十二月某日
いやー、danny君は田中さんに応えたねえ。俺も飲酒ばかりしてらんないよ。

十二月某日
浜松帰省。macromediaのソフトを入手したので、サイトを全面的に作り替えます。暫く更新はしません。過度な飲酒をしなければ、三が日過ぎにはアップできる予定ですが。努力します。

十二月某日
川崎の野村家へ、山ちゃん、画伯、木村女史と、大掃除のお手伝いに。年末の大掃除は10年ぶり。ご自宅へ上がるのも4,5年ぶりくらいだ。ご仏壇に焼香。懐かしい食卓。お迎えに上がると、ここで朝食を食べていることもあった。「古澤、お前も食べて行けよ」などと言われ、一緒に頂いたことは何度もあった。懐かしいリモコン。懐かしい写真。担当は一階部分で、飾ってある全てのものを一端下ろして綺麗にしてから元の場所に戻す。頂いた人形、置物などは好いが、写真や野村の書、生前使用していたものなどは、ついつい懐かしさから手が止まり、なかなか進まない。9時過ぎから始め、17時過ぎに終了。その後ご近所の、野村も贔屓にしていた寿司屋で夕食を頂きました。有り難うございました。

十二月某日
バイト先の忘年会で、大森・大蓮へ。7名だったので、ここの大盛り料理が丁度好く、今度は焼き飯まで辿り着けた。その後カラオケ。終電間際に終了。降雨。雪が降ったところもあったらしい。バイトはこれで退職。なかなか変わったところだった。如何に時間を潰すかに腐心した。U101があったので役に立った。結局年内に就職できなかったので、また来年から再出発。

十二月某日
いつもお世話になっている、三ノ輪のバローロへ年末のご挨拶。21時過ぎに大熊オーナーと桃ちゃん来店。アニメのオフ会みたいな4人組が、じゃんけんで負けたらウオッカ一気飲みをやると言い出して、全員でじゃんけん大会。10回くらいやって2回も負けた。終電の日比谷線に乗車するも、気付いたら祐天寺でした。連夜の飲酒寝不足で徒歩の気力が湧かずタクシー帰宅。

十二月某日
急遽Risorgimento!の忘年会を開催。年末進行の最中急な呼びかけに呼応できるわけがなく、暇な俳優菊ちゃんだけが手を挙げた。先ず蒲田の山河へ。野村の府中刑務所時代を支えたママさんのお店。膝を悪くして入院していたとのこと。年末のご挨拶をし、一路川崎・恋さんへ。菊ちゃんが付き人をしていた川野太郎さんの「斬殺せよ」撮影エピソードを姐さんに披露。姐さんも東映撮影所へ行ってたので、もしかしたらその時期お会いしてたかも、という話になった。色んなところで色んな繋がりが。0時前に辞去。終電の京浜東北線で品川まで。タクシーで画伯邸へ。初訪問の菊ちゃんがしきりにこの屋上の部屋を褒めていた。泥酔して2時過ぎに辞去。何だか好く判らん忘年会でした。

十二月某日
三澤さんのお誘いで青年維新共闘会議の忘年会に参加。大行社の丸川さん、愛国党の舟川さん、正気塾の若嶋さんにご挨拶。夜勤のため1時間あまりで退席。

十二月某日
何時就寝か判らず、多分1時くらい、5時起床、早朝走行。5時半ごろエイベックス本社の巨大ツリー前で、超短スカートで肩も露なモデルさんの撮影をしていた。この寒い中ご苦労様。昼頃バイト先で今夜から夜勤をお願いしますという話が。一旦帰宅。暫く夜勤。

十二月某日
0時就寝、5時起床、7時出勤。19時から新宿で広告企画制作の面接。ところが美容整形の子会社だということが、行ってから初めて判った。いやー、包茎の広告など作りたくないので辞退。そのまま黄金街のガルガンチュァへ。先日行った時に美田さんが独立開業したと聞いたので、その場所を教えてもらおうとしたが、お客さんが何人かいたので遠慮しているうちに、酩酊してしまった。隣に座ったおじさんが「やくざですか」と聞いてきたので、違いますよと答えたら、タンコママさんが「野村さんの秘書をしていた人よ」と言ったところ、なんと野村の娘さん、泰子さんのご主人である外山さんの先輩である事が判明。奇遇ですね。しかし夏威さんと初めて一緒に此処へ来たときも、「何か雰囲気の違う二人がいますね」などど言われたが、そりゃあ夏威さんはそうでしょう。堅気の人には見えない。あっ、堅気ではなかった。そんなこんなで日南市の話などして、辞去。丸の内線で帰宅。駅からの道々、華原知美の何とかと言う歌を歌いながら歩いた。あの頃、テレビもラヂヲも拒絶していたので、安室奈美恵をなんて読むのかさっぱり判らなかった。シャランQの歌も、SPEEDの歌も知らなかった。平成8年10月に松山刑務所に職業訓練で移送されてからだねえ、try meは安室ちゃんの歌だと知ったのは。とにかく画伯より絶対先に就職してやる。

十二月某日
0時就寝 5時起床。早朝走行3.5キロ。バイト先で美味いと評判の中華料理屋、大連へ罷業後ダニー君と。安い上に量も多い。大森駅の近く。ぱっと見そんなに流行っているような印象ではないが、昨夜もひっきりなしに来客があった。繁盛店。これだけは食べておけと言われた(バイト先の社員の方から)餃子をはじめ、ぴーたん、豚耳、唐揚げ、エビチリをラガー(麦酒は久方ぶりに飲んだ)で食べる。更に焼き蕎麦を食べて、炒飯も食べたかったがもうお腹一杯で駄目でした。多人数で行くのに適していますな。次は炒飯食べるぞ。大森駅ビルの中の和風のお店へ移動。日本酒をいただく。西原理恵子の上京ものがたりを知っていますか?、僕はあれを読んで泣きました、西原理恵子得意の自虐漫画ではなく、なんというのか、とても切なくなる、西原漫画で切なくなるなんて信じられないけれどもそうなんです、でも何の雑誌で読んだか覚えてないのです、お願いだから教えて下さいと、ダニー君にくどくどと話しかけると、それは俺がバイト先へ持って行ったビッグコミックスペリオールですと、すぐに解決。上京ものがたりのために、コンビニで毎週立ち読みをすることを決意。23時半に京浜東北線の上りに乗車。大井町から埼京線で渋谷、品川から山手線で渋谷、新橋から銀座線で表参道と、各コースを構想していたら、上中里で目覚めた(笑)。勢い好く下車し、反対ホームの京浜東北線に乗車、田端下車で山手線内回りか外回りか判らん、池袋を通るのに乗車。何とか渋谷に辿り着いた。最短で7つ目の駅下車が、29箇所も巡ってしまった。渋谷から徒歩帰宅。

十二月某日
他人が言うことを余り信じない。というか、人が人を評する言葉を信じない。あの人ってあれなのよーでもってあれでさー昔あれだったのよーといった類の話である。今まで、あの人は好い人だと聞いて私にとって好い人だった事は少ない。逆に変な人だと聞かされて、付き合っている人の方が多い。その最たる出会いが野村秋介である。右翼、やくざ、黒幕、過激派などと言われていて、テレビや出版物で全体の一部分を垣間見ることはできたが、やっぱり実際会ってみるまで判らない事の方が多い。監獄でも、あの人古澤さんの事こんな様に言ってましたよ、などど態態吹き込みに来る人がいる。喧嘩に発展する場合もある。いや、それを狙って吹き込みにくるのである。所謂空気を入れる、というやつである。ヤンキースの松井が、来季メッツに入る松井に対して、(ゴジラ・「聞きにくれば教える」)などと見出しがでれば、傲慢な感じを受ける。しかし実際は、記者が「松井選手に対して何かアドバイスをする事ありますか?」って聞いて、「彼も日本で実績を残した一流の選手。僕なんかが言う事は何もないですが、メジャーでこの一年を通して学んだ事もあるので、聞いてくれれば教えてあげられることもあるでしょう」と答えただけ。素晴らしい。謙虚さが溢れている。でも上記の様な見出しを付ける事も可能だ。ミスリード。新聞社の思惑一つで何とでもなる。朝日新聞得意の戦法だ。そこには作為があるのだ。さっきの松井選手の例も、(ゴジラ「松井選手にエール」)という見出しもつけられるはずだ。どっちをつけるかは、何を言いたいのか、どの方向へ誘導したいのか、に関わってくる。愛国心を持たせたいのか、北朝鮮を礼賛したいのかで、違ってくる。そこを見抜いて声をあげないから、反日報道が今も罷り通る。例えば山田君が田中君の事を嫌いだとあなたに言ったとする。事実は山田君がそう言ったということだけなのに、田中君が嫌いと言うことまでも事実だと錯覚してしまう。事実は何月何日何時何分何秒に、山田と言う人の口から、こうこうこう言う様な音声が出てきたということだけ。山田君はあなたに田中君が嫌いだと言うことによって、あなたの反応やその後の行動を見ているだけで、田中君のことは大好きなのかもしれない。言っている事と事実は必ずしも同じではない。書いてある事と事実は必ずしも同じではない。人を評する言葉なんて、所詮その人の主観に基づいているのだから、そう言った背景まで知った上でないと、自分の役にはたたないと思うのですが如何でしょうか。でも殆どの人が流されやすいし、自分の主張なんてないのも事実。そうでなかったらこの世に「大衆」という単語は無い筈だと思うのですが。私なんかも「これが最新のダイエット法」がでるとすぐに飛びつく。とても早いです(笑)。画伯のことなどもアバレンジャーとか核弾頭とか書いてるけど、そこには私なりの戦略(笑)があるわけで、実際の画伯ってとってもナイーブ。だからイラストのお仕事を画伯に頂戴。あっ、ご連絡は私を通してね。マネージャーだからマネージャー。ちょっとぉ、マネージャーの私を通してくれなきゃ困るわよ。勝手にジャーマネ宣言。繊細な画伯は原稿料も値切られちゃうだろうから。

十二月某日
蟹の宴に参加できなかった画伯から刺身を持って来いと言う意味不明のメールが貴様俺を誰だと思っているのだこの俺様を来年から才気迸るこのクリエイティブな才能を全世界に向けて発揚せんと企んでいなさるこの俺様に向かってえっ三つで500円なの穴子と烏賊と帆立貝で500円なのぢやあ6個買っちゃうよしめて千円なら安いものだえっ750円ってなんで250円はどうなったのまあ好いや小さい事だ気にしないこんばんわーお土産持って来たよ持って来てやったよ持って来やがったよいや発泡酒は結構合成酒をいただくようーむすっかり酔っ払って屋上の上に建てられた箱のような棲家から転がり出たら東京タワーの上に冬のオリオン。

十二月某日
北海道から菊ちゃんが蟹を携えて凱旋帰京するという情報をキャッチしたので、すかさずあるある会員に鍋集合のメールをスクランブル発信。しかし画伯は所用で不参加。蟹は茹でてあったので、そのまま鋏でジョキジョキしながら食べた。鍋は牡蠣と野菜。焼酎は薬王門とかいう芋の黒麹。一升瓶が殆ど無くなった。最後はおじや。

十二月某日
祖母の卒寿のお祝いを、恵比寿のタイユバン・ロブションで。おフランスの料理を初めて頂いたけれど、美味いねえ。超高級店だから当たり前かもしれないけど。3時間くらいいたけど、外とは別な時間が流れたね。

十二月某日
軍隊式行進廃止、電話も可 行刑改革会議が提言へ

 「名古屋刑務所の受刑者死傷事件をきっかけに発足した「行刑改革会議」(座長・宮沢弘元法相)が今月末に野沢太三法相に提出する提言の全容が5日、明らかになった。
 1908年の制定以来ほとんど変わっていない監獄法を全面改正し、受刑者の権利・義務、刑務官らの権限の明確化を要請。(1)軍隊式行進の見直し(2)電話による外部との通信の検討(3)刑務作業の時間短縮(4)報奨制度の導入−−などを打ち出した。
 法務省は提言を受け法改正に着手し、法制審議会での審議を経て2005年の通常国会に改正案を提出する方針。
 提言によると、受刑者処遇の在り方について、1日8時間の刑務作業の時間を短縮する代わりに、カウンセリングや職業訓練などを強化。服役態度によって外出や外泊などの特典を付与する報奨制度を設ける。
 「軍隊式」と批判される行進方法や正座の強制などを見直し、面会も回数や時間を増やし土、日も面会できるよう配慮する。」(共同通信)

本当かよ。

十二月某日
四日間続いたカレーがやっとなくなった。朝晩朝晩と食べ続けた。流石に菊ちゃんのようにお昼のお弁当で持って行こうとは思わなかったが。先週港区で主催したボクササイズが全五回で終了。後半腰痛だっだけれど、見学だけでもと思いながら皆勤した。物足りないところもあった(男性は私を含めて二人だから)けれど、なかなか面白かった。しかし体型を気にしている人って年齢を問わずいるんだね。20歳台から多分50歳台の女性が来ていましたよ。皆熱心でした。最後の日は次回の募集をしていたんだけど、応募していた人が多かった。てなわけで、1ヶ月ぶりに早朝走行。まだ痛いけど、逆療法(笑)。なんだかこんだけ長い間痛いと頭に来るんだよね。でもさ、12時間働いて、早朝走行しようと思うと、計1時間くらしか取れないんだよね。やっぱり前と違って起きてすぐ走り出すのは無理になってきてるので、充分なアップと充分なクールダウン、そしてストレッチが必要なんだけど、朝の慌しい時間帯では難しい。結局走る時間を短くするしかない。これを無視していい気になって走った結果が長期の腰痛の一因でもあると思う。だったら、走るのやめてストレッチを1時間やるのも好いかも。考え中。

十一月某日
サンシャインの村おこし物産展へまっチャンを激励。終了後懲りずに飲酒。

十一月某日
浜松の公務員まっチャン登場。外苑前の焼き鳥屋で祝杯。そして黄金街へ移動。ルマタンとユニアン。ふと気づくと菊ちゃんと高橋嬢合流。何時解散か不明。朝目覚めると菊ちゃんが隣に寝ていた。

十一月某日

先日の写真展で宮嶋さんと。持っているのは頂いた写真集「イツデモ ドコデモ ダレトデモ」

十一月某日

朝焼けの綺麗な季節になりました。

十一月某日
午後三時より三十三回目の野分祭に参加。昭和四十五年十一月二十五日、市ヶ谷の義挙で自決した三島由紀夫・森田必勝両烈士に思いを寄せるため、毎年前日の二十四日に開催される。80名近くの方々が集まった。記念講演は大日本生産党の北上先生。終了後、直会の席に参加。久しぶりにお会いする先輩方を始めとして、色々な方々からお声をかけていただく。そして恐れ多いことに中締めの音頭を取らせていただいた。有難うございました。終了後、更に場所を移動。群青忌の直会でもお馴染みの桜水産へ。伊藤好雄さん、犬塚さん、山浦さんという先輩方や藤井先生とお話をさせていただく。その後最近何故か好く会う狂人根上先生と共に、画伯邸を襲撃。0時帰宅。

十一月某日
カレーを作ったら、その匂いを嗅ぎ付けた菊ちゃん自転車で襲来。焼酎飲みながらカレーを食す。中身は玉葱人参茄子アスパラ椎茸しめじ鶏もも手羽先。寝込んだ私を尻目に何時の間にかいなくなっていた菊ちゃん。無事帰れたのでしょうか。

十一月某日
おまけの1ページ
スカパラと焼酎でカレーを作りました。

十一月某日
宮嶋さんの写真展を観覧。十年前、野村とスペイン・モロッコを旅したとき、宮嶋さんも撮影のため参加していて、私はずっと同室だったのだ。その時撮った写真は、「野村秋介写真集」に収められている。中に入ると、30人程の人達が買い求めた本などを手に、宮嶋さんのサインを貰う為に並んでいた。順路に沿って見て行くと、宮嶋さんがラバトやカサブランカのホテルで話してくれた韓国・光州や各国の美女の写真なども展示されていた。見終わった後、サインの列に並ぶ。皆さん本にサインをお願いし、記念撮影などをしている。待つこと20分余。Risorgimento!ナイトにも来てくれた御礼を言ったら、これ持って行ってくださいと、今回出版した写真集をくれた。しかも他の人は宮嶋さんと一緒に写真を撮っているのに、私は恐れ多くも宮嶋さんに写真を撮って貰った。いやーすみません。こんな有名な写真家に撮影していただくなんて。並んでいた人達は笑っていました。その後、画伯邸を襲撃。合成酒をいただきながら、酔っ払ったので、3時間余りで辞去。徒歩帰宅。

十一月某日
RPL勝野よりボジョレーヌーボーを入手したので、飲みに来いとの連絡があったので、総武線に乗って平井まで。瓶ではなく、5リットルの紙パックに蛇口がついていた。普段ワインなど飲まないので、うまいうまいと言いながら摂取したら、意外と早く酔っ払った。うーんワイン恐るべし。

十一月某日
腰が痛くなってから、早くも2週間以上が経った。いやー、久し振りに長引いているので困った。同じ姿勢を続けられないので、机に向かう時間も極端に減り、自己欄更新も滞っている。そろそろ鍼を再開し、ウエイト用のベルトを巻かないと治らんかもしれませんね。名刑でも随分苦しんだ。なんせ「医務診察ーっ!!」「はい!」「なんだお前は毎回毎回手を挙げやがって、何処が悪いんだ、何?腰?んなもん、行進すれば治るんだよ!」などど仰る低脳な公務員のいぢめをかいくぐり、医者でもない低脳な公務員に症状を言ったところで、「我慢せい」。それに比べりゃあ、今は天国、学園天国、楽園天国。と言っても痛いものは痛い。何時になったら治るの? 誰か治して。

十一月某日
生Qちゃんを見るつもりでいたのだが、出遅れてしまいテレビ観戦。住まいの近所を走るので絶好の機会だったのだが。Qちゃん。好いねえ。ヤワラちゃん。好いねえ。全日本女子排球の吉原主将。好いねえ。皆さん決して美人とは言えないかも知れませんが、真剣勝負師としての顔は大変美しい。惚れ惚れしますな。しかしQちゃんのももふとと、腹筋は凄いねえ。スーパーアスリートの体だよね。金メダルはああいう体から生まれるのだねえ。夜はプライドGPのテレビ放映を見るつもりが寝込んでしまい、シウバ・吉田戦は終わってしまった。ミルコ・ノゲイラは見ました。素晴らしい。まさに柔術マジシャン。ミルコも屈辱的な負け方って言われてるが、そんなことはないでしょう。でもなんでヒョードルはあんなににやにやしてるのだろうか。相手にならんと思っているのかねえ。とにかく大晦日は皆が期待しているカードを組んでくださいよ、高田本部長。でないと曙・サップ戦を見ちゃいますよ。

十一月某日
前回の三連休初日以来、走っていない。走られない。連休明けから酒を飲んでいない。飲められない。ということはないが、腰痛の呪いが解けないので飲まないようにしている。そこへいくと画伯は偉い。網膜穿孔の手術当夜からあの危ない酒を召し上がっていたらしい。尊敬。しかし明日はRisorgimento!ナイトの打ち上げ。飲みますよ。日本酒を。日本酒だけを。上野松坂屋で司牡丹のうーまいのを買って持ち込む予定。あー楽しみ楽しみ。

十一月某日
開票後のテレビで、どいた過去、いや土井たか子大先生が田原総一郎に突っ込まれて泣きそうになっている汚い顔を見てしまった。保守党に先を越されたようだけれども、社会党こそ恩讐を超えて自民党と合流するべきではないの。大事にしてくれると思うけどねえ。ほとぼりが冷めたら辻元ちゃんも公認候補にしてあげなきゃ。しかしこの田原と言う人もかつて手と手を取り合って戦ってきた相手に非情な仕打ちをするもんだ。変わり身の早さはさすが芸能人、といっては芸能人の方に失礼か。所謂ソ連崩壊に伴う欧州の共産国家崩壊時にこの人は、「右翼は敵がいなくなって目標がなくなった」などと詭弁を弄し、後ろ盾・支えがなくなって一番あたふたしている自分達の姿を糊塗した。そんな世迷い事にいちいち反応するほど低脳ではないのだが、やはり東大出(だったっけ)の人はこういう事に長けているなとつくづく感じた。朝日新聞の記者だって東大出だからやっぱりうまいよね、言葉の選び方、判り易い表現での記事作り。如何にも自民党が悪い、政府が悪い、天皇が悪い、日本が悪いと言う悪意を、間接的にソフトな書き方で信じこまそうとするのだから。ニュースステーションなどは紙媒体で培ったその手法を、電波に乗せて流すことに応用しただけだからねえ。久米宏のあの嫌らしい下卑た笑い顔はその象徴だよ。夜中にどいた過去、もとい土井たか子の気持ち悪いお顔を拝し、ぐっすり眠れた。

十一月某日
連休明けの朝、腰が痛くて起きられなかった。予兆は前の晩にあった。うつ伏せになれない。膝を伸ばして仰向けになれない。そういう姿勢をとると腰が痛い。しかし酔っ払っていたのであまり気にしなかった。ところが起き上がるのに一分かかるし、顔も洗えない。こんな酷くなったのはここ五年位なかった。取り敢えず仕事へ。弁当を作るのは諦めた。駅の階段は手擦りにつかまらないと上り下りができない。のろのろ歩きながら出勤。この仕事で好かった。菊ちゃんみたいにどかちん仕事なら欠勤だ。明日、鍼に行こうと思っていたが、だんだん痛くなってきたので、早めに罷業し、鍼灸院へ。結局三日間通って、なんとか日常生活をこなすことができるようになった。原因は何なのか。直接的な、例えば重いものを持ったとかはない筈。思うに、ボクササイズに行き普段使わない広背筋が張っていた。二日後、7kを34分で走り、更に疲労を溜めたが、その晩から三日間鍋酒鍋酒鍋酒の黄金生活を送り、止めをさした。結果、充分なケアを与えられないまま、腰筋・広背筋等、体の裏側の右側筋肉が硬直してしまった。足の長さも違ってきて、肩の高さもずれて、鞄を背負っていても、左肩からストラップがずり落ちていく。最初は左右の長さが違うのかと何度も確かめたのだが、その内何だか気味が悪くなってきて、誰かが後ろから引っ張っているんではないかと、振り返って見たりもした(といっても首は廻らないので、体ごと後ろを向くのだが)。今は銭湯へ行って暖め、腰痛体操を念入りにやり、徐々に快方に向かっている。重くなるから、VAIOも会社へ持参しなかった。そういった訳で暫く更新作業も滞っていました。年を取るってこういうことなんだねえ。こんなことで歩けなくなっちゃうんだから。参ったね。

十一月某日

おまけの1ページ

腰痛で何もできません。

十一月某日
掲示板で告知のあったように、夏威さんの演奏会に参加するため江東区へ。演奏会といっても、俳優さん達の勉強会の一環として。一曲目から場内は完全に夏威ワールドへ突入し、ぴんきぃさんの歌唱に泣き出す者、凍りつく者が続出。私は、今朝までの宴の名残が消えていない体を直撃され、倒れそうになった。終了後、高橋邸で鍋の席を設定。夏威さん、ぴんきぃさん、菊ちゃんが参加。野菜の他に銀だら、牡蠣、蛤、豆腐、白子を投入。画伯も交えての大コラボレーションの構想を練った。その後菊ちゃん持参の吾等が母校、日生学園のプロモビデオ、朝日新聞東京本社襲撃事件のニュース報道録画などを皆で鑑賞。

十一月某日
肉体労働帰りの菊ちゃんに高橋邸で鍋をやりますと電話すると、遅くなるかもしれないが行きますとのことだったので、遅くなると何も残ってないよと言うと、すぐ行くと回答。野菜の他には鰯のすり身、鶏肉、豆腐で水炊き風に。途中謙行君から電話あり。鍋だから来なさいと指示。芋焼酎買って来てくれて時間後に到着。大量飲酒。0時を廻ってから近くのカラオケ屋に。何時解散したか不明。

