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2004年 4月の雑記 |
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2004. 4/4(日) 優勝 ![]() 前から彼女の迫力と優雅さを兼ね備えた滑りは世界レベルだと思っていたし、とくに今年は調子いいなとは思っていた。それでもまさか世界選手権で優勝してしまうとは。 SPを終えて2位につけ、1位がサーシャ・コーエンだとわかった時に、もしかしてという思いはあった。コーエンは強い選手だが、ミスが多い。とくに演技時間の長いフリーではその可能性が高く、荒川選手が完璧に滑れれば逆転はじゅうぶんに考えられると思った。 あまりの好調さのため、いとも簡単に勝ったように思えてしまうが、実際はもちろんそんなはずはなくて、裏にはものすごい努力が隠されているのだろう。この好調さをオリンピックまで維持してほしい。世界ジュニアのチャンピオンで初出場の安藤美姫選手も4位に入った。村主選手は今大会は今ひとつだったものの、今シーズンのグランプリファイナルで優勝している。さらに、恩田美栄選手、太田由希奈選手、中野友加里選手らも健在だ。今の日本女子は、疑うべくもなく世界のトップに君臨している。 2004. 4/7(水) 査定士 ![]() しょっぱなで査定に来たのはG社だった。なにぶんこちらに経験がないため手順がつかめず、査定士が車のまわりをチェックしてまわるのをずっと見ていた。20代とおぼしき若い査定士は、チェックシートを片手に車体の下をのぞきこんだり内装を確認したりしているものの、それほど入念に調べている感じもない。10分ほどすると早々に車から離れ、カバンからB5のノートPCほどの機械を取り出し、手にしたシートをそこに差し込んで操作をはじめる。 「いまから本部にFAXしますので」 どうやら査定は終了したようだ。彼は地べたに置いた機械の前でしばらくボタンをかちゃかちゃと操作していたが、やがて僕のほうに向き直り、弱ったような表情で、「コンセント、借りられますか?」と聞いてきた。バッテリーがなくなったらしい。 二人して部屋に入り、そこで彼はFAXを送った。通信には携帯電話を使っている。これでしばらく後に本部からアンサーが返ってくる仕組みらしい。連絡を待つあいだ、しばらく話をする。 買い取られた車はたまたま同じ車を欲しい人がいればそちらに回ることもあるが、基本的にはオークションにかけられるものらしい。それは中古車販売を行っている業者のためのオークション、つまり中古屋さんが仕入れを行う市場のようなものだ。 オークションには相場があり、車種と年式でだいたいの価格は決定される。これは他の買い取り会社でも似たようなもので、どこも同じような金額を提示してくるでしょう、と査定士は言う。彼は相場価格が表示された冊子を見せてくれ、僕の車は125万程度になることがわかった。もちろんこれは走行距離や傷の具合などで変動し、車の人気度によっても価格は上下する。僕の車の場合、傷は多いが年式の割に走行距離がすくない。さらに人気はかなり高い車なのでこの相場よりは高い値段がつくらしい。 査定士いわく、最近は買い取りでトラブルが多いという。買い取ったあとに名義変更をしない会社があったり、客側がメーター逆送で走行距離を偽っていたのがあとで発覚したりなど、いろんなケースがあるらしい。彼はそれから、3月のこの時期は値崩れが激しい、来週には値段が下がってしまう、ということを強調して話した。(今書いているのは、3月中旬頃のお話。) 僕はそうした話を黙って聞きつづけた。値崩れが激しいという話にはすこし焦ってしまい、他の会社の査定を早めようと思った。ただしあとから思えばそれは、ウチはそんなことはないから是非ウチに売ってくれ、という戦法だったのだろう。 本部からの連絡はなかなかやってこなかった。査定士は携帯で何度も催促をし、いろいろとやりとりをしていた。電話の合間にも彼は僕に、他の買い取り会社ではいくらで見積もりされたのか、そして僕がいくらなら売る意志があるのかということをしつこく聞いてきた。こちらとすれば高ければ高いほどいいわけだし、下手に金額を示してそこで簡単に決着してしまうことも避けたい。そう正直に話し、本部からの連絡が来るのを待った。 僕はこの場で今日時点での買い取り金額を明示されるものと思っていたが、そうではなかった。彼は僕との話のなかで、160万円くらいはいけるかもしれない、という言い方はしたが、最後まで明言はしなかった。けっきょく、とにかく早く売ったほうが価格は高いですよ、という言葉をくりかえし、いつのまに本部からの通達があったのかもわからないまま査定士は帰っていった。 2004. 