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2003年 2月の雑記 |
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2003. 2/1(土) 人間ドック つづき ![]() 大腸カメラ検査を終え、ポリープ切除をおこなったゆえにその日はクリニックで一夜を過ごすことになった。部屋に帰ったのは午後4時前、それからベッドでしばらくごろごろとしているところへ電話が鳴る。夕食ができたおしらせである。病院食を食べるのはこれがはじめてだ。とにかくおなかにやさしいメニューとなっており、おかゆを主食に、カレイの煮つけ、野菜の煮物、とろろいも、つけものといった内容で、量もすくない。もともと少食なうえ検査後でおなかが張った感じもあり、僕にはちょうどいい量だった。足りない人はおかゆのおかわりができるらしい。 本日は外出禁止令が出されているため、食事後も部屋で過ごす。7時頃、また電話が鳴った。看護婦さんの声で、今から部屋に検診に来るという。だらけた格好で部屋も散らかっていたため、あと5分ほど待ってくださいと言うと、それじゃあ別のお部屋に先に行ってから来ます、と電話は切れた。急いで飛び起き、服をちゃんと着て荷物をかたづけ、シーツの乱れも整える。再度確認の電話があり、すぐに看護婦さんがやってきた。結構かわいい看護婦さんとせまい部屋で二人きりになり、ベッドに寝て血圧を測られるのは妙な気分だった。 その後、風呂もだめなのでシャワーだけを浴び、僕にしては珍しく10時頃に眠りについた。なんだか疲れていて、本を読む気にもあまりなれなかったのだ。 翌日は7時すぎに目覚める。今日は胃カメラを受診し、それで全コース終了となる。 7時半頃、また昨日の看護婦さんが部屋に来る。昨日の夜に時刻とあわせて聞いていたので、今度はちゃんとその準備をしておいた。再度血圧を測られたあと、検査は何時頃かと聞くと、順番がありますからまだまだですねー、もう一眠りできますよ、と看護婦さんは答える。しかし、真に受けて余裕でベッドに寝っ転がっていたら、9時前には電話で呼び出された。話よりもずっと早いではないか。 そそくさと診察着にきがえ、昨日の内視鏡室へ出向く。しばらく待たされたあと、検査前の準備に入る。説明をするのは今日もまた阿藤快医師だ。胃カメラ検査には、のどにちゃんと麻酔をかける必要がある。麻酔が不十分だとものすごく苦しい目に遭う。前回べつの病院で受けた時がそれだった。舌が痺れただけで肝心ののどにはあまり効いておらず、カメラが入る瞬間だけではなく管が出入りする少しの衝撃で嗚咽が起こり、涙だらだらの検査となった。あんな思いはもうしたくない。 阿藤快医師は仕事に自信を持っているようで、私は完璧に麻酔を効かせますからね、と何度も繰り返す。まず胃を洗浄するかふくらませるかの薬を飲む。飲んだら薬をよく浸透させるため、その場で何度かジャンプする。それから麻酔薬の登場だ。のどの麻酔は注射ではなく、ゲル状の液体をのどにしばらく含んでおいて効かせる。昨日見たようにソファに崩れて座り、顔を上に向けてのどのなるべく奥のところで薬を保つ姿勢をとる。このまま8分間、タイマーが鳴るまでじっとしていなくてはならない。たまにうがいをすると効きがよくなるということなので、言われるままガラガラとやる。ただ、あまりこれをやりすぎるとむせることになる。 ついついごくんと薬を飲み込んでしまいそうになる誘惑に必死で耐える。飲んで害はないが、また同じことを繰り返すことになるので、なんとか一回で終わらせたい。そのうち阿藤快医師がどこかに行ってしまい、そのあとにタイマーが鳴った。ただ、別のタイマーかもしれず、薬を捨てにいけない。どうしようかと迷っているうちに阿藤快医師があらわれ、確認をとってようやく洗面所に走る。薬を吐き捨て、口をすすがずそのまま戻ってくる。 昨日とおなじ、胃の動きを止める注射を一本うつ。