十月某日
港区の区役所でやっているボクササイズの教室に参加。週1回1時間計5回で3500円。昨夜は初回で、20人強が参加、そのうち男性は私を含め3人。圧倒的にダイエット、ストレス解消のために応募した女性の方が多かった。先生は麻布十番のジム出身。ストレッチから入り、立ち方、構え方をやり、ジャブ、ストレート、ワンツーで終わった。空手では常に前足のつま先を相手に向けるように教えられたが、ボクシングは45度内側へ曲げるとの事。今朝は一周走り、日本蕎麦(納豆・七味・胡麻)、麻婆豆腐、ナチュラルチーズを食し、弁当ににら玉とブロッコリー・水菜を茹でた物を作り、出勤。オウムの中川と言う人に死刑判決で、自らも殺害されそうになったオウム真理教家族の会会長さんが、「学生時代の被告は、身体障害者の手伝いをするなど優しい青年だった」とコメント。他人に優しさを持って接する性格だと、入信前の被告を知る人々が一致して述べた。被告の母親が「寛刑は望まない」と言った事に関して「親として本心のはずがない」。この被告に対しては、減刑嘆願書の提出も考えていたとの事である(以上朝日新聞)。この人は、坂本弁護士一家・松本サリン事件で、直接殺傷をし、地下鉄サリン事件のサリンを製造したとの事。職場でこの記事を読み、そして原稿を書きながら、落涙した。鼻水も垂れた。周りの人が不審に思わぬようずっと下を向いていた。この句は被告の辞世といっても好いだろうか。

垣間見る
かなたへ青く
深き空
我が身は端座す
暗きところで

10月某日
Risorgimento!ナイトが終わってから、更新回数が減ってきた。まあなんというのですかちょっとさぼり気味というかなんというかそんなところです。

10月某日
画伯邸でヴェトナムウオッカをを頂く。なんかピーナッツの匂いがする。画伯はお気に召さないらしく、相変わらず一升300円の日本酒。三分の一ほど残っていたのを全部飲んだら、ルーマニアの酒が出てきた。なかなかアルコール度数が高い。カレーやら水菜やらをあてにして、酔っ払う。

10月某日
初台のパノラミカで散髪。2ヶ月間のパームに別れを告げた。先日の雷電神社除幕式でお土産にいただいたうどんを、ざるうどんにして食す。大変うまい。薬味は胡麻と七味と海苔と納豆とトロロ昆布。田中いずみさんの頁作成。

10月某日
玉子焼きを忘れたのが大変悔しかったので、皆にメールをしたら、夏じゃあないので帰ってから食べりゃあ好いでしょう、山ちゃんからとつれない返事。田中いずみさんと群青忌で10年振りに再会。その後とんとん拍子に話が進み、連載をしていただくことに。駄目もとでお願いしたんですが、引き受けていただきました。プロの文章書きですから、私も負けないように、というか御指導いただきながら更なる高みを目指していきます。

10月某日
世界謀略紅白歌合戦の会場を下見するため、谷ちゃんとバイト先近くの中華料理屋へ。といっても円卓などはなく、20人も入れば満員になる、馬込(笑)のお店である。飲み放題のコースを選択。谷ちゃんは瓶麦酒、私は焼酎を高速摂取。2時間後、しまだカメラマンが合流し、荏原町方向へ移動。終電を逃したので、バイト先へ行き、床にダンボールを敷いて就寝。久しぶりに7時間睡眠。

おまけの1ページ

お弁当用に作った玉子焼きを家に忘れました

10月某日
十月二十日の命日に、群馬県邑楽郡板倉町の雷電神社で、建立された野村の句碑の除幕式が執り行われた。大悲会の先輩・正田商事株式会社会長の正田さんの尽力によるものだ。刻まれた句は、「わが生の 須臾なる命 如何にせむ」だ。野村の名前がこういった形で日本の各地で多くの人の目に触れられるのは、素晴らしい。ご覧になりたい方は、下記の社務所までご連絡してみては、どうでしょうか。                 
雷電神社社務所
〒374-0132
群馬県邑楽郡板倉町板倉2328−1 
電話0276−82−0007  FAX0276−82−4268





10月某日
群青忌では懐かしい方達とお会いできた。成田健治弁護士は私の朝日新聞事件で弁護人になっていただいた。大原康男先生は4,5年ぶりにお話をさせていただいた。佐藤順子さんも久しくお会いしていなかった。「死んでも男」の田中いづみさんとは10年以上だ。野村の娘さんである泰子さん、「ドキュメント野村秋介」の著者である山平重樹さんも4年ぶり位。野村の縁で知り合った人々と、十年の月日の重さ、短さを語り合った一夜でもあった。

10月某日
たくさんの人達の10月某日ご厚情とご尽力で、Risorgimento!ナイトを大盛況のうちに幕を下ろすことができました。簡単ながらこの場をお借りして、御礼申し上げます。

10月某日
愈愈明日になった。まだ準備が残っているので、今夜は徹夜作業になるかも。イベントを開催するってなかなか大変。

10月某日
罷業後、菊ちゃんと打ち合わせのため大熊邸へ。Risorgimento!ナイトの冒頭菊ちゃんが、銀河蒼茫に故中上健次氏が寄稿したものを朗読します。BGMはピンクフロイド。その後大熊さんのご好意で、バローロへ。ホッピーを高速摂取していると、「博多の女」ゆーゆー登場。楽しくお話したのだが、ワーイ何にも覚えてない。博多出身ということだけが、頭の片隅に残っていた。終電を逃したので、菊ちゃんと大熊邸で宿泊。翌朝帰宅。

10月某日
罷業後、打ち合わせのため歌舞伎町のロフトプラスワンへ。当日は木村三浩さんが米国大統領を糾弾するため、出演が微妙な状況に。代わりと言っては大変申し訳ありませんが、鈴木邦男さんが登壇します。他に野村の菩提寺住職・塚越和尚も来られます。お店の方には問い合わせが結構あるらしいです。目標100人。達成なるか!


野村は、府中から出獄して後、諸外国へ渡航している。私が野村事務所へ行くようになってからも、半年に一回の割合で海外へ出かけて行った。私が日本の外へ行ったのは、実は野村に連れて行って貰ったサイパンが最初だった。この時は、大悲会の会員をはじめ、平成四年の参議院選挙、所謂「風の会」で立候補した時に、選挙運動を手伝った若い人達を労う旅であった。バンザイクリフで「海行かば」を全員で歌った時は、図らずも落涙した。何処までも青く、本当に何処までも青い海と空。こんな美しい場所で自らの命を絶った沢山の同胞を思うと、感傷的にならずにいられなかったのだ。この時の旅行では、野村は嵐が近付き荒れ始めた海に飛び込み、海中に沈んでいる零戦に触れようと何度も挑んだ。「さらば群青」に詳しい。その後も、フィリピン、スペイン、モロッコと、野村は私を連れて行ってくれた。比国では比国の、西班牙では西班牙の、モロッコではモロッコの、それぞれ沢山の印象深い出来事があった。それらの一部は、ドキュメンタリー映画「風と拳銃」で紹介されている。野村はこの映画を完成させるために、海外へ出かけて行ったと言う面もある。日本の外から日本にいる若者達へメッセージを伝えたかったのだろう。

10月某日
愈愈今週金曜日に迫ってきた。目標来場者100人だけれども、今のところ到達は難しそうですね。

小山内さんは野村事務所の殆どを取り仕切っていた。野村の側について当初は、小山内さんに多くの事を教えて貰いながらの毎日だった。野村がよく行くお店の名前・場所、事務所を訪れる人の名前・職業はもとより、種種雑多な電話番号、事務所のサプライ関係、野村の今後の予定などなど、聞かなくては判らない事ばかりだった。しかし何回質問しても小山内さんは常に笑みを絶やさず、時に大阪弁でやんわり注意してくれた。事務所に来る誰もが小山内さんを愛し、野村も全幅の信頼をおいていた。平成五年の十月に入り、野村が自分の持ち物を恰も形見分けのように知人の方々に受け取って貰っていた時も、全日空ホテルに篭り、「さらば群青」の扉書きをしていた時も、周囲の殆どの人々が気にしなかったのに、小山内さんだけは「今回は何時もと違う。先生は何かやろうとしているのではないか.」と言っていた。私が平成六年、東京拘置所に在監していた七月、小山内さんは面会に来てくれた。もっと早く来たかったんだけど、体調を崩していたのでごめんなさい、と言った小山内さんの顔は、確かに以前よりやつれていたような気がした。これが小山内さんの顔を見た最後になってしまった。私が出獄する僅か前に他界してしまったのだ。その年の冬、岡崎一郎さんと東北の旅の空を廻ったとき、青森市にある小山内さんの菩提寺を訪れた。お帰りなさい。何時もの笑顔で小山内さんは確かにそう言ってくれた。


10月某日
昨朝は7時起床なれど降雨のため見合わせていたが、9時頃やんだため走り出したらまた降ってきた。1周で終了。その後ロフトプラスワンにチラシを設置しに行った。目立つ場所は既に占拠されていた。奥崎謙三さんとナンパ塾の間に割り込ませていただいた。今朝は7時起床、1周アップで、2周7KMを34分台。思ったが、平日は7KMで好いとしても、休日はLSDをやった方が好い。15KMくらいか。昼から山ちゃん邸へ行き、野村の著書をロフトプラスワンへ発送。ほぼ全種を5冊ずつ揃えました。この機会に是非ご購入を。帰ろうと思ったら大雨。日比谷線と東西線は止まっているとの事。しかし外苑前で地上に出たら、日が差していた。なんで。東急ストアへ寄って明日からの食材を購入。先週は水曜日以外はお弁当を持っていきました。朝も食べるし。結婚しなくてもいいじゃないの、って好く言われるけど、日常生活に関しては、一人で全部できるし、そういう面では確かにそうだけど、それだけではないしね。秋刀魚が一尾100円だったので、3尾購入。「秋刀魚秋刀魚秋刀魚ー、秋刀魚を食べーるとー」と歌いながら帰ってきた。大根おろしを山ほどかけて食べている。少しは頭が好くなったかな。

10月某日
Risorgimento!ナイトと群青忌の宣伝のため、蒲田の八幸さんへ。ポスターを貼っていただきました。最近も「さらば群青」を読んだという人が、来店したそうだ。出版されてから十年経つのに。さらば群青だけではなく、8月にはフライデーの「私が虜のB級グルメ」でまたもや秋元康が紹介。その上11月5日発売のアンアンにも掲載されるとのこと。凄いねえ。マスターに、十年と言っても本当に早いねえ、と話していると、ママさんが「あの日の4、5日前に先生いらっしゃたでしょう。それで・・・」 野村はママさんに、十月ででかい仕事がひとつ終わるから、そうしたら一緒に伊豆へ旅行に行こうよ、店は2日くらい休めるか、と言ったそうなのである。古澤を迎えに寄越すから待ってろよ、と。「だから楽しみに待っていたら、あんな事になって本当に吃驚した」 野村は帰り際、ママさんに「マスターと何時までも仲良くするんだぞ」って言い残して行ったそうである。「あんなこと初めて言われたから、印象に残っている」んだそうである。色々な人の胸に、いろいろな思い出を残していった先生。もうすぐ十年が経つ。

10月某日
今月から登場した三澤さんだが、投稿欄の「山椒雑記」はほぼ毎日更新してくれている。「連帯と孤立」は月二回ということだが、驚くべきことに、本当に驚いてしまうのだが、三澤さんはこれらの文章を、ドコモの携帯電話でメールとして送ってきているのだ。いやー本当に吃驚。今回原稿をお願いするときも、PCをお持ちでないことは知っていたのだが、引き受けていただいたので、近いうちに購入するのだとばかり思っていたが、そういうことはないらしく、携帯電話での原稿作成となっている。いやー私なんか運動時に壊れる可能性があるのでカシオの防水携帯を使用しているのだが、予測変換のないこの機種ではメール作成などする気にもならないので、もう1台ソニエリをメール専用機として使っているのだ。そこへいくと三澤さんの携帯は、まだ予測変換の未搭載機種である。そこまでして書いていただける、書くんだと言う情熱に感謝致します。ところで、最近Risorgimento!ナイトのご案内をしてからというもの、ちょくちょく友人などから電話が入るようになった。内容は皆殆ど同じで、行きたいのだけれども怖そうだからやめる(笑)というものだ。あのねえ、ライオンが火の輪をくぐり抜けるショーをするのではないのだから、何も怖いことはないのだよ。まあ確かに来場予定者は、一般の人は勿論だけど、運動家、活動家、警察官、やくざ者の方々だけれども、皆野村ファン、Risorgimento!ファンなのだから、そういった心配(怖い人達がたくさんいる)は全くないと言えます。別に怖くないし。怖そうな人はいるけど。山ちゃん・画伯とか。まあそんな感じなので、売り上げも立てなきゃいけないし、たくさんのご来場をお待ちしております。

運転をしている時間よりも、待機している方がかなり長かった。新宿黄金街では、八時間同じ場所で待っていたことがある。この時間をどう過ごすのか。野村は私にこう言った。この車の中を牢獄だと思いひたすら本を読め、と。私は常に車中に二、三冊の本を持ち込み、読み始めた。車内灯では暗いしバッテリーの事もあるので、車をなるべく街灯の下に停めるようにした。繁華街では意外とネオンなどの灯りもあり、充分読書ができた。瀬戸内晴美「美は乱調にあり」、三島由紀夫評論集の「太陽と鉄」などは、野村に薦られたもので、それらが車内にあるのを見ると野村は、「おー、読んでるな」と言ってくれたものである。車内の本は少しずつ増えて行き、私はそれらの本を「ベンツ文庫」と名付け、野村が早く開けろとドア叩くまで、没頭した。銀座などでは他にも所謂「運転手」稼業の人達がたくさんいて、それぞれ待機をしていた。暫くすると彼等の顔と車種も覚え、どういう人を待っているのかも自然と判るようになった。芸能人、社長、会長、親分。いろいろな業界の人達がいた。殆どの「運転手」は、車内で漫画を読む、眠る、路上で喋るなどのことをして時間を潰していた。私はその輪の中には、殆ど加わらなかった。最初のうちこそ、右も左も判らないので、話をしたりしたが、慣れてくると読書の方が大事なので、挨拶程度で車内に閉じこもった。生意気なようだが私は、俺は「運転手」ではない、車の運転だけをする仕事をしているわけではない、今は修行中だ、野村秋介の全てをサポートするのが俺の使命だと思っていた。だから彼等とは一線を画するようにしていた。その内あいつは変わり者だと思ったのか、話しかけられることもなくなった。孤立ではない、孤高だと思っていた。俺は天下の野村秋介の秘書なんだ、あなた達とは違うんですよ、という強烈な思いに包まれていた。嫌な奴だと思われていたに違いない。しかし全く気にはならなかった。今に見ていろ、と心の中で思っていた。彼等の中に、野村が当時大変懇意にしていた会社社長の運転手で、私と仲の好かった一人がいたのだが、彼、哲ちゃんとも一度そのような私の思いに関して喧嘩をした。「なんだかんだ言っても、古澤さんだってただの運転手じゃないですか」私は彼に判って欲しいと思ったが、判ってくれるだろうとは思わなかった。何故なら仕えている人が、根本的に違うのだ。私が朝日新聞東京本社事件を惹起し、東京拘置所に移送されてから、哲ちゃんは面会に来てくれた。そして「あの時古澤さんが言っていたのは、こういう事だったんですね。やっと判りました」と言ってくれた。

10月某日
昨朝、5日間続いていた早朝走行が途絶えた。3時就寝ではいけない。夜一水会フォーラム出席のため、高田馬場へ。「連合艦隊」などを撮った監督さんが講師。奇しくも谷村新司の「群青」に言及していた。あの歌に同じような感慨を持つ人は多いですね。ところで、今月のレコンキスタに私のインタビュー記事が掲載されています。「野村秋介先生没後十年特別企画」です。見開き一頁の右側が志村大悲会会長代行、左側が私です。レコンに記事を載せて貰うのは二回目。最初は平成十一年に木村代表と渡印した時。私にとってレコンは憧れのブランド。斬新な発想、行動。当時一水会の勉強会に、とある民族派団体の代表の方が講師として招かれた時、「本日は一水会さんの勉強会なので、セーターを着てきました」と言った事が活字になるくらい、従来の運動形態とは色々な面で違っていた。結局私は一水会には行かず、野村門下になったのだが、一水会さんは、昔と同じように、常に若者達を惹き付ける魅力ある団体でいて下さい。

10月某日
高校の同級生のけんぎょう君から青山へ呼び出し電話。素敵な焼き鳥屋へ案内していただきました。影虎を一杯頂いてから、魔王と百年の孤独を。その後、出獄直後にけんぎょう君が連れて行ってくれた西麻布にあるバーの姉妹店へ。アイラモルトを頂きながら、素敵な35歳の女性従業員と楽しくお話。2時半帰宅。けんぎょう君はタクシーで去っていきましたが、大丈夫だったかな。先日黄金街からの帰り、降車するとき顔面から座席に倒れこんでいましたよ。眼鏡が曲がったと騒いでおりましたよ。そう言えば、先程気づいたのですが、Risorgimento!ナイトのご案内を郵送でさせていただいた方々がいらっしゃるのですが、記載されている私の電話番号が間違っておりました。090ではなく080です。すいません。


平日は14時前後に迎えに行き、夜は1時から2時位に帰宅する。自宅に入る前に明日の出発時間を聞くことになっていた。土曜日曜は事務所へ向かうことはなかったが、夕方電話があり、近所で夕食を共にすることが多かった。野村のご家族は、休日大体皆出かけてしまっていたので、自ずと私が一緒だった。兎に角賑やかな事が好きで、食事も一人で摂るということは先ずなかった。外食時もたくさん注文して、テーブルの上に多くの皿を並べていた。食べ切れない量になることもある。それを眺めて満足していたようだ。自分では食べなくても、周りの者に気を使って勧めるのも忘れなかった。ただ休日の夕食は、ちょっと趣が違い、野村と差し向かいに座って、昔の話などをよく聞かせてくれた。興に乗ると、銀河蒼茫に掲載されている句を、その場で書いてくれたが、何分紙など用意をしていないので、結局お店の箸袋や、コースターなどになってしまった。私は野村の晩年一番近くに一番長くいたのだが、終ぞ書などを貰えなかった。私の手元にあるのは、俳句の書かれた箸袋、コースター、手紙を書いた時に失敗だと言って捨てようとした巻紙の三点だけである。巻紙は、小山内さんが折角先生が書いたものだから、と先生に断って私にくれたものである。落款も押してある。写真は意外に多く残っている。国内・海外共に、よく連れて行ってもらったからである。何れにせよ、形に残るものよりも、ずっと多くのものを野村は私に残していってくれた。

10月某日
ガルガンチュアのタンコさんのライブが、新宿・紀伊国屋ホールで行われたため、出席。バービーボーイズのKONTAがゲストで来ていたが、ロシア語で歌唱していた。なんでもこの人は5,6ヶ国語に堪能らしい。ワーイ俺なんて日本語も満足に喋れやしないよ。そんでも彼の国の歌って、物語になっているので非常に判りやすいね。彼女は毒を飲んだ、何故ならやくざな男に恋をしたからさー、ららららーってな感じ。写真はガルガンチュアのみたさんと。終了後、大熊さんのご好意で3丁目の居酒屋へ。八海山一杯で酔っ払ってしまった。その他焼酎などを頂きました。

銀座や六本木、またはホテルや料亭などで会食・会談する場合は、私は車内で待機が通常であった。携帯電話も今ほどではないものの普及し始めていたが、当時はまだ車載電話を主に使用していたので、電話番をしなくてはならなかったのと、まれに私にも会っている相手を秘する場合があった為である。終了して車に乗り込んでから、たった今会ってきた相手、話の内容などを聞かせてもらったこともあったし、全く喋らないこともあった。私は野村に信用されていると感じてはいたが、そういった時に敢えて内容を問うこともなかった。今私がゴールデン街で好く行くお店に、ガルガンチュァとルマタンがある。この二軒は当時野村が足繁く通ったところだった。十年ぶりに私が訪れた時も、タンコさん、都さんは覚えていてくれた。ゴールデン街に限って、野村は私を店内に誘ってくれた。勿論飲酒はできないので喫茶になるわけだが、それでも楽しかった。故阿部勉・木村三浩・新藤厚などの各氏とよく語り合っていた。ただゴールデン街コースは殊の外終了時間が遅く、5時6時というのはざらだった。

10月某日
駒沢公園へバイクで行き、40分間走。その後フリーマーケットをひやかし、屋台のカレーを食べ、昼寝した。好い日であった。

10月某日
7時起床で7KM走る。36分。午後から菊ちゃんのお芝居観劇のため、大熊・山崎・高橋の各氏と阿佐ヶ谷へ。休憩15分を含む3時間の長丁場。その後野村家へ今度のRisorgimento!ナイトのご報告のため、山ちゃんと川崎の野村家へ。姐さん(何故か昔からこう呼ばれていたので、慣習にならい私も呼んでいる)にすっかりご馳走になっていまいました。有難うございました。その後山ちゃんは近所の暴走族いじめに飽き足らず、センター街のチーマー(まだいるの?)退治に乗り込んでいった。

10月某日
10月20日が近付くにつれ、酒場でも野村の話題を好く耳にするようになった。連載をお願いしている山ちゃん、三澤さんも、今回野村について書いてくれている。皆それぞれ思いはあるのだ。

10月某日
えー、只今10時になりましたが、まだ出勤していません。先程起床しました。結局黄金街では4軒ビラ撒きに行きました。何時に解散したか覚えていません。途中、高校時代の同級生・カタカナ度合いがとても激しい職業の謙行君と5年ぶりに合流。因みに私は、漢字度合いのとても激しい人生。北方領土返還 大日本帝国憲法とか(笑)。ルマタン、ガルガンチュァ、うとうと、ユニアンにはRisorgimento!ナイトのチラシを置かせて頂きました。

10月某日
今夜は大熊オーナーと、新宿黄金街へビラ撒きに行ってくる。日付が変わる前には退散する予定。12時間労働だと、寝る時間が少なくて困る。5時起床、5時半走りに行き、6時半帰宅、腹筋して朝飯作って食べて弁当作って体洗って出発が8時。21時まで働いて、22時前に帰宅し、腕立て伏せして体洗って簡単に食事をし、PC立ち上げて作業しようものなら、もう0時。睡眠時間5時間。きつい。なので昨今は帰宅してもテレビは見ない、PCも立ち上げない、23時には就寝、サイト更新は勤務中、移動中に行うと、その為にバイオがあるのですよと、こんな誓いをたてました。ちょっと体力作りしないとねえ。富士登山頓挫したし。あれ以来どうもさぼりがちになっていたし。余分な脂肪が増えているし。炭水化物減らして、格好よい体になるよ。まだ負けないよ。諦めないよ。中年体型にはならないよ。中身はどうあれ外見だけは好い男になるよ(笑)。外面だけの男。うーん、とても自分らしい肩書き。トレビアン。

10月某日
画伯が仕事先を馘首。ショックでベトナムに逐電し殺し屋になるらしい。そりゃそうだろう、この不景気な世の中で、あんな凶暴・凶悪・凶顔なお方を雇うほど余裕のある企業があるとは思えないが。詳細は来週の愛国日記(特別に公開中)を。なんで渋谷区を飛ばして新宿に行くのか判らん。品川区では駄目なのかい?

