2004年 5月の雑記
 
 
2004. 5/1(土) 決定!
車購入のためのその10:
 大きな懸案事項であった、後部座席に自転車を積めるかどうかについて、ワゴンRとムーブとで実際に試してみることにした。ディーラーに自転車で乗り付け、試乗車に載せてみたところ、意外な結果がわかった。

 最初に試したのはワゴンR。まずはそのまま、後部ハッチバックドアから入れてみた。天井につかえて難儀したが、ハンドルを90度に曲げ、倒した後部座席と助手席の間に前輪をはさみこめば、なんとか載せることはできた。ただし本当にぎりぎりであるため、車の内部のいたるところを擦りつけてしまい、出し入れにも時間がかかってしまう。このままOKと判断することはできない。
 次に、ムーブで試してみた。カタログによればムーブの室内スペースは、幅・高さともにワゴンRを上回る。だからワゴンRよりも楽に入るかと思いきや、なんと、入り口からつっかえてしまった。開口部の高さが、自転車の高さに満たないのだ。これでムーブの開口部は、ワゴンRよりも小さいことが判明した。これはカタログからは決して得られない情報だった。
 しかたなく、前輪をはずして入れてみる。それでもなお苦労したが、ぎりぎりこれで収まった。つぎにもう一度スズキのディーラーに行き、同じく前輪をはずして入れてみる。すると、ムーブよりも楽に入れられることが判明した。
 つまり、自転車積載能力としては、室内空間が狭いはずのワゴンRに軍配が上がったことになる。

 検討の途中、ネットでの評判が良かった三菱のekスポーツに一瞬だけ惹かれた。なにしろ、carviewというサイトのユーザー評価ランキングで、国産車・海外車を問わず普通車・軽自動車を問わず、全ての車の中で第1位という評価(5/1現在は2位)を得ていたのだ。これは注目せざるを得ない。
 しかし、三菱のディーラーで話を聞き、すぐに手を引いた。価格が140万円近くになること、燃費が9前後であること、センターメーター方式(スピードメーターが、運転席と助手席の中間にある)であり、しかも針が回る通常のタイプではなく、デジタルの数字で表示されるタイプであること等がわかり、すぐに気持ちがしぼんだ。極めつけは後部座席の狭さで、自転車を載せてみようと思っていたが、試すまでもなかった。

 やはり、ワゴンRかムーブだ。両車の試乗もした。どちらも登坂路などの不安も感じさせず、しっかりと走った。若干ムーブのほうが加速性能で優れているように思えたが、カタログ値の違いが頭にあったせいかもしれず、なんとも言えない。ただ、走行性能の良さは燃費にはねかえってくるもので、ダイハツの担当者いわく、ムーブの燃費は「10いくかいかないか」らしい。これは厳しい。ワゴンRの燃費は聞き出すことはできなかったが、ネットで調べても10を切っていることはない。
 これでほぼ勝負は決まった。非常に細かい点だが、インパネの上部、フロントガラスに接するあたりに、ツィーター(高音専用の小さなスピーカー)用の穴があいているのも好印象だった。

 遂に車が決定した。
 ワゴンR。
 色はレイクブルーメタリックという、薄いブルーのメタリック色にした。最後にねばって、なんとか8万円の値引き、総額127万円にまで持ち込んだ。
 長い検討の日々が終わった。


 
2004. 5/2(日) ワゴンR
昨日、新車をワゴンRに決めた話を書いたが、実はこれ、3月のお話である。すでに3月30日に納車も済んで、ついこの前一ヶ月点検も終えたところだ。車は順調に動いている。運転していてとても楽しい車だ。さほど走行性能が突出しているわけでもないし、ずっと慣らし運転のため3000回転以下でそろそろと走らせているのに、乗っていてとても幸せな気持ちになる。
 僕がこれまでに新車で購入したのは、トヨタのセリカ、三菱のランサーエボリューションの2台だ。今回買ったワゴンRが最も安く、セリカの2分の1、ランサーに比べると実に3分の1の価格である。
 値段は幸せに比例しないのだ。これほどまでに毎日乗りたいという気持ちは、他の2台では感じたことはなかった。もういつでも少しでも運転したくて、前なら自転車で済ませていた用事さえ車を使うようになり、すこし太ってしまったくらいである。とりあえず、この車のいい所を並べてみよう。

 納車の日に車を受け取り、運転席に座ってみた最初の印象は、「うわ、なんかすっごく見晴らしがいい!」だった。車自体の背が高いため、フロントガラスをはじめ全てのガラスが縦長であり、運転席から広く周りの景色が飛び込んでくる。これには驚いた。試乗車に乗った時にはなぜか感じなかったのだった。
 室内も本当に広い。これまでに乗った2車に比べても、ダントツの広さである。後部空間の使い勝手も抜群で、座席は簡単に倒すことができ、そこに驚異的なスペースが生まれる。(公式サイトのシートアレンジ図参照。)荷物はまだそれほど載せていないが、景色のいい所に車を止め、フルフラットにして足をのばして本を読む、というのはすでに何度もやってみた。実に気持ちいいのだ、これが。
 それから、すっきりとした足下。ベンチシートとコラム式のシフトレバー、さらに足踏み式パーキングブレーキ採用により、運転席と助手席を隔てるものがなにもない。このため、すごくゆったりとした座り心地になる。(公式サイトの写真参照。一番下の写真で、ワイパーに見える部分がシフトレバー)

 まだまだあるが、まずはこのへんで。
 とにかく、この車が駐車場にあると考えただけで、幸せな気持ちになれる。これはすごいことだと思う。


 
2004. 5/3(月) 今日もまたワゴンR
これまた今までにこんなことはなかったのだが、購入して早々に洗車をし、ワックスがけを行った。軽自動車だから普通車よりも楽に済むかなと想像していたら、表面積はさほど変わらないようで、手間は同じようにかかった。

 ところでこの車の不満な点といえば、乗り心地が少々固いということだ。ちょっとした段差でも体に響き、背が高いゆえの揺れも如実に感じられる。横風にあおられることもすでに何度か経験した。このあたり、高速に乗った時にどうなるか心配ではある。
 あとは、シフトレバーが固いことくらいだろうか。とにかくこの車には不満な点はすくない。かわりにいい所を挙げろと言われたら、昨日書いた以外にまだいくつもある。
 一般に、ワゴンRはインテリアの質が悪く、ムーブは良いというのが定説だ。しかし僕は両者を見比べてみて、決してそうは思わなかった。正直、似たり寄ったり、という印象だ。たしかにプラスチック部分が多くて味気ないという評価はわかる。それでもシートの質感はなかなかだし、スピードメーターとタコメーターの見ばえもいい。特に気に入っているのは、夜間にライトをつけた時のメーターのデザインだ。この高級感には驚かされる。
 それから、バック時の見晴らしの良さ。後部ガラスはもちろん、ドアミラーも大きいため、駐車場の白線がばっちりと見えて楽に納めることができる。
 標準で付いてくる6スピーカーの音も悪くない。カーステレオのヘッドユニットはネットで購入したVictor製品に取り替えたが、スピーカーはとりあえず純正のままで試してみようと思い、交換しなかった。取り付けを終えて聞いてみると、前の車と同じくらいの音質は出せている。スピーカーというのは、そのものの質はもちろん重要だが、セッティングの仕方によって音が劇的に変化する。別売りの高音質スピーカーを取り付けるより、車にぴったりと合ったそこそこの質のスピーカーのほうが、いい音を出す可能性はある。取り替えずにしばらくこのまま聴いてみるつもりである。
 ということで、今日もわくわくワゴンR生活。


 
2004. 5/4(火) 量子力学 第3回
4/144/22に分けて書いた内容に続けて「シュレーディンガーの猫」の話を書こうとしたのだけれど、そのためにはどうしても「確率」と「観測」ということに触れなければならなくなった。なので、まずはその話から。