4/11(日) 風景画 ![]() ボブ・ロスというひげ面の外国人が軽快にしゃべりながらキャンバスに向かう。描くのは風景画だ。大きめの筆でもやもや、もやもやと、ぼかすように色を重ねていく。雑な手つきに見えるが、30分ほどで完成した絵はいつも見事なできばえだった。しかも実に簡単そうに仕上げるため、誰もが自分でも描けそうな気になってしまうのだ。じっさい僕も、番組で使われている画材を調べて買ってみようかと思っていた。しかし、腰を据えて見ようとする頃には番組は終了し、いくら待っても再放送はされることはなかった。 すこし前に、この番組がDVD化され発売されたことを知った。調べてみると僕と同じ気持ちだった人はすくなからずいるようで、再放送を心待ちにしていたファンの声がいろんなサイトにあふれていた。 残念ながら、ボブさんは1995年に亡くなったらしい。DVDは今年の2月に発売され、シリーズで現在6本ほど出ている。機会があれば見てみたい。 (公式サイトはこちら) 車購入のためのその5: G社の査定士が帰ったあと、まっさきに僕がおこなったのは査定スケジュールの前倒しだった。木曜から日曜で1社ずつ予約を入れてあったのを、木金の二日間で2社ずつ行うことに変更した。どの会社もよろこんで応じてくれた。G社の査定士の言葉を鵜呑みにしたわけではなかったが、ことを早く進めることに損はないと思った。変更の連絡を終えた頃、G社の査定士から電話が入り、今日中に決めてくれれば170万円でいけるかもしれない、と言われた。僕はとりあえず予定している査定をすべて受けてからと考えていたので、その話は断った。 翌日からは慌ただしく時間が過ぎていった。午前中に来たのはA社だった。G社とは対照的に、すこしピントの外れた50過ぎのおじさん査定士で、僕の質問にも明瞭な回答をくれず、やはり査定額を明示してはくれなかった。途中、雨が降り出したのに彼は傘を持っておらず、僕が差し出した傘に礼も言わずに入ってきたりするのにも違和感を感じた。 ところでこのA社のやり方だけ、他とは違っていた。いわゆる「オークション代行」というものを勧められたのだ。A社の担当者が客(この場合、僕のこと)から車を借り受け、オークション会場に持っていく。車はそこでオークションにかけられ、落札額が客に支払われたのちに、客はA社に代行手数料の5万円を支払う。もちろん、不当に低い金額で落札されるのを防ぐため、客は自分で最低希望金額を決めることができる。しかも、オークションで値が跳ね上がればそれに応じて客側が大きな利益を得ることになる。 たしかにうまくいけば、他より高く売れる可能性はあるかもしれない。ただ、やはりなじみのないシステムであり、どういうトラブルがあるかわからないため、今回はパスすることにした。おじさん査定士は、170万くらいはいけるだろうから、それを最低希望額にして預けてくれれば、と言ってきた。とりあえずその場で返事はせず、後日こちらから連絡をすることにして帰ってもらう。 午後に来たのは、J社。若くてちょっとイケメン的な男性だ。自信にあふれている様子がうかがえる。前の2社よりも綿密に車をチェックし、さらに車の写真をデジカメで撮影した。システムはG社と同じらしく、客から買った車は中古車市場のオークションに出すか、欲しがっている人がいればそちらに直接わたる場合もある。G社の査定士からその話を聞いたときに不思議だったのは、欲しがっている人があってそちらと交渉する際、車の写真がなくても大丈夫なのかということだった。その点、このJ社のやりかたは理にかなっていた。デジカメで撮った写真は査定結果と共に本部に送られ、買いたいという客はそれを見ることができるのだ。査定士は手慣れた様子でナンバープレートを板で隠し、正面・側面・背面の写真を連続して撮影した。 僕がG社の話をし、写真を撮らないのが不思議だったと言うと、彼はG社のやり方を非難しはじめた。そして、けっきょく査定額ははっきり言ってくれなかったことについても、「あそこはいつもそうなんだよね〜」と、鼻で笑っていた。 しかし、このJ社もG社と同じだった。しかも、G社よりもしつこかった。いざ査定額を、という段になり、彼は「ぶっちゃけ、いくらで売れて欲しいと思いますか? 金額を遠慮なくおっしゃってください」と言ってきた。 こちらに希望金額などはない。高ければ高いほどいい、それだけだ、と言うと、それでは向こう(欲しがっている客)と交渉しようがない、と彼は答える。僕がとりあえず予定している査定をすべて受けてから決めたい、とG社の170万円さえ断った話をすると、「それはもったいないことをしましたねえ!」と、大げさに驚いた顔をする。相場額より40万円以上も高い価格がつくことはそうはないという。僕はだんだん、この査定士が信用できなくなってきていた。そうやって170万円という価値をすごく高めておけば、同じ金額くらいを提示すれば僕が落ちやすいだろう、という戦略のにおいがぷんぷんしていた。 