さらに阿藤快医師は、麻酔を完璧にします、と言って別の薬を用意してきた。その麻酔は、さっきまで口に含んでいたものの10倍だか20倍だかの効き目があるらしい。ならば最初からそれを使えば、と思うがあまりに強力で刺激がつよいため、まずはさっきの薬で弱く効かせたあとに、とどめとしてこれを用いるのだという。 注射器のような器具で、大きくあけたのどの奥めがけて麻酔を噴霧する。僕の前に検査を受けた人はここで何の反応もなく、すなわち既に麻酔が完璧に効いていたのだが、僕はここでおえっときてしまった。しかしこの第2の麻酔の効き目は強烈で、何度かこれを噴霧されるうち、なにも感じなくなってしまった。いよいよ検査室に入る。 今日の検査主任は、昨日問診を受けたあのきれいな女医さんだった。カメラの管は飲み込もうなどと思わずにただリラックスして力を抜いていればよいと聞いていたので、その通りにした。ただ、のどを通過してしばらくのところで苦しくなり、それを見て判断したのか、ここですこし休みましょう、と優しい声をかけられる。落ち着いたところで管をさらに中に入れていく。前に受けた時ほど苦痛ではないが、胃の中をさぐられる感触はやはり不快なこと甚だしい。いまにも嗚咽が出るか胃がけいれんするかという気になり、一刻もはやく終わってくれと願うばかり。今回もモニタに映った胃の中の映像を自分で見られるのだが、昨日ほどの余裕は出てこない。口にくわえたマウスピースを、いつのまにか歯形が残るほど強くかみしめている。この苦痛というのは、その時かんじている痛みというより、これからどうなるかわからないという恐怖からくるものだ。かみしめた口元をゆるめたつもりが、また気づいたら強く歯をたてていた、ということを何度も繰り返す。やがてカメラは胃を離れて食道をのぼっていき、最後に金属をかぶせた歯の治療あとが見えたかと思うと、カメラの管は完全に引き抜かれた。 椅子にすわり、簡単な結果を聞く。先生が、「昨日からカメラ二つ、どうもお疲れさまでした。これが終わってやれやれですよね。昨日と全然顔が違ってますよー」と笑顔でおっしゃった。確かに安堵感はたっぷりあった。とくに胃カメラは前回のいやな記憶があるため、もっとも気にかかっていた。消化器系統にはなにかある、と絶大の自信を持っていた僕の予想に反し、胃の中はとてもきれいで異常なし、という診断結果だった。 部屋に戻ってシャワーを浴びた。これで一安心だ。着替えをし、受付で会計をすませて外に出る。ポリープ切除を行っても、全部で2万円ほどにしかならない。 クリニックから細い道路を一本へだてたあたりにある白川公園に入る。よく晴れていて、朝の空気が実にここちよい。クリニックの自販機で買ったジュースを取り出して飲む。二日間の格闘が終わった。 2003. 2/11(火) 雨の店 ![]() 「雨降ってきたからもう閉めようかと思って」 かなりお年を召された女性の店員さんは、そう言って笑った。店は彼女一人でやっていて、いつ来ても客はすくない。以前は娘さんと思われる女性が一緒だったが、その方の姿は最近は見ない。 家にご飯は炊いてあったのでおかずだけを注文し、店先に立って待つ。わずかなひさしが造ってあり、雨はしのげる。交差点の向こうにある出口から、地下鉄の客が出てくるのが見える。寒さはさほどでもないが、湿気のせいで吐く息が白くなる。ここには、二、三週間に一度くらいの割合で夕食を買いに来る。 お婆さん一人の店なので、そうすぐにはできあがらない。それどころか、ちゃんと商売ができているのが不思議なくらいだ。若いもう一人の店員さんがいた頃はその人が注文聞きから弁当作りまでほとんどを一人でやっていて、今いる人のほうはたいてい店の奥でぼんやりテレビを見ていてたまに作るのを手伝う、といった風だった。ときおり彼女が店頭に立っている時もあったが、いらっしゃいませもろくに言わず、無言で注文を聞いて調理場に回るので、少々不愉快で不安な心持ちがした。失礼ながら僕はこの人のことを、どこか障害のある方なんだろうなあと思っていた。 