 電子や原子や光子(光の粒)などの小さな小さな物体については、通常の物理学が適用できない。それらは、時には粒子としての性質を見せ、また別の実験では波としての性質を見せる。さらに突き詰めていくと、これらの物質は、存在する位置が波のように揺らいで特定できない、という結論が得られた。
 これまでの二回で、わざと「確率」という言葉を避けてきたが、ここで登場させることにする。先に「存在が特定できない」と書いたが、それじゃあ空間のどこにあるかまったくわからないのか、というとそうではない。原子の周りを回っている電子の位置を測定する実験をくりかえし行うと、電子の現れる位置に偏りがあるのがわかる。

 例えば、直径1cmの球形の空間に電子が一個入っているとする。その中の電子の位置を1000回観測したところ、球の中心部で500回、中心から1mm離れたあたりで100回、2mm離れたあたりで90回、……、球の外周に沿うあたりで1回、という回数で観測されたとしよう。この場合、球の中心に存在する確率は、1000回中500回観測されたのだから50%だ。同様に、中心から1mm離れたあたりに存在する確率は10%、2mm離れたあたりに存在する確率は9%、……、球の外周に沿うあたりで0.1%となる。
 このように、電子の位置が特定できないと言っても、空間のどこかにでたらめに存在しているわけではなく、ある点を中心にして、そこから離れていくごとに観測される確率が規則的に低くなるような状態で存在する。上の例だと、球の中心で観測される確率が最も高く、中心から外れるに従って確率が低くなり、球の外周あたりになるとほとんど観測されない、という状態である。

 ここでまた、くりかえす。電子は、速いスピードで空間を”移動”しているわけではない。ある閉ざされた空間で、複数の存在位置を”確率的”に持っているのだ。そして、観測された時点で位置が確定する。「移動している電子をつかまえた」ということでは、決してない。観測されるまでは確率的な存在としてある電子を、観測することで位置を確定させたのである。

 それでは、「観測」とは何だろうか。そんな不安定な状態にある電子が、なぜ観測すると確定した位置を持つようになるのだろうか。
 「観測」とは、基本的には、「見る」ことだ。「見る」とは、対象となる物質に光をあて、その反射した光を捕らえることだ。また、電子顕微鏡だと、対象に当てるのは光ではなく、電子ということになる。
 このように、光や電子などを当てると、どうしても対象に影響を与えてしまう。この影響は非常にわずかなものであるため、我々が普段目にするような物質を観測する場合においては、ほとんど無視できるくらいに小さい。
 しかし、観測する対象が電子や原子のようにごく小さな物質の場合には、無視できなくなる。電子顕微鏡だとまさに電子を当てるわけだから、観測対象が同じく電子であるなら、当てられた相手はビリヤードの玉のように弾かれてしまうだろう。観測することにより、電子の本来の性質が変わってしまうのである。
 こうして、観測による”影響”を与えることによって、確率的に存在している電子が、確定的な位置をもって現れる。

 ……わかりにくいだろうか。とにかく、「物がそこにある」という常識が成り立たないのだ。
 量子力学の発見は、物理学界に大きな波紋を呼んだ。反論もなされ、そんなものは認めないという学者も現れた。アインシュタインもその一人だ。彼の有名な言葉に、「神はサイコロ遊びをしない」というのがある。こんな理論は成り立たない、物体の位置が確率的にしか求められないなんて物理学の敗北だ、とアインシュタインは反旗を翻し、生涯量子力学を認めなかった。そうして彼はのちに、独自に相対性理論を導き出すことになる。
 また、量子力学の基礎を築き、有名な「シュレーディンガー方程式」を生み出したシュレーディンガーさえ、後年になって量子力学から離れている。その彼が考えたのが、「シュレーディンガーの猫」という話だった。

 つづく。


 
2004. 5/5(水) 量子力学 第4回
さて、ようやく「シュレーディンガーの猫」である。
 これは、次のような思考実験だ。(わかりやすくするため、多少内容は変えてある)

 箱の中に、猫が一匹入っている。さらに、1個の電子と、電子に反応するセンサー、センサーにつながれた毒ガス発生装置が入っている。電子がセンサーに触れると毒ガスが発生するしくみになっており、毒ガスを吸った猫は死ぬ。
 前に書いたように、電子は、ある範囲内で複数の位置を持っており、どこに存在しているのかはそれぞれの確率をもって表される。
 ここで、電子の存在する可能性が50%になるような位置にセンサーを備え、箱を閉じてからセンサーのスイッチを一瞬だけ入れる。それから箱を開けてみると、猫は生きているか死んでいるか、どちらかが判明する。

 それがどうした、と思われるだろう。そう、この「シュレーディンガーの猫」という話は、なぜそんな話が持ち出されてきたのかに触れなければ、ただしく理解することはできない。話を考案したシュレーディンガーという人は、いったいこの話で何が言いたかったのか。
 彼は、シュレーディンガー方程式を編み出して量子力学に貢献したのだが、のちに量子力学を嫌い、物理学者をやめたそうだ。そして、「量子力学は間違っている」ということを示すため、こんな面倒な命題を考え出したのだ。つまり、量子力学が正しいとすればこんな矛盾が生じるでしょう、だから量子力学なんて正しくはないんだよ、ということを主張したかったわけである。

 さて、上記の現象を量子力学的に考えると、猫が生きているのか死んでいるのかは、箱を開けて観測した時点で確定する、ということになる。箱を開けるまでは状態が確定しておらず、したがって、「生きている状態の猫」と「死んでいる状態の猫」が、50%ずつの確率で、どちらも存在しているのだ。これは、”我々が予想する確率”などということではなく、実際に内部でそういう状態になっているということだ。もちろん”半死半生の状態”というようなことでもない。箱の中の猫は、「50%の生きている状態」と「50%の死んでいる状態」が同時に重なった猫、なのである!

 そんなバカな、と誰もが思うだろう。当然だ。こんなことはあり得ない。開けてみなくとも、猫は箱の中で、生きているか、死んでいるかのどちらかでしかない。しかし、量子力学的に考えれば上記のようにならざるを得ないのである。だから量子力学は間違っているのだ、とシュレーディンガーは訴えた。それでも、量子力学支持派は屈しなかった。現実世界に即していようといなかろうと、量子力学とは”そういうもの”なのだ、と。
 シュレーディンガーはもう一つ、矛盾をついた。観測されるまでは、50%ずつの確率で生死二つの状態が存在するのに、観測されてどちらかに確定したら、後のもう一つの状態は消えてなくなってしまう。これはおかしいではないか、ということだ。箱を開けて、たとえば”生きている”ことが判明したなら、「50%の確率で死んでいる状態」の方はどこに行ってしまったのか、と疑問を投げかけたのである。
 しかしこの点についても、とんでもない理由付けをする人が現れた。エベレットの「多世界解釈」である。
 すなわち、猫が生きている世界と同時に、死んでいる状態の猫も別の世界にある、という考え方だ。この宇宙は、こうしたあらゆる可能性が平行して存在しているのだという。まったくSFのパラレルワールドそのまんまだ。しかし、大まじめでこうした解釈を信じている学者がいるらしい。こうして、シュレーディンガーの反抗にもかかわらず、量子力学はそれからも(議論を交わしつつも)指示され続けている。

 ところでこのシリーズを書くにあたって、非常にすばらしいサイトを発見した。僕は、二冊読んだ本よりも、このサイトを読んではじめて光が見えた気がした。とにかく難解な言葉を使わず、どうやったら読者が理解することができるかを緻密に考えて説明がなされている。量子力学以外にも、数学の不完全性や哲学の歴史など、じつに興味深い話題がとりあげられており、そのどれを読んでも面白く、一定の理解が得られる。興味のあるかたは、是非おすすめなので読んでほしい。ちなみに量子力学についての言及は、トップページの「あと科学とか」から入り、左メニューの「波動と粒子の2重性」という項目からはじまる一連の文章にある。僕の雑記なんかよりよっぽどわかりやすく、深くまで踏み込んだ話を読むことができるだろう。