10月某日
深夜画伯が、俺の作品が間違ってアップされとる、と脅迫されたので午前中確認したら、成る程仰るとおりでしたわ。修正作業中に、連番も間違って振っていたことに気づき、やりなおし。ところがなんどやっても以前のファイルがでてしまい、頭に来たのでサーバ側のファイルを全て削除し、FTPで転送しなおしかけたところで、ADSLではないことに気づいた。でもまあ、約20MのファイルがAir H”で1時間あまり。やっと正常に戻った。

平日は午後2時過ぎに野村を迎えに行き、第二京浜を走り、戸越から首都高に乗り、飯倉で下りる。赤坂の事務所に着いてからは、来客の応対をしたり、書斎で原稿書きや手紙を認めていた。原稿を書く場合は、私が辞書引き係りで、野村は判らない字があると、私にメモ書きしたものを無言のまま渡し、それを見た私は辞書を引き同じくメモ書きして返す。事務所だけでなく、自宅で書く時も、そうだった。遺作となった「さらば群青」は主に自宅で書かれた。五月の薫風の中、自宅三階の書斎で背中を丸め、座卓に向かっている野村の姿を今でもはっきりと思い出すことができる。手紙の場合は、巻紙に筆書きだったので、墨をするところから手伝った。書き損じは最初からやり直しなので、手伝う私も結構緊張する。事務所が閉まる18時までは、電話の応対や買い物などの雑事が主な仕事だった。私の他には蜷川主幹、編集長、小山内さん、木村女史、斉藤さんといった顔触れだった。18時を過ぎると野村は出かける。いろいろな業界の人々と会食、会談するのが専らだった。銀座・新宿・六本木が多かった。慣れるに従い、店の名を聞いただけで、その時間の最短コースが判別できるようになった。野村自身は運転はしないのだが、都内の道はとても詳しい。特に裏道は、この大きな車で通れるのかと思うほど、狭く入り組んだところも知っていた。

9月某日
遅くなりましたが、運動の先輩でもある三澤さんの連載が始まります。長いものと、単発の短いものとの二本立てです。乞うご期待。


都内の道は判らない、運転にも不慣れという形で、私の秘書仕事は始まった。車両感覚はすぐに覚えた。あれだけ大きいと、狭い道でも相手方が譲ってくれることが多かったのも、助かった。ただし道を覚えるのは苦労した。事前に行き先が判っていれば、下調べをし、覚えることも可能だが、野村の場合は、乗ってから行き先を告げるのだった。「廣済堂の本社へ行け」「判りません」「真直ぐ行け」と言われ、真直ぐ走る。そのうち野村は寝てしまう。暫らくして目覚め「此処は何処だ?」「判りません」「馬鹿野郎、だから真直ぐ走れって言っただろ!」さして理不尽だとは思わなかった。こういうものだと最初から考えていたのだろう。逗子から通うのは大変なので、赤坂の事務所へ行くようになってからは、目黒の祖母宅に身を寄せた。しかし秘書の仕事が始まってからは、毎日野村の自宅へ行かなければならないので、野村宅から歩いて10分のところへ引っ越した。川崎市である。迎えに行くのは大体午後2時過ぎである。その時の状況に合わせ、洗車が必要な時、ガソリンを入れなければならない時等、30分から1時間前には行っていた。準備ができると、インターホンでその旨伝えるのだが、大抵野村は出発できる状態ではなかった。食事をしている、服を選んでいる、まだ寝ている時もあった。だったらもうちょっと遅い時間を指定してくれれば好いのに、と思ったこともあったが、時間に遅れることはなかった。それが野村の信用を得る事になっていったのは、間違いないだろう。実を言うと、一回だけ遅刻をしたことがあった。映画「獅子王達の夏」の姉妹編「獅子王達の最后」の撮影前のお祓いを、渋谷の金王神社で行うことになり、確か午後2時に来いと言われていたのだが、5分ほど遅れた。通常ならば野村はまだ家の中で準備中の筈なのだが、なんとその時は、玄関の前で立っていた。驚いた。時間通りに出発できる日など、滅多にないのに、私が遅れたその日に限って玄関の前で待ち構えているとは。まるで私が遅刻するのを知っていたかのようだった。野村にはこういった人智を超えた、不思議な事が好くあった。


9月某日
野村門下の先輩である正田さんのご尊父葬儀のため、大宮へ。帰りの埼京線の中でアップしている。Air H"は凄いね。



当初の予定通り退職した私は、横浜の大悲会会員になり、中台のお店を手伝いながら、運動というものに、携わって行った。いくら私が野村の側にいたいと言ったところで、いきなり現れた得体の知れない若者を、野村の近くに置くわけにはいかず、先ずは横浜で様子を見ようということになったらしい。正しい判断である。この業界、「野村先生の本を読んで感動しました。平成維新のために命をかけます」と言うような若者が、私が入会したあとにも、数人やってきた。そしてその殆どが何時の間にかいなくなった。維新とは、革命とは日常そのものなんだ、ということを竹中労さんが言っていたらしいが、まさにその通りで、幕末ではないのだから新撰組の襲撃のような毎日毎日劇的な事などあるわけがなく、ビラ作りビラ貼りや街頭演説、勉強会など地味な連続である。その積み重ねの延長上に、変革というものが待っているのではないのだろうか。私が横浜へ行ったのと丁度同じ時期に内山が金丸邸事件から帰還し、大悲会も再び本格的な運動を展開しようとしている時期だった。私は逗子の大悲会関係の建物に住むことになった。その辺のところは「さらば群青」にも載っている。平日は店の手伝い、金曜日は横浜駅西口で街頭演説、その他、各団体の勉強会、演説会などに参加する日々が始まった。野村の近くに行けなかったことで腐ることもなく、毎日を忙しく過ごしていたが、赤坂に移転した野村事務所で人が足りないので誰か一人いないか、という話が野村から横浜にあり、一ヶ月程見てきたが、まあこいつなら大丈夫だろうということで、私が選ばれた。9時半頃に赤坂の事務所に出勤。朝の掃除をし、10時からは資料整理や雑用が私の主な仕事である。野村は午後事務所に現れる。お早うございます、と大声で挨拶し、野村の湯飲みにお茶をいれ、奥の書斎に持っていく。事務所には3,4人しかいないのだが、新しく現れた声の大きな若い者のことを、野村は気に入ってくれたようであった。2,3週間過ぎた頃、当時野村の車を運転していた者が、車両をぶつけたことで野村の怒りを買い、突然私と交代することになった。免許は持っているものの、一年に数回しか運転したこのない私とである。しかもその頃の野村は親しい人から送られた6m近いベンツに乗っていたのである。



私にとって野村とは、憧れであり、スターであった。運動のことは本を読み頭で理解はしていたが、実際にしたことはなく、また一般的に行われていた民族運動の方法には、あまり興味がなかった。もしも野村が社会主義者であっても、私の野村に対する思いは変わらなかっただろう。野村の思想には勿論共鳴するが、私は単に野村の事が好きだったのだ。物凄く好きだった。ただその一点だけである。野村の本を読んで一番惹かれた点は、己以外の事で、命をかけ行動したところである。誰でも私欲はある。金が欲しい、あいつが憎いということで罪を犯す人はたくさんいる。しかし野村はどうであろうか。その最期もまた己の欲とはかけ離れたものであった。私は当初、12年も囹圄の身となりながら、2年足らずですぐ経団連事件を惹起したことに、野村の運動にかける真剣さを感じていた。しかしこの道に入り、野村と話をしたり、更に書物に目を通して、実は最初の河野邸事件が野村にとってどれだけ命がけだったかということが判った。当時の陣営の殆どの人達、団体どころか、その世界では大権力者と言えるような人とも一戦を交える事を覚悟しなくては、ならなかったからである。12年間という時間が俺を救ったのだ、あれがもし数年という短い刑期だったら、出獄後間違いなく殺されていただろうとも聞いたことがある。この人の信念というか、己の道を突き進み、決して曲げない曲がらない芯の強さには、ただ頭を垂れるだけである。



確か最初に読んだのは、山平重樹さんの「人間ドキュメント野村秋介」だったような気がする。大きな書店に行くたびに、思想あるいは社会の棚で野村の本を探した。なかなか好い値段なので(笑)、当時の私としては、月に一冊づつ買えれば好い方だった。四谷公会堂だが、鈴木邦男さんも出ていたような気がする。というか、一水会現代講座に出演していたのかもしれない。日時は忘れた。野村が「鈴木邦男と決別する」と言ってたのが印象的だった。講演が終わると蜷川・中台に呼ばれ、舞台から降りてきた野村に私を紹介してくれた。名前を言って握手をしてもらった。野村の大きな笑顔が印象的だった。帰ろうとしたら横浜に行くからちょっと話しでもしないかと、中台に誘われたので、寄ってみる事にした。初音町の中台の店には、もう一人若い人が来た。それが統一戦線義勇軍の針谷議長だった。同年代ということもあり、爾来変わりなく今もお付き合いをさせていただいているのだが、この日が最初の出会いであった。結局針谷議長に茅ヶ崎の自宅まで送ってもらったのが、4時ごろだったと思う。中台も交え、運動の話に止まらず、野村や自分達の生い立ちについてなどを語り合っていたら、そんな時間になってしまったのだ。私は一ヶ月で今の勤務先を退職する事を話し、そうしたら野村のもとで運動をしたいと、自分の意志を告げた。初めて野村に会い、初めて運動家の人と話をした。不思議と昂揚感はなかった。この道を行くことが最初から定められていたのかもしれない。



平成3年10月、私は「銀河蒼氓」の奥付に記してあった、当時まだ浜松町の二十一世紀書院に電話をした。今の勤め先をやめるので、そちらに就職したいのだが、募集はしているのかと尋ねた私に、秘書をしていた小山内さんは、募集はしていない、野村のことを知りたいのなら、横浜に蜷川・中台というものがいるので、電話番号を教えるから連絡を取ってみたらどうかと、答えた。後から聞いたところによると、あの時野村は小山内さんの隣にいたそうだ。たまに私のような変わり者が電話をしてくることがあるそうで、その時も小山内さんは受話器をもったまま、目で野村にお伺いしたのだが、野村はいつものように関心を示さなかったので、横浜の門下生に振ったということだった。20代のはじめに野村の著書を読んだ私は、伝記を読み感動することはあっても、その人はもう既に過去の人、今この時代にこんな凄い人が生きているのかと、かなりの衝撃を受けた。その後、野村の著作を一冊ずつ買い求め、こういう人の側で生きていけたら、俺の人生は充実するに違いないと、妄想を膨らませていたものの、なかなか思い切ることができず、27歳になって、やっと電話という形で、一歩踏み出したのであった。蜷川に電話した私は、2月11日に大磯で集会があるから来てみたらと言われ、平成4年の当日出かけていった。それは神奈川維新協議会の紀元節奉祝街宣で、何十台の街宣車両で大磯から藤沢まで走行するというものだった。ある1台に乗せてもらった私に直ぐマイクが渡され、紙に書いてあったシュプレヒコールを連呼した。実はその出発前、現場は殺気だっていた。後から判ったのだが、相原君が、自民党の本部に立て籠もっていたのであった。警察の慌ただしい動き、伊藤さん、瀬野さんの男泣きが、今でも鮮明に思い出される。そして帰り際、蜷川から四谷公会堂で野村の講演があると言うことを聞かされ、行ってみることにした。


9月某日
バイト先の盛ちゃん送別会で旗の台の焼肉店へ。牛豚肉キムチ韓国酒大量摂取。次はカラオケ。終了後皆と別れ第二京浜を歩き出す。ふと気づくと、大崎郵便局近くのマンション入り口で倒れていた。鞄が5m離れたところに落ちている。鍵電話財布が入っているのに。これはいかんいかんと起き上がり、鞄を拾って歩き出す。ふと気づくとコンビニ前で座っていた。これはいかんいかんと歩き出すが、正気である間隔が短くなっているような気がしてきたので、タクシー乗車で帰宅。2300円也。

9月某日
結局登山は中止。一水会・機関誌レコンキスタの取材を受けるため、15時にお寺へ。塚越和尚と暫らくぶりにお話をしたあと、一水会の横山さんから取材。約1時間で終了。山ちゃん運転で都内へ向かうが、渋滞で2時間かかった。

9月某日
連日バイオの設定と、チラシの印刷・完成と、レコンキスタに載せて頂くRisorgimento!
ナイトの広告版下の作成に、睡眠時間もままならない。日中は頭が呆けているので、何もないところで躓きそうになったり、何でもないところに手や体をぶつけたりしている。バイト先の谷ちゃんに頼んでいたチラシが刷り上ったので、画伯、山ちゃん、大熊さん宅に配達。欲しい方は言って下さい。差し上げます。明日は野村が眠る浄発願時のある大山に登る予定だが、雨の予報。何で今週はこんなに暑いのに、明日だけは雨なの?ねえどうして。富士山のリヴェンジならずか。リヴェンジのリヴェンジをしなくてはならないの。ところでバイオは買って好かったよ。何処でもオフィスだからね。今回のチラシ作りも、帰宅してから作業をしたと思うと、6万円だしても充分に元は取れるだろうという確信がある。但し、掲示板でも言われているように、キーボードは駄目だね。シグマリオンの方がまだ好い。フニャフニャなんだよね。クリック感が乏しすぎる。

9月某日
結局今朝4時まで設定等でいじっていた。これのレビューについては、また改めて。チラシ完成。見ていない人は、「表紙」に入ってください。どうでした?何か格好よすぎるねえ。このイベントを行うにあたり、当初は内輪の人だけ集まって、懐かしい話などできれば好いかなくらいに思っていたのだが、出来上がったチラシを見て、決意を新たにした(笑)。こうなったら、野村の生き様死に様について、叫びあげてやる。俺が知っていること、目の当たりにしたこと、感じたことを、遠慮無しにぶつけてやる。画伯有難う。肚が決まったよ。深謝。十月十七日は皆さん宜しく。

9月某日
昨夜は、飲酒過多で日記もいまいちな内容でしたので、本日書き直しをしようと思っていたらば、イベントがあってやっと1時を回ってから書き出したので、今夜もいまいちになりそう。今朝は駒沢公園をバイクで走り出して始まった。午前中に画伯から訪問許可のメールが来信。バイクで出かけた。チラシを少し手直しして、完成。明日から印刷にかかる予定。だったが、帰りに寄ったノジマ六本木店で、バイオU101が展示されているのを発見。近くにいた店長さんに話を聞くと、この展示一台しかないとのこと。展示品なので値引き交渉を始め、色んな値引きをつけ消費税込みで140Kで決定。LOOX買取が78000円だったので、6万円強の支払いで済んだ。遂に買ってしまった。どうしましょう。各種設定をやると夜が明けそうなので、もう寝る。

9月某日
6時起床で日課の走行。ヴァームを飲んだにも拘らず、途中でエネルギー切れ。歩いて帰る。午後からバイト先の谷ちゃんが参加するライブ出席のために、山ちゃんを誘って板橋へ。いやー、千円で麦酒飲み放題。酔っ払いました。その後青山に戻って、郡上八幡踊りに参加。踊りの輪に加わろうとしたが、酩酊していたものですから、見学。

9月某日
昼前から走りに出た。好い天気。途中吉野家の前で、携帯電話を取得。青山一丁目交差点の交番へ届け出る。簡単な手続きをして走り出す。ものの10分もしないうちに、今度は便意を催した。周回コースにある公園の便所に入ったが、紙がない。公園の入り口にあった交番に駆け込み、紙を貰う。短時間の間に2度も交番に入った。終了後、マーボー茄子スパゲッティを食し、パソコンの設定の続きをしに、山ちゃん宅へ。あまりにも暑いので、麦酒を買って行く。ソフトを幾つかインストール。ビールが切れたので、中国産の62度もあるスピリッツを頂いたが、2杯飲んで酔っ払った。最近の山崎氏は、夜な夜な安眠を妨害する近所の暴走族退治に専念しているとのこと。 素晴らしい。深夜画伯からチラシ完成の報が。とても楽しみ。近日大公開。

9月某日
Risorgimento!ナイトのチラシ作りに没頭。画伯とのコラボレイトで素晴らしいものができつつある。乞うご期待。

9月某日
初公開 バイオで作業する画伯
それを酔っ払って後ろから眺めている編集長

9月某日
罷業後、Risorgimento!ナイトのチラシ作成のため、画伯宅へ。一升300円の日本酒を飲みながら、作業。古いマンションの屋上に建っている、塹壕のような建物の、更に上にある居室は、とても涼しい。開け放たれた扉が額縁のように、六本木ヒルズを切り取っている。今、フォトショップに立ち向かっている画伯の後ろでこれを書いているのだよ。あんまりああぢやないこうぢやないというと、いつまた「酔っ払いました」宣言がでても困るので、黙って「星野仙一の真実」を見ながら、打ち込んでいる。取り敢えず今日はここまで。この続きは、また明日。僕も酔っ払ったから。

9月某日
久し振りに汗まみれになって走った。今夏は雨が多く、走る回数自体もかなり減った。六時に起床し、走りに行こうと思っていたところ、サイトの更新をしたり、宅配の再配達を待っているうちに、14時になってしまった。既に気温は上昇していた。綿百のTシャツ全体が汗で変色し、気色悪いことこのうえないが、また爽快でもある。好い気持ち。19時から亀戸で大笑会の会合に、RPL勝野を同伴し、久方ぶりに出席。Risorgimento!ナイトの宣伝もしてきました。21時過ぎに解散。そのままいつもお世話になっている三ノ輪のバローロさんへ。終電で帰ろうと思っていたのだが、お客さんと喋っているうちに、機会を逃してしまい、そのままずるずると。0時過ぎに大熊オーナーも登場し、盛り上がってしまった。3時過ぎに解散。徒歩帰宅をしようと思ったが、大熊オーナーのご好意で、宿泊。9時起床で帰宅。13時から千代田区公会堂での、群青忌の打合せ。その後ビースト宅へ。2000化したPCの調子が悪いので、MEへ戻す作業。LANボードのドライバがMEでは標準で入っておらず、ネット接続不可。新しく購入。その他設定で15時から19時までかかってしまった。お疲れ様でした。

9月某日
携帯電話を機種変更。A3014S。着せ替えパネルの中にRisorgimento!の表紙を入れてみた。おおー、Risorgimento!携帯電話の出来上がり。素晴らしい。カメラ付きはどうも馴染めない。なんで電話にカメラが必要なのかが好く判らない。そういう人って案外多いような気がするんだけど。結局auでカメラ無しは以前のものしかないので、ヤフーで落とした。カメラなんかいらないから、カシオは早く防水の新しいのを出して欲しい。そう言えば一昨日、http://
risorgimento.co3.jp/で表示できない不具合が発生。これは転送URLなので、運営してる側のサーバがおかしかったのだろうか。大熊オーナーからも見られないと連絡があった。http://www.ne.jp/asahi/risorgimento/pasta/では見られたので、多分そうなのだろう。判らんけど。若しかしてサイト攻撃?安かったんで転送にしたんだけど、そろそろドメイン取得しようかな。それから新しいPCも欲しいし。この馬鹿LOOXで作業すると、非常に腹立たしい事が多いので、精神衛生上とても好くない。これがメインマシンだから笑える。U101、若しくはシグマリオン3、若しくはクリエで迷っている。大きさとメール端末としてはシグ3で好いのだけれども、サイト更新を考えると、U101になる。でも普段持ち歩くには、突発的に長距離歩行を敢行する私としては、なるべく軽いほうが好いし、HDがあるU101はとても心配。両方買えば好いんだけど。ついでにTR−1も買えば、モバイル環境では何も心配なし。おおー、素晴らしい。ノートばっかり買わないで、最新スペックを自作でやったほうが安いのは充分過ぎるほど判ってはいるのだけれども、どうも古澤的キーワードが、最小・最軽量・折りたたみ・モバイル・持ち運びといった世界に偏っているのだよね。野田知祐ではないけど、身の回りのものを全て折りたたんで持ち運びしながら生活したいという、願望があるのだよ。定住より移動。農耕より狩猟。保守より革新(笑)。

9月某日
バイト先のお友達と、大森へ出撃。機械式のダーツがある飲食店。3〜4ゲームやって、一回だけ一番。酔っ払う程に的に当たらなくなった。その後久し振りにカラオケへ。谷君と私のブルーハーツで幕開け。2時間歌って、盛君が帰るのを潮時に解散したが、谷君に誘われ、和民に。音楽・政治・人生について熱く語る谷君の話が面白かった。3時閉店で解散。歩いてバイト先まで行き、4時間ほど仮眠。

9月某日
罷業後、新宿ロフトプラスワンにて、木村さん、沢口さん、大熊さんと、Risorgimento!ナイトの打合せ。ロフトでの経験者である木村・沢口両氏のアドバイスを受け、具体的な内容が決まってきた。その後黄金街ルマタンに移動。木村さんから野村との印象深い貴重な思い出話を聞くことができ、大変ためになった。珍しく終電前に帰宅。

9月某日
帰省した際、母親がSO505iを購入していたので、早速触ってみた。質感も好く、デジタルガジェットとしては、申し分ない。auだったら、間違いなく買っているだろうと思うほど、好い。なんでソニエリはauでこの形を出さないのか? やっぱりドコモ重視なのかねえ。





8月某日
渋谷のオーチャードホールへ、「ローラン・プティの世界 デューク・エリントン・バレエ」を観劇。草刈民代さんって、とっても綺麗。その後三軒茶屋で画伯と待ち合わせ、リンク先であるレコード屋フジヤマさんへ向かうが、閉店中。なんでも、根気好く通えば、何時かは開店時に遭遇できると言う、日曜日もやっておらず商売気を感じさせないリンク先を後にし、養老の滝へ。途中「風と拳銃」のビデオを取りに来た大熊さんも合流。3時間以上店内に逗留。その後高橋邸へ日本酒を買って移動。何時解散したかは不明。

8月某日
CKのエタニティを購入。実は楽天にも出店しているフレグラスポイントで「レクトヴァーソ マン ティータバコ」「オーデ カルティエ」を注文。代金を振り込むために、渋谷のりそな銀行へ向かったところ、18時以降は現金ではできないことが判明。りそなを出た目の前に、キムラヤがあり、そう言えば香水も売っていたなと入店したら、2階にたくさんあった。テスターも全種類はなかったが、ある程度は確認できるので、色々試していたが、5分もしないうちに頭が痛くなってきた。凄い匂い。あんな中で働いていて、嗅覚がおかしくならないのか。何が何だか判らなくなってきたが、以前手に取って好感を持ったエタニティに決定。あー好い匂い。21時過ぎに帰宅したところ、野村秋介御子息の基から、大熊さんと神田にいるのですぐ来いとの電話。えー、明日も5時に起きて走って朝飯食って弁当作って12時間労働に出勤しなくてはならないのに睡眠時間があまりないのに、判りましたすぐ行きます必ず行きます待っててねと返事。魚介類の大変美味しいお店へ連れて行って貰いました。先ず八海山。次に魔王のロック。水割り。生牡蠣帆立貝鮪等々。22時過ぎに入店したため、1時間あまりで終了。本当に有難うございました。次に大熊さんのご好意で三ノ輪へ。生麦酒ホッピー。桃ちゃんと久し振りに再会。0時頃解散。西麻布まで送っていただき、徒歩帰宅。大熊さん、かずよちゃん、基、本当に有難うございました。(写真はホッピーについて説明する大熊オーナー)

8月某日
俊一の奴が突然帰ってきたので、散歩に連れて行ってやる事にした。朝4時になってもまだ寝ているので、起こしてやるためにロビーと二人で騒いでやった。4時半になり現れたので、海まで歩いて行った。久し振りだったのと、暑さですっかり疲れてしまったが、帰ってきて愛用のシャンプーで水浴びをしたら、元気になった。僕は黒い毛皮を着ているので、暑いのは苦手なのだ。久し振りに広い場所で、ボールを追いかけ気味ちが好かった。俊一の奴も遠州灘を見て、喜んでいたので、連れて行ってやって好かった。
8月某日
実家がある町内の夏祭りに参加。13時から缶麦酒を飲み始め、生麦酒サーバが来てからは、専ら試飲を重ねた。その間、水玉風船のヨーヨー作り。18時に始まると、受付でお楽しみセット券の販売を。会場となったお寺の境内には、ジュース、麦酒、焼きそば、フランクフルト、射的、流しそうめん、金魚すくい、ビンゴゲームなどなど。友人の親戚の親子の方をご招待したのだが、「此処の町の方には、本当に町内を盛り上げようとする熱意が感じられますね」と言っていた。小さい町だけに、人と人との繋がりが深いんだろうね。

8月某日
大悲会主催の勉強会が横浜であったのだが、盆休み中に帰省しなかった代わりに、今週末帰る事にしていたので、残念ながら欠席。ところで高橋嬢の勤務先に、長野県警の公安を名乗る男が現れたそうな。故阿部勉さんや木村さんを好く知っていると吹聴していたらしいが、木村さんは全く知らないんだって。高橋嬢は運動しているとはいえ、今まで警察関係とはまるで接触がないので、易々と騙せると思ったのだろう。今回はただ話をしに来ただけらしいが、潰す気になれば、雇い主の所へ直接行って話をするだけで、警察に疑われている人物ということで、解雇される可能性もある。そういう嫌がらせは常套手段だし、普通の人ならそれで運動はやめてしまう。本人は至極真面目な事をしているつもりでも、権力側にとっては、至極迷惑に思っていると言う事を、実感できたのではないだろうか。しかし警視庁ではなく、長野県警っていうのが、好く判らん。サイトを見て、個人的興味で公費を使って来店したんだろうか。ご苦労様。しかし警察官のファンまでできるとは、なかなか凄い。高橋嬢のサイトは、アクセス解析すると、警視庁の頁からとんできている人が多いらしい。何れ画伯の所にも、新潟県警あたりから、接触があると思われる。島根県警かな。なんにせよ、人気があるって事は好い事だ。

8月某日
野村門下・岩上さんの還暦祝いを、川崎にある野村のお店、「恋さん」で行った。総勢10名が参集。内山さんとも久々に再会。御子息の基君もあとから参加し、野村の懐かしいエピソードなどもたくさん飛び出した、楽しい3時間でした。


