は三社一寺であることがわかりました。日光東照宮、輪王寺、二荒山神社であることがわかりました。
この二荒山神社の(二)が私のイメージの(ni)と見事一致したのです。
それからしばらくたってから日光へお参りにまいりました。そこで元来ケチな私はお賽銭箱に小額、多分奮発
して100円を投げ込んで家内安全、商売繁盛とお願いして、さてお参りも済ましたので帰ろとしてクルと反対に
振り向いた瞬間、もしもしと声を掛けるのです。
私はハテナ?とまたクルと声のする方向に向きを変えると、そこには若い綺麗な巫女さんがもしもしと言っている
のです。私はなんでしょうか?と尋ねると、その巫女さんは中を見ていきませんか?と言うのです。
私は拝観券も買っていないのでと言うといいですよ見て行って下さいと言うのです。
私はマイッタナと思って、実は神様に呼ばれてここにお参りにきたのですがと言ったところ。
巫女さんはでは神主さんに拝んでいただいたらと言うので私はおいくらぐらいで拝んでいただけるのでしょうかと
元来ケチなわたくしが尋ねたのです。2000円からですと言われて、ではその2000円でと心をなで降ろしてホット
しました。やっぱり神様に呼ばれているのかなと強く思いました。
この、二荒山神社には有名なお化け灯篭のあるところで一通り社内を見学してから神主さんに拝んでいただきました。
そのセレモニーが一通り終わってから神主さんに実はこれこれでここに来ましたと話をしたところ、そのような人々
が全国から来ますよと言われました。私1人だけではなく結構いるのだなと感心しました。
なぜ二荒山神社の神様に呼ばれたのか考えたのですが理由はあります。
私以外は私の家族はすべて栃木県出身なのです。両親もそのご先祖も、嫁さんもです。ですから栃木県の御神体
である男体山の守り神である二荒山神社の神様が私の守護神であってもなんら不思議なことではないのです。
ありがたいことです。

最近思い出したのですが私が二荒山神社へ出かけたのは朝早くで、神主さんに拝んでいただいたときには一人
のつもりだったのですが、神主さんが拝み終わってフット我に返ったときに自分の後ろに沢山のひとびとが座って
いました、今考えるのにいつのまにこんなに沢山のひとが座っていたのかなと思うのです、もしかしてご先祖様の
団体か守護霊様の団体だたのではないかと最近思えてしかたありません。



異次元入り口との遭遇(信じられない話し、その4)

人魂との遭遇(信じられない話し、その5)

幽体との遭遇(信じられない話し、その6)

妖精との遭遇(信じられない話し、その7)
2006/9/2 昨日の夜ふと目をさますとなにかが動いていました。じっと目をすえて見直しました、何度も見直しました。
今までもこのような時は見直すと影だったり何もなかったりで寝ぼけているのかなと思うのですが今度は違って
いました、何度も見直しして、目を擦って何度もみました。不思議に怖いとは思いませんでした。最初は座敷わらし
かなとおもったのですが、あまりにも小さく10pにも満たないメガネをかけた不思議な物体で何かなと思って、
じぃーと見ながら、これがよくいう妖精というものかと感じました。こんなに長く不思議な体験をしたのは異次元の
入口をみてから何十年ぶりで、不思議な体験でした。
ひとはこのような時にそれは見間違いと片付けてしまうのが普通ですが霊の存在を素直に受け入れてそんな
こともあるよなと思えばそこに存在するそうです、自然霊の一種というそうですが不思議でした。
私はよく予感がするのですが自分にとってよくないものはぞーっとするのでそんなものには負けないぞと跳ね除ける
のですが妖精はそれがなく、なんて小さいく なにしているのかなとなんとなく見ているという時空間でした。
神は信じたときにそこに存在します、妖精も信じたときにそこに存在します、信じた者だけがコンタクトをとれます、
信じなければそれは単に幻覚に過ぎないといずれ記憶から消えます。

