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平衡盛が流浪の末に陸奥国滴石庄に移り住んで滴石氏を称したが、後に戸沢村に住んで戸沢氏を称したのが始まりという。しかし、一方で平衡盛は奥州藤原氏の家臣という説や、鎌倉の御家人という説もあり、どちらも1189年の奥州合戦で源頼朝に味方したことから滴石庄の地頭となったとしている。
城名 | 概略 |
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滴石城 | 平安時代に平衡盛が築いた平山城で、戸沢兼盛が出羽に退去した後も戸沢氏一族が残り、後に斯波氏や南部氏によって攻め落とされた。 |
宝仙台城 | 1206~1218年頃に出羽の鳳仙台へと退去した戸沢兼盛の城跡とされる。後に長者屋敷と呼ばれた。 |
門屋小館 | 鳳仙台から峠を越えて檜木内川沿いへと進出した戸沢兼盛が門屋に築いた館で、2年後に門屋城を築くまでの間の居城となった。 |
門屋城 | 戸沢兼盛が門屋に築いた平山城で、家盛の代まで戸沢氏代々の居城となった。角館城に本城を移してからは一門の門屋氏の居城となった。 |
角館城 (小松山城) |
小松山城は菅氏の居城だったが、1423年に謀反を企てた管氏を戸沢家盛が討ち滅ぼして居城をここに移した。この城が角館と呼称され、後に地名となった。 |
松岡城 | 1600年に出羽国角館より常陸国松岡へ4万石で転封された戸沢政盛は、山城の竜子山城を改築して平山城を構築し、常陸松岡藩の藩庁とした。1622年に政盛が新庄へ転封となると、松岡城は水戸藩に預けられた。 |
鮭延城 | 新庄6万石を与えられた戸沢政盛が常陸国より出羽国に移り、最初に居城とした山城。しかし、鮭延の地は統治に不便なため、沼田の地に新庄城を築き移り住んだ。 |
新庄城 | 新庄藩初代藩主の戸沢政盛が築いて以来、幕末まで新庄藩の藩庁となった平城。幕末には官軍に付いた新庄藩を幕軍の庄内藩が攻め、城は陥落して灰燼と帰した。 |
姓 | 居城 | 概略 |
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小館氏 | 門屋小館 岩瀬小館 |
一門衆。戸沢兼盛が門屋城に移り住んだ時、門屋小館に次男の盛正が入って小館氏を称したのが始まりとされる。玄盛の次男の長盛や征盛の三男の政重も小館氏を称している。1590年に戸沢盛安が小田原の陣へ参陣している隙を突いて小館盛重が謀反を起こしたが、留守を守る家臣達が団結してこれを鎮圧し、盛重は小野寺領へ逃げたという。 |
中館氏 | 中館 | 一門衆。戸沢兼盛が門屋城に移り住んだ時、中館に三男の兼任が入って中館氏を称したのが始まりとされる。1587年の唐松野合戦には中館安房守が参加している。 |
門屋氏 | 門屋城 | 一門衆。門屋の領主。1425年に戸沢家盛が門屋から小松山へ居城を移した時に、門屋に残った戸沢氏一族が門屋氏を称した説と、戸沢寿盛の次男の頼盛が門屋に移って門屋氏を称した説がある。1590年に門屋宗盛は角館にて戸沢盛安の留守を守っていたが、謀反を起こした小館盛重の急襲を受けて討ち取られた。 |
大関氏 | 大野関館 | 一門衆。大野関の領主。門屋頼盛の二男の盛定が大野関に館を建てて移り住み、大関周防を称したのが始まり。周防は1587年の唐松野合戦に参加している。 |
楢岡氏 (楢岡小笠原氏) |
土肥城 揚土城 楢岡城 |
一門衆。信濃国より出羽国の由利郡へ渡った小笠原氏の末裔が楢岡氏を称したのが始まりという。1458年に小野寺氏によって所領を奪われたため、婚姻関係にあった戸沢氏を頼って落ち延び家臣となった。その後、戸沢寿盛の三男の光遠を養子に迎えるなどし、戸沢氏一門の重臣となった。 |
淀川氏 (淀川戸沢氏) |