8月某日
シャネルのエゴイストを使用しているのだが、残り少なくなってきたので、新しく何を買おうか迷っている。自分の好きな香りと、似合う香りは違うわけで、エゴイストが自分に合っているかどうかは好く判らない。または、夏と冬でも違ってくるし。この前はエゴイスト プラチナム、その前はグッチ エンヴィ フォー メン、その前は忘れた。ハッピー フォー メンだったかも。エゴイストは名前が気に入った。香りも爽やかでなく、使っている人が少ないのも好い。何とかマリンなんて買う気にもならない。とは言うものの、自分では爽やか系かユニセックス系が合っていると思われるのだが、他の人に言わせると、わたくしは爽やかではないので爽やか系などとんでもないそうなのである。また同じエゴイストでも好いけど、自分に似合う香りが何処かにあるのではないかと思うと、今夜もまたあまたのサイトを徘徊してしまうのであるよ。

8月某日
GINZA9月号のスキャンしたやつをアップした。先程統一戦線義勇軍の針谷議長から、来週富士登山すると言う電話。私は予定がつかないので、断念。朝、仕事帰りに歩いていたが、午後起床してからのジョグに変更。今日で二日目。やっぱり走るのも必要かと思います。久し振りに赤坂御用地の周りを激走。嘘。ちんたら走った。なんかさ、俺が走っていると、箇所箇所に立っている赤坂署の方々が、無線で連絡を取り合っているような気がするのですが。俺が通り過ぎると無線で何か喋ってるの。次の人の所でも、通り過ぎるのと同時に無線で連絡してんの。前を走っている人が通っても、何もしない。こういうこと書くと、山ちゃんあたりに、「古澤さんはそんな大物ぢやあないって」って言われるんだけど、やっぱり気のせいなのかね。

8月某日
浅草・木馬亭にて、快楽亭ブラックさんの毒演会で沢口党首が舞踏するというので、応援に馳せ参じた。鈴木邦男さんも座談会に出演。沢口党首の公演は初めて鑑賞させていただいた。こんな事を言うのは失礼ですが、やはりプロだねえ。舞台終了後に、花束をお渡ししようとしたが、タイミングを逸してしまい、最後に楽屋へお邪魔した。鈴木さんのご紹介で、ブラックさんともお話させていただいた。有名古典落語を、独自の視点から変えたお話は、大変面白かった。ただし過去には各方面から、いろいろな圧力があったらしい。その後、アメ横の大熊さんを訪問。10月17日のRisorgimento!集会・野村秋介自決十年の打ち合わせ。その後表参道へ帰宅したところ、浅草の時点でメール送信していた画伯から、電気ブランを持って集合との返信が。既に浅草を離脱したので、電気ブランはないが、と送信したところ、まさか手ぶらでは来ないだろうなと更なる威圧が。大雨の中、大丸ピーコックへ行き、日本酒の物色。あまり好いのはなかったが、一本購入。21時過ぎ久し振りに建物の屋上に位置する画伯邸へ。すっかり有名になった一升300円の御酒を既に召し上がっている。ここの住所は、住民票上、「某マンション屋上」と記されているらしい。ここは番外地か。Rsorgimento!集会での画伯の表現について打ち合わせ。23時過ぎ酩酊して辞去。

8月某日
結局静岡県も大雨で、行っても登れなかったと思う。昨日、これを書いた後で、一緒に登る予定だった中村さんから再び電話があり、頂上で飲むための酒とあてを少し用意していたので、酒を買い足して残念会をしましょうとのこと。22時から八丁堀へ移動。3時過ぎまで飲酒。今回のリベンジは、野村の墓がある大山にしようと決定。下山ルートを浄発願寺側にし、御参りをして帰ろうと計画。今月末か九月に入ってから決行。富士とは違って、そんなに厳しくはないので、今度こそ皆さん如何ですか。

8月某日
行って来まーす、と登山宣言したが、お天気は回復しなかった。中村さんと電話で打ち合わせをし、今回は中止に決定。うーん、とっても残念。この何ヶ月か登山のためにトレーニングを積んできただけに、是が非でも行きたかったが、ここは勇気ある撤退を選択。悔しいのは私だけでなく、四月の時点で手を挙げて下さった中村さんも、さぞかし無念だと思います。今回はお天気に恵まれなかったが、機会があれば今月中に再度挑戦したいと思います。以上ご報告まで。

8月某日
パーミングした。レッツ パーミング。大熊オーナーの第一声は「編集長、どうしたの?」 バイト先での感想は「寝癖かと思った」 私としては、前回のパーミングより多分10年以上経っているので、自分の頭を見て楽しんでいる。1万3千円也。渋谷のマツキヨで、富士登山の備品を購入。ヴァームパウダーお徳用20袋入りを一箱、カロリーメイトゼリー、アミノバイタルのスマートエクササイズ・クイックリフレッシュ・アクティブ&エネルギーを各一個、ウイダーインゼリーのビタミンイン・エネルギーインを各一個、日本食研のバランスデイトのココア・バナナビター、その他カロリーメイトもどきを3箱。水分はバームパウダーを溶かしたものを3リットル程持って行く。、食料に関してはは、いつも登山中は胃腸の負担を少なくしたいので、ゼリータイプを多用。頂上でも殆ど食べないので、全行程をこれらゼリーと機能食品で乗り切る。あー、愈愈迫ってきた。天気は悪そう。前日23時に車で出発。そのまま富士宮入りし、タクシーで新五合目まで。行って来まーす。

8月某日
テレビで中高年の登山事故が多発しているとの番組が放映されると新聞に載っていたので、富士山を控えた私は気になって観賞。番組ではとある登山者の遭難例を取り上げていたが、その方は41歳。って俺と2歳しか違わないぢやん。俺は中年か。俺達は中年なのか、画伯よ。菊ちゃんよ。39年生まれは最早中年なのか。恐ろしい事になったものだねえ。この俺が中年かよ。キャバクラに行けば、まだ20歳台でしょ? でしょでしょ?うっそー、39歳には見えなーい、と言われるこのわたくしが。体力でも20歳台なのに。世間的には中年なんだね。

8月某日
先日、木村ゼミに参加している小池君から、同じゼミの若者たちが野村についてお話を聞かせて欲しいと言っているので、時間を作れとの要請があり、高田馬場へ。約3時間、野村門下生になったいきさつや、朝日新聞社での自決の様子などを、話させて頂いた。運動に入りたての若者達は純粋で、不純な私などは昔のやはり純粋だった頃を思い出し、いろいろ反省する事しきりだった。

8月某日
本日から盆休み。昨夜深夜作業中に、画伯からメール。マガジンハウス発行のGINZA9月号に掲載されたので、素早く購入し、広く知らしめる様にとの事。早速購入すると、女優のりょう女史が日記という形で一頁に写真と文で書き記した中に、お馴染の凶悪顔が拝見された。この顔は雑誌コードに引っかからないのか? 雑誌を見た人々に著しい恐怖感をもたらすのと同時に、社会に不安感を蔓延させるものと思科する。マガジンハウスも勇気があるね。

8月某日
東京湾華火大会。RPL軍団と行ったのだが、あまりの人の多さに、場所取りしてから麦酒を買いに出たら、戻れなくなった。電話は混雑で通じない。仕様がないので、立ち止まった場所から観賞。去年は自転車で見に来た。東京湾は打ち上げ数はそんなに多くはないが、種類も多いし面白い。帰宅して、プライド観戦。田村・吉田は好かったねえ。緊張感があった。だけど吉田だけ特別ルールって、不公平では。裸でやるのがプライドではないの。ミルコは見てて安心。あんまり人気ないが、俺は一番好き。格好いいし。ノゲイラとは好いから、ヒョードルと早くやらせろって。桜庭はもう終わりか。高田よりはよっぽど強いが、ガチンコでやりすぎ、というか師匠のように適当に手を抜いてやれば、あと2、3年はできる。こうなったら、やはり一番見たいのは、シウバ・吉田戦。決勝ではなく、準決勝でやって欲しい。これに勝った方が優勝だろうね。ところで、バイト先でもこのサイトの宣伝をしているのだが、私や野村の事を全く知らず、初めて見る人が言うには、このサイトの目的と言うか、何の為にやっているのかと言うのが、好く判らないそうだ。ふむふむ、なるほど。確かにそうだよねえ。いきなり「神田のビースト」って言われても、判らんわなあ。初心者にも判りやすい紙面作りを心掛けます。

8月某日
須藤元気をはつった奴が、またまたこう言っていると愚かなマスコミが報道している。「むしゃくしゃしてやった」 絶対言ってないって、そんな事。大体今の時代の三十歳が「むしゃくしゃ」なんていう言葉は使わないって。何、むしゃくしゃって? むしゃがくしゃになったの? 通り魔がこうも「むしゃくしゃ」してばかりいると、日本むしゃくしゃ協会の陰謀かなにかと思っちゃうんですけれども。会長むしゃ 名誉会長くしゃが役員。会員数は全国で2400人。通り魔、ストーカーが主会員。そんなに会員を増やしてどうするのか。日本転覆を企んでいるのか、大日本むしゃくしゃ協会よ。そういうことなら、こちらは全日本カッとなって会議を設立するよ。こちらの主会員は、粗暴犯。「ついカッとなってやった」と供述した人。そんな人もいないけどね。警察の垂れ流し発表を、そのまま報道するマスコミって、、戦前と何ら変わりはない。

8月某日
毎朝二時間かけ徒歩帰宅することが、日課になった。本日からは、実際登山で使用するジャックウルフスキンのザックに、水を詰めたペットボトルを何本か入れて歩く。何のためかって、富士山に登るため。別にこんな事しなくても、四十五十のおじさんおばさん達だって登れるのだから、好いのだけれども、より早く頂上まで行きたいので。しかし今年は去年の4時間10分より遅くなる事は確実。日程は八月十五日六時新五合目出発に決定。今回は車がないので、富士宮に前泊することにした。5時前にタクシーで新五合目まで移動。現在参加者は、私を含めて二名。他に行こうという気骨のある人はいませんか。登れなければ、如何に自分の体力がなく、情けないかと言う事を実感できますよ。そしたらば、歩いたり走ったりして、体を作り直せば好いではないですか。私の様に。毎朝二時間歩くとか。前にも言ったけど、俺は喧嘩も強く、、文章もうまい、何万人の前でも話ができると言うスーパーな、マルチな人間になりたい。文武両道。三島由紀夫。その為に毎日歩く走る腕立て伏せる腹筋する食事摂生するプロテイン飲むアミノ酸飲むサンドバッグ叩く本を読む日経新聞読むのだよ。人を惹きつける魅力って何よ。自分に対する厳しさぢやあないの。愛想がなくても、付き合いが悪くても、融通が利かなくても。だから俺は野村に惚れたのだよ。そういった意味も込めて、富士登山、ひとつ如何ですか? えっ、まるで関係ないって? まあそう言われればそうだけれども。

8月某日
好い気になって、早速kinabaluを履き、駆け足帰宅を敢行した。しかし、荷物を背負い、硬いソールの靴でアスファルトはきつかった。途中で何度も歩いた。というか何度か走った、のほうが近い。原因はまだある。本日出勤したら、すぐに社員とバイトの飲み会に誘われ、1時間ほど飲酒した(笑)。酔っ払った。仕事に戻り、罷業時は頭が痛くなった。電車で帰ろうかと思ったが、走り出した。それでも1時間25分で帰宅。

8月某日
富士登山用品購入。酸素缶と靴を新調した今迄は軽登山靴でハイカットを使用していたのだが、今回はmontrailのトレイルランニング用にした。kinabalu。はっきり言ってこれで登れるかどうか不安だが、私のスタイルには合っていると感じた。スパッツがあるのが気に入った。富士山は砂利の砂利が凄いからねえ。慣らすために一週間毎日履く。本番は一応今のところ15日を予定。エントリーは三名でしたが、体力的な面から二名脱落。まだ一名しかいないので、体力に自信のある方、一緒に行きましょう。頂上には野村の遺骨が眠っています。

8月某日
今朝、徒歩帰宅決行の30分後、急に便意を催した。私はこのように街中で急に便意を催すことがままある。主原因は、飲酒過多である。腸が異常に弱いのかもしれない。頭痛・嘔吐感・胃腸の痛みなどはない替わりに、凶暴な下痢になる。自室内で寛いでいるときなどは、さっと脱いで(私は下半身の衣類を全て脱ぎ捨ててから排泄する。他人の家では流石にやらないが。しかし他人の家に行くと、何故か排泄感を催す。縄張り意識が旺盛なのであろうか)便所に行けば何も問題はないのだが、怖いのは、外出時である。脱糞しかけた事など、最近でも往々にしてある。街中の便所といえば、駅、百貨店、公園などが代表的であるが、私は雑居ビルの便所を利用することが多い。これに関する嗅覚は、異常に優れていると自負している(笑)。雑居ビルでも、各部屋の中に便所がある場合と、共同になっているものがあり、勿論私の狙いは、共同の方であり、でないと何も言わずに小林商事のドアをあけても、皆の視線が集中してしまうし、「まいどー、宅配便でーす」と言って、オフィスのドアを開けるには、宅配便の格好をしてなければまずいのであり、やはり共同便所の方に落着くのである。そうはいうものの、深夜や早朝などは雑居ビルも施錠されていることが多く、気軽に利用できないのが悩みである。これまで幾度も辛酸を舐めてきたのも、大体深夜である。世に言う「四谷事件」も深夜だった。四谷・荒木町に一心ラーメンというのがあり、当時は野村の新宿・黄金街コースの立ち寄りポイントであったのだが、その時は、何故か個人的に行ったのだった。食べ終わって暫くしたら、猛烈な排泄攻撃が始まった。終電もとうに終わっていて、駅の便所は除外、コンビニ、飲食店もあたりに見当たらない。猛攻撃に耐えられるのは、あと一分間と判断した私は、やおら目の前の6階建てマンションの非常階段を上った。2階の踊場まで小走りに駆け上がると、そこでしゃがみ込み一気に解放したのである。わーい、ごめんなさい、住民の皆さん、さぞかし不愉快な思いをされたでしょうね。許してください。学生時には「協和銀行事件」。西院駅のはす向かいにあった、協和銀行の看板下で排泄をした。4時ごろであったか。22時くらいから、空手部の友人と飲み始めた気がする。長岡京に住んでいたので、始発の阪急京都線普通梅田行きを、西院駅の前で寝て待ち、駅員さんがシャッターを開ける音で、構内に入り、乗客もまばらな車内に乗り込んだ。次に座席に寝転んだままふと目を覚ますと、座席はまんべんなく埋まり、中には立っている人もいる車内の光景が、見受けられた。私が目を覚ました事に気付いた乗客達が、一斉にこちらを見ている。こんな時間にやけに人が多いなと、酔っ払った頭で考えたが、逆に走っているのに気付くまでには、暫く時間がかかった。つまり梅田まで行き、折り返しの河原町行きになっていたのである。6時半に近かったような記憶がある。話は戻って今朝になるが、徒歩帰宅のルート上には幾つかの排泄ポイントがある。そういった確認は怠らない(笑)。現時点から最寄の排泄ポイント、五反田ハローワーク近くの公衆便所まで約30分。持ちこたえられるぎりぎりの時間と、攻撃状態から判断した。進軍あるのみ。肛門を引き締めてやや小走り気味に、歩いた。やっと目指すポイントが見え始め、残り10mとなった時。タクシーがするするっと私を追い抜き便所の前に停まると、降りた運転手さんがやや小走りに、便所の中に消えて行った。ももももももしかして、大ではなかろうな大では。そこは一つしかないのだ大の方は。いやー、おしっこに決まっているよ、大丈夫だよ、前立腺肥大で頻尿なのだよ、といった声が囁かれた気もしたが、一方で、そう言えばあの運転手さん、お腹を押さえていなかったか、という声も聞かれた。うーむ、唸りながら便所に突入したら、大の部屋は閉まっていた。「わーい、お腹が痛いよー、早く出ておくれよー」と、高橋嬢のように叫びながらドトールの便所の扉を蹴飛ばしたりせず、あくまでも声を押し殺し、足踏みをしながら待ち続けたら、思いのほか、早く切り上げ出てきた運転手さんが私の血走った目を見て、ぎょっとしたように手も洗わず逃げて行った。今回はなんとか間に合った。しかしここから先、広尾から青山までは、路上に便所が点在しているのと対照的に、五反田近辺までにはないのが困る。まあ調子が悪いときは2時間も歩こうとせず、素直に電車に乗って帰りなよ。

7月某日
今月も終わり。来月は富士登山。参加希望者は、今のところ二名。

7月某日
今年は雨が多いねえ。いつもなら、「今日の首都圏の水瓶は・・・」といって利根川水系のダムの映像などが、必ず流れていたのだが、今年は冷夏で野菜が高値。極端だねえ。逆に監獄ではいくらか過ごし易いでしょう。特に衣替え時期からの水の使い方に対する官の恫喝は、うるさいっていうもんではなかった。監獄の蛇口は、大抵押している間しか水が流れない様になっている。捻れば開けている間だけ流れている、通常のものとは違う。顔を洗うのも、洗面器に水を溜めてやる。私の周りでは、少なくともそんなふうに顔を洗う人はいない(筈)。歯磨きは、コップに水を入れて。流しっぱなしにしようと思ってもできないから。資源の事だけでなく、宗教的な側面から見ても、当たり前の事なんだけど。臨済宗では朝、コップ一杯の水しか使わず洗顔その他を行うとの事。普段、消費が美徳みたいな生活を送っていると、大切に使う、節約するってことができない。ああいう体験は非常に大切。

7月某日
三回目にして、やっと二時間を切った、徒歩帰宅。結局目黒・恵比寿駅を経由せず、首都高の下をそのまま広尾まで抜け、外苑西通りから帰る道順にした。1時間50分位ですか。毎日約5キロ背負ってこれだけ歩けば、まあなんとか富士の登りは達成できるのでは。下りはどうかねえ。下りの方がきついんだよね。今回は4時間10分の記録更新は、無理だと思うし、5時間くらいで登って、帰って来よう(言い訳)。

7月某日
専門学校時代の同級生、といっても24歳だけど、大手食品メーカーを退職し、漫画家になるために上京してきた仙ちゃんを激励するため、平井へ。2週間毎に31枚以上描いて集英社に持ち込むらしい。少年ジャンプが目標とのこと。頑張ってね。ところでこの平井は、以前勤務していた会社があるのだが、最近元同僚や先輩、後輩から、色んな情報が入ってくる。大変だねえ。関係ないといえども、気にはなる。俺にはどうしようもないんだけど。

7月某日
群青忌の打ち合わせのため、初めて横浜の会議に参加。岩上さんを除いた門下生と、根本監督、隠岐先輩、夏威さん、大熊さん達が集まった。今年は10月19日・九段下の千代田区公会堂で行います。また席上、10月17日に新宿ロフトプラスワンで行う、Risorgimento!の集会の趣旨を説明。了承して頂いた。群青忌は厳粛な式典であり、こちらは歌あり演奏ありの、もっとくだけた雰囲気でやりますが、どちらも野村の遺志を継承し、広く世に知らしめていこうという点では、全く同じです。今年は野村自決後十年です。たくさんの方々のご参加を願っております。

7月某日
徒歩帰宅を敢行。ところがまた迷った。恵比寿駅を過ぎてから。今、プロアトラス2000で確認したら、大きく迂回した箇所あり。しかし2時間半で到着。しかし、12時間労働(実質働いているのは2時間くらいか。残りはDVD見るか寝るか読書かサイト更新作業か)後の2時間半徒歩はきつい。なんとか2時間にならないか。駄目だったら、五反田までは電車で、そこから歩くようにする。ところで今、銀河蒼茫の原稿を書いているのだが、「人」新聞をご存知か? 全国の矯正施設に配布される月間新聞のようなもので、以前娑婆でも入手できると聞いて、調べてもらったりしたんだけど、駄目でした。通常、俳句・短歌・詩を投稿することができ、専属の選者に選ばれると、施設名とペンネームが載る。私は「名古屋 群青子」でした。名刑移送後の半年くらいは、千葉刑に見沢知廉さんがまだいて、昔の運動名で投稿し、短歌は結構載っていた。その中で秀作になった一句。

 真夜中に 便器にまたがりふと横の 獄窓見れば 冬のオリオン

うーむ、美しい。あの頃はまだ自分の句が掲載されていなかったので、知ってる人がいないかどうか、といってもペンネームなので、想像するしかないんだけど、月一回の配布が楽しみでした。逆に自分の句が載るようになってからは、俺は名刑にいるよ、って判って貰えるだろうと、嬉しかった。現に今の大悲会会長代行の志村や、一緒に決起した内山が、それぞれ山梨と横浜で私の句を読み、励みになったと、出獄してから聞いた。そんな「人」誌ですが、例え監獄の新聞であってもやはり常連さんというのがいて、毎月載っていると、覚えちゃうんだよね。でもね、流石に長期刑務所の句は一味も二味も違っていたねえ。旭川、千葉、岐阜からの投稿は、凄く重い、胸に響くものが多かった。確か帳面に書き写したものもあるはずなので、調べてみます。そんな中の一人で、「宮城 大悲ミツグ」って言う人がいた。だって大悲でしょ。関係者かと思うじゃないの。でも宮城だし、誰かいたっけ? と考えても判らなかった。でもそれが懲役ネットワークの恐ろしいところで、色んな情報を教えてもらったり、大悲ミツグさんの詩・俳句・短歌などから総合すると、最初四国の刑務所にいたんだけど、鬼畜のような牢番に苛められ、殺してしまった。それで宮城へと移送されたとのこと。判決は無期で、当時で既に20年務めていたらしい。この人のね、詩がまた好いんだわ。作風は凄く明るいの。でもその過去を知ってしまってからは、その明るさが、逆に悲しさを感じさせるんだよね。あれから10年。仮釈もらって出たのかな。それとも「僕の魂はまだ弱く、許してもらえない」のだろうか。

7月某日
腕立て伏せ、腹筋、火の呼吸等を再開。因みに今朝は降雨だったので、電車帰宅、到着してからジャンピングスクワットを100回ほど。残念ながら連続ではありません。連続100回できたらかなり好い足になるだるろうね。まあ徐々に。いきなりやってもろくな事はないから、この歳だと。

7月某日
このなまった体に喝を入れる為、徒歩帰宅を敢行。プロアトラス2000にて事前に道順検索。馬込から表参道。第二京浜で戸越の入り口から首都高沿いに行き、目黒駅から恵比寿駅まででたら、六本木通り方向。予定時間2時間。しかし実際は3時間かかってしまった。途中本屋で立ち読みをしたこともあるが、恵比寿駅を通過してから、道に迷った。結局明治通から渋谷駅まで出たのが敗因。まあでも3時間歩けたから。なんかねえ、わたくし、歩いて帰るって事を決断した瞬間、脳内物質が分泌されるようのですよ。エンドルフィン。どくどくと。非常に快感を覚える。異常だ。通常は2時間なら十分範囲。これが酩酊した頭で考えると、3〜4時間は大丈夫ってなっちゃうから自分でも怖い。エンドルフィン分泌を抑えられない。いつだったか、まだ出獄して間もない頃、上野で山ちゃんと大熊さんにご馳走になり、「では歩いて帰ります」って横浜に滞在していたんだけど、新橋までタクシーで移動し、運転手さんも途中で気が変わったら電話してくださいって名刺を頂いて、第一京浜をひたすら南下した。2月か3月だったねえ。寒くてさあ。その時の格好が野村から貰った作務衣と、本革の雪駄(笑)。じゃりじゃりいわせながら歩いていたけど、あまりの寒さと、歩きにくさに、コンビニへ入り、防寒で首に巻くためのタオル、靴がなかったのでサンダル、風除けの為にお腹にあてる新聞を購入(笑)。歩いた。実は蒲田まで来たときに、寒さと疲れで、「まあここまで来たのだからもうやめよう」と、京急蒲田駅に行ったのだが、始発まで30分もある上、駅構内に入れない。切符売り場で「寒いよー」と呟いているのだったら、歩いた方がましと、再び横浜を目指した。」結局5時間歩いて、そのあと、39度近い発熱。一体何なの? エンドルフィン分泌は、人それぞれ違うと思うけど、2時間歩くって考えて分泌って本当に異常。でも異常性欲者でなくて好かった。今のところ、小学生を見ても、エンドルフィンは出ていないようだし。異常健康者ってとこですか。翌朝は全工程徒歩帰宅を実施するか、未定。19時から7時まで一応働い(DVD鑑賞、午睡、WEB更新など)て、その後歩くって結構きついよね。でも歩きたいなーって考えるとエンドルフィンなので、あまり捉われなようにしなくちゃ。