僕が渋っていると彼は電話でどこかと連絡を取ったあと、今日中にウチと契約してくれればいい値段をつけることができる、と迫ってきた。僕の心はどんどん離れていった。彼は、ちょうどいまこの車を欲しいと言っている人がいる、今日中に決めなければ、どこかで同じ車を売る人が現れてそっちで決まってしまうかもしれない、と言い出した。ちょっと待ってくれ、と思った。僕の車は、いちおう限定生産車で、全国で5000台しか販売されていない。それが、今日僕が決めないうちにたまたま別のところで売りたい人が現れて、しかもその人がたまたまJ社に売ることを依頼するなんてことがあり得るのか? ばからしい、と思った。それでも、この査定士の口調はだんだん変わってきている。こうやって詰め寄れば契約してしまう人もいるかもしれないという気はした。 僕が、今日中に決めるつもりはない、とはねつけると、査定士はいかにも理解できない、という顔をして、どうして今日決められないのか、金額が不満なのであればいくらならいいのか言ってくれ、ということを繰り返す。予定している査定をすべて受けてから考えたい、と僕が答えると、「他を受けて……ですか。それで、なんか、変わりますかねえ? 金額が希望にあうなら、今日決めちゃってもいいんじゃないんですか」などと言ってくる。あげく、僕がはっきりとした値段を言わないから欲しがっている客に断り切れない、と言われたので、「じゃあ200万って言ってください」と答えると、それでようやく話は決着した。 結局、彼もまた査定額を提示せずに帰っていった。この一日のやりとりで、すっかり僕は疲れてしまった。 2004. 4/14(水) 量子力学 ![]() 量子力学とはどういう学問か。端的に言えば、ミクロの世界を扱う物理学、である。原子や電子や光など、物質を構成しているようなものすごく小さな物体については、通常の物理学が通用しない。通常の物理学とはたとえば、野球のボールを投げる力が強いほどボールは遠くまでとどく、というような理論だ。ニュートンが発見し、体系化したから「ニュートン力学」とも言われ、量子力学が現れてからは「古典力学」と呼ばれるようになってしまった。上に挙げたボールの運動などについてはニュートン力学でじゅうぶんに解析できるのだが、電子や光となるとそうはいかないのだ。 量子力学の本にはよく、「光や電子は、波と粒子の両方の性質を持つ」などと、無造作に書いてある。まずこの言葉が僕は嫌いだ。こんな書き方をされるから読者はわからなくなる。 粒子とは、物体である。物質である。いっぽう波とは「現象」であって、物質でない。物質であってまた物質でない、それはいったいどういうことなのか。読者は混乱し、最初からつまずいてしまう。 そこで、こんな小さなスペースだが、僕なりに解説してみよう。とりあえず先に書いた、波とは「物質」ではなく「現象」である、ということの説明からはじめたい。 「現象」とは、「状態」と言ってもいい。難解に聞こえるかもしれないが、要はこういうことだ。たとえば池に小石を投げ入れると、そこから波紋が広がっていく。これももちろん、波だ。波は同心円状に外側へと広がっていく。しかし、波を作っている水そのものは水平方向にはまったく動いておらず、同じ場所で上下の振動をくりかえすだけだ。試しに波のどこかに枯れ葉を浮かべたとすると、枯れ葉は同じ場所にとどまり上下運動をつづけるだろう。 つまり、動いている(伝わっている)のは物質ではなく、「上下に振動している状態」である。波が池の端から対岸まで動いた、と言っても、池の水が端から端へと動いているわけではない。上下の振動が伝わっただけである。このように、振動している状態が伝わっていく現象を、波という。 水面にたつ波は、水が振動してできる。ならば、光はいったい何が振動しているのか。じつは光というのはテレビやラジオ、携帯電話などで使われる電波一般、すなわち電磁波の一種である。電磁波で振動しているのは、磁場と電場だ。と言ってもこれまた難解かもしれないが、磁石を思い浮かべてもらいたい。磁石どうしを近づけると、引き合ったり反発しあったりすることは誰もが知っているだろう。目には見えないが、なんらかの力が存在していることは理解できるはずだ。強い磁石と弱い磁石があるように、磁力というものには強弱がある。磁力が強くなったり弱くなったりする状態が、「磁場が振動する」ということだと考えればよい。同様に、電気的な力の強弱が電場の振動だ。これら二つが同時に重なり合いながら伝わっていくのが電磁波である。 こうした、「現象」であるところの「波」の性質、そして「物質」であるところの「粒子」の性質を兼ね備えているのが光だ、と学者は言う。これは一見、「光とは細かい粒子であって、その粒子が振動している」と解釈できそうだ。