困った時の霊符(信じられない話し、その8)
私も自分の15年に及ぶ更年期の苦しみと妻のがんとかその他諸々の苦難で占いとか、家相とかいろいろ研究
いたしました。大変なのはそのようなことに興味をもつて知ると知らなくてもよいことまで知って苦しむ原因に
なることです。同じような体験をしているひとは多いと思います。
家相を研究するのはいいのですがここが悪いからなおせと言われても、そのような改装費用や建替え費用が
簡単に工面できる環境ならそもそも悩まないですよ。
このように占いというものは悪い占いを知ると、それが原因でストレスになって悪循環を加速させる面があることです。
私が知りえたことはこんな迷信にまどわされない強い心が最も大切で、占いなんて信じないことが最もよいという
ことです。これが結論です。
ただこのように言い切れるのは強いひとだけが言えることなのです。普通の人間はなかなか割り切れない
つまらないことで悩んでいるものです。
そこでどうすればよいのか私がたどり着いた方法は占いの凶は迷信の手法で打ち消すという方法です。
この世の中便利なもので先人達も同じことに悩んでいたのでしょう、それなりの方法を残してくれています。
代表的なのが霊府です。この世の悩みすべてに対応した霊府があります。
占いの凶を消すにはそれを消す霊府をもてばいいのです。
もう一つ、消災呪です。すべての凶を消し去る呪です。これを家のなかに飾ればいいのです。
迷信には迷信で対抗するが最強の方法です。
妻のがんも消失した事実がなによりの証明です。信じられない話しですが(笑)

霊符について
この霊符のことを書てから他のホームページを検索してみたら、あるわあるわ、霊符のホームページ。
そこで思ったのですが、霊符の使いかたでいろいろ制限をつけて、使い方をまちがうと怖いと書いてあるページ
がありましたが、これこそ典型的な否定的迷信の悪い例です。
霊符は難しくすることはないのです、信じる心が最も大切でそれを利用して肯定的迷信にすればいいことです、
いろいろ制限をつけるのは霊符の意味を無くしてしまう。
これこれしないと恐ろしいなんて霊符の使いかたが間違っている。必要なのは信じる心です。
霊符の使い方でマイナス暗示をかけるのはもってのほかです。
ただ私は一つだけ気をつけている。それはこの霊符について身近なひとには完全に秘密にすることです。
信じない人間にどう説明しようが否定されバカにされるだけでマイナスのイメージを増幅することになるので
これだけは守ったほうが良い。
霊符を書くとき静かな環境、たとえば丑三つ時なんてことに必然的になるもので、強制するものでもないし
いっでもよいのです、念を込めて書ける環境なら。これも科学的書き方の潜在意識に命令する方法です。
霊符というのはプラス思考に転換させるための道具です。わら尾も掴む思いの結果する肯定的迷信です。
人間は顕在意識(普段思考する意識)と潜在意識(無意識に体をコントロールしている意識)と第三の意識、
共通意識(過去、現在、未来の意識、ここにすべての知識データがある)とで支配されています。
顕在意識から潜在意識に命令できれば体を自由に支配できます。通常、暗示、思考方法、信念、環境、
宗教観とかによって無意識のうちに潜在意識に命令を送っているものです。
マイナス思考をするクセのあるひとは体のコントロールをなくす傾向があるので運が悪く病弱の傾向が強い、
プラス思考するひとは運が強くよい方向へコントロールしているものである。
では意識的に潜在意識に命令を伝えることはできないのか。
できます、科学的祈りを実行すればよいのです。
潜在意識をコントロールできれば共通意識から必要なすべてを手に入れることができるのです。
この力の強い人が第六感の強いひとで成功者にも多いのです。

因果(信じられない話し、その9)
私は体験で今日このひととどうしても逢わなければと思うと必ず逢う力があります、当然そのためにはできる
ことはすべて、してですが。それと同じことで体験した教訓なのですが、イヤな先輩がいて、このひとが早く辞めて
しまえばいいのにと思ったことがあります、その結果は当然その先輩は試験に落ちて辞めることになりました。
その因果としてそのように思った自分も思っていたよりも早く辞めなければならなくなりました、もう少しやりたい
こともあったので辞めたくはなかったのですが辞めなければならない事情ができてしまったのです。その経験
から絶対に他人様をわるく思ってはならない、とくにこのひと早く死んでしまえばいいのになんて思っては
ならない、それは必ず自分に跳ね返ってくるから。これが体験で学んだ因果です。

運玉(信じられない話し、その10)
かなり信じられない話しですが、かなり個人的体験で、もっとも今まで書いていることも個人的話で同じかな。
古い話しですが新婚旅行で宮崎の鵜戸神宮にいきましたそこには岸壁の下に亀岩というのがあって背中に
穴があいてあり、そこへ運玉というものを男性は左手で投げて入るとお金に困らないと観光バスのカイドさん
が言っていました。私は運動音痴で特に球技が不得意で投げたって入りっこないと最初から無欲で投げたの
が良かったのかスッート吸い込まれるように入りました、。信じられない話しです。
しかし今この文章を書くために鵜戸神宮を調べたら一時寺院があって真言宗のときがあったそうです。私の
菩提寺が真言宗ですから偶然に入ったのではなく必然だつたのかなとも思えます。