淀川城 | 一門衆。淀川の領主。1496年に戸沢忠盛が兄の秀盛の命で安東氏との国境を守るため淀川城へ入ったのが始まり。忠盛は後に道盛の後見人として小松山城に入るが、謀反を企てたため家臣達によって小松山城から排除され、淀川城へ戻った。 |
宮田氏 | 宮田城 | 一門衆。宮田の領主。戸沢一門として宮田嘉兵衛尉の名が伝わる。 |
前田氏 | 大曲城 西荒井小館 |
戸沢氏家臣。小野寺氏一門。小野寺道綱の一族だったが、後に戸沢氏が大曲まで勢力を伸ばしてきた過程で傘下に降った。1579年、前田利信は戸沢盛安の代理として織田信長への使者を務めたが、自分が仙北の領主であると偽ったため、後にこれが露見し子孫は断絶となった。なお、利信の兄の又太郎は家督を継いですぐに上洛し、そのまま行方不明となっている。 |
神宮寺氏 | 神宮寺館 | 戸沢氏家臣。小野寺氏一門。小野寺信道の子の道珍が神宮寺に住んで神宮寺藤七を称したのが始まり。戸沢氏が大曲まで勢力を伸ばしてきた過程で傘下に降った。前田道信の三男は神宮寺氏に養子に入り、後に神宮寺掃部を称した。 |
戸蒔氏 | 戸蒔館 荒川館 |
戸沢氏家臣。甲斐源氏一門。後三年の役に源義家に従軍して土着した説と鎌倉~室町時代に出羽に流れてきた説がある。六郷氏や小野寺氏に従いながらも、庄内の武藤氏と外交関係を築くなど、小規模ながら独立した国人領主だったが、戸沢氏が大曲まで勢力を伸ばしてきた過程で傘下に降った。 |
白岩氏 (白岩下田氏) |
白岩城 | 戸沢氏家臣。白岩の領主。下田氏が白岩郷に移り住んで白岩氏を称したのが始まり。1232年に近隣の十六沢城を落として宮藤氏を降すなど山本郡東部で地盤を固め、後に戸沢氏と婚姻を結んでその傘下に入った。1529年に戸沢道盛の後見人の戸沢忠盛が主家を乗っ取ろうとした時は、白岩盛任を始めとする重臣たちが一丸となってこれを阻止している。1587年の唐松野の合戦には白岩弥十郎が参加した。 |
富樫氏 | 富樫館 土屋館 孔雀館 内館 |
戸沢氏家臣。本郷野の領主。南北朝時代に加賀国を追われて出羽国に流れ、本郷野に土着したのが始まりという。後に戸沢氏が大曲まで勢力を伸ばしてきた過程で傘下に降った。 |
小白川氏 | 古堀田館 | 戸沢氏家臣。平衡盛が奥州へ来る時に付き従った戸沢十八騎のうちのひとりから始まる古くからの家臣。古堀田の領主に小白川大膳の名が伝わる。 |
新藤氏 | 荒川城 | 戸沢氏家臣。1587年の唐松野合戦では、戸沢盛安の本隊が到着するまで新藤筑後守が荒川城を守り抜いた。 |
太田氏 | 太田城 | 戸沢氏家臣。太田の領主。太田四郎や太田小治郎の名が伝わる。1587年の唐松野合戦では太田源七郎が戸沢盛安に付き従っている。 |
角館氏 (菅氏) |
角館城 | 戸沢氏家臣。小松山の領主。管利邦は小野寺氏に内通していたため、1423年に戸沢家盛によって城を攻め落とされた。これ以降、小松山は戸沢氏の本拠地となる。 |
刈和野氏 | 茶臼館 寄騎館 |
戸沢氏家臣。刈和野の領主。1587年の唐松野の合戦には刈和野兵部が参加した。 |
八乙女氏 | 八乙女城 | 戸沢氏家臣。八乙女の領主。八乙女河内は1593年の戦いで討死している。 |
鶯野氏 | 鶯野城 | 戸沢氏家臣。鶯野の領主。1587年の唐松野の合戦には鶯野佐渡守が参加した。 |
梅沢氏 | 梅沢城 | 戸沢氏家臣。梅沢の領主。1587年の唐松野の合戦には梅沢民部が参加した。 |
西明寺氏 (最明寺氏) |
見附田城 | 戸沢氏家臣。西明寺(※)の坊官。西明寺入道の名が伝わる。 (※明治の廃仏毀釈で廃寺となる。今は大国主神社。) |
隠明寺氏 | ? | 戸沢氏家臣。滴石庄隠明寺の領主。1587年の唐松野の合戦には隠明寺日向が参加した。「隠明寺凧」は新庄藩士の隠明寺勇象によって生み出された。 |