良きと思ってしたことが

いい男

少し前に娘から電話がありました。

「お父さん、いまものすごく落込んでいるね」といっていた。
 話を聞くと、病棟の、かわいいおばあちゃんのことでした。

いつもベットの上ばかりでかわいそうな方です。
ある日 おばあちゃんが「看護婦さん、私もあそこでみんなと一緒に話がしたい」と言われた。
それは皆さんが車椅子で集まって楽しそうに話をしているみたいです。
それを いつも ベットの上で見ておられるようです。
「それじゃぁ、体調のいいときに一度参加してみましょおね。」

数日後体調が、いいので、「おばあちゃん、きょうは、体調が良いみたいなので一度参加してみますか」と聞いたら、お願いしますとにこりとされた。
車椅子を持ってきておばあちゃんを乗せて、みんなのところにいき、皆さんの輪に入れてくださいとお願いして、様子を見ていました。
見ていると笑いながら楽しそうに話をしてる。
よかったと思い少しその場を離れた。

少したって呼ばれたので「どうしましたか」と聞いたら「少し疲れました」といわれたので、「それじゃぁベットに、戻りましょうね。」
ベットに移したときに、「看護婦さん楽しかった、ありがとうね」といわれうれしかった。
その日は日勤で帰りました。

次の日に、詰所で引き次のときに「まるまるさんが、昨日急変してなくなりました」といわれた。
びっくりして昨日はあんなに体調がよかったのに。
娘はあのときに車椅子に乗せてみんなのところに行ったのがいけなかったのかそれがあったのがショックでしたといっていた。
あのときにそれは無理だといえばよかったのかな、でもあの、ベットでの寂しそうな顔も思い出すし。
それにあのときに楽しそうな顔も思いだすね。

娘に聞いてみたらおばあちゃんは余命何ヶ月と宣告されている方といっていた。
でもベットから降りたのが原因で早まったのではとも、今となってはあのときの、ベットでの寂しそうな顔と、うれしそうに話をしている顔が、思い出すと、やりきれないね。

ここで父親としてどんな言葉を書けたらいいのか電話をしながら考えていました。
落ち込んでいるのがよくわかるのがつらい。
でも余命を宣告されたということは、直る見込みがないことだろう、でもあのときにおばあちゃんだめですというのもひとつだけど、お前のやさしさで、おばあちゃんが喜んでくれたのもひとつだね、余命何ヶ月を、言われているのだから、いつ急変してなくなっても不思議ではないのでは。
ちょっと冷たい言い方だけど。

だから、お父さんが思うには、おばあちゃんに、いい思い出を作ってあげたのでは。
そういうふうに考えたらといっても無理だろうね。
でも最後に楽しい思い出ができたのではと思うよ。
あのときに、おばあちゃんだめですといえば、あーなくなったのですかで、すんでしまうね。

でもお父さんとしては優しい看護婦さんに当たるとうれしいね。
いま お前がいくら悩んでも回答が出ることではないと思うけど。
人間 悩むことで成長があると思うね。
うん ありがとうで、電話を切った。