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角館城 かくのだてじょう

別名
小松山城、古城山城
時代
南北朝時代末期~江戸時代初頭
分類
中世山城
規模
東西:600m×南北:100m、標高:166m、比高:約100m
現状
市指定史跡/史跡古城山城跡(公園)
場所
秋田県仙北市角館町古城山
最終訪城日
2010年11月6日

南北朝時代にこの地にやってきた菅氏の居城だったが、戸沢氏が攻略して代々の居城とした場所。山頂の本丸を中心に小さな郭を展開する中世の山城。城山も含めて周囲は桜の名所。

城史

年代 出来事
14世紀頃 菅氏によって小松山城(角館城)が築かれたと考えられている。
1423年7月11日 戸沢氏が門屋城より角館城(小松山城)へ居城を移す。 『戸沢系図(楢岡本)』
1424年 角館城(小松山城)は戸沢氏家臣の角館能登守(菅利邦)の居城だったが、能登守が小野寺氏に内通していたため戸沢家盛はこれを征伐し、城を開城させたという。その後、居城をここへ移した。 『戸沢家譜』
1529年 戸沢秀盛が亡くなり嫡男の道盛がわずか6歳で家督を継いだ。後見人は叔父の戸沢忠盛が勤め、居城の淀川城から角館城に移り住んだという。
1532年 戸沢忠盛は幼少の道盛を排除して戸沢家を横奪しようとしたが、これに対して戸沢氏家臣や縁戚が強く抵抗し、逆に忠盛を城から追放して乱を鎮圧したという。
1602年 関ヶ原の合戦後、戸沢政盛は常陸国の茨城郡に転封された。これと同時に出羽国へは常陸国から佐竹氏が移され、角館城は戸沢氏の留守居役から佐竹氏家臣の須田盛秀に引き渡された。
1603年 佐竹氏一門の芦名義勝が角館城の城主となったが、これに対して帰農していた戸沢氏旧臣が一揆を起こし、18人が刎ヶ台で処刑された。 『池田吉兵衛記録』
1620年 角館城は一国一城令によって廃城となった。破却を担当したのは梅津憲忠。
1620年 院内川の洪水や大火で城下町が荒廃したため、芦名義勝は新たに古城山の南側の勝楽村があった場所に城下町を移して整備を行った。
1996年4月12日 市指定史跡(記念物・史跡)に指定される。

縄張り

城は院内川が檜木内川に合流する地点にある小松山(古城山)の上に築かれており、頂上の本丸と西側と南側に展開するいくつかの腰郭から成り立っている。山の斜面は急斜面になっており、麓を流れる川も相まってなかなかの要害の地となっている。なお、城下町は戸沢氏の時代には山の北側にあったが、芦名氏の時代に南側に移された。

【本丸】
山頂の本丸は屋敷が余裕で納まるくらい広い。中央には戸沢氏の石碑(五輪塔)が置かれている。南側からは城下町が一望できるが、北側と東側は木々で展望が悪い。

【腰郭群】
本丸以外には南側と西側に腰郭が数段連なっているが、いずれも本丸と比べると狭い。本丸の南下段の腰郭の付近には横堀の跡らしきものが確認できる。西側の郭群は山頂まで車が通れる道が造られた影響である程度破壊されている。

【姥杉】
本丸にある樹齢700年の杉で、落雷の跡が生々しく残っている。近くには「姥桜」もあるが、この桜が満開な光景は未だに見たことがない。

関連施設

【武家屋敷】(写真は松本家)
芦名氏時代から続く武家屋敷(文化財)を内部公開している。
<開館時間>9:00~16:30
<休館日>冬季(11月~4月) ※青柳家と石黒家は年中無休
<入館料>無料 ※青柳家500円、石黒家300円
<駐車場>一般車:500円 ※武家屋敷の北側や駅前など
<場所>秋田県仙北市角館町

アクセス

注意

関連リンク情報