HOME -> 城跡データ -> 秋田県の城跡一覧 -> 角館城
南北朝時代にこの地にやってきた菅氏の居城だったが、戸沢氏が攻略して代々の居城とした場所。山頂の本丸を中心に小さな郭を展開する中世の山城。城山も含めて周囲は桜の名所。
年代 | 出来事 |
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14世紀頃 | 菅氏によって小松山城(角館城)が築かれたと考えられている。 |
1423年7月11日 | 戸沢氏が門屋城より角館城(小松山城)へ居城を移す。 『戸沢系図(楢岡本)』 |
1424年 | 角館城(小松山城)は戸沢氏家臣の角館能登守(菅利邦)の居城だったが、能登守が小野寺氏に内通していたため戸沢家盛はこれを征伐し、城を開城させたという。その後、居城をここへ移した。 『戸沢家譜』 |
1529年 | 戸沢秀盛が亡くなり嫡男の道盛がわずか6歳で家督を継いだ。後見人は叔父の戸沢忠盛が勤め、居城の淀川城から角館城に移り住んだという。 |
1532年 | 戸沢忠盛は幼少の道盛を排除して戸沢家を横奪しようとしたが、これに対して戸沢氏家臣や縁戚が強く抵抗し、逆に忠盛を城から追放して乱を鎮圧したという。 |
1602年 | 関ヶ原の合戦後、戸沢政盛は常陸国の茨城郡に転封された。これと同時に出羽国へは常陸国から佐竹氏が移され、角館城は戸沢氏の留守居役から佐竹氏家臣の須田盛秀に引き渡された。 |
1603年 | 佐竹氏一門の芦名義勝が角館城の城主となったが、これに対して帰農していた戸沢氏旧臣が一揆を起こし、18人が刎ヶ台で処刑された。 『池田吉兵衛記録』 |
1620年 | 角館城は一国一城令によって廃城となった。破却を担当したのは梅津憲忠。 |
1620年 | 院内川の洪水や大火で城下町が荒廃したため、芦名義勝は新たに古城山の南側の勝楽村があった場所に城下町を移して整備を行った。 |
1996年4月12日 | 市指定史跡(記念物・史跡)に指定される。 |
城は院内川が檜木内川に合流する地点にある小松山(古城山)の上に築かれており、頂上の本丸と西側と南側に展開するいくつかの腰郭から成り立っている。山の斜面は急斜面になっており、麓を流れる川も相まってなかなかの要害の地となっている。なお、城下町は戸沢氏の時代には山の北側にあったが、芦名氏の時代に南側に移された。