しかし、光について振動しているのはさっきも言ったとおり磁場と電場であり、光の粒子そのものが振動しているわけではない。 このよくわからない性質は、光と同じく、電子も持っているという。電子は、原子を構成する粒のひとつだ。もっとも単純な構造を持つ水素原子では、原子核の周りを1個の電子が回っている。土星のような模式図を見たことのある人は多いだろう。しかし、光と違って電子というのは質量を持った、れっきとした「物質」である。なのにこの電子もまた波の性質を持っているというのだ。 ここで、波の持つ性質のひとつ、「干渉」について考えてみよう。池に小石を投げ入れ、さらに池の別の場所に別の小石を投げ入れてみる。水面には二つの波が重なり合い、場所によって弱め合ったり強め合ったりという現象が起こる。こうした波の重なり合いが「干渉」である。 光でも、もちろん干渉が起こる。壁の近くにスポットライトのような光源を設置し、光源と壁のあいだに二本の細いスリットのある下敷きほどの紙を立てる。光は二本のスリットを通過したのち、壁面上で重なり合う。二本のスリットを通過した二つの光の波により、壁面上に光の強め合う部分と弱め合う部分が交互にあらわれ、縞模様ができあがる。これが、干渉縞である。この実験は「ヤングの実験」と呼ばれるもので、ネットを探すと下記のようなサイトに図が掲載されている。 ●ヤングの実験図 (なお、この図では二本のスリットの前段にもう一本のスリットがあるが、これは二本のスリットに入る光のスタート地点を同じにする、というほどの意味合いである) 同じようなことが、電子でも起こる。電子を発射する装置を壁に向けて設置し、壁には、電子が当たると発光する蛍光体を塗っておく。二本のスリットを通過した電子の「波」はやはり、壁に干渉縞をつくる。こう書くと、何億個、何兆個という電子群が二つのスリットを通って互いに干渉しあうようなイメージを浮かべるかもしれないが、これまた不正解である。なぜなら、電子を1個ずつ発射して実験しても、おなじような干渉縞ができあがるからだ。 スリットを同時に通過する電子が1個だけという状況ならば、その電子は他の電子と重なり合うはずがない。それでも干渉縞ができるのはどういうわけだろうか。 電子は、二つのスリットのうちいずれかを通って壁に届く。スリットは二つだけだから、そのどちらを通ったかで壁に当たる位置も固定されそうなものだが、実際には壁に当たる位置は定まらない。電子を1個ずつ、ぽん、ぽん、ぽん、と発射していくと、そのたびに電子のあたる位置は変わる。それをずっと続けていると電子がよく当たる場所とあまり当たらない場所があらわれ、これが縞模様を作る。1個ずつ発射した完璧な「粒子」が、結果として波と同じような性質を示すのである。すなわち電子も、粒子と波という二つの性質を同時に持っているということになる。 ここで繰り返しておきたいのは、電子のつぶが振動しているのでは決してない、ということだ。それではいったい何が振動しているのか。本によると、これには答えはないそうだ。何が振動しているのか、誰にもわからない。はっきりと本にはそう書いてある。 僕は今回、二冊の本を読んで、この「光や電子は粒子なのか波なのか」という問題にいちおうの結論をつけた。その答えはこうだ。 光や電子とは我々が通常かんがえるような粒子でも波でもない、まったく別のよくわからないモノである。それは時には粒子と同じような実験結果をしめし、また別の実験においては波と同じような実験結果をしめす ちなみに本にも、似たようなことは書いてある。 しかし、電子の実験のくだりで書いた、1個ずつ発射した電子は同じ場所には当たらず干渉縞を作るという現象を解析していくうち、量子力学はとんでもない方向に傾いていくのである。これがいまだに解釈をめぐって論争の絶えない、「確率」の問題なのだが、今日はこのへんで終わりにしよう。 続きは次回に。 2004. 4/18(日) 査定士、好印象 ![]() 車購入のためのその6: 最近はトラブルが多いんですよ、というG社の査定士の言葉が頭に引っかかっていた。そこで、3社の査定を終わった時点でネットでいろいろと調べてみた。 たしかにいろんなトラブル体験談が出てきた。主なものは、次の2つである。 (1)買い取り会社が、買い取った車の名義変更をすぐに行わない。そのため、売ってしまったはずの車の税金請求が送られてくる。 (2)契約が終了し、買い取り会社が車を引き取ったのちにもう一度査定をおこない、難癖をつけて査定額を減額する。 項目(1)については他にも、買い取り会社の従業員がオービスでスピード違反の写真を撮られ、出頭を請求する通知が前持ち主のもとに送られてきたりすることなどもあるようだ。要するに、車を引き渡したあと、新持ち主である買い取り会社がひきうけるべき責務を前持ち主が背負わされるということである。 