お礼参り(信じられない話し、 その11)
私が若いころ榛名山に友達と遊びにいったときに、黒髪神社というのがあって、そこで願かけをして、それから
何十年もお礼参りをしていなくて気になってはいたのですが今年の春に思い切ってお礼参りにいきました。
ついでに榛名神社へもお参りして、もしかなうなら以前私に神様がついていると言ってくれたおばさんに一目
だけでいいから遠くからでも会えればいいなと思いながら参拝したのですがその参道の帰り道のほんの一瞬
そのひとの家の前を通り過ぎながら、ちらっと見たらドアが開いてそのおばさんが手を合わしている姿を見ること
ができました。今回は黒髪神社へのお礼参りが目的だったのでそのひとと話しをしたいとかは思っていませんし
相手も昔のことですから覚えてはいないと思うので一目偶然に会えればと思っていただけなのですが遇えました。
やはり必然なのでしょうか。

肯定的迷信と否定的迷信
この世の中には困ったことに脅かすようなことを言って、それを避けるにはこうしなさいともっともらしいことを言う
占い師とか宗教家とかが居るが困ったものである。人間、嫌なことを言われれば気にしない人なのいない、
宇宙の真理はあなたがここに存在することが奇跡的存在である。奇跡的存在であるあなたは強運に生まれて
きているのはあたりまえなのです。それを否定的迷信を言ってお金儲けする何とか先生の多いことか、それに
メディアも悪乗りしている、困ったものである。
私は人間というのは修行の身の存在であるから弱さをもっている、これも真理。そこに付け入る人が多い、
騙されている人が多い、これが現実なのです。否定的迷信を言うひとを信じてはならない、仏陀の教えでは
人間は仏の宿命と前世の因果によって今の存在を生きている、しかしそれがどんな宿命なのか、それが
どんな因果なのかはわからないから人間は今を一生懸命修行しながら宿命の日がくるまで生きられるのです。
それを無責任に未来を予言するような否定的迷信でお金儲けするひとがいる。
私は迷信を全て否定しない、なぜなら人間弱い存在だからもしお守りで救われならこころ穏やかになれるから。
法外な金額でお守りを売るやからがいる、そのような人達は必ずや脅かしの迷信を利用する。
賢い人なら肯定的迷信を利用しましょう、神はそれを否定しない、正しい科学的祈りは肯定的迷信で科学的迷信
である。肯定的迷信は身の回りに沢山ある、それをうまく利用して、つまらない迷信に利用されないようにしなさい。
否定的迷信に振り回されることは魂の修行にならず、来世では損をする。
人間は高度な精神活動をする生き物であるからこそ暗示にかかりやすいし、それにより成長もする生き物である。
それを逆手にとって占いと称する脅かし暗示によりお金儲けする占い師にひっかからない事、人間は暗示にかかり
やすい生き物だから暗示で事故を起こしても不思議ではない、それを当たったとますます占いにこる人がいるが
当たったのではなく暗示によって事故つただけのバカである。人間は向上心という心の作用を増幅させるために
ほめられると脳内ホルモンを分泌してよい気持ちになる、その良い気持ち(脳内モルヒネの作用)を再び分泌した
くてよりよいことをするのである。その作用を悪い方向へ利用するのが脅かしの占い、宗教である。
脅かしの暗示作用によりそこから逃れたいと、逃れる方法へお金を支払い、それに満足すると、その依存の作用
にたいして満足を味わう脳内ホルモンをやはり分泌してのめり込むキッカケになる。
否定的迷信をうまく利用されないように賢人にならなければならない。運命を決める事ができるのは神のみで
どんな人間にもできないのである。人間にできるのはその運命を奪うことだけである。


時間
時間という概念は一定のように思っているでしょうが、私は自分が歳とって年々早くなることに気が付きました。
もしかして時間というものはおのおの感じられる長さが違うのでは。
若いときは長く感じられました。時間は年齢に反比例して年取れば歳とるほど短くなるようです。
であるのなら長く感じられる若いときにやりたいことを十分にやる人生の方が効率的であることに年取ってみて
初めて分かったようかな気がします。
小さな小動物は2〜3年の寿命で昆虫などは数ヶ月というのもありますし象ガメのように記録によると160年という
のもあります、植物などは1000年とか盆栽には寿命がないとか言います。ということはおのおの時間の単位や
感じているものは違ってあたりまえですね。アイシュタインは光の速度で過去に戻ると人間は赤ちゃんに戻って
しまうとか、どっかで読んだような気がするし、私たちは天体の過去を見ているし、考えれば考えるほど時間と
いうものが分からなくなってしまう。
今の物理学理論によると時間の歪みというのがあるそうです。当然自分が存在する目の前にその時間の
ひずみがあっても不思議ではないし、当然のごとくあるかも知れないし、あればそのひずみ
を利用して瞬間的にありえないことを予知するこしとも不自然ではないかも。