7月某日
『LindowsOS4.0 日本語版』ってどうなの?使えるの?使えないの?教えて。

7月某日
なんかやっと、体調復活した感じ。今日から運動再開。たった1週間やらなかっただけで、ちょっと走ると足ががたがた。年は取りたくないねえ。来月の富士登山に間に合うかしら。今のところ、手を挙げてくれた方は、3人です。何れも40歳超のおぢさん達ですが。登りきれるんでしょうか。ちょっと心配。体調が悪いといえば、画伯がまた床に伏しているらしい。大体原因は飲酒過多、しかも密造酒(一升300円の日本酒。密輸しているらしい)なので、余計体に悪い。しかも飲んだ時の行いも悪い。悪いこと尽くしで、倒れたらしい。近いうちに、最近飲んで、しびれてしまった司牡丹を持っていくから、早く治してね。

7月某日
やっと一週間が終了。実は先週末から扁桃腺腫れが引かず、喉は痛いわ、鼻水はとめどなく流れ落ちるわ、微熱は続くわで、しびれていたので、週末は、画伯とリンク先になった三茶のレコード屋さんに訪問したり、夏威さんと会ったり、各種イベントが控えていたのだが、全てキャンセルしてしまった。明日復活宣言をする予定。

7月某日
第129回直木賞が発表された。な、なーんと吃驚、IWGPの石田衣良と村山由佳である。好ーなー、羨ましいなー。村山由佳は、東拘在監時にすばるを差し入れしていただき、「天使の卵」で小説すばる新人賞受賞を知ったのが、最初。平成6年。あんまり好きではなかったので、その後も集英社からのみ続々刊行された作品は読まなかったが、同年代ということもあり、常にその動向は注視していた(笑)。今回は候補に選ばれていたのも知らなかった。落選者を見ると、これまた吃驚(笑)、真保裕一、東野圭吾だって。今更なんなんだよ、一体。織田裕二と広末涼子で映画化までされているのだよ。受賞して嬉しいかねえ。そういえば、山周賞は京極夏彦でしたね。まさにエンターテイメント! でもって三島由紀夫賞は三度吃驚、舞城王太郎の「阿修羅ガール」だってさ。この人、去年のこのミスに載ってたよね。そのうちヒキタクニオもなんか受賞しちゃったりするんだろうな。見沢さん、今何やってるの? 貴方は私の希望の星なんですよ。早いとこ、芥川賞と三島由紀夫賞取っちゃってよ。

7月某日
今宵はファイトクラブ。昨夜のパルプフィクションは大変面白かった。噂通り。最近見た中では、これとスナッチ。ファイトクラブは、スナッチにブラピが出てたから選択。明日はロバートデニーロかアルパチーノから選ぶ予定。今月は連載陣の更新状態が非常に悪い。規約を明文化して、更新時期・回数を明確にしないと、折角見てもらってる人をがっかりさせるのも悪いし、勝手サイトだけど広く閲覧して貰うのが目的だから、その辺は明確にし、続けるか、辞めるかはっきりさせたいと思う。だけど、こっちから無理に頼んで書いて(描いて)貰っているので、そんなに強く出れないのが実情(笑)。原稿料を支払っているなら別だけど。例え千円でも払わないと、好い形作りができなのなら、そういう方向に持っていかないと。やっぱり馴れ合いでは、好いものはできない。趣味のサイトに近いけれども、好いものを、質の高いものを作りたいし。更新してる人・してない人がばらばらでは、好くない気がする。まあ少しずつ改善していく所存。

7月某日
今夜はパルプフィクション(笑)。バニラスカイにしようと思っていたら、RPL勝野よりいまいちとの情報があったので、予てより見たかったタランティーノになった。レザボアドッグスはビデオ化直後に見た。話は変わるが、このところの通り魔的なというか、弱者に対する犯罪の報道増加には、なんというか憤りを越えて、恐怖感さえ覚えてしまう。ありきたりだが、一体どうなってるの? っていう感じ。これが日教組教育の成果なのか、核家族化の問題なのか、無宗教国家の成れの果てなのかは、諸説あると思うが、一言でいえば、「お前のような前科者に言われたくない」っていうところですか(笑)。まあ一般的に見れば、私も長崎の12歳も同じ犯罪者なんでしょうね。今夕のスーパーニュースが、埼玉で連続幼児暴行を報道していたが、この種の犯罪より、いじめられた仕返しに犯した殺人の方が、余程ましだと個人的には思う。量刑的には雲泥の差であろうが。そこで私は、仇討ち制度の復活を提言したい。殺された人の親族、友人で、仇討ちをしたいと思ったら、裁判所に申しでる。なんの落ち度もなく殺されてしまったのか、或いはそうされるだけの理由があったのか。裁判で認められれば、仇討ち実行。性器を鋏で切られ、裸で立体駐車場から突き落とされた仇討ちなら、同じように実行する。そうでもしなきゃ、この種の犯罪ってなくならないんじゃないのかねえ。何故人を殺してはいけないのか、それは自分が殺されたくないから、っていうのが一般的らしいけど、大体はそれで解決できる気もするが、池田小のように死刑になりたいって言う場合もあるし、やはり父兄全員に包丁を持たせ、一人ずつ刺していくっていう方が好いんじゃないのかねえ。またまた話は変わって、ひねくれた性格なのかもしれないが、私はいつも少数派、弱い立場の人に、共感を覚えるのと、権力とか頭ごなしに何か言われたりやられると、非常に立腹する。民族運動に携わっているのも、社会的に弱者だからかもしれないし、この世が所謂右傾国家だったら、共産党に入党していたかもしれない。人が右を向けば、左を見たくなるし、長ランが流行れば短ランだし、ミニバンが流行ればツーシーターに乗りたくなるし、監獄で牢番をおやじさんって呼んでるのを聞くと、絶対言わないし。偏屈なんだよね。意地っ張りっていうか。損な性格であることは確か。

7月某日
暇なので、マイノリティリポートを、出勤前にツタヤで借り、仕事中に見ています。

7月某日
みたま祭りに行く予定をたてていたのだが、扁桃腺が腫れ、発熱したので断念。そしたら画伯から写真が送られて来た。大変好かったとの事。


7月某日
1ヶ月ばかり、とある夜の仕事をすることに。このバイト、19時から7時までなんだが、自由になる時間が結構ある。この原稿も空き時間に書いている。ということは、吾がPCも持ち込んでいるということなのだ。その他にミステリーを1冊。きのこの山一箱。どうやって空き時間を有効に使おうか、思案中(笑)。

7月某日
懊悩する青年、菊ちゃん登場。聞いているこちらは、何でそんな事で悩んでるの、っていう感じなのだが、本人にしてみれば、人生を左右する大問題だという、よくある展開。焼酎飲酒しながら、野村のビデオを鑑賞。同世代だけあってか、相槌、同感、同意の箇所が殆ど同じなのが、笑えた。やっぱり野村秋介って、男を覚醒させる魅力を持っているのだなと、再認識。23時頃、悩める菊ちゃんは、悩んだまま帰宅。

7月某日
一水会フォーラム。会場の前で、警備中の警視庁の方々と遭遇。講師は元赤軍派議長の塩見さん。事前作成した資料を配布するなど、非常に懇切丁寧な内容でした。終了後、大熊さんのご紹介で、塩見さんと名刺交換させていただく。そのまま帰宅するつもりが、大熊さんに誘われて、2次会へ。雨宮処凛さんと名刺交換。さとしん君に原稿依頼。そのまま帰るつもりが、木村さんに誘われて、新宿黄金街。ルマタン満席の為、うとうとへ。珍しく0時半ごろ帰宅の途に着く。

7月某日
町内の寄り合いで、パキスタン料理屋へ。またしてもカレー。カレーは好きなので好いのだが、二日酔いで・・・(以下同文)。夜、菊ちゃんから渋谷近辺にいるのでと電話。私は浜松。立ち直ったのか菊ちゃんよ。近いうちに会おう。

7月某日
所用で浜松に帰省。実家で晩飯を所望したらば、またしてもカレーが出てきた。実はこの昼、まつふみ君と青山で10年営業している印度カレー屋さんへ行き、ランチタイム食べ放題を消化してきたばかりなのだ。カレーは好きなので好いのだが、二日酔いで荒れた胃腸には、少しばかり厳しい。

7月某日
浜松から某公務員のまつふみ君が、経費で上京。新宿で21時に待ち合わせ。すかさず黄金街へと案内した。路地に入ると、「さっきまでの人ごみは何処にいったの?」とまつふみ君。新宿のアナザーワールド黄金街へようこそ。ル・マタン、ガルガンチュアは満員で入れずうとうと、ユニアンと3軒周って、泥酔。どのように帰宅したかも忘却。珍しく自宅厠で嘔吐し、失神していたらしい。っていうか毎日こんな生活で好いの? 好くない。

7月某日
大熊オーナー、隠岐先輩と共に、蒲田の八幸さんへ。こちらのお店、野村が通っていたというだけでなく、他にも色々な方が紹介してるんですね。恨ミシュランなどの神足裕司氏が週刊文春に、あの秋元康氏が講談社の女性向け雑誌FRAUにそれぞれ載せています。知らなかった。いやー、素晴らしい。秋元氏は、ちょくちょく来てるらしいですよ。2時間ばかり飲食したのち、川崎の「恋さん」へ。此処は野村栄子夫人がやっておられるお店です。生憎姐さん(私達門下生はこう呼ぶんです)はお留守でしたが、2時間ばかりお邪魔させていただきました。その後離脱した隠岐先輩を残し、大熊さんと日本のストレンジワールド、南町のちゃぶ屋へ。いや、ただ飲んだだけです。本当に。そこへ野村の御子息・基嗣君から電話。川崎駅に行くから会いましょうということで、待ち合わせ。5年ぶり位か。全然変わってないねえ。駅近くのお店へ3人で。再会の喜びを飲酒で表し、大量摂取しているところへ、かずよちゃんから電話があった模様で、仕事を終え此処へ来てくれるとのこと。かずよちゃんは基がお付き合いしている女性で、私は基が初めて彼女を野村に紹介した頃から知っているのだが、10年間全く変わらず誠実な交際をしていることに、ある種の尊敬の念を隠せなかった。愈愈来年結婚するとのことなんですが、私は多分ご親族でもないのに感極まって泣いてしまうでしょうね。大雨の中、かずよちゃんの運転で川崎から三軒茶屋のデニーズまで送っていただいた。そこで暫く歓談したのち、二人は帰って行った。有難う。遅くまで付き合せてごめんね。また会える日を楽しみにしています。お二人のお幸せをお祈りしています。その後編集方針を巡り、大熊オーナーと鋭く対立。3時半解散。

7月某日
いやー、どうもフトヤセの更新が滞ってますねえ。毎日御覧になっていただいている方々には申し訳ないです。それでも何とか開設3ヶ月で、アクセス7000達成しました。年内2万アクセスが目標です。「目標とは、何年何月何日迄に・・・」(笑)。研修ネタですいません。

6月某日
とある先輩(あえて名は秘す)の命令で、とある研修(あえて名は秘す)に突撃。10班の皆さん、本当に有難うございました。貴方がたが支えていただいたお陰で、無事終了する事ができました。初日は消極的な気分が自分自身に横溢していて、明日からはやめようと思っていたんですがそうもできず、どうせ同じ時間を過ごすならば、どんな内容だろうとやる気を出してぶつかって行かねば、自分が腐ってしまうのは、十二分に判っていたし、それは私の生き方にも反するので、兎に角最初のリーダー決めで、一番に椅子を獲得してやろうと、そこから走り出しました。結果、両親への感謝の気持ちを再認識できたし、素晴らしい仲間にも出会えました。ただ、次の段階へ進む意思は全く無かったので、その辺で班の皆には迷惑をかけたのかもしれません。でも、こんな好い加減なリーダーに影響されるような方達ぢやあないしね。自分のことは自分しか決められないって教えてもらったしね(笑)。最後に皆さん本当に有難うございました。大変貴重な経験をさせていただきました。野火赤く 人渾身の悩みあり は若かりし野村を変えた、師匠だった五・一五事件の三上卓の句です。皆さんがそれぞれの目標に向かって邁進されんことを、お祈り致しております。合掌  あっ、それから私とパートナーを組んだ7班でしたっけ、リーダーの方、すいません連絡先を紛失してしまいました。これを御覧になられましたら、ご一報くださいませ。最終日、3時半まで飲酒を重ね、色んな方から名刺を頂き、渡していたら、見当たらなくなってしまいました。すいません。余談ですが、其の日始発まで1時間以上あったので、取り敢えず徒歩帰宅を選択したのですが、隅田川を渡る時、朝日を拝んだら、睡魔に襲われ、河川敷のベンチで7時半まで就寝しました。研修終えても、飲酒パターンは変わらないのね・・・。

6月某日
所謂警察常用語というか、マスコミ用語というか、非常に気になる。例えば、粗暴犯が犯行に及んだ理由は、必ず「むしゃくしゃしてやった」だが、断言して好い、本人は絶対にむしゃくしゃしてやった、などとは言っていない。ぢやあ何故そのような報道になるのかと言えば、警察発表がそうだからだ。ぢやあ何故警察発表がそうなるかといえば、調書がそうなっているからだ。ぢやあ何故(しつこいよ)調書がそうなるのかは、警察の取調官「何でやったんだ?」犯人「・・・」警察「むしゃくしゃしてやったんだろう?」犯人「・・・」警察「な、そうなんだろ? そういうふうに書くぞ」ということで、調書と言う名の作文が作られるからなのだ。直木賞作家で「復讐するは我にあり」の佐木隆三氏が、沖縄の何らかの事件で、警察に調書をまかれた(とられた)時に、「その時持っていたカメラで・・・」と言ったのに、調書は「その時持っていた愛用のカメラで」となっていて、これが冤罪の根源だと確信した、という記事を読んだことがある。つまり警察は作文の達人なのである。物語を作るのが大好きなのである。供述調書が不自然だと、現実なんてそうそう虚構の世界のようにうまくはいかないのに、辻褄を合わせる為、話しを作っていくのだ。私も警視庁本庁で取り調べられた時、随分書き直して貰った。だって、「ごみを捨てた」というのと「ごみを投げ捨てた」とでは、絶対に受ける印象は違う。「そう言った」と「そう言わせて頂いた」なども。そういった細かい語句の言い回しや、文のニュアンスには徹底的に拘った。でもね、俺の時は既にワープロ使用だったから、さして書き直し要求に痛痒は感じなかったけど。これが全部手書きだったら、向こうも「好い加減にしろっ」ってなるよ。それが恐いから、結局警察の言いなりになってしまうんだけど。俺の時も流石に「もう好い加減にしろよ」って言われたけど(笑)。でもね、その調書で今後の一生が決まるんだよ。裁判なんて、警察調書を元に進めていくんだから。だから何を言われても、「いや、そこはおかしい、そんな事は言ってない」って書き直して頂いた。まあこれを読んでる読者の方々は、警察で調書まかれるなんてことは、ないと思いますが、一応覚えておいてくださいよ。その他「メッタ刺し」ってさ、犯罪報道以外では聞かないけど、なんかアナウンサーが言ってると、笑っちゃうんだよね。メッタ刺しって可笑しくないですか?

6月某日
先程、暫く行方不明だった山ちゃんから連絡があり、なんとgoogleの検索に出るようになったとの事。なに〜、それはお家の一大事、いざ鎌倉、ニイタカヤマノボレ、いやー、長かったねえ。関係者の皆さん、ご心配をおかけしましたが、yahooにも引っかかるようになりました。ただし、昔のフレーム有りの方なんですけど。あーそうだ、昔のフレームを作り変えて、表紙へ持ってくるようにすれば好いのだよ。なんにしてもめでたいめでたい。今夜は宴だ祝杯だ。

6月某日
大熊オーナーのご好意で、夕刻日比谷みゆき座で「アバウト シュミット」を観覧。日頃ハリウッド製のSFXばかり見ている私には、とても新鮮。ジャック・ニコルソンってうまいねえ。お客もそこそこ入っていた。その後、有楽町ガード下の「新日の基」。アスパラガスがとても美味。ホッピーを高速摂取。高橋嬢の合流後、大カラオケ大会へ移行。昭和歌謡から軍歌から甲斐バンドから坂本冬美まで爆唱。高橋嬢は流石にうまいねえ。解散は3時頃か。またまた酩酊してしまいました。始発の千代田線を待つ為に、路上で横臥し暫時睡眠。一昨日といい、昨日といい今日といい、こんな生活で本当に好いの?

6月某日
錦糸町で将来有望な若者達と、19時より焼肉を摂取。その後久方ぶりにカラオケ。うーむ、相変わらず高速で飲酒。なので酩酊するのも早い。解散後、半蔵門線に乗車も、気付いたら、鷺沼だった。上りは二子玉止まり。わーい、二子玉から表参道は歩きがいがあるよ。二子玉に着いたら大井町線の接続があった。これだよ、これなんだよ、これを待っていたのだよ。早速乗り換えたは好いが、何処で下車すれば好いのか。悩んだが、酩酊した頭では、さして悩みきれないのだから、旗の台で下車。中原街道から平塚橋の交差点を目黒通りへ。目黒通りから山手通りへ入り、青葉台の辺りから、セルリアンタワーをランドマークに渋谷へ向かうという、恐ろしく無駄な道程を歌唱しながら、睡眠しながら歩行した。所要時間は不明。3時間は歩いたね。全くご苦労様なことですな。

6月某日
世界謀略会議in蒲田(今回は写真なし)。16時より「さらば群青」でも紹介されている、八幸さんで。画伯、木村女史、高橋嬢の連載陣に、読者代表の荒井君の5名。18時半過ぎまで、種種雑多な会話を楽しむ。木村女史がかなり熱く荒井君に語っていた。この方とは知り合って10年以上経つが、こんなエキサイティングなトークをしているところは初めて見た。マスター、ママさん有難うございました。その後仕事で参加できなかった大熊オーナーを慰撫するため、アメ横へ全員で移動。ガード下の錦へ。この辺りから、編集長の記憶は定かではない。それから大熊オーナーのご好意で、三ノ輪のバローロへ。うーん、忘却度が激しい。ゆーゆーがご来店されたことは、なんとなく覚えているんですが。何も失礼な事は申し上げなかったと思われますが、宜しかったでしょうか。菊ちゃん俳優が柏方面から襲来するという情報を得たので、盛んに電話するが繋がらず、何と新宿まで移動してしまった事があとから判明。残念。皆逢いたがっていたよ。最終の日比谷線に乗車する為、0時前に辞去。大熊さん、ママさん、有難うございました。途中後ろから画伯がいきなりローキック。あなたねえ、蹴り方がなってないよ。今度教えてあげるから。しかし、前触れもなく下段蹴りを放つこの男って一体・・・? 最後はやっぱり俺が標的かよ。山ちゃんと早くバトルを展開してね。

6月某日
所要で小岩まで。帰りに錦糸町でマトリックス リローテッド。うーん、CGばかりが宣伝されるが、内容は哲学的になってきた感じ。難しい。T3も見たい。ハリウッドに洗脳されてしまって、すいません(笑)。

6月某日
上野の東京国立博物館「鎌倉 禅の源流」展へ。私と禅の出会いは、やはり野村の著書。その後秘書として側にいた時に、恐れ多くも野村が千葉刑で読んでいた、「無門関提唱」を頂いた。名刑でも座禅の真似事をし、臨済宗の宗教教誨にも参加し、参禅させてもらった。なにぶん俄禅なので、悟りなどからは程遠いのだが、自分の師匠が歩んだ道を、今歩いているのだと言い聞かせ、テレビ・雑誌・同囚に背を向け、勉強したものだ。同じ懲役からは変わり者、官(刑務所)からは、不良受刑者と言われてたけど、あの頃は本当に真面目だったなあ(笑)。当たり前だけど、監獄の中って非常に真摯な気持ちになれる。だから出獄後も如何にその志を持ち続ける事ができるか、というのが大切。野村も千葉出獄直後に、葦津先生からそのようなお言葉を頂いたとの事。道は長く、遠いねえ。

6月某日
浜松で、氏神様である松尾神社さんのお祭りに参加。地元では珍しくお神輿。16人〜20人であげられる大きさ。近辺10町を渡っていきます。前日は午後から準備。ある程度やってから、飲酒するので、夕方に近くの友宏寿司さんに移動した時は、酩酊していた。で、20時位から電話攻勢をかけたんだけど、内容がまるで思い出せない。以前の職場の方々とお話ししたのだが、何を喋ったのか、何があったのか、少しも覚えていない。もう駄目だ。末期症状だね。翌日は、時折日が差す薄曇。自町を通過する時は、各戸で水をいれたバケツを準備し、それを勢い好くお神輿目掛けてかける。天候が悪いと、担いでても、寒いんだよね。次町に渡し、宮入まで飲酒。しかし時間がすごく押してて、宮入が1時間以上遅れたので、列車の時間もあり、途中で辞去し、帰宅。

6月某日
一水会フォーラム。本日の講師は、犬塚さん。3、4年振りにお会いした。永らく無音に打ちすぎ申し訳ありませんでした。野村の話題もでたあっという間の90分。終了後の懇親会の席で、出獄後、一度もお会いしていなかった、月刊「JINKEN」の小川さんの隣席に。正気塾の故若嶋塾長や、野村の懐かしい話しを聞かせていただきました。殆どの方々が、近くのファミレスに移動する中、木村三浩さん、大熊さんと、10月に開催予定の「Risorgimento! night(仮題)」の打合せ。その後一人帰宅。

6月某日
鈴木姉と青山デートのはずが、仕事で急遽キャンセルされちゃった。この悔しさを大熊さんにぶつける為、アメ横へ。錦で焼酎、三ノ輪のバローロで焼酎、高橋嬢が合流し黄金街のガルガンチュァで焼酎、ユニオンでワインを大量摂取。明け方大熊さん邸へ移動、始発の電車で帰宅、全てを忘却の彼方へ消し去った。

6月某日
4時から高橋嬢と六本木ヒルズで早朝会議(笑)。52階ちゅーのは、結構高い。海抜270mだって。品川方面を眺めながら、新宿は何処ですかと真顔で尋ねる徹夜明けの高橋嬢。あのー、せめて23区内の位置関係は把握してね。地平線付近は、もやってるというか、ガスってるというかはっきり見えない。いつもそうなのか、雨上がりなら綺麗に見えるのかが判らん。ちょっと残念。4時50分頃御来光。此処には酔っ払って夜景を眺めにきたい。一旦帰宅し、仮眠。だって2時半に起床したんですよ。着替えて打合せのため大宮へ。その後アメ横の大熊さんの所へ。大阪から雙葉會元編集長が上京しているので、久々に再会をと思ったが、次の予定が押していたので、残念ながら辞去。亀戸から東武線に乗り換え、東あずまへ。大笑会の定例会に参加。現代書館の菊池社長が出席されていた。渡辺君のthink padの調子が悪いとの事を、先日の青年維新共闘会議の席で聞いたので、今日持ってきて貰った。暫くいじったが判らんので、持って帰ることに。閉会後新宿黄金街へ移動。ルマタン。大熊さんと高橋嬢が合流し、2時間飲酒。その後店名を忘れたが、同行した土屋さんの行きつけのお店へ。そしたら阿部勉さんの書が飾ってあった。こんなところで、阿部さんの足跡に触れて、感無量。ワインを大量に消費。鈴木恵子姉から電話があったんで、嬉しくなって復活飲酒電話(笑)。先ず浜松のまつふみ君。開口一番「あなたは酷い人だ、こんな時間に・・・」と言われた。2時だからねえ。ごめんよ。でも僕はあなたの声を聞きたかったのだよ。許して。3人外れが続き、横山嬢が応答。おー、久し振り。元気に労働しているかね。それからルマタンで見た実話時代ナックルの野村特集に、夏威さんが出てたので、電話。近いうちに会いましょうと約束。何時の間にか大熊さんが帰宅し、3時になり、花園神社に御参りして解散。高橋嬢を見送った時点で、所持金が420円しかなかったので、徒歩帰宅。1時間以上かかった。何故ならまっすぐ歩けないので、蛇行する分、余分な歩数になるのだね。4時半帰宅。長い一日でした。電話に応答してくださった皆様。有難うございました。またかけます。