項目(2)は主に、車を引き取ったあとに事故歴やメーター逆送歴が発覚するというたぐいで、もともと中古で買った車を売ったケースが基本的に該当する。要するに、そうした問題のある車を知らずに買ってしまい、次に売ろうとした時点で発覚する、というものだ。無料査定で調べるのは、傷の有無や内装の状態などごく表面的なものにすぎない。僕も今回はじめて受けてみて、こんなに簡単に終わるんだと驚いたものだ。買い取り業者は車を引き取った後にさらに詳しく調べ、ここで過去の事故歴やメーター改ざんを発見したりする。これにより、いったん決まった査定額が減らされたり契約破棄になったりすることがあるらしい。僕の車の場合、自分が新車で買ったもので人に貸したこともないため、その点は心配はない。しかし、事故などはなくとも、エンジンルームに傷があったなどとして減額を求められることもあるようだ。 ネットで調べていくうちどんどん不安になり、ブルーな気持ちになってしまった。とくに評判が悪いのはJ社とG社だ。昨日のJ社の対応には、たしかに不穏なものを感じた。とにかく速く契約を取ってしまおうという強引な態度が目についた。G社についてはそれほど悪い印象はなかったものの、こうした評判を知ってしまうとどうも信用ができなくなってしまう。僕は、残る2社の査定時にはとにかく不安な部分をちゃんと確認しようと思った。 しかし、最終日に来た2社の査定士は、いずれも好感を持てる人物だった。とくに午前中のB社の査定士はさわやかで嫌みがなく、質問にも的確に答えてくれた。名義変更は一週間で行い、変更後の確認書類を送ってくれること、それから契約後の再査定はおこなわないことなどを、ていねいにしっかりと説明してくれた。なにより驚いたのは、具体的な査定額をその場で教えてくれたことだ。これまでの3社はいずれも含みを持たせた言い方で歯切れが悪く、どこもそんなものかと思っていた。 その点、このB社はすべてにおいて明確だった。金額は160万円と、他の社が匂わせた金額よりも下だったが、信頼のおける数字としての160万円にはなによりの価値がある。 午後に来たR社も、悪くなかった。約束時間から30分近くたっても連絡がなく、どうしたのかと外に出て待っていると、歩道をこちらに向かって走ってくる男性が見えた。電話で事前に「コンビニの向かいにある○○色のマンション」と告げていたのだが、査定士はうちからすこし離れた場所に建っている似たような色のマンションで待っていたらしかった。すみませんすみません、としきりに頭を下げたのは僕より年下らしい若い査定士だった。いかにも人の良さそうな笑顔を浮かべながら査定をし、僕の質問にもにこやかに答えてくれた。査定が終了すると彼は、いったん戻って査定額を伝えます、と言い残して帰っていった。夕方になって電話があり、168万円です、とこれまた明確に金額を教えてくれた。 2004. 4/22(木) 量子力学 第2回 ![]() 電子のような微細な粒子の運動は、これまでの”古典”ニュートン力学では解明できない。このことをもうすこし説明しよう。 まずは下にリンクしてあるページの、最初に出てくる図を見てもらいたい。図には説明も添えてあるが、とりあえず図を見るだけでじゅうぶんだ。 ●二重スリット実験の概略図 図にあるとおり、壁に向かって電子を発射する装置があり、装置と壁の間には二本のスリットの空いた遮蔽物が置いてある。装置から放たれた電子は、二つのスリットのうちどちらかを通ったあと壁面に当たる。このとき壁面には縞状に模様が現れる。電子が多く当たる部分とあまり当たらない部分とで、きれいな縞模様ができあがるのだ。(先ほどのページの二番目に出てくる図を参照) これは、光を通過させた場合にできる干渉縞とまったく同じ模様である。二つのスリットを通過した電子の「波」が重なり、強め合う部分と弱め合う部分が交互にできるため、縞模様を描き出すのだ。この実験により、電子が波であるということが証明された。 しかし、である。実験をさらに進めていくと、不可解な事象に突き当たるのだ。電子を発射するスピードを緩め、1個の電子がスリットを通過して壁に当たってから次の電子が発射される、という状態に調節する。この状態で実験を行っても、やはり干渉縞は発生するのだ。 なぜこれが不可解なのかわからない、という人のために説明しよう。干渉というのはあくまでも2つの波が重なりあって起こる現象だ。ぽん、ぽん、と1個ずつ打ち出された電子は、他の何物とも干渉していない。試しに、両方のスリットに電子を検出する装置をつけて観測してみると、必ずどちらか一方だけが反応することがわかった。つまり、電子は確実にいっぽうだけを通過し、その電子は他の電子と干渉することはけっしてないはずだ。 なのに、干渉縞ができる。科学者たちはここで弱り果てた。いったい電子とは粒子なのか波なのか。