備忘録雑感

小野田 学

今年平成23年が暮れようとしている。僕には、可もなく不可もない、平凡単調な1年だったように追想される。否、平凡だったからこそ幸せだったと言うべきだろう。大きな変化なり、できごとなりなどと言えば、嬉しいことなどめったにないのだか ら…。

僕は毎日のように備忘録を記している。(日記をつけている)などと言うと、悪友どもの幾人かは(お前にしてよくぞそんな面倒なものを…」と揶揄に満ちたことをのたマフ。
 あるいは、(何のために…」と問う者もある。(何のために…」と問われても返答に窮する。記している僕自身(何のために…」の目的意識がほとんどないからである。
 しいて言うなら、(心覚えのために)と言うことになるだろうが、書き記した後で読み返したことなどめったにないのだから「心覚え」などとは痴がましい。

僕が日記なるものを記し始めたのは昭和25年の7月一日からである。其れより早く小学生の頃、夏休みの宿題代わりに日記を書かされたことが幾度かはあったが、そんなものは手元に残っていない。
 昭和25年7月から9月末までのものはのり綴じ製本して暫く手元にあったはずなのに、何時しか行方不明になってしまった。
 其の後の、昭和25年10月一日以後の分は全て保存されている。

日記に関しては37ますの点字器を使って記し、始めの数年は其れを1年ごとにまとめてのり綴じして1冊のノートにしあげていたのが、何時のころからか糸綴じのしっかりした製本に変わり、大方は300ページを超える膨大なノートが毎年1冊ずつ確実に増してきている。そして、今年末までになんと62冊の膨大なノートが手元に溜まってしまう。
このノートどもを一瞥すると昭和31年ごろまでの点字用紙の粗悪さがひときは目立つ。僕の岡崎盲当時の点字教科書なども用紙の粗悪さから点字が早々と摩滅するようなものがあったほど。点字出版所にしてそうだったのだから、まして盲学生が入手できた用紙の粗末さはおして知るべしと言うところだろう。
 昭和31年ごろ「もはや戦後ではない」との標語が流布され始めた頃と言うのだから其れも自然なことと言うのだろう。かくも膨大な僕の備忘録はひょっとすると「このノートを作るため」の毎日の作業と言うことに帰着するのか?と自問自答することがあるほどである。

そもそも其れを記し始めた動機はなんだったのか?、僕自身でもまるっきり記憶にない。もちろん、岡崎盲学校寄宿舎当時であり、明けても暮れても勉強などそっちのけで、遊びまわって否騒ぎまわっていた頃であった。テストの問題や大きな校内行事の主なプログラム、年に1度か2度出かけた学校対抗の行事のプログラムなども多分書き記されているはずである。
 時には、主に学生当時から卒業間もない頃に寄せられた手紙の内感銘深かったものなどの主要な部分も書き加えられているはずである。

「いったい自分は何のために読み返されるようなこともない駄文・雑文を記しているのか?」、毎年年初の数日間くらいはそんな自問に取り付かれることもあるが、惰性と言うか完成の法則と言うか、ともかく1日の終わりか其の翌日かにたいてい何かを書き記している。こうなると悪趣味と言うのかどうにもやめられない習慣と言うのか、はたまた、何か書き記さずにはいられないような強迫観念に押されて何時のまにやら点筆ヲ取っている、と言うのが実情と言うべきか。

年の瀬が近づくと書店にさまざまな形や形式の日記帳が並ぶと言う。所定の事項があらかじめ印刷された帳面に自由に書き込みできる形式はなんとも羨望の的である。点字ではそうは行かない。何よりも1年分の膨大な記録を綴じて1冊のノートにしあげる作業が楽しくはあるとはいえ、大変である。

日記とか備忘録とかを記している人は以外に多いようだ。「日記を記すのは良いが、死後に其れを残すと思いがけない不都合や特に対人関係に想定外のトラブルなどを残しかねない不安がある」と言う感想を多く聞く。対人関係の葛藤や家庭内の不満をつい殴り書きすることもあろう。家庭の外に其れが漏れないとしても、家族に読まれることは当然予想されるからである。
 その意味では、「点字」はやはり便利である。家族に点字を読むものが幸か不幸か我が家には居ないからである。僕の日記に関する限り死後に「外部に漏れて不都合を残す」心配はまずなさそう。何よりも、あんがい楽天家でいわゆる能天気な僕は対人関係の不満や不都合、感情の縺れなどを点字器に晴らすような記憶があまりないからである。そんなことよりも62冊にも増えてしまったノートの収納場所に大いに難渋し始めている。3、6(間口3尺いか、やく90センチ以下、高さ6尺、やく180センチ以下)の書架2収める以上になること間違いないだろう。手ごろなだんボウル箱に収め、点字のラベルと「死後に不用」と墨字書きしたラベルを貼り付けたものが、あまり広くもない我が家の押入れを占領しているからである。読み返すことなどまずめったにあるまいと思いながら、しかし、其れを廃棄しようつもりになどなれないのだから、自分ながらふしぎである。

学生当時から文系の科目は全くの苦手。短詩系の文学などまるっきり理解しがたいような僕の脳組織の構造。およそ哲学的思考を深めるということも苦手な僕はやはり周辺雑記、家庭内のささやかな様子のあれこれ、読み終えた点字本の題名など。毎月月末には「今月の主なできごと」として4,5項目くらい記しているから、僕がREMノ集いに仲間入りしたのが何時だったかなどは簡単に分かるはずである。が、そんなことをわざわざ調べて見ようなどとも思わない物臭な明け暮れヲこれからも送り迎える僕であろう。

もし僕が最近になって備忘録を書き始めたとしたなら、多分点字器ではなく、パソコンに記していただろう。僕のパソコンには、日記を記すに相応しそうなソフト(其の中に「日記」タイトルされたものがインストールされている。項目を眺めただけで、其れを開いてみたことはないが、日付や時刻など自動的に入力できるようなソフトらしい。もっとも、「メモ帳」に記すのとほとんど違いはないだろうが…。

間もなく歳末。10年1日のごとく過ぎた平凡な明け暮れ。そして正月。新たな年明け。後数日でまた新しいノートへの足取りが繰り返される。「なんのために」。目的などはなく、惰性に押し流され、慣性の法則に従うかのように書き加えられる駄文・雑文である。其の新たなる歳が少しでも明るい頼り、嬉しい笑いの種、もう1年病院とも縁うすく、健康で快適な1年であれかしと願いながら…。

皆さん!どうぞ良い正月を、良い新年をお迎えください。