相対性理論
走っている電車の中に等距離に前方に運転手、後方に車掌がいると想定してその真ん中で光を発すると
光は同じスピードで運転手と車掌に到達するから時間は同じとなるがそれを外で見ている第三者は動いて
いる電車の真ん中で光が発生した場合電車は前方へ動いているのであるから光は車掌の方が早く到達
するから時間は早い。つまり時間とは一定ではないと考えるのが相対性理論である。

般若心経では色即是空 空即是色 とか不増不減 不生不滅 不垢不浄 という言葉かありますが、ものごとを
実体視するな、こだわるなということを要約すると言っているのですが時間もおなじでひとにより一定ではない
という教えです。

自殺
最近のニュースにネットで知り合った同士が集団自殺するケースが増えているのでそのようなネツトの情報を
規制したらという話しもでてきていますが、あるていどは規制もやむえないのかなと思いますが完全に規制する
ことは不可能と思います。でも目に付くような自殺サイトはやはり禁止したほうがよい。
ただ本質は規制することではなく、なぜそのように死に急ぐかの問題に視点を向けてなんとか自殺を少なくなる
方策は必要に感じられます。今回でも受験に失敗したとか就職できないとか、他人からみればなんでそんな
理由で死に急ぐのか理解はできないと思うし、私も理解できません。
ただ私が感じるのは最近経済がグローバルや自由経済圏構想や自由競争の名のまえに好き勝手になんでも
ありの世界になっていると思っています。このような世間では今までのような無口だけどこつこつ真面目な青年
という種類の人たちには生きずらい世の中になっています。昔ならお前は無口で手が器用だから職人になれと
職人の仕事につけばよかったのに、最近はその仕事さえなくなってしまいました。
ベルトコンベアの前でするような仕事も人件費の安い中国へいってしまい、まじめなお父さんの仕事さえなくなって
しまいました。世の中というものはほどほど、いい加減というものがあると思います。一部の資本家による好き勝手
な経済システムが自殺の原因を作っていると思います。
仕事というのは各々の国でほどほどの関税をかけて守らなければ守れない仕事もあります。行き過ぎた合理化
もしかり、しかしグローバル化した競争に生き残るためには徹底した合理化をしなければ企業は残れません、
合理化するなといってもそれは無理です。ですから行き過ぎたグローバル化を規制する国際規制をかけなければ
近未来は悲惨な世界がまつているような気がします。

自殺
自殺とは簡単に言ってしまえば贅沢病です。生かされていることだけで丸儲けなのにそれ以上の欲望がある
から自殺を選ぶのでしょう。アフガニスタンでは最近大統領選が始めて行なわれました。この国ではほとんどの
ひとが字が読めません、読めないから写真を見て投票します。この世界に生まれた受験生なら受験に失敗した
からといって自殺なんかしないでしょうね受験できるひとはかなり恵まれているわけだから。
ある砂漠の国では炎天下50度になる時期に年老いた両親はその時期にはオワシスへ避難させて子供の内
1人が2ヶ月間その過酷な世界で1人で家畜を守るために残るのです。当然学校なんてありませんあるのはサソリ
と毒蜘蛛の世界で1人で家畜を守る生活だけです。自殺なんてないですよ、自殺を考えるほどなまやさしい世界
ではないから。自殺をするひとは欲張りです。その欲を捨てなさいと仏陀は教えています。
仏陀の教えはこだわりを捨てなさいということです。すべてのこだわりを捨てれば気持ちが軽くなり悩みもなくなる
わけです。仏に生かされていることを感謝しなさい、生かされているだけでも丸儲けなのだから。
自分の意思ではどうにもならない病気で死ね運命を背負って今与えられた命を大切に生きている子供たちも多い
のに五体満足でレンタカーを運転できる体力、知識、受験をできる能力がありながら自殺する人間のなんと欲張り
なことか。目の前の小さな悩みであんちょこな甘えた考えかたて自殺して楽になりたいなんてかなりの欲張りだ。
自殺して楽になんてなりません。仏陀は因果と言っています。あなたの念はその地の縛りつけられて永遠に苦しめ
られます。天命をまっとうした人のみ永遠の安息を受けられるのです。人間は菩薩です、それも修行者としての菩薩
です、この世は地獄です、地獄はあの世にあるのではなくこの世の目の前にあります。この地獄を修行した菩薩
のみ次の安息の次元があたえられるのです。修行放棄した自殺者にまっているのはもっと過酷な地獄の修行です。