しかも、ある時は粒子として振る舞い、ある時は波として振る舞うというような単純な解釈だけでは説明できないのが、先に書いた実験結果である。 それでも科学者たちは結論を出した。それは、次のようなトンデモナイ暴論だった。人々は常識からはずれたその結論にただ唖然とするよりなかった。 「電子は、観測されるまでは波であり、観測された瞬間に粒子になる」 つまり、電子は観測されるまでは波だから、1個の電子でも同時に二つのスリットを通過できるのだ。そして壁に当たった瞬間に波は姿を消し、粒子となる。 どうだろう、こんな話を受け入れられるだろうか。普通はそうはいかないだろう。それでも量子力学はこのことを大前提にし、ここから出発している。 ただし強調しておきたいのだが、ここで言う電子の「波」とは、電子が波のような”動作”をしているということではない。それならば上に書いた実験結果を説明できない。この「波」とは、電子の存在そのものの波のことだ。 これは誰しもが理解しづらい部分だろう。僕もずっとこのあたりがどうしてもわからなかった。今は、なんとなく理解できたつもりでいる。僕なりの説明を加えよう。 ある物体がそこに存在する、ということは、観測すれば明白なことだ。物体は移動することこそあれ、ある瞬間において存在する場所はただ一つだ。我々の日常生活ではそれは当たり前の話である。 しかし、電子のようなミクロの物体になると、そうではないのだ。電子の存在そのものが、一点に定まらない。ひらたく言えば、ある瞬間に1個の電子が存在する場所が複数ある、ということだ。じゃあ複数個の電子が存在しているということじゃないか、思われるかもしれないが、そうではない。 電子というのは体積を持たない「点」であるとされるが、この1個の電子の存在する場所が、ある瞬間に、空間の複数の場所にあるのだ。そしてそれは観測された時点で、どこかの一点として現れる。観測したらただの粒子になるのだ。電子はこのように、存在自体が波のように揺らいでいる物体なのである。繰り返して言うが、電子が波状に激しく運動しているということでも、あまりにも小さい物体のため観測できないということでもない。時間を止めたある瞬間においても、1個の電子の存在する位置が複数ある。どこかにあるのにそれが人間にわからない、ということではなく、原理的に存在というものが特定できないのだ。(普通、このことは「確率」という言葉で表されるが、僕はあまり好きではない。「確率」という言葉が入ってくると、とたんにわかりづらくなる気がする) これを電子の「存在波」と呼ぶことにすると、先ほどの実験結果の説明が可能になる。電子は、ただ1個だけであっても存在波という波であるから、同時に二つのスリットを通過でき、お互いが干渉しあう。結果として、壁面上には干渉縞ができあがる。 ……すこしは理解していただけただろうか。理解できたとしても、にわかには受け入れがたい理論である。というわけで、じつは今でもこの解釈には科学者のあいだでも異論がある。それでも量子力学はこの解釈に基づいて体系化され、今にいたっている。 さて、二回にわたり、量子力学についての僕なりの解釈を書いてきた。これでとりあえず終わりにするつもりだったが、ここまで来るとやはり有名な「シュレーディンガーの猫」の話もしたいし、パラレルワールドのことも書きたい。 というわけで、また次回にそのあたりのことを付け加えて、この話は終わりにしたいと思う。 2004. 4/24(土) 廃業 ![]() それが、つぶれた。旅行・航空業界の不況にくわえ、テロ以降、そうした地域へ行く人が激減したことが追い打ちになったらしい。なにしろ30〜40万円のツアーが中心の品揃えで、僕が行ったかなり安いとされるツアーでさえ20万円そこそこだった。いまや、10万円も出せばヨーロッパにもアメリカにも行ける時代であり、わざわざ高い金を支払ってそんな秘境にでかける人は少ない。それでも行きたいという人なら、出来合いのパックツアーではなく、自分で飛行機や宿泊をアレンジすることを選択するだろう。 それにしても、アフリカ初心者にすれば値段的にも手頃で、スタッフの対応も良かったのをおぼえている。残念なことである。 車購入のためのその7: 買い取り会社5社の査定が終わり、だいたいの相場が見えてきた。僕は、A社をのぞく4社にふたたび電話をかけ、再度の検討を依頼した。A社についてはオークション代行というやり方が意に適わないため、今回は外すことにした。 4社のうち、僕の心は大きくB社に傾いていた。査定額をはっきり伝えてくれたこと、名義変更や再査定など不安な点に明確な返事をくれたこと、担当査定士の態度に好感が持てたことなどがその理由だ。しかもここはホームページ上に、「買取手数料無料」「7日以内の名義変更」などがきちんとうたってあり、様々な情報を得て不安になっている僕には大きなセールスポイントだった。 