ヴェトナム北部山岳地域
Sapa


(SaPa地区のBanHo村:赤ザオ族の村と美しい棚田)
 SaPaの少数民族部落探訪

BacHa110q西に位置するSaPaは、BacHaと並んで少数民族の
メッカであり、2大拠点と言われている。
こちらは高山地帯のため、ハノイの避暑地でもあり、
BacHaよりも観光化が進んでしまっている。
ここでもやはりバイク・タクシーを雇い、周囲40km以内の
少数民族の部落を訪問することにした。

(4月6日〜9日)
 SaPaの街

他のヴェトナムの街と異なり、避暑地らしく垢抜けたフランス風建物が多い。
街は1600mぐらいの高地にあり、さらに西側にヴェトナム最高峰の
ファン・シ・バン山(3143m)が聳えている美しい町である。
   
 ホテルのテラスから望むファン・シ・バン山の峰々  街中至る所がフランス風建築で建てられ、アジア離れしたエレガントな雰囲気
 街中にはたくさんの少数民族の人たちが集まってくる。黒モン族の人たち。若い人は髪にシルバーの髪止めをしている。 
 
 市街中央の古い市場には、黒モン族や花モン族の人たちが野菜などを売りに来ている。
 このおばさんは観光客に黒モン族のショルダーバッグを売っている。 教会の傍の階段で、珍しい赤ザオ族の娘さんに出会った。 
 山で採ってきた筍を市場に持ってきて売っている。 この娘達は何してるのかな? 
 黒モン族の人たちは市場の中には入れないのか、入口でシイタケや筍を売っている。 
 
 市場の中の食事処で、米麺のフォーをいただく。  市場の川魚売り
  SaPa近隣部落
バンコアン村
黒モン族の村
バイク・タクシーで最初に訪れた部落はSapaから北へ30qの山の中にあった。
 
 バンコアン村までの途中は棚田の山々を縫って景色を見ながら進む。
 バンコアン村が右手に見えてきた。  部落に入ると黒モン族のお祖母ちゃんが孫と遊んでいた。 
 棚田を耕して生計を得ている。
 バンコアン村を離れたら、途中の山道で赤ザオ族の娘さんに出会った。 途中で、黒モン族の女性達が道路工事をしていた。 
 SaPa近隣部落
タザフィン村

黒モン族の村
バンコアン村から更に10kmほど北に進むとタザフィン村に着いた。
 この村は後方に3000m級の山々と棚田に囲まれた桃源郷だ!  村の入口に小学校があった
 上の左側のきれいな校舎で学ぶ子供たち 上の写真の右側の隙間だらけのあばら家校舎で学ぶ高学年生 
 タザフィン村に入るには、この吊り橋を渡って  ここでも孫と一緒に刺繍をするおばあちゃんが
 この白い棒は、炊いた米を棒に巻いて、その棒を後で抜いた米竹輪 この赤ちゃんはこの人の子供らしい 
 おじいちゃんと一緒に水牛で田を耕している子供。この子の役割は、水牛を耕す方向に手綱を引く役。
 水牛が耕せない隅っこをおばちゃんが耕している。 おかちゃんは子守で仕事を眺めていた。 
 竹馬を誇らしげに乗って見せてくれた。 部落の中から民族衣装を纏った女性が出迎えてくれた。 
 
見に行った私の方が、むしろ物珍しさで見世物になった感じがする。 
 
 部落のメインストリート おばちゃんたちが話しかけてきたが通じない。日本だけは通じたかな。 
 納屋に子豚が11匹。将来の稼ぎ頭。 ここは先ほどの小学校の本校かな? 
 次のタフィン村に向かう途中の棚田と部落
 SaPa近隣部落
タフィン村

赤ザオ族の村
タフィン村は一度SaPaに戻って、さらに別ルートで20q程北東にある。
 タフィン村はこの山の先の方にある。  畑仕事を終えて村に帰ってゆく赤ザオ族の女性が見える。
 
 村からの眺めは山間の静かな田園風景が望める 赤ザオ族の民家の前の池。魚の生簀とアヒルが同居している。 
 赤ザオ族の若い女性が自宅へ案内してくれた。
 家屋の中は土間で、いろいろな物が置いてある。寝室は中二階かな?  美しい棚田風景
 SaPa近隣部落
タバン村
 ザオ族村の棚田
一度SaPaに戻って昼食をとり、今度は別のバイクタクシーで市街の南にある部落を訪れた
 タバン村の周囲には美しい棚田がたくさんある。中国雲南省の棚田よりもこちらの方が美しい。
 部落を訪れたが、こちらへの観光客が多く”観光ズレ”してしまったようで部落は魅力がない。
 SaPa近隣部落
バンホー村
ザオ族村の棚田
バンホー村はSaPaから30q南に下った所にあった
ここまで30q来ても、こちら方面は”観光ズレ”が感じられて、美しい棚田だけを写真に収めた。 
 サパ--->ディエンビエンフー
サパからラオス国境付近の街であるディエンビエンフーまで
山の中を150km近くバスを乗り継いで、夕方着いた。
途中、道路工事中の箇所で、真夏の炎天下で30分づつ待たされた。
ディエンビエンフーは1954年にベトミンがフランス軍を破って
ベトナムとして独立した時の最後の激戦地である。

(4月8日)

 
 2か所でブルドーザーが道路馴らし工事をやっている間中、道路に竹棒が下りていて通行止め。もっとも、30分止められても車は2台のみだった。
 途中ターイ族の女性がバスに運ぶ荷物を預けに来た。  ディエンビエンフーに近いこの辺の少数民族はターイ族で、その部落が見える。
 ディエンビエンフー:フランスに勝った”勝利の記念像”が丘の上に見える。 ディエンビエンフーの夕暮れ。 
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