 ●「哲学的な何か、あと科学とか」


 
2004. 5/6(木) 決勝カードの意外
長らく書いていなかった、サッカーの話題を。
 ヨーロッパチャンピオンズリーグの決勝戦が、FCポルト(ポルトガル)対モナコ(フランス)という、考えられないような組み合わせになった。ちなみにチャンピオンズリーグというのは、ヨーロッパ各国リーグの上位チーム同士が集まり、その中でのナンバーワンを決めようという大会だ。各国から集まるとは言いながらも、結局は常連の強豪チームが最後に残り優勝をさらっていく。スペインのレアル・マドリードやイタリアのACミラン、ドイツのバイエルン・ミュンヘンなどがそれである。とにかく、スペイン・イタリア・ドイツ・イングランドという4国の力が抜きん出ていて、決勝はたいていこれらの国のチームの組み合わせになるのが常だった。

 その伝統が、今年に限ってはおおきく崩れた。強豪とされるチームが次々に敗退していき、先日おこなわれた準決勝において、ついにスペインとイングランドのチームが敗れて姿を消した。決勝がポルトガルとフランス、という組み合わせになるのは史上初だそうだ。
 以前はWOWOWで放送され、欠かさずゲームを見ていたのに、今季からは放映権がスカイパーフェクTVに移ったため、疎遠になっていた。決勝戦だけは地上波でも放送されるので、26日の深夜は忘れずにチェックしようと思う。


 
2004. 5/7(金) シャトルシェフ
魚柄仁之助氏の書いた「うおつか流台所リストラ術」に、「はかせ鍋」という鍋の話が出てくる。魚柄氏の言う「保温調理」という方法に、この鍋がぴったりなのだそうだ。
 「保温調理」とは何か。煮込み料理のできあがるしくみを研究したところ、加熱する段階ではなく、いったん熱した料理が冷めていく時に素材に味がしみこんでいくということがわかった。これにより、手早く100度近くまで熱したあと、15分ほどかけて85度程度に冷ます、というやりかたが編み出された。これを「保温調理」というらしい。
 保温調理では、長すぎず短すぎず、ほどよい時間をかけて所定の温度まで熱を下げる必要がある。このために考案されたのが「はかせ鍋」だ。保温力調節のため、内鍋を、スカートと呼ばれる外鍋で包むようになっている。スカートを「はかせ」ているから「はかせ鍋」なのである。(けっして「博士」が語源ではない)

 この本を読んだのはもう10年ほど前のことになるが、はかせ鍋のことは頭に残っていた。ただ、値段が1万円以上もするため、実際に購入するにはいたらなかった。
 つい最近、これが「シャトルシェフ」という名で売られていることを知った。形はすこし違うものの、保温調理を売り物にしている点は同じだ。要は二重構造になった鍋で、内鍋を外鍋に入れて保温する。使い方は簡単だ。内鍋を火にかけて中身を沸騰させたあと、外鍋にすっぽり収納し、そこで徐々に冷ましていくのである。外鍋に入れたあとは、待つだけでおいしい料理ができるそうだ。じつに興味深いが、値段はやはり1万〜万円ほどするようなので、ちょっと手が出ない。


 
2004. 5/8(土) 事件ふたつ
昨年にWindowsXPのサービスパックでインストールに失敗しOS再インストールにまで追い込まれて以来、Windowsのパッチ(プログラム修正)には及び腰になっているのだが、今回ばかりはWindowsUpdateを実行し、感染にそなえた。新種ウイルスの「Sasser」である。このたび、作成者とおぼしき少年が拘束されたようだ。
 いったい、こうしたウィルスが存在するおかげでどれだけの無駄な対策が必要になることだろう。社会的にみてこうしたウイルスを流すことの罪の大きさは計り知れない。少年は厳罰に処してもらいたい、というのが素直な気持ちだ。

 今日のニュースで、もうひとつ。神奈川県相模原市の北里大学病院で、研修医が投薬量をまちがえて患者を死なせてしまったという。こちらについては、医師を責める気にはあまりならない。そりゃ遺族からすればとんでもない医者だということになるだろう。それでも、これはいわゆる、「仕事上のミス」だ。普通の仕事なら、ミスをしたところで人命にかかわるようなことはない。僕をふくめ、誰だって仕事でミスをすることくらいある。ところが医者の場合は、結果の重さが違う。たった一度のミスが人の命に直結してしまうのだ。前途洋々たる若者だったろうに、これで彼の将来は大きく変わってしまった。


 
2004. 5/9(日) 過ぎ去ったもの
「報道ステーション」の古館伊知郎氏を見ているのは、少々、いや、かなり苦しい。4月の初回の放送はビデオに収録して見たけれど、途中までいったところでやめてしまった。見るに耐えなかった。
 知人とも話していたのだが、形になるまでには2、3年はかかるだろうなあというのが一致した意見だった。それくらい、久米宏氏の成した業績はすごかったのだ。
 事前に古館サイドとテレビ朝日との間の交渉がもつれたとも聞く。テレビ朝日が「ニュースステーション」を終わらせたのは金銭的理由からだった、というのはおそらく本当だろう。テレビ界は制作費削減が一大テーマとなっている。「報道ステーション」についても、かなりぎりぎりの価格提示を行ったのはあり得ることで、当初は乗り気だった古館サイドも納得にいたらず、やめるはずだった「おしゃれカンケイ」はいまだに続いている。

 ただ、こうした事情を差し引いても、古館氏は行き詰まりの時期を迎えている気がしてならない。僕は毎年一回行われている「トーキングブルース」を楽しみにしているが(WOWOWでのテレビ視聴ではあるが)、今年に放送されたものは、かつてないくらいにつまらなかった。ちなみに、過去に行われた分はDVDやビデオでは一切販売されておらず、ネット上で視聴できる形でのみ販売されていたのも、4月いっぱいで終わってしまった。仏教をテーマにした1999年の回などは、最高に素晴らしかった。

 現在のプロレス実況のスタイルは、ほとんど全て古館氏が作り上げたものだと言って過言ではないだろうし、いまや誰がしゃべっていても単なる物まねにしか思えない。しかしそれは古館氏自身でさえ同じことで、しゃべるということを突き詰めていった先に何があるのか、自分でもわからなくなっている節がある。今の氏のしゃべりは、声もかすれ、言い間違いも多くて、ただただ衰えばかりが耳につく。だから、見るに忍びない。


 
2004. 5/10(月) 各国の結果
サッカーのヨーロッパ各国リーグは、この週末で優勝チームがほぼ出揃った。終盤でバルセロナが連勝し俄然おもしろみを増したスペインでは、そのバルセロナでもレアル・マドリードでもなく、伏兵バレンシアが優勝した。もちろん強いチームではあるが、これだけの混戦を抜け出すとはたいしたものだ。バルセロナは前半があまりにも悪すぎ、レアルは終盤に来てチームに移籍話のごたごたが続いてチーム力を落とした。しかし、ロナウドが得点王になるとそのチームは優勝できないというジンクスは存在するようだ。

 ドイツは、ベルダーブレーメンがシーズン当初からの勢いを維持したまま逃げ切った。天王山となった2位バイエルン・ミュンヘンとの試合はWOWOWで観たけれど、バイエルンが持ち前の粘りを見せるかと思いきや、どうにも覇気を感じない戦いぶりで、あっさりブレーメンに優勝を与えてしまった。スペインもドイツも、金をかけて選手を集めたわけじゃなく、ちゃんとチーム作りをしたところが勝ったという印象だ。

 イタリアとイングランドは、すでに優勝は決まっている。イタリアは90年代最初の強さが戻ってきたのか、昨年のチャンピオンズリーグに続いてACミランが優勝を勝ち取った。イングランドのチャンピオンは、今季まだ無敗という驚異の快進撃を続けるアーセナルだ。残り一試合を勝つか引き分ければ、シーズン無敗という大記録が打ち立てられる。