彼女が一人で店番をするようになったのは、数ヶ月前のことだ。てきぱきやっていたほうの人を最近見ないなあと思い始めた頃、僕は店先で、とつぜんこの老女の声を聞く。 「やせた?」 焦点も定まらないように思えた目が僕にしっかりとすえられていた。たしかに1年前ぐらいに比べると僕は顔つきにも表れるほどやせていた。「去年あたりはもうちょっとふっくらしてたわよねえ」と聞かれ、ええ、そうですね、とうつろに答える。店の奥でぼんやりしているように見えた頃にも、彼女は僕を見ていたのだと知る。 それから、店に行くたび言葉を交わすようになった。話題はほとんどないから長話というほどではないけれど、このあたりにもう十何年も住んでいること、最近ではすこし歩いただけで体が疲れることなど、なにかにつけ彼女のほうから僕に話しかけてくれる。今日も、どの辺に住んでいるのかと聞かれ、僕が今から10分ほどかけて歩いて帰るのだと言うと、「10分も! そりゃあ遠いねえ」とびっくりしていた。僕は、前に一緒にここにいた人はどうしたのか尋ねようかと思ったが、悲しい話になる気がしてやめておいた。 彼女はガラス戸の向こうから見える表通りの信号を確認し、青になったよ、じゃあね、と言って僕をうながした。ほんのすこし名残惜しい気持ちであいさつをし、別れる。僕が帰ると、たぶん今日は店を閉めるのだろう。 2003. 2/12(水) フクロウ三昧 ![]() ベゴニアをはじめとする花が温室で栽培されているところだが、僕の目当てはただフクロウである。副社長の趣味だかで世界中の各種のフクロウが展示されている。名古屋から高速を使い、3時間足らずで着く。車を降りると、雪山が近くて寒い。平日なので人気もない。 入り口を抜けると、ガラス窓の向こうに置物が飾ってある。なんだろう、と思ってよく見たら生きているフクロウである。動かずに木にとまっているから剥製のようにも見える。大きな展示室にワシミミズクなど大きなフクロウが入れてあり、さらに奥へと進むと、驚くほどにたくさんの種類のフクロウがいる。花園へと続く道すじはフクロウ銀座だ。 順番に見ていると、行く先から大きな声が聞こえてくる。子供が騒ぐのを大人がたしなめているように思っていたら、フクロウに餌をやっている最中で、子供の声に聞こえたのはフクロウの鳴き声だった。 室内の広間に止まり木が据えてあり、二羽のフクロウがとまっている。離れた場所にいる飼育員のお姉さんが名前を呼ぶと、ちゃんと呼ばれたほうが飛んできて餌をもらう。このぐらいのしつけはできるそうだ。餌は切り刻んだヒヨコ、それからネズミも食べる。これは去年調べた通りだ。丸飲みできるから切り刻む必要はないそうだが、それだとすぐにおなかいっぱいになって芸を仕込むことができないらしい。 ワシミミズク系の大きなフクロウが続いたあとは、コノハズクなど手のひらに乗るサイズのフクロウがならぶ。僕の大好きなアフリカオオコノハズクがいた。四羽ほどがYの字型の止まり木に並んでいる。首をかしげた眠たげな顔がかわいい。表情が四羽ともに違い、木の股のところに挟まるようにしている一羽がとくにかわいい。着ていたコートのそで口をひらひらさせるとなぜかそれに反応するので、おもしろがっていつまでもやってしまった。手を振ったりしてもあんまり反応はない。コートの色か形状が餌のように見えるのだろうか。 一通り見終えたあと、花園の温室に入る。花好きならここもたまらないだろう。それにここは暖かいのがありがたい。フクロウを展示してあるあたりは、外と同じぐらい寒かったのだ。 昼食をとり、椅子に座って待つ。この温室の中で、これからフクロウのショーが行われるのだ。待っていると、飼育員の方が一羽ずつ連れてきて、足を木に止めていく。なかには、自分で遠くから飛んでくるフクロウもいる。使われるのは、ミルキーワシミミズク、ベンガルワシミミズク、ケープワシミミズク、メンフクロウなど、人間に割となれやすい種類のフクロウ達だ。