6月某日
時間がとれたので、久方振りに伊勢原の浄発願寺へ。新宿から小田急線急行で、伊勢原下車。神奈中バス日向薬師行きを終点まで。10分山道を登り到着。生憎住職はお留守。掃除をしてから、お墓の前に座って「先生、最近そっちはどうですか・・・、何か好い事ありましたか・・・」。野村は生前、自分が死んだら地獄へ行き、閻魔さんを子分にして、天女を連れて来させ、楽しく過ごすと言っていた。やりかねない。というか、恐らくそうなっているに違いない。凄く好い天気で、大山も青々とした緑に包まれている。入獄直前の一月、大山山頂まで登った。ケーブル側から行き、こちらのお墓側に下りてきた。今度はこっちから登ってみよう。富士山の予行演習も兼ねて。近くの標識によれば。2時間半で山頂とのこと。お墓の前で、三十分程昼寝。住職の奥さんに挨拶をして、辞去した。
















6月某日
今日の渋谷・青山地方は、夕方から雲の間に空が見え始め、好い感じになった。なので、18時から走りに行った。結局5月は終盤はなんか天気が悪かったねえ。5月生まれと言う事もあるのかもしれないけど、この季節の青葉の青臭い匂いというか雨に濡れた時のたちのぼる匂いが大好きだ。故郷の匂いと言うかなんというか、泣きそうになるねえ。大体泣き虫だから俺は。悲しい時より、嬉しい時や感激した時に好く泣くね。走り終わって帰ってくる途中、夕焼けだった。朝焼けより夕焼けが好き。それも都会での夕焼け。ビルとビルの間に沈んでゆく夕陽が美しい。そう言えば、今年の花火予定が、東京一週間って言うの、雑誌に載ってた。それでみると6月2日が初っ端。でも15分間なんだねえ。どうしよう。行くか行かないか。今年は最低10大会は行く。一人でも行く。と言う事を真露のお茶割りを飲みながら書いてます。そういえば、名刑から戻ってきて、横浜で暫く遊んでいた時、何処へ飲みに連れて行って貰っても真露のお茶割だった。流行ってたのかねえ。でも甲類のお茶割は好き。浜松でもあるよ。乙類は芋のロックスか湯割。貴乃花断髪だって。この人も自分を殺している人だねえ。あの歳で、あんな話し方する人いない。腹が減ったので、ほうれん草をゆでた。食べ終わったら、にら玉を作る。酔っ払ってきたんで、もう書くのやめる。そういえば、真露で思い出したけど、例のあの大変美味しいあれ、日本でも売ってるね。伸十郎君が教えてくれた。400円だって。高いねえ。向こうだと100円だよ。どっかで安く売ってるとこ知ってる人教えて下さい。赤坂の韓国倶楽部に行った時も、そんなに高くなかったような気がするんだけど。ところで、表紙のルパン風タイトル。伸十郎君によると、うまく表示されないらしい。おかしい人、環境を教えて下さい。

5月某日
台風が近付いて、雨が降っている。知人から電話で、若き友人の死を聞かされた。一ヶ月前に亡くなったとのこと。まだ30歳になってなかった筈だ。最初に会ったのが平成4年。当時はほぼ毎日のように顔を合わせていた。仕事は違ったけれど、一緒にでかい一軒家に住んでいたから。歳は離れていたけど、よく一緒に飲酒した。最後に会ったのが、4年前かな。出獄して暫くしたとき、横浜で一緒に飲んだ。永ちゃんの、somebody's nightを唄ってくれた。さようなら。もう会えないな。

5月某日
朝 日本蕎麦 えのきのオリーブオイル炒め、納豆、豆腐一丁
昼 新玉・ピーマンのオリーブオイル炒め
夜 新玉とワカメの酢の物
わーい、名刺を作っちゃった。欲しい人、言って下さい。差し上げます。ところで、高橋嬢情報によると、渋谷のツタヤに、野村の「風と拳銃」がおいてあったそうな。へー。びっくり。

5月某日
朝 日本蕎麦 新玉・ピーマン入り麻婆茄子
昼 ベルコモンズ内の寿司清で生麦酒と焼酎
夜 空豆 カマンベールチーズ
高橋嬢の様に、食した物を記載してみた。空手の稽古に通っていた頃は、ウエイトトレーニングの内容と共に、食べたものも、記入していた。正午前、青山学院応援団OBの隠岐先輩からブルックスブラザースに集合せよとの電話。昼食をご一緒させていただく。ところで、先日告知した表紙のFLASHですが、音声をONにしておかないと、意味がないので。ルパン三世の本編タイトルは、あのタイプライター音があってこそなんだから。

5月某日
新玉葱を買って来ました。甘くて美味しいですよ。ところで、これからのサイトはFLASHだ、ということで作ってみました。表紙の「祖国再統一」をクリックして下さい。
5月某日
三澤さんからお誘いを受け、青年維新共闘会議に出席する為、新橋のSL広場に停めてあった防共新聞社さんの街宣車の前で皆さんと歓談していたら、凄く揺れた。表に立っていてもあれだけ揺れたのだから、結構大きいだろうと思ったら、案の定。19時から近くの居酒屋へ。順不同ですが、菅野さん、永尾さん、丸川さん、舟川さん、福田さん、大変有難うございました。特に永尾さんとは正面に座らせて頂いた事もあり、野村に対する熱い思いや、当時の朝日の事件について、拝聴させていただきました。22時ごろ解散。その後渋谷で高橋嬢と焼き鳥。西麻布に移動し、ボウモア。高橋嬢のお口には、アードベックは合わなかったようで、残念。2時半過ぎ解散。雨が降ってたけど歩いて帰宅。新橋では永尾さんを始めとして、たくさんの方と、野村の話をしました。野村の一番近くにいた私ですが、近すぎて却って見えない事ってあるのだという事に、改めて気付かされました。話をさせていただきながら、何度も背筋が伸びました。高橋嬢は23歳にしては自分の行く先がしっかり見えているんだよね。森光子になれ!本日は私にとって、非常に中身の濃い飲酒会でした。

5月某日
先々週から、大学の同期だった伸十郎君と、多摩川の上下流から互いにバイクで走って落ち合う話をしていたのだが、天候不良でやっと本日実行。彼とは同じ中国語学科で、飲酒、麻雀をよくやったねえ。俺は応援団、彼はサウンドアーツとかいう、バンドの倶楽部に入っていて、全く毛色が違うわりには、仲良くしてた。仲良く留年もしたし。10時表参道出発。246を多摩川に向けて走るが、兎に角歩道に人、車道に駐車車両で、やたら時間がかかり、ストレスの増加が著しい。40分後二子玉から河川に入るが、結局世田谷を抜けて狛江市に入るまで舗装路にならなかった。もっと金をかけろよ、世田谷区。走り難いったらありゃしない。アスファルトになってからは、快走。でもね、最近やっぱりベルトドライブの限界を感じ始めたよ。俺はね、踏めば踏んだだけ進んで欲しいんだよね。でも、ベルトの内装7段だと、トップが足りない。お祭りで帰省したとき、自転車の師匠である、鴨江・オグラ美容室の小倉さんのモールトンAPB Fx-8改に乗らせてもらったんだけど、踏めばグングン走って行く。だけど、前サスがちょっと軟らか過ぎるんだよね。踏んだ瞬間グッと沈むの。小倉さん曰く固めにセッティングできるそうですが、あのままだと、踏み込んだ時や車線変更は、俺にはいまいちですね。でも欲しい。Air Fridayかモールトン、ブリジストンモールトンでも好い。BD−2はもういい。伸十郎君は八王子から。途中何回か電話で連絡を取りつつ、府中市の関戸橋北でやっと合流。13時半。何年ぶりですか? 忘れた。久しく会って無い筈だけど。麦酒を飲む約定だったので、橋のたもとのモランボンへ。うーん、久方ぶりの肉食。やっぱりたまには肉食しないとね。ここんとこ炭水化物を摂取してない為か、なんか体調というか、体質が変わってきたような気がする。私は肉は肉でも鶏肉を中心に、後は野菜で構成。生ビールを2杯飲んだ後、マッコリ。なんか口当たりが好く、どんどん無くなっていくので、焼酎に変更。そしたら、あーた、なんとでましたよ、幻の真露が。これって本当に旨いんだな。俺も伸十郎君もソウルで飲んだことがあって、意気投合。いやー、なんで日本で売らないの? えっ、売ってるの? 何処で? 買いに行くよ。肉を食らいつつ、自己サイトの先輩でもある彼から種種のアドバイスを頂いた。曰く、誰にも判るサイト作りを、つまり初心者にも親切なサイトを等等。うーん、それはそうなんですがねえ。あとは別ウインドウの事や、過去の文章の表示方法など。なるほどね。参考になりますた。好い加減酔っ払ったので、ここで解散。伸十郎君、ご馳走様でした。あんまり飲みすぎると帰れなくなっちゃうからね。でも外へ出てから河川敷への入り口で、二人ともお昼寝。1時間程寝ましたか。起きたら6時半だった。伸十郎君はビアンキで多摩川を遡って行きました。私は左右に蛇行しながら、BD−2で。二子玉から246に入ったら、餃子の王将があったので、本当に久し振りに中へ。大学時代は好く行きました。四条中学前店。だってさ、ビール大瓶370円だよ、当時。餃子は140円。しかも只券いつも配ってるし。炒飯280円。いやー、素晴らしい。で、王将を出てから、今度はブックオフがあったんで、J・エルロイ「ブラック・ダリヤ」、T・H・クック「緋色の記憶」、藤原伊織「ひまわりの祝祭」、蔵前仁一「ホテルアジアの眠れない夜」、東京スカパラダイスオーケストラ「ARKESTRA」「FULL-TENSION BEATERS」を購入。

5月某日
えー、サイトに一部手直しを加えました。フレームはよく判らんので、やめました。連載陣の名前からプロフィールへリンクを張りましたが、写真の拡大は取り敢えず作っていません。あんまり世間に顔を晒してもどうかなと思ったんだけど、今迄散散やってきたんだし、遅いよね。ヴィジュアル系なんだし。近いうちに拡大して毛穴まで見えるように、作り変えます。しかし今回の山崎先生の原稿、素晴らしいですねえ。お人柄が好く判る(笑)。Risorgimento!の良心と言った感じ。Risorgimento!がRisorgimento!である為には、やっぱりこういった連載がないとねえ。俺も駄文ばっかり書いてないで、真面目に書こう。

5月某日
えーと、大熊さんのご好意で、ドームに日ハム対ダイエー戦を見に行きました。大熊さん、有難うございました。ドームは野村にロイヤルルームというのか何ていうのか忘れたけど、食事まで持ってきてくれる部屋に連れて行って貰って以来だから、10年間は来ていなかった。なんか好いよね、内野席。空いてるし、訳の判らん応援団もないし。試合前に国歌斉唱するのも知らなかったし。久し振りに歌いました君が代。席についてから、早速麦酒を買いに行こうとしたら、大熊店主曰く、麦酒タンクを背負った女子が周って来るから、待ちましょうと言われた。そういえばこのお話を頂いた時も、なんかそんなことを言ってたような気がする。ぢやあ待ってようということになったが、コーラペプシは売りに来るが、ビールはなかなか現れない。18時にゲームが始まったが、まだ来ない。2回表になってから、内野席の彼方に姿が見え始めた。そして私は理解した。何故売店に買いに行かなかったかを。露出度がちがーうのであるのだよ。露出度が。ソフトドリンク、食べ物系とは明らかにちがーう。アイスクリーム売りなんて、上下のつなぎ服だよ。しかもアルコール系は皆可愛い。しっかりと差別化を打ち出している。私見だが、同じアルコール系でも、でかい広告を打っているサッポロのエビスさんが一番素晴らしい。しかし麦酒会社、よく考えているよね。右手の容器を振りかざしながら、あんなに微笑んで愛想を振りまかれたんぢやあ、おぢは喜んで買うよ。だから私は5杯も飲みました。馬鹿な奴。うーむ、ドーム恐るべし。四十前のおぢと、四十過ぎのおぢが、あの生足が好いだの、額に汗して売り歩く姿が美しいだのと、二人で肯き合ってる姿って、傍から見たら、とっても不気味(もちろんゲームもしっかり観ましたよ)。

5月某日
また朝5時まで飲んぢやった。こんなつもりぢやあなかったのに。ところで俺って最近酔っ払い電話しなくなったねえ。偉い偉い。進歩したねえ。大人になったねえ。っていうか、かけてもでないんだよ、誰も。だから新規開拓しなくてはならないのだよ。だからかけても好いわっていう奇特な方がいらっしゃいましたら、教えてね。それから、先日の謀略会議の模様はご覧になりましたか? あの誕生ケーキをクリックすれば別ウインドウが開きますが。判りますよね。昨夜大熊店主と山崎親方から不親切にも程がある、ってお叱りを受けたので。何にも書かなくても判ると思っているので、書かなかったんですが、写真とか下線のあるところはポインタを合わせて、変化するようだったら、迷わずクリックして下さいな。そういったことはネット閲覧をしていけば、自然と覚わります。

5月某日
HEY!HEY!HEY!が今放映されているが、10周年だって。この番組って俺が拘置所に入ってから始まったんだね。最初に見たのは、平成8年の11月。2年後か。職業訓練で行った松山刑務所でだね。松山は初犯刑務所だもんで、テレビは自由に見られるんですよ。名刑は2級になるとある程度好きなチャンネルが選べるけど、基本的に官が選んだ番組だけしか見られない。俺はその「テレビを見させてやるよ 有難がれよ」っていう感じが非常に腹立たしかったので、殆ど見なかった。雑居でテレビの時間になり、皆があーでもない、こーでもないってガヤガヤ言いながら見てる時(名刑は時代劇が好きだったねえ。あと「演歌の花道」。これって絶対嫌がらせ(笑)。でもって水戸黄門や暴れん坊将軍見ながら、ポン中同士で「出てきたよ悪代官が。こいつ悪い奴だねえ。許せねえ」なんて言ってんだから愉快。でもね、「北の国から」は見たねえ。そんで40、50歳のおっさんが泣いてんの。蛍が可哀想だって(笑)。あの頃は工場に出てもその話題で盛り上がってたねえ)も、一人だけ背を向け読書、習字に勤しんでた。だから官にも同囚にも嫌われちゃうんだけど。やっぱり野村の在獄時の態度に近付きたいっていう思いがあったからねえ。テレビなんて見てて好いのかって何時も自分を戒めていた。ところで、縁あって高橋嬢に連載をお願いすることになった。愈愈悲願であった女子部の発進です。皆様、お楽しみに。

5月某日
応援団繋がりの先輩に誘われ、三社祭に参加。お祭りって好いねえ。お神輿は肩が痛いけど。情けない。でも半纏以外は、浜松祭りと全く同じだから、初めて出たわりには服に着られていなかっただけ、なんとか格好はついたかも。しかし、地下足袋は現地で買ったんだけど、これは好い。底が厚くて歩きやすい。浜松には売ってなかったねえ。気に入った。流石浅草。来年からはこの地下足袋に決まり。謀略会議の模様をアップしていますが、アクセス数が伸びるにつれ参加したいという声を聞くようになりました。言っときますが、只の飲み会です。それも40歳前後の酒癖の悪いおぢ・おばが適当に集まり、適当に去って行き、建設的な何かは一切ありません。それでも好かったら来てね。菊ちゃんなんて、大熊さんの話をメモ取りながら飲酒してる(笑)からねえ。前回飲んだ時、大熊さんと共通の話題で盛り上がったんだけど、大熊さんに頼まれた事を次の日すっかり忘れてしまったという、健忘症の過去があったので、今回は完全防備で臨んだってことらしい。大変だねえ。だけど、画伯と山ちゃんは絶対バトルになると思っていたんだけど、意外にも意気投合しちゃったねえ。結局俺に廻ってきちゃって、また握力比べだよ。怪力なんだから。痛いっちゅーの。因みに大熊さんの第二回評。「しかしあれだけ真剣にバトルするカラオケは、わたしはおそらく初めてです。皆さんに敬意をはらいます。マジで」「一昨日の飲み会は自分にとって大変有意義でした。ヒコさん、ゆかりさん、菊ちゃん、山ちゃん、沢口さん、勿論編集長もだけど、みんなステキでかっこいいですよ。マジで」

5月某日
専門学校の同級生、てらちゃんから何時飲みに行きましょうかと電話。何処にいるのって訊いたら、知立だって。行けないぢやん。名刑で旧国家情報処理技術者第二種を取得したので、出獄後この資格を生かす為に、名古屋のコンピュータ専門学校へ片道2時間半かけて、2年間通いました。周りは高校を卒業した若者達。18歳ですか。私は最初の頃、リストラされた親父(笑)って言われちゃった。だって2倍歳が違うんだからねえ。彼らの父母とそんなに違わないよ。暫くしたら、担任にはため口きいても、私には敬語を使うようになったけど(笑)。担任の先生は私より一つ上でした。で、殆ど高卒なんだけど、中には私と同じ様に回り道をして入学した奴らもいて、それでも24歳が一番上だったかな。三原たけちゃん。大体専門学校に来る奴なんて、勉強しない。いつも教室の前に座って学習してたのは、結局年長組だった。やはり目的と危機感があるからねえ。その時の年長組が二人上京してて、一人はRPL勝野、もう一人がいる会社は、私が就職活動時に内定を貰いながら取り消しになったとこで働いています。何故取り消しになったか。それはね、大阪のシステム開発会社なんだけど、内定を貰ったあと、夏から既に渋谷でみずほ銀行合併のシステム統合プログラムをVBでやってたんですよ。というのは社長さんの計らいで、入社したあと、年長の私が皆とよーいどんで同じスタートでは宜しくないからと。早くから業務に慣れた方が好いと。インターンシップ制度というのがあり、学校行かなくても働いていれば単位をくれるんですよ。でホテル住いでVBと戦っていました。で、ホテルも費用がかかるので、卒業を待たずに引っ越せと。そうなって不動産屋で旗の台の物件をみつけて、契約になりました。その時会社から契約時の火災保険は、会社で使っている保険屋があるので、そっちとしてくれないかと言われ、了承しました。ところが、ところがなんと、その保険屋が契約できないって言ったんですよ。言ったのは現場で働く営業のおばちゃんなんだけど、おばちゃん自身も訳が判らないと。住友生命のデータベースにある私の条項にガードがかかってて、パスワードがないと見られない(笑)んだと。その保険屋とは住友生命。まあ、もしかしたら野村が住友と喧嘩した所為かな、っていうのは思ったんだけど、当時はまだ私は門下になっていなかったし、関係ないはずなんだけど、でもそれしか理由がないし、最初はなんでですかねえ、ってとぼけていたけど、そのうち上司も、古澤君どうして契約できないの? って訝るし、警視庁と大阪府警の方に調べてもらったりして、警察の方が言うには、普通生命保険は墨が入っているとか指が無いとかで入れないことはあるが、火災保険は過去に保険金詐欺なんかをやっていない限り加入できるはずだからおかしいっていうんだけど、おかしいって言われてもおかしいんであって、最後は仕様がないから、社長に直接電話をして、実は私は野村秋介という人の下にいたことがあり、入獄もしていました、それが保険に入れない理由だと思われます、会社にも迷惑がかかるので内定辞退しますって報告したら、すぐに会おうということになり、名古屋で社長と会って話をしました。社長には、銀行とも取引があり、そういうところは仕事上身元には厳格なので、残念ですがって言っていただきました。まあ己の実社会での身分を思い知らされた出来事でしたね。でも自分でやったことだから誰も恨んではいないし、そもそも後悔するくらいだったら、最初からやらないし、人質にとった役員とそのご家族の方には申し訳ないけど、今でも誇りに思っているし、履歴書の賞罰欄に書く訳にもいかないし、こういうこともあるんだな、こんなことには負けないよ、っていう感じでした。でもさ、火災保険に加入できないって困るんだけど・・・。

5月某日
いやー、天気の悪い日が多いですねえ。しかも寒い。謀略会議の後、本多主役、山崎親方、沢口党首が宿泊したのだけれども、布団がないものだから、明け方(寝たのも明け方なんだけど)寒かったみたいですね。あんな狭い部屋に4人寝てて、寒いっていうんだから、困る。もう5月も半ばなんだから。ここは仮の棲家で、来客用のものは、全てに渡ってないし、食器も私のものしかないので、あの日、麻婆豆腐とサッポロ一番味噌ラーメンを作って山ちゃんと食したんだけど、私はシェラカップに鍋からラーメンを取り、山ちゃんは大根おろし器の蓋を取った下の器に取って食べていました。もともと事務所なので、冷蔵庫も小型で、自作派の私が困るのは、冷凍庫がないということだ。作り置きが出来ないし、冷凍食品が買えない。2,3日おきに買い物に行かなくてはならないのが、ちょっと面倒。主婦ぢやないし、買い物は毎日どころか、1週間に一回まとめ買いが自己流。肉のハナマサもみつけたし、冷凍庫があれば、鳥のささ身も大量に買ってくるんだけどね。今の主食は蕎麦。米は胚芽米が好いんだけど、高い。炭水化物はパスタから。でも今は毎日は食べない。肉は食べない。蛋白質はプロテインかチーズか卵白。公約の誕生日までに体脂肪率10%台は達成できませんでしたし。何故か? お祭りの所為だ。あんだけ飲酒すれば当然といえば当然。よって、1ヶ月延長します。心肺機能は伸びたし、筋肉量若干増えたが、脂肪が減らなかった。知人によると、私は健康おたくということなんだけど、そうかねえ。木村さんとは違った理由でコーラは飲まないし、マックにも行かない。毎日飲酒したいけどしないし(これを読んでいる読者から「毎日飲まない方が好いですよ」って言われるけど、それは間違い。飲んだことは必ず掲載してるのでそう思うだけ)、長生きしたいからではなく、死ぬ寸前まで健康でいたいから。よく「明日地球が滅亡すると判ったら、あなたは何をしますか?」という質問すると、大体、食事、飲酒、女ってな答えだけど、私はいつもと変わらない。朝5時に起床、走ってから腹筋、朝飯食って仕事行って、終わったら筋トレ。プロテイン飲んで就寝。これをするために、動ける体、即ち健康で在りたい。それで毎日の運動と食事に、自分で決めた事をするだけなんだけど。自分で自分を律するっていうのは好きだね。体を苛めるのも好きだし。悲劇のヒーローか、被虐趣味者かってなところか。

5月某日
謀略会議の模様

5月某日
一水会フォーラムに参加。人数多し。新宿黄金街で0時を過ぎてから、誕生日のお祝いをしていただいた。3時帰宅。moccaさんから名刺をいただいたので、サイトを閲覧。本日は赤坂で画伯が待ち構えている。彼の攻撃に耐えられるかどうかとっても心配。

5月某日
お祭りのときの写真を貰った。ほぼ正装に近い。帯はしてないけど、法被、腹掛け、股引、鯉口、手甲、足袋。成組。小さな町だけど、近年ご多分にもれずマンションが建設され、人数が驚くほど増えた。私が小学生の時なんか、隣接町と比べても、情けないほど少なかったのが、今や一番多いんぢやあないのかねえ。若い人が増えたよね。小さい頃はお祭り気違いと言われた私も、全寮制の高校、京都の大学、在京の仕事、入獄(笑)などで、10年以上参加してなかった。出獄した年から暫く浜松にいたのだが、町内の方々から、お祭りに参加するよう声を掛けていただいた。有難いことですね。みんな知ってるの。私が懲役に行ってたことを。それでも、誘っていただいた。待ってるからって。私なんか、帰省すると未だに「俊君」「俊」だからね、もうすぐ40歳になるのに。あの人たちの中では、私は一生小さい子供なんだよね。余談だけど(このふとやせ自体が余談みたいなもんだけど)野村事務所や、名刑にいた時など、色んな、それこそ所謂右翼、やくざ、左翼の方々と知り合ったけど、言葉って凄く気を使うぢやない。挨拶一つとっても。名前間違えたら喧嘩になるとか。あれ、この人昨日名前聞いたけど、何て言ったっけ? ってな場合は、間違って言ってしまうとややこしい事になる場合もあるので、一度違う人に確認してから呼びかけるとか。別にそれが悪い訳ぢやあないけど、だから浜松に帰ると何か物凄く落ち着くんだよね。俊君(笑)だから。私も酔っ払って先輩方に意見なんかしたりして。そういう人間関係も好いなって思うようになった(笑)。仕事で浦和から新宿へ移動。新宿高島屋の14階でお昼にした。入ったお店でなんと船中八策を発見。名刑を出た年(平成10年7月)の10月からBD−2を持って小旅行をした(本当は乗って移動するはずが、結局全工程車か電車)のだが、横浜〜埼玉〜東京〜那須〜仙台〜塩釜〜石巻〜八戸〜青森〜函館と周り、確か11月1日に札幌入りした。この日初雪。薬王寺の田中清元和尚のところへ、一週間ほどお世話になった。その時にこの船中八策を飲んで大変美味しかったので、以来探していたのだが5年振りに見つけた。ところが、な、なーんと一合(一升ではない)1800円也。ま、好いか、眼下に新宿御苑、向こうには噂の六本木ヒルズ、東京タワー、多分有名なんだろうけれども知らないビル、知ってるんだろうけど名前のでてこないビルなどが眺望でき、気分が宜しいので注文。うまーい。毎日、一升290円の日本酒(一合ではない)を飲んでいる画伯に教えてあげなければ。思うに、一升290円って、多分日本では売っていないと、密造酒だと、そのような酒を毎日召し上がっているので、好くない物質が脳内に入り込んでいるのだと、こう画伯には申し上げたい(忘れてください)。そこへ大熊店主からメール。14日、第2回世界謀略会議の開催動議が緊急提出された。画伯も出席との事。そういえば、「危険!1m以内立入禁止」って書いたら、早速メールが来て、「言っとくけど俺は酔っても女子には優しいぞ」と脅迫された。だそうです。婦女子の皆さん、よろぴく。14日の会議、奮って参加してください。

