いただきます

近藤貞二

先日、町の広報誌にこんな話が載っていると聞かされた。

ある小学校でのこと、
「給食を食べるとき、うちの子どもには『いただきます』は言わさないでほしい」というクレームがあったという話しだそうだ。

実はこの話、TBSラジオの「永六輔その新世界」という番組が発端だということを後日知った。永六輔さんの番組らしいではないか。

そのきっかけは「給食費を払っているのだから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙が番組に寄せられたことからのようだ。

手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さんが「びっくりする手紙です」と、次のように紹介したという。

《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》

本当にびっくりする話ではあるが、なーるほど…と、私は変に納得してしまった。
いえいえ、それは「いただきます」を言わせないでほしい理由に納得したのではなく、私にとってはあまりにも突拍子もなく衝撃的な話だったので、そういう考え方もあるのだということに、あきれ半分で感心してしまったのだ。

番組にはやはりそのお母さんの申し入れに否定する意見が多かったようだが、中には少数だが肯定的な意見もあったようだ。

学校給食で「いただきます」を言うことへの反対意見として、

という意見が多かったそうだ。

軟弱な私としては、またまた「なーるほど」と思ってしまった。「給食費を払っているから」という意見は受け入れられないが、「手を合わせることに宗教的な意味合いを感じるから」と「すべての子どもに強制するのはおかしい」という意見には納得できる部分もある。

それに比べ「いただきます」への賛成意見には、生産者がどうのとか、調理してくれた人がどうのとか、はたまた感謝がどうのとか…。
そりゃそうだが、過剰生産だからという理由で、農作物がブルトーザーで踏みつぶされるニュースをマスコミ各社が伝えるのを聴くにつけ、それも今一つ説得力に欠けるような気がしてくる。

 永六輔氏によれば、違う番組で「いただきます」というのをこんなふうに説明していたのを聴いた。

「いただきます」の本来の意味は、"あなたの命を私の命に換えさせて「いただきます」"「いただきます」ということだそうだ。

つまり、肝心なところを省略して、「いただきます」だけを言うからおかしいのだと永六輔氏は説明していた。

それを聴いた私は、「なーるほど」と、明快でしっくり受け入れられる話だった。

いずれにしても、「いただきます」を口にするかどうかは別として、日頃深く物事を考えない私にとっては、「いただきます」を考えるのにいい機会になった。