ショーが始まるまでにまず、さっきまでの檻とちがって間近に見られるのに感動して、たくさん写真を撮ってしまった。白菜ぐらいの形と大きさで、ぎゅっと抱きしめたくなる。 ショーは、名前を呼ぶと飼育員の腕まで飛んでくる、というのが主なメニューだった。ただ、飼育員に対する愛情はなく、ただ餌をもらうためにそうするだけのことらしい。おなかが一杯になったり気が乗らなかったりすると、呼んでも来ない。地面に低い姿勢で待つと飛ばずに歩いてくるのもまた愛らしい。 ショーのあとは、フクロウを触らせてもらえる。ここぞとばかりに触りまくる。触られるといやがってつつくやつもいるが、メンフクロウは全然いやがらず、いくらでも触らせてくれた。ふっくらとして見える体のほとんどは羽がふくらんでいるだけで、本体はずっと細くて小さい。体長はみかけの半分しかないし、首のあたりは指をつっこむと第二関節のあたりまでずぶりと入ってしまう。メンフクロウの名はヤスパース。なぜか偉大な哲学者の名前がつけてある。 二度のショーを堪能し、飼育員の方にもたっぷり話をお伺いした。飼育員募集をしているらしく、本気で検討してみようかなどと思ったりするが、百羽以上のフクロウの世話をしている飼育員はわずか3名ということで、仕事も相当ハードなのに違いない。 こうして富士国際花園から大満足のうちに帰ってきたら、それから一週間もしないうちに名古屋市内でものすごいスポットをみつけてしまったのであった。その話はまた後日。 2003. 2/15(土) フクロウ三昧 つづき ![]() 昔住んでいたあたりを車で走っていた。運転免許試験場の近く、平針という場所にあるBOOKOFFを目指していた。左手に流れる景色は見慣れたものだ。地下鉄植田駅と原駅の中間あたり、むかしよく利用したほか弁屋もなくなり、次の交差点の角も店舗がころころと変わる。 この日もまた初めて見る店が入っていた。ペット屋だった。すこしだけ興味がわく。ガラス張りの外壁に宣伝文句が書きつけてある。「猛禽類」という文字が目に入る。頭の中で、すぐにフクロウと結びついた。交差点を越し、脇道をみつけて左に入る。一方通行の道に車を止め、店に向かう。大通りを60キロぐらいのスピードで走らせながらの話だ。2〜3秒のうちにここまでの行動を決めたことになる。 店に入ると、むっとするにおいが鼻をつく。ペット屋ににおいはつきものだが、ここのはなかなかにきつい。しかし別の衝撃でにおいの件は吹き飛んだ。入り口すぐのところで立ちすくむ僕。足下には、ハリー・ポッターでおなじみのシロフクロウがこちらをにらんでいた。はくせいでもぬいぐるみでもない。床面に直接置かれた止まり木に乗り、威嚇する鋭い目つきを僕に向けてじっとしている。 正直、シロフクロウがいるとは思っていなかった。値札はない。売り物かどうかはわからない。もしかして、ハリーポッターブームに乗せた客寄せかもしれない。近寄ると羽根をふくらませ、うなり声をあげる。富士国際花園では檻の中に入っていて遠くからながめるだけだったのに、ここではすぐ目の前にいて、さえぎるものは何もない。 中腰になりシロフクロウの前で立ちつくした。しかし、腰をあげて見回すと、話はそれだけではおさまらないことがわかった。壁にそって、アフリカンワシミミズク、コキンメフクロウ、ロシアンコミミズクが並んでいる。檻に入っているものもいれば、外に出されて止まり木にとまっているやつもいる。フクロウの他にはオオタカなどもいて、店内は狭いが種類は豊富だ。鳥類以外にも小動物やは虫類もたくさん置かれている。 うさぎやインコなどをやりすごして奥に行くと、小さめの檻にまたもフクロウを発見する。小型のコノハズク系のもので、僕の好きなアフリカオオコノハズクまでいる。まさにフクロウの宝庫である。ここまでそろっている店ははじめてで、ふくろう好きにはたまらない。檻ごしにアフリカオオコノハズクのすぐそばまで近寄ると、やはりふう〜っと声を出し、羽根を立てて威嚇の体勢を見せた。 ぐるりと店内を一周し、カウンターに向かう。