 列強国のリーグで唯一まだ決定していないのが、フランスだ。3試合を残して現在はリヨンが1位、勝ち点2差でモナコ、さらに1差でパリ・サンジェルマンが追っている。僕は、自分の好きな街であるリヨンに優勝して欲しい。もちろんパリも好きだけれど、過去の優勝数はパリ・サンジェルマンのほうが圧倒的に多いから、ここはリヨンにがんばってほしい、と。ちなみに他にも好きな街にレンヌがあるが、現在11位と順位的には振るわないものの、フォワードのフライという選手が得点ランキングで3位につけているから、そちらでがんばってほしい。


 
2004. 5/11(火) 二人組
言葉の言い間違いの話をまとめてまた書きたいのだけど、とりあえず今日はひとつだけ。

 言い間違いではないが、最近のテレビニュースで気になるのは、「二人組」だ。普通に読めば「ふたりぐみ」なのに、ニュースではたいてい「ににんぐみ」と発音する。「二人」だけなら「ににん」と読むことはないだろうにと、どうも違和を感じてしかたがない。
 ネットで調べてみると、ざくざく出てきた。しかも、やはりどのサイトでも「最近のニュースで気になる読み方があって……」というくだりで出てくるから、放送局内でそういう方針が出されたのかもしれない。どうやら、「二人組の強盗」とか「犯人は二人組の男で」など、悪い意味で使う場合においては「ににん」と読み、それ以外の意味では「ふたりぐみ」と読む、という風に使い分けがされているらしい。

 NHKのサイトには、こうした言葉に関するあれこれについて、おもに”放送ではどう表現するのか”という観点で書かれたページがあり、なかなか面白い。
●NHK放送文化研究所 ことば Q&A


 
2004. 5/12(水) フジとTBS
久しぶりに早起きしたので、TBS系列でバレーボールの話題をやってるのをぼんやり見ていた。しばらくしてチャンネルを変えると、今度はフジ系列の番組で同じ出演者が出てきた。司会者も「さっきまでTBSに出ていたよね」と笑う。最近はこういうことも隠さずに堂々と放送で言えるようになったんだなあと思っていたけれど、テレビ欄を見てびっくりした。今やってるオリンピックの世界最終予選というのは、フジとTBSの共同制作・放送なのだった。こうした試みは史上初らしい。これまた制作費削減のためか、放送権の折り合いがつかなかったためか。内幕はよく知らないが、垣根が取り払われていくのはいいことだと思う。それでもフジテレビはタレントのブッキング(同じ時刻帯で他局の番組に同タレントが出演すること)を嫌う体質は変わらないのだろうか。

 
2004. 5/13(木) 年金、その後
政治家の年金未納問題は、あきれ果てたを通り過ぎて正直、飽きた。ニュースキャスターの筑紫哲也氏まで未納が判明し、彼は「ニュース23」の出演を当面のあいだ辞退するようだ。

 僕は会社を辞める際、年金や健康保険がどうなるのか研究するため、二冊ほど本を買って読んだ。今回ちょっと読み返してみたのだが、そこには、会社を辞めたら国民年金に切り替えなければならない、そうしないと将来もらえる年金の額が減らされる可能性がある、というニュアンスで書かれていた。これは裏を返せば、年金額が減らされてもいいという人は、多少は保険料を滞納したってかまわない、ということだ。もちろん国民年金を支払うことは法律で定められていることだから、滞納すれば法律違反となる。ただし、未成年喫煙禁止法などと同じく、罰則のない法律であるから、違反しても逮捕されることはない。そう考えると、現在おこなわれている魔女狩り的な未納者の告発は、いわば、「〜議員は、高校1年生の7月から10月までの4ヶ月間、煙草を吸っていた」と告げ口されているようなもので、みっともないことだけれど取り立てて騒ぐほどの問題でもないのかもしれない。

 率直な感想としては、若者の保険料で老齢者の年金をまかなう、というやり方に無理があるのであって、自分が納めた保険料を自分の将来の年金に充てる方式に切り替えるしかないのだという気がする。そうすれば、保険料の未納は自分にはねかえってくるだけだから、未納者がとがめ立てされることもないし、年金なんてなくても困らない人は保険料を納めないという正当な選択もあってかまわないことになる。


 
2004. 5/14(金) 決定
オリンピックの「世界最終予選」なるものがなぜ日本で開催されるのか詳細は知らない。この大仰な大会名称は、その昔UWFインターで高田延彦が巻いていた「プロレスリング世界ヘビー級選手権ベルト」と同じくらい胡散臭いが、とにかく女子バレーはアテネへの切符を手にした。ジャニーズをはじめ、タレントを起用した演出には首をかしげてしまうけれど、競技としての面白さ、日本選手の活躍ぶりには素直にうなずける。19歳コンビ(”メグカナ”、と書くのには少々勇気が要る)にくわえ、復活した大友愛選手、さらに年少の17歳の木村沙織も出てきて、これまでにないくらいタレントは豊富だ。ルックスのいい選手も多いので、オリンピックへ向けさらに人気も出ることだろう。個人的に気に入ってるのは佐々木みき選手で、あのウルトラマン顔でスパイクを決められると素直に「格好いい」と思ってしまう。吉原選手も好きだ。フジとTBSにむりやり盛り上げられてしまった悔しさはあるものの、オリンピックではおおいに期待したいチームである。

 
2004. 5/15(土) サイン会
大好きな作家、貴志祐介氏のサイン会に行ってきた。新作「硝子のハンマー」出版を記念し、名古屋駅前にある近鉄百貨店内の書店にて開催されたのである。
 本を買った時にもらった整理券には14時からと書かれており、その20分前くらいに書店に着く。エレベーターを降りると店員がサイン会の告知を呼びかけていたが、全く別の作家の名前だった。急いで店内を見渡し、ポスターを発見して愕然! ……16時半から、と書かれていた。
 見直してみたが、整理券にはやはり14時からとなっている。なにかの都合で時間が変更されたのだろうと思い、いったん書店を出る。食事がまだだったので、地下街にあるカレー屋でオムライスカレーを食べ、あとはあまり歩く気力もなかったので、JR高島屋にある立派なソファに座り、ぼおっとして過ごす。

 時間になり、ふたたび近鉄百貨店の書店まで昇る。
 非常階段近くに机が置かれ、その前に八脚の椅子。10分前に係員が呼び込みを始め、整理券番号10番までが呼ばれる。僕は3番だったので、はじから3番目の席に案内される。整理券に書かれた時間が違っていたことを、案内の男性に丁重に謝られ、こちらが恐縮してしまう。
 待っていると、だんだん緊張してくる。何をしゃべるか考えるものの、一人でどれぐらい時間をかけていいのかわからず、考えがまとまらない。
 そのまま開始5分前になっても隣の2席は埋まらず、やがてさっきの係員が来て、席を詰めてください、と言われる。つまり僕は、サイン会のお客さん第一号になってしまったのだった。さらに緊張が高まる。

 ついに貴志祐介さんが登場する。エレベーターの方角から歩いて来られた姿を見ると、思ったよりもぽっちゃりとした体型である。係員のあいさつがあり、いよいよサイン会が始まる。
 机をはさんで、貴志さんと僕が向かい合わせに座る。持参した「硝子のハンマー」と整理券を渡す。整理券の裏には名前や住所を記入してあり、貴志さんはそれを見ながら僕の名前を記入する。あまりサイン会には慣れていない様子で、これでいいのかな、っていう様子でサインを書き入れ、最後に日付を記入する時点で、「今日、何日だっけ?」と、隣の女性に聞いている。僕が「15日です」と言うと、にっこり笑って「どうも」と答えてくれた。
 書き終えた時点で、考えていた言葉を口にする。貴志さんはそれに紳士的な態度で応えてくれる。とても嬉しかった。ここでは書かないが、貴志さんのくれた言葉は僕にとってとても重要な言葉だった。
 握手をし、席を立つ。最後まで礼儀正しく応対してくれる姿に、あらためて好感を持った。それからも名残惜しくて、会場のまわりをうろついていた。試しに写真を撮っていいか係員に聞くと、意外にもだいじょうぶだという答えが返ってきた。見ると、サインをもらっている人も、一緒に写真を撮ったりしている。僕も一緒に撮ってもらいたかったが、もう遅い。なるべく近くまで移動し、持ってきていたデジカメで数枚写真を撮った。


 
2004. 5/16(日) 優勝
ヨーロッパのサッカー界で唯一優勝の決まっていなかったフランスリーグだが、この週末の試合でほぼ行方は決定した。我が応援するリヨンが、一試合を残して2位のパリ・サンジェルマンに勝ち点3差をつけ、さらに得失点差でも14上回るという状態になった。これで最終節でリヨンが負け、パリが勝って勝ち点で並んだとしても、得失点差の14がひっくり返ることはまずあり得ない。おめでとう、リヨン!