5月某日
菊ちゃんの劇団公演が、高円寺であったので、観覧。マクベス。事前に電話で、早く来ないと入れないと聞いてたけど、本当に満員でした。生でお芝居見るのって、小学生の時に劇団たんぽぽを見て以来かも。やっぱり主役のマクベスは、オーラが出てたねえ。格好いい。菊ちゃん頑張って。見た目なら負けてないから。近くの食料品店に行ったら、空豆一袋に入れるだけ入れて、298円だという。有難い。入れました。後ろに人が並んでても、工夫しながら時間をかけて入れました。袋の上部がちょっと破けたけど、たくさん入れました。有難い、有難い。うまい、うまい。14日水曜日は、30歳台最後の誕生日。早いもんだねえ。とっくに人生の折り返しは過ぎてるけど、40歳台ってやっぱりおぢだよね。やだやだ。体脂肪減らして、胴囲を引き締め、死ぬまで格好よくいたい。

5月某日
大学時代の空手道部の友人から、メールが来たんだけど、面白いんで掲載します。






  冠省

  ご無沙汰しております。皆さん、お元気でしょうか。

 私のほうはSARS問題が顕在化する直前(三月)に、学生と共に中国で二週 間の文化教育交流に従事しておりました。帰国前に38度以上の発熱と咳があり (あ、皆さん、逃げないで下さい)、5キロも痩せてしまいました。もしあと十 日ほど遅れて日本に帰って来ていたら、今ごろはどこかで強制入院させられていたやもしれません。家族は私の陰でヒソヒソと、「きっとSARSに感染していたのよ」 と、笑えぬ内緒話をしているのを、先日耳にしてしまいました・・・。


 北京の大学へ留学中の教え子の話では、すでに一週間ほど前から中国人学生は事実上の軟禁状態で、彼もようやく明日帰国する決心をしたようです。

 北京の日本大使館に勤務している友人からの情報では、事態は極めて深刻です。私は現地で天安門事件(1989年)を経験しましたが、今回はある意味で天安門事件より危機的とのことです。農村部や西部地域で蔓延した場合は、軍を動員しても収拾できないでしょう。出稼ぎ労働者が大挙して北京から帰省しつつあり、彼らがキャリアとなって農村部で広がるのも時間の問題でしょう。関係者の懸念は、SARSが風土病として中国に土着することだそうで、そうなると、ポリティカルリスクだけでなく、広義のカントリーリスクが高まり、いろいろ厄介なことになるからでしょう。

 私が懸念しているのは、事ここに到っても、中国の圧力で台湾がWHOに加盟できずにいるという厳然たる事実です。少なくともこの問題に関しては、中国共産党は政治問題化すべきではなく、人類共通の利益を優先して、台湾のWHO加盟を支持するべきだと愚考します。


 さて、話は変わりますが、先週TBSさんが高野山に取材に訪れ、筑紫哲也氏も当院にて宿泊されました。宗務総長(うちの父です)、梅原猛氏、筑紫哲也氏の鼎談もあったようで、五月のNEWS23にて紹介される(らしい)です。なんでも、テーマは「スローライフ」だとか・・・。うーむ、全ての僧侶がスローライフしているわけじゃないんですけど・・・。ちなみに、ご存知だとは思いますが、筑紫哲也氏の「NEWS23」は、「ニュース」という名がつけられないほど偏向した報道内容で、私は常々筑紫様らとはまったく反対の立場ですが(笑)。一応高野山の紹介ということで、お時間おありになれば御覧下さいませ(私はTBSの回し者じゃないですよ)。

 高野山は、今年弘法大師入唐1200年という記念すべき年を迎え、行事が盛りだくさん、その一環で冒頭ご紹介した中国での「文化教育交流」もあったのですが、SARSでその他の行事はほぼ全て延期となってしまいました。

 長くなりました。普段の無沙汰を詫びつつ、これにて失礼致します。

 ゴホゴホッ・・・。







彼には連載をお願いしたことがあるだけど、多忙を極めているらしく、今回は駄目でした。ところで菊ちゃんから、先月半ばに原稿を貰っていたんだけど、手書きだもんですから、私が打ち込まなくてはならず、ぢやあ今日やろう、と思ったら飲酒してしまい、今夜やるか、って決めたら飲酒してしまい、そろそろやるか、と重い腰を上げたら酒場の椅子に座ってしまい、そんなこんなで今日に至りました。申し訳ない。表紙の次頁のデザインを考えています。今回は若干見出しというか、キャッチフレーズを連載陣につけました。あくまでも編集長が決めることなので、これにしろ!と言われても駄目です。しかし女性の連載はどうなっているのかねえ。まるで反応なし。何でも好いんだけど。絵、写真、俳句、短歌、詩、日記、随筆、テレビ番組批評、消しゴム版画等々。

5月某日
いやー、お祭りが終わったというのに、まだ呆けてる。連休中、画伯に素晴らしい絵を描いて貰った。いやー、表紙が素晴らしすぎて、今までのトップ頁との落差が激しすぎる。リニューアルを思案中。夜、野村先生のご子息である、勇介君から電話。いつも見ていますと、有難いお言葉。来週第二回世界謀略会議への参加を要請。

5月某日
昨夜まで、着替えて寝たのは3回だけ。後はそのままか、脱いだだけで倒れてた。3日の朝5時半から5日の深夜に至るまで口にする飲料は酒、固形物はおにぎり(ごまとさくらごはん)、沢庵、つまみ類。履物は地下足袋か雪踏。家には寝に帰るだけ。早朝、会所(祭りの間の事務所)に来たら、缶麦酒と柿ピーで打ち合わせ。屋台を運んだあと、 凧場へ移動し、日本酒・焼酎・麦酒で会談。時間が来ると凧を持って出陣。今年は4日だけが風が無く揚がらなかった。5日は切り合いをやったねえ。午後会所へ戻ってきて酒を飲みながら夜の部の準備。屋台の出発場所で地面に座り込んで飲酒。練り部隊と屋台付に別れて出発。練りの場合、飲んでも飲んでも汗で出ちゃうんだよね。兎に角3日間で100k歩いてんぢゃあないの? 年に3回しか地下足袋穿かないから足が本当に疲れるんだけど、6日になって普通の靴を履くと、足元がふらつく。自町に戻ってから初子のお宅でふるまい。0時に終了して襷(幹部)で飲みながら反省会。これを3日間繰り返し、6日は飲みながら片付け。夜襷脱ぎ(慰労会)。今日はまだ酒は口にしていません。正気にもどりつつある。もうこれで飲酒運転したり、トラックの荷台に10人乗っかって走ったり、地下足袋でホテルオークラに行ったりすることもないと思うと、寂しい。さっき浜松祭りで検索してあるページを開いたら、「浜松祭りまであと360日」っていうのがあった(笑)。それで愈愈来年は成組期待の古澤家39年ぶりの初(はつ)。お祭りについては「浜松祭り」で検索すれば幾つか町で作っている頁があるので、見てやってください。

4月某日
浜松祭りの為、帰省。某公務員の、まつふみ君から連絡があり早速飲酒へ。日本酒・焼酎の美味しいお店で早くも全開。その後の記憶は定かではない。Yuに行って、サルビアへ行ったらしい。お祭り前の準備はこれでOK。飲酒と地下足袋と睡眠不足の過酷な3日間がもうすぐ始まります。

4月某日
電話の話題には事欠かないわたくしではありますが、自分なりの決め事を持ってるのだよ。先づ電話に出られなかった時、留守電に用件を入れてくれない人に対しては、絶対に折り返しかけない、というのがある。だってそうでしょう、何の用事か判らんのに、もしかしたら間違えてかけたのかもしれないし、用件を知らせないっていうことは、大したことじゃないと思われるからです。大体、相手の携帯を鳴らしただけで、かけて貰おうということが理解できない。auは留守電機能は無料なんで好いのですが、ドコモを使っていた時は、300円払ってましたからねえ。逆に、用事があって電話した場合でも、相手が出なかった、若しくは「電源が入っていない為・・・」だった場合、2度はかけません。留守電を選択していないっていうことは、私に言わせれば、着信を拒否してるのと同義です。でもねえ、必ずしもそうやるとは限らないんだよねえ。例えば、何時もお世話になっている方から着信があった場合、やっぱりかけなおすよねえ。それから女子からの場合もそう。「何で俺はでられなかったんだ、この大馬鹿者ー」と叫びながら0.1秒でかけなおしますよ。当然でしょう。「じゃあお前は、そうやって人を区別差別しながら、電話をかけているのだな」(ここヒコ画伯調)と問われれば、そうなんです〜と言うことだ。だってさ、深夜2時に飲酒電話をしてしまうらしい、わたくし。早寝早起きの俺にかかってきたら、あとで1万回無言電話をしたくなるほど、頭に来るね。尤もらしいことを述べながら、一番マナーが悪いんだよね。いや、本当に最近は発信したのも覚えていないんだよね、翌朝。以前は、そういえば昨夜は電話したなーっていう微かな記憶はあって、そのかけた人数にびっくりしていたのだが、最近は、かけた覚えが全く無いのに、発信履歴が残っているという緊急事態に驚愕することが多い。一体そんな夜中に何を喋っているのだよ、わたくし。一度聞いてみたい。否、絶対聞きたくない。どうせろくなことは言ってないよ。飲酒するとどんどん駄目人間になっていくわたくし。でもさー、今夜は浜松ナイトなんだよねー。また今日もやってしまうのか、またお前は過ちを繰り返して生きていくのか、どうなんだ、はっきりしろ、だけど俺が電話してるんだからでてくれよ、たまにはでろよ、頼むからでてください、毎日はかけないからさ、ということで、関係者の方々、どうか仲良くしてください。

4月某日
消息筋によると、昨夕新橋の某もつ焼き屋で始まった世界謀略会議は、当初のヒコ画伯、木村女史、古澤編集長の3人から、大熊さんの合流を経たのち、新宿黄金街のルマタンで、沢口女史の参戦を受け、翌日未明まで、断続的に戦闘が続けられた。その最中、編集長は性懲りも無く幾度も電話攻撃を繰り出し、自軍のみならず、多方面から大顰蹙を買ってしまい、「東京都迷惑条例」違反で逮捕された。調べに対し古澤容疑者は、「何も覚えていない」と容疑を否認。今後は交友関係等、組織的背景がなかったどうか厳しく追及される模様。

4月某日
今夜は画伯、大熊さんと世界謀略会議を某新橋界隈で行う予定なのだが、無事帰って来れるのだろうか? とっても心配。暴れないでね。明日はお祭りの為に帰省したいから。浜松祭り。浜松の人でないと判らないこの高揚感。5月3,4,5日の浜松はお祭りで、てんぱっちゃってます。でも、1日20時間酒を飲んで走り廻っているのに、不思議と喧嘩沙汰は起きないねえ。やっぱり各町の組長の統制力なんだろうね。それよりも絡まった凧をおろす為に松をぶった切っちゃって捕まったり、糸が絡まった民家のアンテナを、凧ごと引き摺り下ろしちゃって中電が来たり(やっぱりこの期間の中電は休み無しで待機してるのかねえ)、だんじりが民家をぶち壊しながら引き回されていくのと、同じような豪快さは頻発。どうか雨が降りませんように。

4月某日
蒲田の「山河」の集まりで、山ちゃんとボーリングに参加。ボーリングは、後で必ず腰痛になるので、殆どやらない。と言いながらも4ゲームやらせていただいた。成績は言わない。山ちゃんは尻上がりに好くなっていき、5ゲームやって最後が160でした。その後「八幸」へ。マスターの、野村が蒲田に住んでいた頃の話がとても面白く、大笑いしながらもつ焼きとビールをいただいていたら、なんと三澤さんがお連れの方々と登場。こんなところで会うなんて。三澤さんと飲酒するのは、4年ぶり。三澤さんを誘って3人で「山河」へ。1時間後、山ちゃんを置いて三澤さんと脱出。例によって酔っ払い電話をしながら帰宅。

4月某日
「格闘ボディ デザインブック」宝島社。ありきたりのウエイトトレ本でない。船木誠勝が「火の呼吸」について解説してるので、買ってしまった。先日、体育に関しては船木、低インシュリンダイエット等を参考にしていると書いたが、今の船木は「火の呼吸」なのだ。これは凄い。もう今日から火の呼吸やっちゃうもんね。同本で、宇野薫が自分は船木信者だと言っていたが、私もそう。船木の体育理論は素晴らしい。ところで、日課の周回コースのタイムが若干縮んできた。以前は1周20分が昨日は17分、2周目が18分、3周のタイムが52分。1周約3.5kだから10.5kが52分。これを40分にするのが、当面の目標。ハーフを90分で走れたら、フルに出場するつもり。夜「ベティ・ブルー」。なんか「トゥルーロマンス」を思い出した。

4月某日
「さらば群青」にも出てくる蒲田の八幸へ4年ぶりに山ちゃんと。マスターもママさんも全然変わらない。美味しいもつ焼きとビールで2時間ばかり楽しいひと時を過ごさせて頂きました。マスター、ママさん有難うございました。その後、野村秋介縁の「山河」へ。1時間。大井町へ移動後、更に飲酒を重ね、零時近くに五反田方面へ歩いて移動。白金付近でRPL勝野にピックアップしてもらい、外苑前のホープ軒でラーメン。4時帰宅。ところで、山ちゃんがスキャナを調達してきてくれたので、写真の取り込みが出来るようになりました。今後少しずつアップしていきます。

4月某日
豆好きだ。監獄なんかでこの様に言うと、「ああ、そうですか」などとニヤリとしながら言われて、あらぬ方へ話がいく事がままあるが、私の場合は本当の豆だ(きっぱり)。先程も昼食を買いにスーパーへ行ったところ、空豆が売られていた。しかし高い。高いんだよね、空豆って。あきらめて移動したら、冷凍のものがあったので、すかさず購入。ゆであげて、カマンベールチーズと共に頂いた。お昼はそれだけ。飲酒の友としての枝豆、空豆は言うに及ばす、納豆、小豆、チリビーンズ、豆腐等なんでも大好き。あんぱんも小倉に限る。体育にうるさい私としては、最近肉食をしてないこともあり、高蛋白低脂肪の豆類は欠かせない。しかし40歳近くにもなって、低脂肪だ大胸筋だ上腕三頭筋だアミノ酸だ持久筋だベンチプレスだホエイだグルタミン酸だ高重量低回数だ股関節の使い方だ心肺能力だって言ってるのも、どうなのかねえ。もっと他に考えることあるだろう。別にプロスポーツの選手ぢやあないんだし。まあ趣味みたいなもんだね。

4月某日
物持ちが非常に好い。例えば、赤ボールペンと15cmの線引き。最近まで使っていたが、買ったのは小学生の時。線引きはプラ製だったが、劣化して半分に折れてしまい、ボールペンは、ゼブラの100円かそこらの本体が透明で、替え芯が使えるのだけれども、芯を入れる底の、螺子が切ってある部分が、やはり折れてしまったので、使用不可に。この2点は、特に思い入れがあるわけではなく、なんとなく使い続けてきたものだったので、修理はしなかった(不可能だけど)が、衣類や身の回りのもので、10年以上使っているというのは、結構ある。商品購入のものさしは、人それぞれあると思うけど、私の場合は、長く使えるかどうか、というのが重要な点だ。それと気に入ったものを買う、ということでしょうか。価格は二の次。高くても、修理が効くもの(多くはそのメーカーが部品の在庫を持つかどうかにかかっている)を選ぶ傾向にある。23歳の時、アメ横で買った紺のトレーナー(スウェットシャツですか?)は、現役のワードローブとして、頑張っている。16年です。16歳の時やはりアメ横(アメ横大好き)で買ったLeeのGジャンは、野村とフィリピンに行った時、帰りのマニラ空港・さくらラウンジに置き忘れてきた。非常に残念。今生きてれば、23年だったのに。kavuの短パンも2cmのかぎ裂きがあるけど、裏からガムテープを貼って使ってる。5年目。新しいのを買いたいけど、絶版らしい。綿100%はあるんだけど、これは60/40の混紡。気に入ったものは、続けて買いたいもの。0.9mmシャーペンでパイロットのプレスマンというのがあって、高校時代に買って、昨年まで使ってたのが、2代目。なくしちゃったんだけど、売ってるとこが見つからない。時計はオメガスピードマスタープロフェッショナルが、13年目。ロレックスは、使い始めて10年だけど、その前に10年だから、20歳。トランクスでも、出獄してから買った4枚は5年目で現役だし、入獄以前からのものもあって、それは8〜9年かな。トランクスだよ、パンツ。知り合いの業界の方なんかは、常に新しい下着を見に着けるとのことですが、私なんかは、コンビニで売ってる新品よりも、3000円で5年使ってるのを穿いてる方が格好いいと思うけどねえ。靴下でも5年目のものがありますね。靴下だよ、ソックス。だってへたらないんだもの。靴は入獄以前からのものだと、やはり9年くらい。ちゃんと磨いてるからねえ。クリームは黒と茶の二つあるし。サンダルが大好きで、特に所謂ビーチサンダルは、私の人生に必携だけど、大体一夏使うと、駄目ですね。だけど、スポーツサンダルは、tevaが10年目。かかとのベルクロは、自分で縫い直した。自分が好きで、価格的にしんどい思いをして買ったものもあるから、大事に使うし、捨てられない。今の時代には逆行してるけど。
夜、遅れ馳せながら「dolls」。美しい。

4月某日
昨日は朝帰りしたので、21時に就寝したらば、今朝は3時に目が覚めた。テレビをつけたら、IWGPの再放送をやってた。ブクロ、サイコー。サイトの更新をしたり、沢口さん、大熊さんから届いていたメールに返事を書いたりした後、6時半から日課に出発。3周。戻ってから腹筋100回。朝食は麻婆茄子を作りました。天気が好いので、多摩川に向けて、BD−2で出発。246をひたすら走る。途中、ブックオフを発見。そうだ、向こうで飯食ったら読書にしよう。ジェイムス・エルロイの「ホワイトジャズ」が好かったんだけど、500円。100円コーナーにはなかった。スカパラのCDも欲しかったんで、本はあくまで100円コーナーから選択。結局、トマス・H・クックの「夜の記憶」に決定。大体、海外物はあんまり読まない。参考にするのは、やっぱり「このミス」。所謂ミステリー中毒の私。推理小説と呼ばれていた時代(当時小学生)から、ホームズ、クイーン等を読んでました。船戸与一なら「猛き箱舟」「伝説なき地」「砂のクロニクル」、北方謙三なら「烈日」「眠りなき夜」「友よ、静かに瞑れ」と、「その作家ベスト3」をご用意してありますので、面白いのを教えてくれという方は、ご連絡下さい。このミスの場合、国内の順位だと大体自分が面白いと思ったものは、入選してますね。スカパラは「GRANDPRIX」を購入。246は首都高の下で気分が悪いので、環七を過ぎてから左折し、駒沢通りを西へ。二子玉から多摩川へ入りました。何組もの人たちが、思い思いに土手や堤防やベンチに座り、お昼を食べに来てました。1時間ほど走ると、一旦道路に上がって、お昼のためのお店を探した。丁度近くにグラウンド小池屋というのがあって、焼きそばを買いました。読売の選手からアナウンサーから芸能人からの色紙が店中に貼ってあり、有名らしいですね。でもおばあさんもおばさんもとても気持ちの好い人。しかもキリンラガーの大瓶あり。5秒迷ったけど、烏龍茶にしました。また河川敷に戻り、ベンチに座ってお昼。食後は寝転んで「夜の記憶」。しかし途中でお昼寝になりました。目覚めたら14時半。これだよ、これ。もうこんな季節になったよ。ベンチでお昼寝。もう駄目だ。次回小池屋さんに行ったら、躊躇することなく、ラガーを注文するだろう。昼からうまい酒が飲める季節だよ。有難いねえ。更に南下し中原街道から川崎市へ。古市場から上がって、幸区へ。逮捕時は川崎に住んでました。出獄直後に1回だけ元の住居の屋上に行き、30分泣きました。悲しいというより、切なかったねえ。いろいろ思い出の場所だったから。また見に行ってみようと思ったら、何とその周囲も合わせて跡形も無くなってました。再開発らしい。あ、そう。そういうことなの。帰りは中原街道から駒沢通りへ入り、17時帰宅。

4月某日
一水会フォーラムへ出席のため、大熊さんと高田馬場へ。講師は木村さんと鈴木邦男さん。終了後、一水会HPと鈴木邦男さんのHPへのリンクのお願いを了承してもらった。いくぞ、一日1000アクセス。直会でもしっかりRisorgimento!の宣伝をしました。既に見た人の間では、やっぱり愛国日記が大評判。移動して新宿黄金街。ガルガンチュアは満員で入れず、ルマタンへ。みやこママさんとは、10年ぶりの再会。変わってない。ルマタンもガルガンチュアも、野村が通ったお店。私自身は、店内に入ったのは数えるほどしかないが、思い出の場所。暫しママさんと歓談。その後沢口友美さんの案内で、もう一軒「うとうと」。初めてだったが、なんとそこのママも野村の事を知っており、不思議な縁を感じました。3時過ぎ解散。大熊さん宅を経て、6時帰宅。今回は誰にも電話しなかった。昨日はヒコ画伯宅を出た後、全く覚えてないんだけど、発信履歴がありました。そういえば、フランスで、ルペン、ジリノフスキー、ハイダーと木村・鈴木さんが集まるらしい。まさにオールスターキャスト(笑)。きっと恐ろしい事が起きるに違いない。

4月某日
遅くはなったが、僕もやっと花見をおこなった(その時の写真。セルフタイマーで撮影)。ロビーの奴は残念ながら花より団子の方が好い様で、僕のように花を愛する気持ちがないらしい。今度風雅の道を教えてやらなくてはなるまい。byザイン

4月某日
当サイトで、一番人気の大日本愛国日記を連載中のヒコ画伯宅へ、初訪問。実は同学年だったんですよ。すっかり寛いぢゃって(初めて行った家で、初めて喋って、初めて飲酒しながら寝転びました)、すいません。殺気を感じはしましたが。しかし、よく飲むんだよねえ、この人は。ボウモア12年を持参したんだけど、それでも足りずに日本酒を飲んぢやうんだから。しかも酔っ払ってるんだけど、鋭い観察眼をお持ちなんですよ。さすが画伯。未だに好く判んないんだけど、昨夜は穿いていた靴下のことを攻められましたなあ。参りました。画伯には勝てません。しかも、ごろごろローラーやらせて頂いて(やれと命令されて)、腰が痛いんです。もっと優しくしてね。今度は裸足で行きますから、また遊んでください。そうそう、焼き鳥屋行きませうね。

4月某日
あのねえ山ちゃん、勇気がありますねぇー、って別に私はそんなつもりで書いた訳ぢやあないし、なんで寝た子を起こすようなこと(笑)を言うのかねえ、恐ろしい。お願いしますよ、喧嘩なら一人でやってね、俺を巻き込まないでね、頼みますよ、本当に。