お店の人は奥で餌の野菜を切っている。ガラス棚になったカウンターのあたりから別の視線を感じた。 ここにもいた。三羽ほどの小さなフクロウたちが、カウンターの上にちょこんと乗せられている。アフリカヒナフクロウ、インドネシアコノハズク、そしてまたアフリカオオコノハズクである。三羽は僕の動きに合わせておなじように首を動かし、こちらから視線をはずさない。ちかよると一番怒るのがアフリカオオコノハズクだ。僕の興味もやはりそちらに行ってしまう。白い顔にきれいな縁取りがあり、目は鮮やかなオレンジ色、二等身の胴体がふさふさのグレーの羽根でおおわれた美しいフクロウである。檻に入っているほうの奴の羽根が一本抜けかかっていて、落ちたら店の人に言って、譲ってもらおうと思った。しかしなかなか抜けないので、何度かそばによったり離れたりを繰り返し、羽根を動かせて抜けるようにたくらんだが、それでも落ちてくれない。 何回店内を回っただろうか、すべての種類のフクロウを順番に見ては最初に戻り、というのをいつまでも繰り返す。こんな店ができたとあっては放っておけない。さいわいネコ公園の割と近くにあるので、自転車でここまでネコ公園ごしに来るというパターンができそうである。 ちなみに、お店のサイトはここ。→「PEACE」 2003. 2/20(木) 速読術 ![]() ちょっと調べてみたかぎりでは、思ったとおり、いくつかの宗派ならぬ術派が乱立し、試してみた人の感想もさまざまだ。僕は以前、NHKの「ためしてガッテン」という番組で実験しているのを見たことがある。本格的に興味を持ったのはこの時だ。 とあるお笑いコンビが十日間をかけてトレーニングをした。第一段階では、目を規則正しく上から下へ、右から左へとジグザグに動かす練習をする。これで読むスピードが4〜5倍程度に上昇する。だが、これはとりあえずのウォーミングアップで、最終的な着地は別のところにある。 トレーニングを終えてスタジオで「実演」する姿に驚いた。目はもう上下には動かず、静かに右から左へと移動するだけだった。文庫本のページは、3〜4秒ぐらいの間隔で次々とめくられていく。 ジグザグ運動が正確にできるようになった後は、視野を拡大するトレーニングをおこなったという。人間は普通、目のうちでも解像度の高い中心部分のみを使って文字を読んでいる。しかし目にはもともと周辺部分でも十分に文字をとらえる解像度がそなわっており、この能力を伸ばすことで、本の1行分を同時に絵柄のように判別できるようになる。これで視線が上下に動かなくなり、安定して右から左へと読み進められる。実験をおこなったうち一人は、元のスピードが460文字/分だったのがなんと10820文字/分に、もう一人も637文字/分から8627文字/分に向上した。 調べてみると、この実験を担当したのは「NBS日本速読教育連盟」という団体らしい。そしてこれ以外にもいくつかの団体が存在し、ネットではそれぞれの支持者どうしが非難合戦をおこなうお決まりの構図も散見される。速読を試した人の体験談もいくつかみつけたが、完璧にマスターできたという人はおらず、総じてスピードが2〜3倍程度にはなった、という結果だった。 もともと「読む」という作業には、文字を文字として判別する段階、すなわち「あ」という形を見て「あ」だと判別する作業と、その次に、判別した文字の羅列からその意味合いを頭の中に構築する作業とがあるように思う。自分自身にあてはめて考えてみると、この二つ目の作業が苦手で結果的に読むスピードが遅くなっている気がする。読んでも頭に入らない、という状態である。調子が悪い時には数行読んでイメージが沸かずにまた同じ部分を読み返す、といったことを繰り返す。とくに小説などはそれがうまくいかないことには読む意味がない。「読む」ということは「書く」のと同じくらいクリエイティブで疲れることだ、とどこかの作家が言っていたが、そのとおりだと思う。今ある速読術にはこの点が根本的に欠けているような気がする。 |