 
2004. 5/17(月) 愛のムチ
早起きすると、またまた朝の番組はバレーの話題一色だ。今日は監督と選手達が出演し、くだらないことを繰り返し聞かれて困っていた。なぜかフジには監督を含め8人ほどが集まっているのに、TBSは3人だけである。契約上のしばりでもあるのだろうか。2局で完全に半々にするより、どちらかの契約金を高くして差をつけたほうがやりやすいのかもしれない。早くにたたき起こされた選手達は、いくら番組側が盛り上げてもテンションは上がらない。

 柳本監督の采配には、バレーのみならずスポーツ界全体が注目しているところだろう。韓国戦前後では、大山可奈選手の復活劇とからめ、コート上でボールをぶつけて、「出て行け!」と大声でなじる場面が繰り返し放送された。僕はこの監督のことは嫌いじゃないけれど、常日頃、ああいう指導法について思うことがある。

 厳しく指導するっていうのは本当に効果的なんだろうか。いつも純日本的ど根性精神論で、びしびし鍛えるのが良しとされる。本人のため、そうすることが得策なのだと。
 しかし、本当にそうなんだろうか。とくにアメリカなどにおいては、選手たちがのびのびと楽しくプレーする姿がよく紹介される。”楽しく”というと眉をひそめる向きもあるかもしれないが、要するに、そのスポーツにおいて充実感をもってプレーする、という意味合いだ。その境地において、もっともいいプレーができるものだという気がする。
 選手を指導するというのは大変な作業だ。言うことを聞かない選手たちに対し、「愛のムチ」などというと聞こえはいいけれど、実際は指導者の感情が表面に出ているだけなのではないか、と思ってしまう。だって、勝手な選手ややる気のない選手を見たら、腹が立ってボールの一つもぶつけたくなるでしょう。
 厳しく指導して伸びた選手というのは、別にそうしなくとも伸びたのではないか、さらに言えば、のびのびとプレーを楽しむことのできる環境にあれば、もっとうまくなったかもしれないではないか、と思うのだ。僕の勝手な推測だけれど。


 
2004. 5/18(火) 新作
鈴木志保さんの新作が出た、という情報を得て、早速買いに行く。「ミステリーボニータ」という雑誌に、星新一氏の作品をコミック化するという企画の一端で載っているらしい。
 本屋に行ってみて、驚いた。似たような雑誌が数限りなく置いてあったからだ。少女漫画誌といえば昔は「なかよし」と「りぼん」くらいしかなかった、というとちょっと昔過ぎるだろうか。そこはかなり大きな本屋で、一つの棚にびっしりと同じような表紙の本が並べてある。一誌ずつタイトルを見ていくが見つからない。
 結局、二軒目の店で手に入れた。辞書かと思うぐらい小さくて分厚い雑誌だった。本誌の他に普通の単行本コミック大の冊子が付録についているもんだから、余計に太い。
 家に帰り、さっそく読んでみる。文章は原作どおりなのか、鈴木志保作品としてはちょっと違和感を覚える。それでも、独特のコマ割り、イラスト調の少々見づらい画風などはまさに鈴木志保節満開である。話としては少々ストレートすぎる印象を受けたが、それは原作に忠実にしてあるからだろう。なかなか楽しめた作品だった。
 それでも、オリジナルの新作が読みたい、と強く願ってしまう。とにかく、以前に雑誌に発表した作品の単行本化を、と。


 
2004. 5/19(水) 最年少
前回の芥川賞は史上最年少受賞に沸いたが、今日発表のあった江戸川乱歩賞でも最年少受賞者が生まれたらしい。まあ、とくに狙ったわけではないとは思うけれど、最近の乱歩賞は停滞が著しかったから、新しい風をという主催者側の思いがあったのかもしれない。乱歩賞作品といえば僕は、2001年の「13階段」、2000年の「脳男」、1997年の「波線のマリス」ぐらいしか読んだことはないが、たしかにどれも諸手をあげて大絶賛という作品ではなかった。

 知らない人のために書いておくと、江戸川乱歩賞というのは、エンターテインメント小説の公募新人賞としては最も権威のある賞である。「エンターテインメント小説」とはつまり、世の中の小説のうち、純文学とは異なる、いわば大衆小説のことだと思ってもらえばよい。それから「公募新人賞」とは、その賞のために応募された作品の中から選ばれる、という形式の賞である。
 直木賞や芥川賞は、公募ではない。選考委員がその年に発表された作品のうちから候補作を絞り、その中から受賞作を決める。エンターテインメント小説に与えられるのが直木賞で、純文学に与えられるのが芥川賞だ。もともと、”その年にデビューした作家”とは言わないまでも、比較的新しい作家に与えられる賞だったのだが、最近の直木賞に至っては完全に中堅作家に与えられる功労賞の意味合いが濃くなっている。
 もちろん、エンターテインメントと純文学という区切りは、はっきりと線引きしきれるものではない。このあたりの賞の図式は、前に読書のコーナーで紹介した「文学賞メッタ斬り!」に詳しいので、興味がある方はそちらを買って読んで頂きたい。また、この本の元となった、大森望・豊崎由美のネット対談がここにあるので、こちらのほうが簡単に読めていいかもしれない。


 
2004. 5/20(木) タナの中身は
本棚の整理をはじめたら止まらなくなった。ある程度の蔵書をお持ちの方にはわかってもらえると思うけれど、どの棚にどうやって本を並べるのかというのはなかなか悩ましい問題である。
 難しさの原因はほぼ一点に集約される。本の大きさがまちまちであることだ。本の大きさが同一なら、……まあそれは望めないとしてもせめて大中小の三種類くらいならば、その大きさごとに作者別でも分野別でも、なんでも好きなように並べればいい。ところがまあ実際には高さも幅も本によってかなりばらつきがある。文庫本でさえ出版社によってかなりのサイズの差があるのだ。
 基本的には、分野別に並べたい。小説・エッセイ・動物もの・写真集などの種別ごとにまとめて置きたい。それでもやっぱり棚の高さで制限は受けてしまうから、似たような高さの本ごとにまとめるしかない。ただ僕の場合、文庫本だけは専用の本棚があるため、そちらにまとめて入れてある。
 最近は読み終えた本をかなりおおざっぱにしまっていて、かなり本棚の中が荒れていた。いったん始めると徹底的にやってしまうものだから、終わるまでに2時間ほどはかかってしまった。その間に要らない本を抜き出し、一部だけとっておきたいものはそこだけ切り抜いたりもした。最終的に整理し終わった本棚は、次のようになった。嗜好をさらけ出すようで恥ずかしいが、見て笑ってもらえればいいかと思う。

四六判ハードカバー
日本人作家の
ミステリー小説
ムック
宝島社もの・
文芸評論
四六判ハードカバー
日本人作家の
その他の小説・
エッセイ等
パソコン・
動物・自然
外国人作家絵本・雑誌・
パンフレット・
地図
 
新書判・ノベルス
 
楽譜
小B6判
金融・心理学
大サイズ
雑誌・画集
小B6判
ゲーム・エッセイ
その他
●四六判…188x127
●新書判…173x106
●小B6判…174x112