4月某日
本日はとても暖かく、今年初めて短パンで走りました。好い季節になって気分が好いので、何時もの周回コースを今日始めて4周しました。プロアトラス2002で計測したところ、1周約3.5kですね。そういえば、39歳の誕生日まで1ヶ月となりました。その日までに、体重1k減の59k、体脂肪率15%以下を目標とし、鍛錬に励みます。体脂肪計は無いんで、マツキヨなどのドラッグストア店頭で計測します。というわけで、本日は炭水化物取りませんでした。所謂ダイエット法としては、低インシュリンダイエット、マフェトン理論、船木誠勝のハイブリッド肉体改造法に加え、最近読んだグレーシーダイエットなどを適当に実践しています。逮捕される前は体重70k近く、ウエスト85pありましたが、出獄してからは60k以下、73pに抑えてきました。それがこの一年、運動をさぼってきた所為で、格好悪い体型になりつつあるんで、頑張ろうっと。

4月某日
さいたま市にある会社のネットワーク設定。PCは2台、xp homeと98。回線はBフレッツ、メルコのルータを使用。xpから始めたが、接続できない。1時間やって出来ず、昼飯食べてから、再挑戦。ルータ本体の切り替えスウィッチのオンオフが原因でした。メモリを128から512へ増設。続いて98に取り掛かるが、なんと、LANポートがありませんでした。急遽ソフマップへ買出し。増設して接続確認、終了。ISDNの頃とはかなり違ってきてますね。特にXPは。この業界、常に勉強してないと、遅れちゃうんだよね。でも自分の環境を常に最新にするのって、簡単ぢやあないし。

4月某日
夏威さん、レスラー岡田君と深夜会議。夏威ワールドは、話の内容を自分で好く考え理解しないと、ついていけない。これからも仲良くして下さい。

4月某日
朝方、昨夜のイラク報道に触発されたヒコ氏より、原稿が届いているのを確認。looxを持って出発。出先でサイトの更新。接続はAir H"128を使用している。月額利用料以外は、エリア等ほぼ満足。問題はloox。T9/80Mだが、遅い。兎に角遅い。これがメインマシンなんだから、これでRisorgimento!を作ってるんだから何かが間違ってる。大画面のデスクトップが欲しい。同時にU101の購入も計画中。多分無理だが。一応ソニースタイルでは、WORKSを予約しました。夕方から本多君と大熊さんのお店へ。営業中にも拘らず、強引にお誘いの約束を。無理矢理引っ張り出してしまいました。約束の時間まで、上野公園へ。葉桜になりかけているが、まだ充分楽しめる。お花見客もちらほら。18時から大熊さん推奨、山手線ガード下の佐原屋さんへ。軒下で缶詰等販売してるので、八百屋かと思いました。どこで聞きつけたか、山ちゃんも合流。主にホッピーを飲用。本多君と大熊さんには共通の過去があり、その話で盛り上がっていた。許可が下りれば掲載します。その後またまたバンド屋へ移動。前回も参戦した、人生ロックンローラーの桃ちゃんが、大熊さんの要請で登場。今回は何と山ちゃんと、ダンス対決、お店を大いに沸かせ、菊ちゃんは「引き潮」でお店の涙を誘い、大熊さんはGSでお店を唸らせ、私は相も変わらず「情熱の薔薇」を爆唱、Risorgimento!軍団を世に知らしめてきました。何時に解散したのか、何時に帰宅したのか不明。大熊さん、本当に有難うございました。翌朝携帯電話の履歴を見たら、例によって覚えの無い発信がたくさんありました。昨夜電話しちゃった人、ごめんなさい。また飲酒したらかけます。これだけは一生治りません。

4月某日
遅ればせながら「ショーシャンクの空に」。米国の牢番共も悪いねえ(この場合の「悪い」っていう使い方は、所謂刑務所言葉。性格が陰険、酷い事をする、規則に厳しいなど、全て「悪い」。「此処の刑務所は悪いねえ」(牢番がうるさい、飯が不味い)「あの担当は悪いよ」(陰険だ、懲役をいじめる)などと使います。)。終始アンディが暗いのが、印象的だった。まあやってもいないことで、20年も囹圄の身となれば、当然か。でも、日本の監獄と比べて、自由度が雲泥の差だね。兎に角、他人と喋る事ができないからねえ。何かと言えば「目をつぶれ」「黙想」だから。刑務所物では、新潮社からでてる「ストーン・シティ」が好かった。あんだけ暗い小説も、所謂ミステリーでは珍しい。あとはハヤカワだったか「グリーンリバーライジング」。こっちの内容は爽快感があります。ともに米国産。ともに在獄時読了。日本のものはとってもつまらない。何故なら実際を知ってるから(笑)、書いてあることが殆どありえない事ばっかりで頭にきちゃう。テレビ、映画もそう。なんでベルトをしてるの? なんで着てるものにチャックが付いてるの? って感じ。だってさ、自分の部屋(舎房・しゃぼう)の中で、立ってるだけで「何を立っとるんだお前は、座れ!」って怒鳴られるんだよ。面白いよね。月が綺麗だからって窓から見るのも、廊下を巡回する牢番を常に気にしながらやるんですよ。夜空が見たかったなあ、あの頃。夜でも外は明るいから、舎房が減灯(消灯はしない。暗くなっても本が読める明るさ。真っ暗なところで寝たかったなあ、あの頃)しても、かろうじて見える程度だった。私は甘いものが食いたい、煙草が吸いたい、酒が飲みたいって、一度も思わなかったけど、30分で好いから走りたい、月に10冊で好いから好きな本を読みたい、満月を暫くで好いから眺めていたい、って好く思ったねえ。まあそんなことを「ショーシャンクの空に」を見終わって、思い出しました。

4月某日
さいたま市にある会社のBフレッツ設定作業午前中から。17時にアメ横の大熊さんのお店で、山ちゃんも交えて、サイトの打ち合わせ。トップ頁を作って、そこから今のメイン頁へ入るようにするとのこと。ぢやあトップ頁のデザインを考えなきゃ、と思案を始めたが、二人異口同音にヒコさんに作ってもらうのが好いとのご意見。あ、そう。判りましたよ。頼んでみますよ。終了後、山ちゃんとヨドバシカメラへスキャナの下調べ。その後、神田の立ち飲み屋へ入るつもりが、そこには椅子がありましたとさ。3時間あまり粘り、湯島方面へ移動。そこで山崎さんは中国人のポン引き(女性)と交渉にはいるや、1人2万円のところを、なーんと山平さんの「やくざにみる交渉術」もびっくりの75%オフお一人様5000円を獲得。うーん、トレビアン。1時帰宅。

4月某日
ユニクロの宣伝に出ている、藤原紀香の右上段回し蹴りは、綺麗だねえ。所謂タレントで、あそこまで蹴られる人は、いないでしょう。稽古してるんでしょうね。ところで、ユニクロってフリースで大爆発したけど、その前のテレビ宣伝なんて、おばはんとおっちゃんがでてきて、「これ、おばん臭いから換えて」ってごねる、つまりユニクロは返品には必ず応じるという内容でした。まあ、一言で言えば、とても変。しかしながら、新聞などに入っているチラシは、とても素敵な出来だった。right-onや、ジーンズメイト、その他カジュアルショップのチラシと比べても、それ以上だと思っていたし、私はこのチラシを見ると、毎回お店に買いに行きたくなるのだった。私は美術の成績は常に悪かったので、うまく説明できないんだけど、色の使い方と、商品の紙面構成が綺麗なんだよね。多分チラシ作りの部署にも、デザイン力のある人々を連れて来たんでしょうね。売れるべくして売れたと、いうところでしょうか。

4月某日
一年前から鈴木信行氏に誘われていた、大笑会に初出席。故・遠藤誠先生の秘書をされていた千田さんが会長。東武亀戸線の東あずま駅近くのちゃんこ屋さんに、遠藤先生縁の方々が集まり、とても楽しい3時間でした。毎月第一土曜日が定例なので、来月もまた出席させていただきたいです。

4月某日
先日の檄文で思い出したんだけど、あの日、4月1日は、内山が檄文係で、事前に渡しておいた私が書いた檄と自分の檄をまとめて、作ってくることになっていた。11時に新橋の喫茶店で待ち合わせ。内山が時間通りに来たのか、何時もの如く遅れて来たのかは、忘れた。内山は開口一番こう言った。「まだ出来てねえんだよ」「は?」「だから、完成してねえんだよ」「はは?」「夜遅くまでやってたんだけど、出来なかったんだよ」「ははは?」あんたねえ、出来てねえぢやないでしょう、できてねえぢやあ・・・。どれ、見せてよ・・・、なにこれ誤字・脱字があるぢやないの、こんなの撒いたら末代までの恥だよ、大笑いだよ、ワッハッハ、どーすんのこれ?、ワープロないんだよ、此処は喫茶店だよ。というわけで、急遽ローソンに赴き、スポーツ新聞、糊、鋏を買って、コピー機の前で切り貼り作業が始まった。必要な字を探して、切り抜いて、貼っ付けるのだ。当日にこんなことをしてて好いの? 店員さんに怪しまれて、通報されたらどうするの? 未遂だよ、未遂。いやー、ちょっと作文を作ってるんですよ、ハハハ、なんて通用しないよ、モノを持っちゃってるんだから、モノを既に、此処に、ダイナマイトなんて持ち歩いちゃってるんだから、長い刀なんかもあるんだから、などと考えながら、檄文作りに熱中。まあなんとか完成したけど、困りますよ、こんな事ぢやあ、ええ?、判ってるの?、当日檄文作る人がどこにいるの、どこに、なんて罵りながらも、仲良く現場に向かったのだった。

4月某日
ある女性からの電話。「古澤さんって、朝日事件の犯人なんでしょう?」「そうなんです」「でも、あの事件の犯人はまだ捕まってないのに、そんなこと言って好いの?」 それって、赤報隊のことぢやあないの。お願いだから「犯人がいた!」などと警察に電話しないでね。

4月某日
連載を折衝中である、日生学園第二高校同級生の本多君と、新宿黄金街のガルガンチュァへ。本多君は河野太郎の付き人をやっていたときに、「斬殺せよ」のロケ現場に同行したことがあったそうです。劇中で、河野太郎扮する将校が銃殺される場面があり、河野氏は「天皇陛下 万歳」を叫びながら、撃たれます。テストを何回かやった後、本番の前に、野村が河野氏を一人だけ別室へ呼び、「こうやってやるんだ」と言って、「天皇陛下 万歳」を叫んでみせたそうです。テスト中の河野氏の「天皇陛下 万歳」は、野村にとって「何か」足りないものがあり、それを言葉で説明するよりも、自らやって示したんでしょう。本多君はそれまで野村の事は知らなかったそうですが、この時を境に興味を持ち始め、書店へ著作を探しに行ったり、図書館にまで足を運び、野村の事を追いかけたそうです。実はこのエピソード、野村本人から嘗て聞いたことがあります。図らずも、数年ぶりに再会した友人の口から、野村の話がでて、不思議な縁を感じました。

4月1日
本日から、Risorgimento!が出発です。曲がりなりにも公開できるようになったのは、ひとえに皆様方のお陰であります。連載をお願いしている方々、技術的な質問に答えて頂いた方々には、衷心より御礼申し上げます。ところで、この4月1日と申しますのは、私には大変意義深い日でもあります。平成6年4月1日、築地の朝日新聞へ内山国泰と共に赴いた、所謂朝日新聞東京本社人質籠城事件を惹起しました。勿論事件に就いては賛否両論あろうと思います。失ったものは非常に大きかったし、また多大なご迷惑(所謂「世間」というものではなく、私個人の周囲と、朝日新聞の荒垣さん、吉田さんとそのご家族)もおかけしました。それと同時に、得たもの、掴んだものも数知れずあり、今の私の根幹を支えています。今年で十周忌を迎える野村の自決後、公の場では発言を控えて(その半分は、在獄していたのですが)参りましたが、この日をもって、先ずはネットの世界ではありますが、情報発信に努めていく所存であります。諸先生、先輩方におかれましては、何卒御指導御鞭撻の程、伏してお願い致します。最後になりますが、私が、当時使用しました所謂「檄文」を、自戒の意味を込めまして、掲載させて頂きます。

3月某日
先日、乃木神社で嘗ての野村の書斎を拝見させていただいたことを記したが、当時あったが今はなくなっていたものについて。先ず、銃弾痕跡のある浜松町・事務所ドアの鉄板。野村の机の向かって右側壁に立てかけてあった。通常は押収されるものなのだが、理由あって野村のもとに戻ってきた。例の「今度は俺の胸を狙え」記者会見時のもの。もう一つ、内線電話がなかった。当時は書斎から内線電話で「誰かちょっと来い」って言われて、その誰かっていうのは、事務所内では、大抵私を指し示す事に認識が一致していて、というのは、経理関係なら小山内さん、原稿関係なら編集長と決まっているので、具体的な内容を言わず「ちょっと来い」というのは、極めて煩雑な内容(先生、ごめんなさい)が含まれていることが多く、そういうことは古澤にやらせておけということなのだ(そのための秘書でもあるわけだけれども)。私がいない時は、誰か来いって言われても、誰もが譲り合う、謙譲の美徳に溢れ返っていた職場だった。多かったのが、手紙の補助。野村は毛筆で書くので、右手に筆、左手に巻紙を持つ。私は野村の右側に座り巻紙の一番右端を持つ。野村の書く速度にあわせ紙を引っ張っていくのだ。墨が乾かないと畳につく。長さは1M以上になる。これが大体1時間。その他執筆時の辞書引き、マッサージや買い物など(この話を木村女史にしたら、懐かしがったのと同時に、深く同意していた)。兎に角、書斎に入るということは、即ち大変な緊張を強いられるのだった。

3月某日
今迄、ノゲイラ戦は別として、見る試合、見る試合悔しい思いをしてきたのだけれど、今夜はレスラー岡田、RPL勝野と、飲酒ロードを進撃しているあいだに、KO負けだよ。というか、ミルコのKO勝ち。当たり前だよね。というか何でホーストが負けるか判らん。っていうか、今スポルトで見たけど、何あれ。何で今迄倒せなかったの。何であれで倒れるのか判らんけど、でもミルコってやっぱり凄いねえ。藤田、永田(問題外だけど)、桜庭、シウバって戦ってきた実績勝ちだね。逃げなかった者の勝利だね。ミルコ凄い。ミルコ素敵。ミルコ万歳。何方か録画を貸してください。

3月某日
群青の会主催の、西那須野・乃木神社参拝ツアーに参加。総勢50名。本殿にいたる700Mの参道両側には、桜の木が植樹されており、それはそれは見事な桜トンネルになってるはずだったのに。のに。東京は開花宣言したのに。のに。ワーイ、なんにも咲いてない。実は、此処には、野村がかつて使用していた赤坂の事務所内にあった書斎が、群青館としてそのまま移築されている。宮司に特別許可をいただき、中に入らせてもらった。
 
 9年越しに現れた、野村事務所。私が東拘にいる間に、赤坂の事務所は閉めてしまったので、本来なら写真でしか見ることのできないものが、目の前に存在しているということは、当時の匂い、窓の外の喧騒、事務所のざわめき、そして野村の息遣いまでもが、再現され、私に語りかけてくる。床の間に5CM程の傷がある。カメラマンの石川重弘さんが、野村の買ってきたライカのレンズを使って写真を撮る時に、床の間の上に設置した撮影用のライトが落下した時にできたものだ。机上には野村が使っていた湯呑み。「先生、お茶いれましょうか?」って呟いてみる。「古澤、これどうだ?」と書き上げたばかりの原稿を渡される。「先生、好いですねえ」って言うと、「そうだろ」と得意そうに笑うに違いない。「なあ、古澤。俺が書いたものは、全て俺の遺書なんだ。判るか?」 静かに、しかし決然と野村は私に言う。あの日、あの時の出来事は、此処に息づいている。今も生きている。思い出なんかには絶対にならない。

 群青館実現にご尽力いただいた、当時の日本青年社・衛藤会長と、現在管理していただいている乃木神社の重田宮司に、衷心より御礼申し上げます。

3月某日
歩いても腰が痛いので、近くの本屋へ行くのにBD-2を使用。ところがこの時間というもの、道路は人で溢れ返っている。人ごみというかごみ人というか、どうにも快適ぢやないので、一本裏通りに入ったら、親戚を見つけたんで、撮影。勝手に撮ってすいません。持ち主の方、好かったらメール下さい。

3月某日
大熊さんと、原稿の打合せ。両人ともサイト作りは初めてのため、なかなか思うようにレイアウトできない。それでも4時過ぎに何とか形になった。その後5時までやってる魚民へ。空いている。当たり前か、5時近いんだから。と思ったらば、大熊さん曰く、大熊さんの住んでる下町近辺では、この時間帯若い人が結構入っているとのこと。なるほど。それは素敵だ。では、おやすみなさい。もう駄目です。5時半就寝。

3月某日
久方ぶりに腰痛再発。膝を伸ばして寝られない、起き上がるのに1分以上かかる、顔を洗うのに片手を洗面台につかないとできない、勿論走れないなどの、お馴染みの症状が。そもそも腰を痛めたのは高校時代。日生学園第2高校なんだけど、それ以来、腰に負担がかかると痛みが。ぎっくり腰も4回やってるし。極真時代は、西に鍼の名医がいると聞けば這って行き、東に整体の神様がいると聞けば拝みにいくという有様だった。今回の原因は朝のジョグであることは間違いないんだろうけれども、そんなに無理しているわけでもないのだが。準備期間として、何日間か2時間くらい歩いたり、バイクで走ったりしたのだけれどもね。2,3日は安静にしなくては。

3月某日
近くの銭湯へ。近くって言っても本当に近い。door to doorで23秒かな。16時から0時まで営業しています。そこで私はおもむろに洗面器に石鹸、シャンプー、タオルを入れて、出発。しかしいくら23秒と言っても、そこの道路は、天下の公道、老若男女が頬寄せて仲良く集う、泣く子も黙る246。そんなところへ、洗面器を抱えた男がいるということは、道行く方々を一瞬にして異次元へとトリップさせてしまう威力があるということに、最近気付いたんです。あまり世間を騒がせては申し訳ないので、マイ洗面器は現在袋に入れています。だけどさ、もっと暖かくなって暑くなったら、風呂上り、洗面器片手にサンダル履いて、近くのコンビニまでビールを買いに行きたいんだけどねえ。この近辺でそんなことしたら、秩序紊乱・公衆扇動・道徳破壊で多分逮捕されるだろうな。

3月某日
5時起床。1周軽く走って20分の周回コースを3周。ここは信号に捉まらないので、走りやすい。現在のシューズはadidas。今まではオニツカの時代から専らアシックスばかり履いていたのだが、此処へきて小中学校時代の憧れブランド、adidasを始めて購入。ウエア類、靴でもカントリーなどは買っていたが、走る為の物としては初めて。私等の頃って、nikeなんて誰も持ってなかった。サッカーはpuma、yasuda、adidasか。野球はミズノ、ローリングスで、ゼットとかSSKはあんまり人気がなかった。ミズノのワールドウィンって、当時の一流選手は大概使ってたねえ。でもってウインドブレーカー上下は、もう一つの憧れブランド、フランク・ショーター。値段が高いんです。本当はもっと早く走れるようになってから買おうと心に決めていたんだけど。なんかフランク・ショーター着て、ちんたら走ってたら格好悪いっていう意識があるんですよね。太ってると似合わない以前に、着られないし。高校生の時にでた名古屋シティマラソン(10k)、出獄してからの駿府マラソン(ハーフ)と、参加したレースは少ないけど、旅に出る時は、必ず走れる用意をしていき、起床後に走るんです。日本の都道府県の割合でいくと三分の一くらい。海外は、グアム、比国、西班牙、モロッコ、印度、韓国、台湾、紐育。そうやって海を渡って共に走った靴って、使えなくなってもなかなか捨てられない。上記の印度以降を走ったのは、アシックスのジャパンというモデル。流石に5年間使用したので、引退。此処1年殆ど走ってなかったので、adidasと共に鍛えなおし。

3月某日
大悲会・志村君主催の勉強会出席の為、横浜の石川町へ。短い人でも1年、中には4年近くお会いしてなかった方もいて、ご挨拶に終始。

3月某日
事務所のPCがMEで具合が宜しくないので、2000化した。15時から始めたのだが、プリンタ、ディスプレイ等のドライバを、事前に確認しなかった(何とかなるだろうという楽天的な考えでいつも始めてしまうのは、やはり好くない 用意周到に)ので、ほぼ終了したのは、21時を過ぎてからだった。ところが、ワードなどのoffice製品保存時にできるアイコンが、おかしい。windowsのマークになっている。開けるので今のところ実害はないのだが、なんでだろうか。

3月某日
野村秋介事務所の同僚だった木村女史(編集長・木村女史とマニラで)と、5年振りに表参道のメキシコ料理屋で再会。この人は齢37ながら、私が最初に会った11年前から、生活観、人生観だけでなく、実際の生活そのものが何も変わってないことが判明した。野村はこの人を大変気に入っており、野村が気に入るということは、即ち頗る変わっているということなのだ。80歳までこのままの姿勢で生きて欲しいと願うのは、私だけではないと思う。

3月某日
渋谷〜西川口〜アメ横〜渋谷をBD-2で移動。このバイクは名刑出獄記念に、浜松のミソノイサイクルさんで、「もう作ってないから、今あるだけしかないよ」との言葉に、購入したもの。ベルトドライブは折りたたみ時には大変重宝するが、インター7は高速の伸びが足りないのが不満。兎に角飛ばすのが好きなんで。Vブレーキも付けたいと思ってるんだが、台座を溶接しないと駄目とのことで、見送り。BD-2ではスポーツ走行をするもんではないということでしょうか。

3月某日
俊一の奴を暫く散歩に連れて行ってやらなかったので、今朝は4時過ぎから起こしてやった。この家には、普段俊一の母親らしき年老いた女と、初老の下僕、得体の知れない男、ロビーの里親だという女がいるのだが、誰も散歩に行こうとしない。5時過ぎにやっと出てきた俊一にロープを渡し、海まで歩いて1時間。久しぶりの遠州灘を満喫した。    byザイン

3月某日
高田馬場で、一水会フォーラム。木村三浩さんと、鈴木邦男さんのイラク帰朝報告会。のはずが、鈴木さんは欠席。昨夜は新宿ロフトプラスワンで、同じく2月に木村さん主導でイラク入りをした人々の報告会に大熊さんと参加。このようなイベントに参加するのは2年振りのこと。懐かしい人々と再会。警視庁の伊藤警部補も来ていた。木村さんとは3年ぶりか。一緒に印度(印度で木村さんと)へ行って以来。あの時一緒だったイラクのDr ガフールは、今や政府の高官になったとの事。まだまだ盛り上がる会場を22時過ぎに大熊さんと脱出。ゴールデン街のガルガンチュァへ。前回来た時に公演中でいなかったたんこさんと、10年振りに再会。その後西麻布のボウモアへ行き、帰ってきたら3時でした。今夜は大熊さんの選択で、パキスタンのお店へ、沢口友美さんと。0時帰宅。

3月某日
21時から、大熊さんのお誘いを受け御徒町のライブハウス・バンド屋へ。永ちゃん中心だが、何でも演奏します。夜半過ぎ、大熊組が大挙乱入。大変な盛り上がり。4時解散。90分かけて徒歩帰宅。

3月某日
山ちゃん、プライド予備軍の岡田君と、青学近くの焼酎バーへ。この岡田君は、格闘家でありながら、大変な美食家でもあり、此処は美味しいですよ、あそこは好い酒がありますよ、と私の港区案内人でもあるが、同時に私の財布を軽くすることにも貢献している。その後和風カフェ、ボウモア、カオタンラーメンと、岡田君のお勧めコースを進撃。3時帰宅。

3月某日
本日午前10時23分、突然俊一の奴が帰宅した。随分顔を見ていなかったので、心配していたのだが、元気そうで安心した。ロビーの奴は、俊一に飛びついたり、まとわり付いたりおしっこをかけたりしていたが、僕の場合は喜びの表現は控えめにしておいた。    byザイン
木村女史 大熊さん ザイン 山ちゃん ロビー 小山内さん 編集長 東拘 名刑 朝日新聞東京本社事件 ガルガンチュア 日生学園第二高校 斬殺せよ 夏威さん 三澤さん 住友戦争 工場
主な登場人物と語句補足(随時書直し有・リンクされてないものは、作成中)
太った  より痩せた
狼
Risorgimento!の表紙       

 

 

 

 

 

 

 

平成十五年 平成十六年 平成十七年八月十日まで 平成十八年六月二十五日迄 平成十八年六月二十五日から