守護霊
守護霊と書くとなんとなく自分を守っているように感じると思いますが、守護霊には御利益とか望みを叶えるなんて
ことはしません。守護霊の役目は貴方の魂の成長のみです。この世には神も仏もいないと思うことばかりですが
神も仏も守護霊も基本的には貴方の魂の成長を望んでいるのです。
あなたがさまざまな試練を乗り越えるたびに魂は成長して自信がつき、物事のまわりめぐる縁がよいものばかりに
なるのです。仏陀は因果があると教えています、貴方の前世でのおこないにより今の試練があると言っています。
だから現世での行いにより魂の成長が大切なのです。来世に生きるときによりよい人生でありたいから。
守護霊は来世のために今のあなたを導いてくれるのです、しかし手は差し伸べてはくれません。貴方の力で乗り越え
なければならないのです。神がもういいと宿命を与えるまで。
貴方の魂が成長して自信がつくとブラス思考のできるあなたになります、プラス思考することにより、ここに因果の
法則が働きます、あなたが無意識にブラス思考できるようになるとプラスの出来事が集まります、それが運命の
好転現象です。
でもそれは平和な日本だから言えることで過酷な発展途上国ではあてはまらないように思えるかもしれませんが
それは欲にこだわりがあるからでどんな世界でもこだわりを捨てたときにそこに理想郷はあるのです。
地獄も目の前、理想郷も目の前にあるのです、仏陀はこだわりを捨てなさいと教えています。シンプルに生かされて
いる今に感謝すればそこに理想郷は目の前にあるのです。
守護霊は魂の成長をして目の前の理想郷に目覚めなさいと導いているのです。


ひきこもり殺人
いやな事件が続きましたね。未完成な親が子供を育てるのだから難しいですね。
人間は修行の身であることはこのホームページでなんども取り上げるテーマですが、だから難しいのは当たり前
で親も自分も完全ではないということを認めたうえで子供と対峙しなければ対等ではない。
『よかったね』が大切なんです。
昼ごろ起きてきたら、昼までに起きられてよかったねと言うことです、すべて肯定的にとらえることが大切です。
顔を洗ったら、顔を洗えたねとほめることが大切なのです。
ただ甘やかすこととは違います。良いこと悪いことはハッキリすべきです。父親が怒って、そのそばから母親が
あまやかしたら、父親の立場もないし、母親は子供からすれば軽蔑する対象になってしまうのです。
善悪に対しては両親ともき然とすべきです、母親はだまって緩衝材の役目をする(役割のメリハリですから
当然この逆の立場はありです)だけでいいのです。
もし父親がしかった事がもし間違いならそれはキチット謝罪をすればいいのです。
親でも悪いことはわるいあたりまえのことです。
できれば子供と自然豊かな山でも一緒にハイキングする時間をもちましょう、そのときに父親は男としての夢
や家族のことなど心おだやかな環境のなかでしゃべれば意外に子供は心を開くものです。


運命
神は魂の修行する宿命と死を与えました、さらに神は人間にプラス思考とマイナス思考を選択する自由な
選択権を人間に与えました。それらの権利を行使してあなたなりの運命を決めなさいとも言っています。


いただきます
永六輔さんのラジオ番組である主婦が学校の職員室へきて、うちの子に給食のときに「いただきます」と
言わせないでほしいと言っきたとの放送内容の話題がありましたが、この親はお金を払って食っているの
だからいただきますと言わせるのはおかしいと言うのです。かなしい大人ですね。いただきますとは
大切な植物や動物の生きていた命を私の命にさせていただきますと言うことでお金に言う言葉でもありません。
人間は尊い命をいただいて自分の命をやしなっているのです。
この命の根源をいただき自己免疫をたかめて癌と命は毎日々闘っているから生きていられるのです。
生きていることに感謝していない、いやな因果をもっている人のようですね。
永六輔さんもこんなことを話題にしなければならなくなったことが悲しいと言っていましたが、本当に悲しいですね。


誤字、脱字、ことばの間違い、引用の間違い、文法の間違いだらけで読みづらいと思いますが、ご容赦
下さい。気にしていると駄文でも書けなくなってしまうので。


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