 
2004. 5/21(金) 掛川花鳥園
通算三回目となる、掛川花鳥園に行ってきた。リンクをたどって公式サイトを見てもらえばわかるが、温室栽培の花と、フクロウを中心とした鳥類を大量に展示しているテーマパークである。2003年2月に訪れた富士国際花園の姉妹施設であり、展示内容もよく似ている。富士に行った時のレポートは当時の雑記に記してある。

 最初に訪れたのは去年の10月だった。富士とのもっとも大きな違いは、ここにはケープペンギンがいることだ。しかもなんと、カモやコクチョウ、オシドリなどと同じ池で泳いでいるペンギンを客は自由にさわることができるという、ペンギン好きにとってはちょっと他では味わうことのできない体験ができる。このペンギンたち、人間にとてもよくなついており、少々のことでは逃げない。それどころか勝手に池から上がり、入場口付近をぺたぺたと歩き回る始末。入場料を払って中に入ってみたら、みやげもの売り場に人間と一緒にペンギンが立っている、というシュールな光景に出くわすことになる。

 ペンギンの他にも多数のフクロウ、エミュー、オオハシ、エボシドリ、カッショクペリカン、各種カモなどがいて、それぞれに楽しませてくれる。フクロウは当園のメインであり、27種類のフクロウの展示、それから飛行ショーなどを見ることができる。ショーの後には腕にフクロウを載せて記念撮影をすることもできる。鳥たちのえさは常時用意されていて、お金を支払えばいつでもそれをやることができる。えさをかざせば、鳥たちは躊躇なくやってきて平気で肩や腕に止まり、えさをねだるから、苦手な人だと怖いかもしれない。
 エミューは、屋外の敷地に放されている。客はこの”エミュー牧場”の中へ自由に入ることができ、やはり餌やりもできる。ただし、人間の背ほどもある大きなこの鳥に囲まれてえさをねだられると、鳥好きな人でも最初は怖じ気づく。それでも、こんなことは他ではできないから、いつまでもエミューたちとたわむれて時間はあっという間に過ぎていく。
 最初に行ってから後も、あらたにエミューのヒナやホロホロチョウなどが加わり、行くたびに新しい仕掛けで楽しませてくれる。ほんとに、日本で唯一と言ってもいい、とんでもないテーマパークである。


 
2004. 5/22(土) のんほいパーク
昨日は掛川、今日は豊橋。動物シリーズ第2弾というわけで、豊橋市にある「のんほいパーク」(正式名称「豊橋総合動植物公園」)に行ってきた。
 2000年12月にオフ会で行った場所である。入場口をくぐったあたりの風景にかすかにみおぼえがあった。ここに来たメインの目的はペンギンであるが、他にも珍しい動物が展示してあるため、そちらへの期待も大きかった。アフリカにいるエランド、セーブルアンテロープ、エジプトガン、トムソンガゼルなどがそれである。これらの動物は、キリンやシマウマなどを含めて、アフリカの草原を模したような広い場所に一斉に放されている。単純に柵の中に動物が入れられているのとはかなり見る印象も違う。
 トムソンガゼルはなぜだか姿が見えなかったが、初めて見るセーブルアンテロープには感激した。エランドやエジプトガンなど、僕がアフリカで実際に見た動物を見た時も、違う意味での感動があった。それでも今日一番のヒットはこれらのうちのどれでもない。カバである。
 カバというとたいていは陸上か水中にじっとしていて滅多に動かず、正直見ていてそれほど楽しい動物ではない。
 今日、初めて見た。カバが、イルカのようにジャンプしながら泳ぐのを。
 プールには2頭のカバが泳いでいた。しばらく潜水しながら前に進み、そのうちに勢いをつけて水面に顔を出す。そのまま勢いは止まらず、二度三度とジャンプをくりかえす。これは、ペンギンでいうところの「イルカ泳ぎ」である。
 2頭は仲がよくてじゃれているのか、しきりに顔をつきあわせ、もつれながら水面を揺らす。かと思えば、急に理由なく陸上に上がり、マヌケな走り方で往復するものだからこちらは笑いが止まらない。思いがけないパフォーマンスが続き、カバプールからしばらく動けなくなってしまった。あんなに活動的なカバを見られるのはここだけであろう。


 
2004. 5/23(日) 名古屋港
動物シリーズ三日目の今日は、名古屋港水族館である。年間パスポートを持っていてフリーで入れるのだが、いつでも行けるとなるとそれほどには行かないもので、去年も結局3〜4回しか行くことができなかった。今年も、ようやくこれで2回目の訪問となる。
 目玉はあった。シャチのトレーニングが公開となったのだ。2001年に北館が増設された際に入る予定だったシャチがずっとおあずけになっていて、昨年末にようやくやって来た。水槽での公開は今年の初めに開始され、さらに、メインプールに移動して行われるトレーニングが先週の火曜日に公開となった。
 ちなみにこの水族館では、ベルーガの公開トレーニングも行われている。ヒレで握手をしたりボールを取ってきたり、といった簡単なもので、シャチについてもまだ公開されて間もない時期なら同じような内容だろうと勝手に想像していた。
 実際に見て、驚いた。これはもう、立派なショーである。イルカショーでイルカ達がジャンプするのとまったく同じ軌道で、あの巨体がイルカのように飛ぶ。イルカとくらべ前後左右に倍ほどもある体が舞い上がると、その迫力は4倍にも5倍にも感じられる。
 これには感心してしまい、思わず声が出た。イルカも数頭混じってトレーニングに参加しており、同じタイミングでジャンプをしていた。普段はこうした写真をあまり撮らない僕でさえ、思わずデジカメをかばんから取り出し、数枚撮影した。なかなかいい一枚が撮れたので、紹介しておこう。

 ●シャチとイルカたちのジャンプ

 シャチトレーニングを見終わったあとは、南館に移り、順番に展示を見てから最後にペンギン水槽にたどりつく。いつもここで十分に時間をとる。ただしここは南極と同じ環境になるよう、冬の間(つまり、日本の夏の時期)は照明を落としてあるため、暗くて見づらく、写真もうまく撮れない。エンペラーペンギンなどは奥のほうで寝そべっているため、よく見えないのだ。
 今日はここでひとつ、ニュースを知った。エンペラーペンギンが産卵をしたらしい。じつは昨年・一昨年と同じ時期に産卵をしたが、しばらく様子をみた結果、無精卵だと確認された。もし孵化すれば日本初となる。エンペラーのヒナはまだ見たことがないので、ぜひこの目で見てみたい。今年ぐらいいけるのではないかと密かに期待している。


 
2004. 5/24(月) 使い捨て
「HEY!HEY!HEY!」に、Linda・Lindaという女性グループが出ていた。見ていて浮かんだ言葉は、「使い捨て」だ。もうしわけないが、どう見ても長く活躍するグループには思えない。プロデュースする側もそれは承知していて、ちょっと人気が出て金が入れば儲けもの、売れなきゃ次を探せばいい、という思惑が丸見えだ。
 まさに、「モーニング娘。」の飯田圭織と石川梨華が脱退するというニュースが流れたばかりである。つんく氏も今やモーニング娘のプロデュースには頭を抱えていることだろう。なまじ売れてしまったばかりにあっさり切ってしまうことはできず、さりとてこの先やることは何も残されていない。それでも続けなきゃいけないわけだから、コミックソングにもならないマヌケな歌ばかり出して、「はっ!」とか「うっ!」とか叫ばせる。
 あとはもう、いかに非難を浴びずに解散させるかという道筋をたてるしかない。つんくはいい曲書けるのだから、ここは心機一転、フォークシンガーでもプロデュースしてみてはどうだろう。
 「HEY!HEY!HEY!」は意外にこういった、まだ売れる前の歌手を出演させるのが不思議だ。おそらく番組制作サイドも使い捨てを考えているのだろう。こちらはもちろん音楽は二の次であって、トークができる人材を求めての話である。


