99-Y-4: 東北第一の明峰                           ***

                    鳥海山             2,235m


「とりのうみやま」
「出羽富士」「秋田富士」、そして「鳥海富士」といくつもの別名をもつ鳥海山の人気の高さは、日本海からそのまま屹立する雄大なその独立峰の山容を見れば納得できる。とてつもなくなだらかな裾野と、頂上付近の険しい岩場や、夏でも残る雪渓、そして「チョウカイフスマ」に代表される沢山の高山植物と明峰の条件を十分過ぎる程充たしている。秋田と山形の県境に悠然と聳え、両県が互いに「おらが鳥海」と譲らないのもうなずる。
 

 ここ鳥海は、天気が変わり易いのも裏日本の特徴で、先ほどまで晴れていた山があっという間に雨となり、その雄大な山容を瞬く間に雲の彼方に隠してしまう。鳥海の海側に位置する象潟は、鳥海の噴火で島ができ、次の噴火で隆起により「陸の松島、象潟」が生まれたという。鳥海と象潟は正に夫婦の様な関係だ。その象潟が眼下に望める。登山道は、鳥海ブルーラインを登った鉾立で、標高1,150mからとなり、標高差は約1,100mである。距離は往復15Kmあり、岩山の難度を加味して、上級の下のコースといえよう。

日時:   1999年8月29日(日)曇時々雨
参加者: 単独行
交通:  車: 下山後、鉾立(18:00)―>鶴岡(20:00)
        ホテル泊


登山コース: 約6時間    (28,070歩)

 朝方は雨、登山には厳しい天候だ。天気の回復を待ちつつ、芭蕉の心境に浸って象潟を散策する。今はちょうど、稲穂の小波の中に浮かぶ松の島々が織り成す景色が、正に黄金の海に浮かぶ「陸の松島」だ。おっと、今日は難攻の鳥海山が本命であり、象潟で時間をつぶしすぎたかな。
(写真:象潟の「陸松島」)





(鉾立〜御浜神社〜千蛇谷〜鳥海山頂) 3時間20分(11:00〜14:20)

 今11時だが、ガイドブックでは9時間の行程となっているので、帰りが夜8時になってしまう。少し急ごう。鳥海ブルーラインで登った鉾立が登山道の入り口。ここからの登りはなだらかな岩の踏み石を引きつめて整備された登山道。(写真:鉾立から鳥海山頂上を望む)

1時間ほどで御浜神社に着いた。更に一時間程、雲の中のなだらかな行程を進んで、千蛇谷まで進む。鳥海山は名前ほどもない楽勝コースかと思われた。しかし、ここからが険しくなる。雨が横殴りに降りしきる中を、視界50mの中、急な岩場の連続でかなり足に来た。

そこから岩場を1時間30分登り、やっと頂上に辿り着いた。ここは、昨日の岩木山と初日の早池峰を合わせたくらいの行程だ。頂上は、岩が切立つ峻険な噴火口。今日は雨の為か、誰も登っていない。岩のてっぺんの頂上では、ピリカラ高菜のおにぎりと、いわしのマリネの缶詰、そしてごぼうサラダと奇妙な取り合わせに雲上の仙人の境地の昼食。2,200mの雲の上、噴火口を取り巻く岩の上で、数千坪はあるかと思える空間を一時でも占有した気分は、正にこの世の天国に登った気分だ。
(写真:鳥海山頂上、誰もいない数千坪の広大な噴火口:証拠写真にリュックを写す)

(鳥海山頂〜鉾立) 2時間40分 (15:00〜17:40)

 山頂からの下りは、来た道を戻るだけの単調な行程となった。しかし、落とし穴があった。雨の為、眼鏡を外していたら、岩の細かい凹凸が掴めない為か、急な岩場で足を取られて一回転し、危うく捻挫するところであった。山は常に細心の注意を払わないととんでもない事になる。擦り傷程度ですんで幸いだった。疲れ切ってやっと鉾立に辿り着き、登山者名簿に下山時刻を記入した。一人、「やったぞ!」


(本日のハイライト)

象潟紀行: 鳥海山とは関係がない様で、おお有りの「象潟」を散策できた事は、今回の山行の旅で山以外の収穫であった。象潟は2600年の昔、鳥海山が大爆発を起こし、海に火山岩が降り注ぎ、島ができたそうである。その島に松が生えて、仙台の松島に対し「裏の松島」と、古くからその景観を歌人達に詠まれてきている。西行や一茶、そして芭蕉と名だたる歌人、俳人がここを訪れて名歌・名句を残している。中でも芭蕉の「象潟や、雨に西施がねぶの花」は最も有名な句で、1689年に詠まれたそうである。その後1805年、又も鳥海山が爆発し、海が2.4m程隆起して陸になってしまい、今の「陸の松島」が生まれたそうである。もし、芭蕉がそれを見ていたら、又、別の名句が生まれたかも知れない。この陸の松島を色々な角度から散策しながら、稲穂のでかかった金色の田んぼの中に浮かぶ松の島々を、拙い俳句で詠んでみた。

             「象潟や、稲穂さざなむ秋日和」


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