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“南京”の人口は20万から25万に増えた!?

2023/2/20

ネットで交わされる否定論のひとつに、陥落時20万だった"南京"の人口が1カ月ほどのちに25万に増えている。これは、南京で虐殺などなかった証拠だぁ! というものがあります。これは田中正明氏の次のような指摘をもとにしていると思われます。

{ 日本軍の虐殺によって、南京市民の人口が減少したというならわかる。ところが実際は減少したのではなくて、逆に急速に増加しているのである。… 南京安全区国際委員会が、… 12月17日、21日、27日にはそれぞれ20万と記載していたのが、1月14日になると増加して25万~30万となっている。… これはいったい何を意味するか。それは南京の治安が急速に回復し、近隣に避難していた市民が帰還しはじめた証拠である。…}(田中正明「南京事件の総括」,P29)

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南京城の城門のひとつ挹江門(筆者撮影)

なお、このレポートは2023年2月16日にTwitterで発信したものを整理したものです(下記(1)~(8)が発信したものですが、一部修正しています)。なお、本件について、詳しい説明は拙サイト「南京事件」6.1.2項に掲載してありますので、そちらも合わせてご覧いただければ幸いです。


(1)“南京"の範囲

まず、南京といっても、その範囲はいろいろあります。
南京は高さ10m以上の城壁に囲まれた地域(山手線の内側の面積と同等)を中心に、かなり広い範囲にまたがっています。これからお話するのは、そのうち城壁に囲まれた地域(=城内)とその周辺部(下図の城区のうちの城壁に近い部分だけ)を対象にします。

図表1 南京市の概念地図

南京市の概念地図

(2) 20万は「安全区」の人口

20万という数字はラーベ(安全区国際委員会委員長)達が推定した安全区内の人口で、彼らはそれ以外の地域には、ほとんど人はいない、と考え、「南京の人口は20万人だ」とあちこちの文書に書いたわけです。
また、20万は精緻な調査により導出したものではなく、かなり精度が悪い大雑把な数字です。

(3) 25万は南京城内と周辺部の人口

次に25万は、日本軍が調査した16万人という数字に、そこに含まれない子供やいくつかの地区の老婦人などをエイヤッで9万と見積もって出したもので、範囲ははっきりしませんが、おそらく城内とその周辺だと思われます。
これもかなり精度の悪い数字です。

(4) 「増えた」人はどこから来た?

では、20万と25万の差は何か? 考えられるのは次のいずれかです。
①南京城周辺以外の地域から移動してきた
②ラーベ達は安全区以外に人はほとんどいないと思ったけど、実際はそこにかなりの人がいた。

(5) 外部から来たのではない!

私は前記②、すなわち、安全区以外にもかなりの人がいた、と考えます。理由はいくつかありますが、最大のものは、城門が日本軍によって封鎖されていた、からです。
つまり、南京の人口が増えたわけではなく、もともとそこにいた人たちがカウントされた、ということです。

(6) 犠牲者数との関係

ここで25万と報告するまでの犠牲者数との関係を式にすると

(安全区内の人口+区外の人口) ー 犠牲者数=25万

となるのですが、

スマイス報告によれば、城内とその周辺における犠牲者数は拉致者も含めて6600人です。この数字はかなり信頼度が高いので、田中正明氏はじめ多くの研究者が利用しています。

図表2 スマイス報告 死傷者数と要因

スマイス報告 死傷者数と要因

(7) 犠牲者数は人口推定の誤差の範囲

人口算出の精度をかなりよく見積もって、たとえば±4%とすると20万人というのは19.2万~20.8万の間の数字となります。
犠牲者数0.66万はこの誤差の範囲になってしまうので、20万が変わらないから犠牲者はいない、という結論を導き出すことはできません。

(8) 3月の調査では22.1万人

同年3月にスマイスがアルバイトを使ってサンプル調査した結果では同じ地域の人口は22.1万人と推定されています。
これも全戸を個別に調査したわけではありませんが、きちんとした統計手法を使って調査しているので、これまでの20万、25万よりはるかに精度は高いです。

図表3 スマイス報告 南京城周辺人口

スマイス報告 南京城周辺人口

(追記)まとめ

以上により明らかになったのは、次の2点です。

① 20万から25万に増えたのは、避難していた人たちが帰ってきたからではなく、単に20万という推定が誤っていただけです。

安全区国際委員会委員長のジョン・ラーベも1月17日の日記にこう書いています。

{ … 難民の数は今や約25万人と見積もられている。増えた5万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行ったらいいのかわからないのだ。}(ジョン・ラーベ「南京の真実」,P216)

また、陥落後1カ月程度で南京の治安がよくなったわけでもありません。下図に示すように、陥落後1週間は極めて激しい暴行がありましたが、その後相対的に落ち着いたとはいえ、まだまだたくさんの事件が起きていました。

図表4 市民への暴行

市民への暴行

② 南京城内及びその周辺における市民の犠牲者数について、多くの研究者はスマイス報告をもとに数千~1万人前後と推定しています。田中正明氏ですら、次のように述べています。

{ このスミス博士のもっとも信憑性のある学術的調査報告に対して、虐殺派は全然これを取り上げようとしない。}(田中正明「南京事件の総括」、P76)

筆者註 スミス=スマイス

一方、同じ地域の人口は20万~25万と言われていますが、これは極めてラフな推測値ですから、数千~1万は誤差の範囲に入ってしまいます。また、南京事件の犠牲者数には軍人(捕虜や便衣兵の不法殺害)がかなりの比率を占めますが、軍人は人口に含まれません。人口の変移だけで犠牲者数を予測することはできないのです。では、どうやって犠牲者数を推定しているか、それを示したのが下図ですが、様々な史料を突き合わせて、推定しているのです。

詳しくは拙サイト4.7.1項を参照願います。

図表5 犠牲者数の諸説と推定方法

犠牲者数の諸説と推定方法

以上