 
2004. 5/25(火) 訪朝
拉致被害者帰国についての素直な僕の感想は、「小泉首相、結構がんばったじゃないの」である。これまで何年も未解決だった問題が、小泉首相の時代で飛躍的な展開を見せたにもかかわらず、評価がこれほど低い理由がよくわからない。
 そりゃ、全員そろって帰国できるのがいいに決まっている。曽我さんの家族が帰ってこられなかったのは本当に残念だと思う。しかし、それ以外の家族は戻った。100点じゃなければ評価に値しないという考えはあまりに非現実的すぎる。僕は小泉首相のことを全然好きではないが、今回の訪朝については、70点ぐらいあげても構わないと思う。
 ジェンキンス氏が帰ってこられない理由は(報道が真実だとすれば)明白だ。帰国すればアメリカに捕らえられる可能性が高いなら、誰だってためらうはずだ。訴追をしないというアメリカとの確約が得られないかぎり、彼が帰国することはないだろう。引き続き政府はアメリカと交渉を進めているようである。結構なことではないか。

 首相自身の年金問題から世間の目をそらすため、という言われ方もしている。僕も、年金未払いについてはどんどん追求してしかるべきだと先日ここに書いた。しかし小泉首相の場合、支払いが任意だった期間に払っていなかったというだけなので、何の問題もない。支払いが義務づけられた後で支払っていなかったどこかの野党の元党首や閣僚たちとは区別するべきだ。年金問題に便乗して首相にまで非難を集めようとするのは、野党の姑息なやり方である。

 経済援助と引き替えに被害者帰国を要求したのはあからさまな交換交渉だ、と非難する報道もあった。しかし、外交とは基本的に交換交渉である。何かをしてあげるかわりに何かを得る、交渉の基本はこのギブ&テイクだ。真正面から正義に基づいて話を進めるより、現実的な進展が望まれるなら、そちらを取ればいいと僕は思う。つまり、「北朝鮮がやったことは明らかな犯罪である。即刻、拉致被害者を戻しなさい。当然、こちらから差し出すものなど何もない」という主張をして結局、「証拠がない、これから調べてみる」などとのらりくらりとかわされるより、「とりあえず過去の経緯はおいといて、コメと薬をあげるから被害者を返してくれ」と言うことで何人かが帰国できるのなら、後者を選んで構わないと思うのだ。これが全てにおいて当てはまるとは思わないが、すくなくともこれで今回、幸せを取り戻した家族があるのは事実だ。正攻法でいって何も得られないよりマシではないか。これがいけないという人は、アメリカの司法取引などで、罪を告白すれば死刑だけは免れるようにしてやる、と犯人と交渉することなども絶対認めないのだろう。

 以上は、政治オンチな僕の意見だ。それでも、いくつかのネット上での議論などを見ても、マスコミが言うほどに今回の訪朝が失敗だったとは国民は思っていない気がする。すくなくとも僕はその一人であり、「今回の結果で、国民はみな落胆した」などというマスコミの言い方には首を傾げる。
 なにより、せっかくここまで進展したのに、下手な世論を広めて政府がこの問題から手を引いてしまわないかという恐れがある。単純な話、「よくやった」とほめてあげれば次に進む気力も沸いてくるが、これだけやったのに「ぜんぜんだめじゃないか」と言われたら、だったらもうヤメだ、と首相はさじを投げてしまうかもしれない。なんでもかんでも問題だ問題だと騒ぎ立てるのはもうやめにして、ここは、首相および政府に引き続き問題解決に向け努力してもらうよう、戦略的な報道や世論形成をするほうが得策ではないかと思う。


 
2004. 5/26(水) 悪口
雑記に書くネタは日頃からいくつかメモしてあって、そこから選んで書くこともあれば、急に思い立って別のトピックスを選ぶ場合もある。ネタ帳の項目をざっと見渡して、ふとある時思ったことがある。
 文句ばっかりじゃないか、と。

 こうした個人サイトで、とくに何かを訴えたい、発信したいという欲求のある書き手の記事を読むと、たいていそこにあるのは”怒り”の感情であることが多い。
 要は新聞の投書欄だ。これは悪い、ここはおかしいじゃないか、と言ってとにかく怒る。人に聞いてほしいと思うのがこうした文句ばかり、というのは、人と話していて一番盛り上がる話題は誰かの悪口、というのと一緒だ。
 誰しもがいろんな不満をかかえていて、それをどこかでぶちまけたい。話好きな人は誰かに話すことでそれを発散するだろうし、書くことが好きな人は書くことで発散する。
 ただ、あまりにそうした文章ばかり読んでいると、こちらの心までささくれだってくる。書き手の不満がこちらに乗り移ってくるのか、だんだんと沈鬱な気分になってくるのだ。この雑記帳がそうなっていないことを願いたい。

 ちなみに今日の内容は、ネタ帳の中の「雑記帳のネタは、悪口・文句になりやすい」という項目を拾って書いたものである。


 
2004. 5/27(木) 嬉しいことなのに、保険?!
どんなばからしいことでも、もっともらしい説明をつけて売られれば買う人もいるんだなと認識させられることがある。「ホールインワン保険」という代物など、そのうちの一つだろう。
 ゴルフをやらない人は聞いたことがないかもしれないが、それでも「ホールインワン」という言葉くらいは知っているだろう。一打目がそのままホールに入ってしまうことであり、一生に一度あるかないかの夢の一打である。こんなことが起こったら、ゴルファーは飛び上がって喜び、全身で充実感を味わうことだろう。
 なのに、それに対する”保険”である。保険とは普通、あってはならない忌み嫌うべき事態が起こってしまった場合に、金銭的な補償をするシステムである。生命保険も損害保険も自動車保険も同じ。突発的な事故(=嫌なこと)に備えるために存在する。なのにホールインワン保険は、起こるととびきり嬉しいことに対して補償をするという。僕は最初、さっぱり意味がわからなかった。

 真相はこうである。
 ホールインワンを達成すると、ゴルフ場から景品を送られたりするが、同時に達成した本人が同伴者に一席もうけたり、記念品を作って渡したり、コースに記念植樹をしたりするのが通例だ。これにはなかなかのお金がかかってしまう。この出費に備えて、保険を組んでおくものらしい。
 浅はかさ加減もここまでいくかねえと嘆かわしくなる。ホールインワンを出した本人が上記のように振る舞わなければいけない決まりなど何もない。ただそういう慣習があるからやるまでである。僕には、自分の懐が痛んでもそういった習わしを忠実に実践する気持ちがわからない。記念品を贈ったり、祝賀会をやったりしたいと本当に思う人が、自分で納得できるだけのお金を払って行えばいいだけの話ではないか。

 まったく、保険会社の企画員が冗談で考え出したとしか思えないこんな商品が、現実に存在する。そもそも、記念品も祝賀会も、ホールインワンを出した本人ではなく、その周りの人が彼のために行うものであろうに。それでも、僕がかつてゴルフをやっていた時も、身近でこの保険に加入している人はいた。そういう人は、例えば「合格保険(難関な試験に、”誤って”合格してしまった時に備える保険)」や「「宝くじ当選保険」などができたら、同じように加入するというのだろうか。


 
2004. 5/28(金) ポルト優勝
サッカー・ヨーロッパチャンピオンズリーグは、伏兵ポルトが優勝をさらった。
 今回のチャンピオンズリーグでは、スペインやイタリア、ドイツといった強豪国のチームがことごとく敗れ去り、最後に残ったのはポルトガル勢としても17年ぶりの優勝を狙うポルトと、決勝進出さえ初めてとなるフランスリーグのモナコという2チームだった。

 深夜に生中継されたものをビデオに録画して見た。知っている選手はすくなく、試合内容もそれほどいいものではなかった。それでも、試合が終わって選手一人一人にメダルが授与され、最後にテーマ曲と共にトロフィーを掲げるシーンはいつもながら体が震える。ポルトのチームカラーであるライトブルーと白の紙吹雪が宙に舞い、いっせいに選手たちが破顔する。1年間の苦労が実り、プレッシャーから解放された瞬間とはどんな気持ちだろうか。