逆に印象のよくなかったJ社は二回目の電話でも他社の査定額を知りたがり、「いくらがいいか言ってください」などとくりかえす。僕はもう相手にせず、とにかくいくらの買い取り額になるのかはっきり答えてくれ、と告げたところ、なんと175万円という高額を提示してきた。後を追うかたちで、G社から170万、R社から172万という額が出てきた。しかし、我が応援するB社は165万円と、最も低い額の提示となった。R社も悪くはないが、なんとかB社にがんばってほしい。僕は、B社にだけもう一度連絡をとり、他社の数字を伝えたうえで、もうすこしだけなんとかならないかと持ちかけてみた。査定士はいったん電話を切り、半日ほど経過してから、170万円という返事をくれた。 これで、一晩考えた。金額としてはJ社の175万が最高で、次がR社の172万だ。それでも、一番信頼がおけるのはB社であり、最高額から5万円低い点をどう考えるかが焦点だった。R社も印象は悪くなく、買い取り額も二番目に高い。うんうんとうなって考えたすえ、僕は決めた。 B社。170万円。 これが僕の出した結論だった。翌日の朝、僕はB社に意向を伝え、それ以外の会社には断りの電話をいれた。短い期間だったが納得のできる結果を引き出せたことに満足していた。 じつはこれらと平行して、新車を見に行ったスズキとダイハツでも査定を受けていた。スズキは2つのディーラーでお願いし、一つ目では125万円、二つ目ではなんと75万円(!)という査定額を告げられた。ダイハツは金額の算出をG社(上で出てくるのと同じ会社)に委託しており、査定自体はダイハツ社員が行うが、査定後にデータをG社に送り、G社が値段をつけて送り返してくるというシステムだった。(ただ、実際の買い取り自体はダイハツが行う。)ここでは160万円という額が出された。 こうした金額を真に受けてそのまま手放していたらと思うと、ちょっと怖くなる。今回の決定額とスズキディーラーでの査定額の差は実に100万円近い。苦労したかいがあった、とつくづく思った。ランサーエボリューションという特殊な車であることも関係しているだろうが、購入後6年ちかく経過してもなお半額以上で買い取ってもらえるとは、希望こそすれ実現するとは思わなかった。 2004. 4/25(日) ぐれてやる〜 ![]() まず、「ぐれる」は「ぐれ」に「る」がついて動詞化されたものであり、「ぐれ」とは「ぐれはま」の略だ、と書いてある。それじゃあ「ぐれはま」は何かというと、「ぐりはま」の転じたものらしい。ならば「ぐりはま」とは、とさらに調べていくと、これは「物事がくいちがうこと。あてがはずれること」という意味を持っている。室町時代頃から存在した言葉で、「ぐりはま」とは、「はまぐり」の「はま」と「ぐり」を逆にしたものだということが判明した。つまり、「ぐれる」の「ぐれ」はもともと、「はまぐり」の「ぐり」だったのである! なんという飛躍、結びつきの妙だろう。さらに言えば「はまぐり」は「浜栗」だから、「ぐれる」の「ぐれ」は栗のことだ、ということにもなる。言葉の意味や形は様々に変化していくものだが、これくらいダイナミックなのもあっぱれだ。 車購入のためのその8: 車の売却先が決まったあと、区役所で印鑑証明と住民票を取る。(購入時の住所と現住所が異なる場合のみ、住民票が必要となる。)インパネのオーディオは付けたままにしておき、トランクルームに設置してあるCDチェンジャーだけを取り外した。引き取りの朝、写真を撮り、ぞうきんがけをしながら、これまでありがとうと車にお礼を言った。今日でもうお別れなのかと思うと寂しさがこみあげ、気持ちを持てあましてしまう。 B社においては普通、買い取り代金は車の引き取り時に現金で用意するらしいが、今回、金額が大きいのと、確かに受領したという証拠を残すため、銀行振り込みにしてもらった。現金のほうが安心できるという人もいるだろうから、なかなかの配慮だと言える。ちなみに他の会社では、銀行振り込みしか扱わない。 売却の手続きは簡単で、紙一枚の契約書を読み、記入・押印するだけだった。契約書には、メーター改ざんがないこと、事故歴がないことなどを列記し、もしそれらの内容に食い違いがあることが後で判明した場合には買い取り会社が損害請求できるという旨が記されていた。客側のペナルティとなる部分が明確に表示されていることに感心し、熟読したあとサインをした。 ものの10分とかからないやりとりのあと、鍵を手渡す。査定士とともに駐車場に行き、彼が車に乗り込むのを見つめる。名残惜しそうにしている僕に査定士が、「写真とか、撮られます?」と聞いてきたので、「いや、もう撮りましたから」と答える。車はゆっくりと発進し、マンションの駐車場を出て行く。それでは、と査定士にあいさつをし、心の中で車に別れを告げる。マンション前の一方通行の道を車は遠ざかり、最初の角で右に曲がって見えなくなった。 