 
2004. 5/29(土) ADSLの威力
しばらく前からなんとなく、ネット回線速度が速くなった気がしていた。とくに感じるのはメールの送受信で、ADSLだからもちろん前から速いのだけれど、さらにそれに磨きがかかったというか、「接続中」とか「認証中」といったダイアログの文字さえ読めないほどに一瞬で手続きが終わってしまう。
 もしや、と思って回線速度を測ってみた。試したのは、以下のサイトである。

BNRスピードテスト
ブロードバンドスピードテスト
Radish NetSpeed Testing 測定開始ページ

 昨年の10月に1.5Mプランから今の24Mプランに変更した時も、同じように測定してみた(当時の雑記はここ)。理論速度として16倍にもなったわけだからさぞかし速くなったかと期待したが、結果は3Mbpsそこそこだった。1.5Mプランの時でさえ1Mは出ていたのに、この結果にはがっかりした。
 そこで今回計った結果。
 4.3Mbpsという値が出たのである! 
 前と比べ、1.4倍ほどになっている。前回も今回も、上に挙げたそれぞれのサイトで何度か測ってみたが、だいたい同じような値を示した。
 何が原因で速くなったのかは定かでない。2月にパソコンのパーツを一新してパソコン自体の能力はかなり上がったのだけれど、回線速度にそれほど影響があるとは思えない。とにかく目に見えてスピードが上がったのはつい最近のことだ。NTTかプロバイダ、回線業者のどこかでなにかしらの変更があったのだろう。なにより、体感できるほどにスピードが上がったのが嬉しい。


 
2004. 5/30(日) R&Rナイト
昨夜のテレビ番組で、佐野元春を見た。デビュー当時からめったにテレビに出ないアーティストである。僕はそれほどファンだということもないが、事前の情報で「ロックンロール・ナイト」を歌うと知り、見てみようかという気になった。
 僕が中学生の頃、姉が彼のファンで、よく聴いていた。隣り合わせの襖の向こうからくりかえしこの曲が流れていて、知らないうちにメロディーが頭にこびりついていた。とくにサビ前の、けだるくつぶやくような早口で歌う部分がいい。歌詞の内容まではよく覚えていなかったものの、閉塞した状況の中でもがんばってオレは歌い続けていくぜえっていうようなものだったと思う。

 テレビでこの曲を歌うのは初めてらしかった。特集番組などでも彼の曲として紹介されるのは「サムデイ」「アンジェリーナ」「ガラスのジェネレーション」などばかりで、「ロックンロール・ナイト」はいい曲なのにそんなにマイナーなのかと不思議に思っていた。
 今回知ったが、ネックなのは曲の長さだった。まともに演奏すれば8分以上になるらしい。これでは普通の音楽番組で演奏するのは無理である。ラジオ番組でも途中でフェイドアウトされるという。

 今回それをノーカットで放送するらしい。僕は楽しみにして観た。最初に流れたのは、彼の最大のヒット曲である「サムデイ」だった。ここで落胆したのは、喉の調子の悪さだ。もうずっとこんな調子になってしまったのか、一時的なものなのかは知らない。これを聴くかぎりでは、お世辞にも歌がうまいとは言えない。
 それでもやはり、「ロックンロール・ナイト」は良かった。ちゃんと聴くのはおそらく、さっき書いた中学生の頃以来だから、20年以上ぶりということになる。出だしは静かなバラード調だったという記憶があったのに、意外にも明るい感じでイントロははじまった。しかし聴いているうちにだんだん記憶が戻ってきて、「そうそう、この曲だよこの曲」と、だんだんのめりこんでいく。2コーラスが終わって、長い間奏のあと、いったん曲調が落ち着いてから、もう一度盛り上がりを取り戻す。聴き応えは十分だ。願わくば喉の調子がいい状態で聴きたかった。


 
2004. 5/31(月) 月の終わりに
週末、友人宅に呼ばれて「ショウ・マネージャー」をプレイした。タレントを雇い、ミュージカル公演を打つ。ルールは簡単だけれど盛り上がる、僕の大好きなゲームのひとつだ。「大物が出たー!」「使えない役者ばっかりだよ〜」「金がない〜」など、ゲーム中の会話もすこぶる楽しかった。

 ところで僕は、ボードゲームは好きなのに、将棋やチェスなどにはほとんど興味がない。父親が将棋好きだったから子供の頃に指し方を教えてもらったりしたものの、結局好きになることはなかった。
 他人が将棋を指しているのを見て一番不思議に思うのは、開始の一手をどうやって決めているのだろう、ということだ。将棋でもチェスでも、可能な最初の一手はかなりある。慣れている人ならば様子見のように適当に打っていくのかもしれないが、僕にはその”適当に”ということさえできず、とまどってしまう。
 ボードゲームなら大抵、そのあたりでは悩まないようなしかけが施してある。つまり、手札や場札がランダムに配られたり、ボードの状態に変化が加えられたりすることで、初期状態が定まらないようになっている。プレイヤーは配られた手札やボードの状態を見て、そこでの最善の策を探る。言うなればこれは最初に与えられる”制約”であり、この制約の中でどう対処するのかということに、考えは絞られる。目指すべき目標がわかりやすく、初心者であってもすぐにプレイのコツはつかめる。

 僕の持っているボードゲームやカードゲームの中にも、将棋やチェスタイプのゲームはある。「アバロン」や「ギプフ」、「マンカラ」などがそうだ。これらは「アブストラクトゲーム」と呼ばれ、毎回同じ初期配置で始まり、サイコロなどの運の要素が全く入らない。将棋やチェスほどでないにせよ、これらのゲームをやってみて思うのはやはり、「どうしたらいいのかわからない」ということだ。必然、これらのゲームをプレイすることはなくなる。

 ふと、自由ということについて考えてみたりする。自由になりたい、と叫ぶ歌は多いが、果たしてそんなにいいものだろうか。なんにも制約がないよ、何をやってもいいんだよ、という状況は、実際には多大なる困惑と混乱を引き起こすものだ。膨大な選択肢の中から、自分の力で、最善策を見つけて行かなくてはならない。頼りになるのは自分しかいない。誰かが助言してくれたにせよ、人はいろんなことを言うから、その中で誰のどの意見を尊重するのかは、けっきょく自分が選ばざるを得ないことになる。
 大きなキャンバスを渡されて、ここになんでもいいから好きな絵を描いてみなさい、と言われたら僕は立ちすくむしかないだろう。絵葉書ほどの紙にライオンを描けと言われたならなんとかなる。そういうものだと思う。

 会社を辞めてみて、働かなければいけないという制約に、ずいぶん支えられていたんだということを痛感した。しんどくても決まった時間に出勤し、どんなに嫌でも仕事をこなさなければいけない。でも、そういう義務があるおかげで、知らずのうちに生活が成り立ち、給料がもらえる。文句を言いながらも毎日働くことで、それほど精力的な自分でいなくても生きていける。これはある意味、楽なことだ。別にサラリーマンを非難したいわけじゃない。昔の自分を振り返って言っている。
 毎朝定刻に出勤しなければいけないという状況があるからこそ、規則正しく寝て、起きる。出勤すれば、望まなくても目の前に仕事が待っている。つまり、「制約」というものが、自分の背中を強く押してくれていたのだ。怠惰な自分がなんとか生活していけるよう、サポートしてくれていたのだ。
 それが、自分の意思ひとつでどういう選択もあり得るとなると、これは辛い。前向きな状態であればまだいいが、いつもそうだとは限らない。なんでもできるということは、なんにもできないということでもある。後押ししてくれるものはなにもない。自分の意思で目標を定め、そこを目指して歩き出し、しかも歩き”続け”なければいけない。やりたくなければやらなきゃいい、となると、堕ちていくのは簡単だ。自分でつなぎとめなくてはならない、なにもかも。

 随分、悲観的な話になってしまった。
 ボードゲームが楽しかった、ということを書きたかっただけなのに。

 

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