2004. 4/28(水) 馬鹿だ、こいつらは ![]() 今日の雑記は最初に発覚した三人のことについて書こうと思っていた。しかし、Yahooニュースを確認してみて驚いた。さらに追加の未払い閣僚として、あの福田康夫官房長官や竹中平蔵など4閣僚、さらに民主党の菅直人代表までもが挙げられていたのだ。 社会人としてまっとうに生きている者ならば、自分が年金保険料を納めているかどうかわからないはずがない。僕も会社を辞めた経験があるからよくわかるが、職を変わる場合に社会保険をどうするかというのは一大懸案事項だ。会社を辞めたあと自分がどういう立場になるのかにより、保険の種類や保険料は変わってくる。そうしたことを何も考えないバカはいないだろうし、いやがうえにも考えざるを得ない。雑事は他の誰かに任せているというならば、なおいっそう、そのチェックを入念に行わねばならないだろう。 またひとつ、年金保険料未払いに対する罪悪感が薄れていく。政治全体への不信感も増長されてしまうだろう。なにしろ、保険料も払おうとしない、また、自分が払っているのかどうか知らないような人が、日本をつかさどっているのである。菅代表などは、あれだけ未納者をなじり馬鹿にしていたのに、今回の大失態は目も当てられない。本人も、民主党全体としても勢いを失ってしまうだろう。すくなくとも今回の未納問題について、民主党員は表だって批判することさえはばかられてしまう。 僕としては、即刻全員、辞職させてほしいところだ。ふだんはマスコミ嫌いな僕だが、今回だけは容赦なく罵倒し、追求してほしい。 もっとあおれ、もっと馬鹿にし、問題にしろ、と。 2004. 4/30(金) 新車検討 ![]() 車の売却と平行して、新車の検討にも余念はなかった。条件は以前「車購入のためのその2」に書いたとおりだ。とりあえず軽自動車であること、それから、坂道でも問題なく走ることができ、燃費がよく、自転車の積載が可能で、車を売却した値段で買えること。 僕は購入した二冊の雑誌を熟読し、ネットでも情報を集め、各車の仕様をEXCELで表にしてみた。 最初に惹かれたのは、スバルのR2だった。去年の暮れに出たばかりの新しい車である。走行性能に優れ、かつ、理想環境での燃費(いわゆる「10・15モード燃費」)が24と、他を圧倒している。さらになにより、デザインがいい。ワゴンRやムーブは制限ぎりぎりまでサイズを広げてあるため、どうしても似たような形になってしまうが、R2は見た目の良さを重視し、曲面を多用した独特のデザインに仕上がっている。かなり魅力的な外観だった。 しかし、なにぶん室内空間が他車にくらべて狭い。したがって自転車はおのずとルーフに積むことになるが、軽くて小さな軽自動車に2台の自転車を積むことが可能なのかどうか。それから価格面でみると、ターボエンジンを搭載したグレードは130万円となかなかに高い。 検討をつづけていくうちにR2は候補から消えていき、やはりワゴンRかムーブか、ということになった。この2車なら、自転車はなんとか後部座席に積めるかもしれない。それでももう少し荷室が広ければ、と考えているうちにダイハツのタントが浮上してきた。工藤静香がCMに出ている、あの車だ。ボンネットの”鼻”の部分がほとんどない直方体にちかい形状をしており、そのぶん後部のスペースは驚異的に広い。これなら自転車も楽々積めるだろう。気持ちが大きく傾いた。 しかし、車体が大きいとそれだけパワーが必要となり、燃費も悪くなってしまう。よくよく考えれば、自転車を載せて走ることなど年に数回の話だ。それ以外は大きな荷室を持てあまして一人で運転することになる。 無駄が多い、と判断した。これも候補から消えていった。 こうして検討を重ねたすえに残ったのはやはり、ワゴンRとムーブだった。スズキとダイハツのディーラーに行き、見積もりを取ってみた。目星をつけたグレードにおいてはワゴンRのほうが定価では7万円高かったものの、ダイハツは「ワンプライス値引き」と称して9万円ほどの値引きが最初から施されているため、総額はムーブのほうが安くなった。 僕はあらためて2車だけにしぼった表をEXCELで作成し、見比べてみた。公称燃費は全く同じ値だったが、それ以外のスペックで見ると、ややムーブのほうが優勢だった。馬力・室内スペース・燃料タンク容量・タイヤ径において、わずかずつだがワゴンRを上回っていた。対して、ワゴンRが勝っているのはエアコンがオートだという点、ハンドルのチルト(上下調節機能)が備わっている点、あとはエアロパーツを装着していることくらいだった。外観は似たようなものなので、差はない。ただ、後部ドアの開け方が、ワゴンRが上へ跳ね上げるタイプなのに対し、ムーブは横開きなので、この点でもムーブのほうに軍配に上がる。 この時点では、ムーブに決定かと思われた。 |