日本の歴史認識 > 小論報:日本国憲法の成立経緯と改憲論 > 第2部 改憲論について
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2022/7/16
現在の憲法はGHQに「押しつけられた」ものだから改正すべきだ、という主張に対して、法学者の古関彰一氏は下記により「押しつけ」を改憲の理由にするのは適切でない、という。
注.古関氏は下記以外にもいくつかあげていますが、重要と思われるものだけをピックアップしました。
a) 象徴天皇と平和主義は推測可能!註28
2月13日に突然GHQ案を提示され、これを呑まなければ天皇の地位は保障できないかのように「脅迫」されたというが、終戦直後に行われた婦人解放、教育の自由化、治安維持法廃止、経済機構の民主化などの一連の改革、および、1946年1月の天皇の「人間宣言」の内容をしっかりみれば、明治憲法の改正ではすまないことがわかったはずである。
b) ほとんどの議員が賛成!註29
国会での審議において議員たちは政府案がGHQ案に基づくものであることを知っていた。にもかかわらず、共産党以外の議員は政府案に賛成した。
c) 日本側の要求で改修した部分もある!註30
政府案はGHQ案そのままではなく、9条の平和条項など、日本側として追加、変更した部分も少なくない。
d) 連合軍の再検討許可を無視!註31
連合軍は憲法施行後に日本国憲法を再検討してよい、との通知をだしていたが、日本政府は再検討しなかった。
「2.…成立の経緯」でみてきたように、「押しつけられた」かどうか、といえば、「そうだ」といわざるをえないでしょう。しかし、古関氏が主張するように、その「押しつけられた」ものを、日本のエリートたちはそれなりに消化していったことも事実です。
また、「押しつけられた」という感覚は、押しつけられたものによって変わるはずです。それが気に食わないものであれば、拒絶感は強いけれど、気に入ったものであれば、弱いか場合によっては歓迎さえするかもしれません。日本国憲法が施行された1947年頃の日本人の感覚を想像してみると、保守系あるいは国粋主義系の方々は、「押しつけられ感」を強く感じたかもしれません。しかし、それ以外の多くの政治家、知識人、そして市民たちが感じた「押しつけられ感」は、弱いか、感じないか、のどちらかだったのではないでしょうか。
このように、人によって「押しつけられ感」が違うものに対して、「押しつけられた」を理由に改憲しようというのは無理がある、と私は思います。
{ 憲法は制定・施行されてから70数年間、1回も改正が行われていません。大きく変化した国内外の環境に合わせて、憲法にもアップデートが必要ではないでしょうか。} (自民党「4つの変えたいこと 自民党の提案」)
{ 日本国憲法は稀有なほど簡潔で、多くの具体的規定を(一般の)法律で定めるようにしているからだ。もっと長文の憲法を持つ他国であれば改正が必要になるような改革を、日本では国会の単純過半数で立法化できる。日本では、憲法を正式に改正する必要性が低いのである。}(nippon.com「日本国憲法: その特異な歩みと構造」)
アメリカ合衆国では、第2次大戦後に憲法改正を6回行っていますが、その内容は日本であれば、いずれも法律の改正で済むと思われるようなものです。(添付資料4を参照)
日本国憲法が包括的な表現しかしていないから、といって時代の変化に合わせた改正が無用だと言うつもりはありません。むしろ、時代を先取りするようなものを含めて、改正すべきものは改正していく必要があると思います。ちなみに、古関氏は次のように述べています。
{ 安全保障に関しても国家安全保障の時代は過ぎ去りつつあり、それに代わる人間の安全保障や社会的安全保障の時代へと移りつつあるのである。(…)}(古関「平和憲法の深層」,P264)
また、憲法に包括的なことしか書かれていない、ということは、様々な解釈が可能になり、政府など権力者の裁量が広がることになるので、その範囲を明確にしていくという方向での改正が必要になる可能性もあります。
ここでは、現在、自民党が提案している4つの改憲項目について、識者の見解と私の意見をご紹介します。なお、各項目の「自民党の提案」の内容は、自民党のホームページ(参考文献(4))の記載内容を要約しています。
自衛隊の活動は多くの国民の支持を得ているが、①合憲という憲法学者は少なく、②中学校の大半の教科書が違憲論に触れており、③政党の中には自衛隊を違憲と主張するものもある。そのため、憲法改正により自衛隊をきちんと憲法に位置づけ註32、「自衛隊違憲論」を解消すべきである。
自民党の改正案では、現行9条をそのまま残した上で、9条の2として「必要な自衛の措置をとるために自衛隊を保持する」という趣旨の条文を追加することになっているが、「必要な自衛の措置」の内容は限定されていない。そのため、自衛の名のもとに広く海外での武力行使が容認される危惧が生じ、政府がこれまで維持するとしてきた専守防衛政策に根本的な変化をもたらしかねない。自衛隊を憲法に明記するのであれば、自衛権の行使範囲が憲法で明確にされなければならない。(詳細は、参考文献(7)を参照)
吉田茂首相は、日本国憲法を審議する衆議院で、「最近の戦争の多くは、正当防衛とか国家の自衛権とかの名のもとに行われている」(詳細は註23を参照) と述べています。 ウクライナに侵攻したロシアもその理由のひとつにNATOからの「防衛」をあげているし、太平洋戦争の詔勅では戦争の目的を「世界の平和に寄与する」としています。公式の目的に「侵略戦争」などというものを掲げる国はないでしょう。
もし、自衛隊を憲法に明記するのであれば、たとえば専守防衛の範囲といったような形で範囲を制限することが必須だと思います。
東日本大震災など、これまでの緊急事態には法律改正により対応してきたが、今後30年以内に高い確率で発生が予想される南海トラフ地震や首都直下地震などに対する備えや迅速な対応が必要である。そのため、①緊急事態においても、国会の機能をできるだけ維持するために議員の任期延長等を認める、②国会の機能が確保できない場合に行政権限を一時的に強化し、迅速に対応できるしくみを憲法に規定する註33。
日本弁護士連合会(日弁連)は、「緊急事態条項は、三権分立を停止し、政府に立法権や予算権決議を認めるもので、極度の権力集中による政府の権力濫用の危険性が高い。さらに人権保障を停止することから、営業の自由や財産権のみならず、表現の自由や報道の自由等、民主主義の根幹をなす人権が大幅に制限される危険性もある。日本国憲法は過去の緊急事態条項の濫用に鑑みて、あらかじめ平時から個別法を制定して対処するという立場をとっていると解される」、と憲法改正に反対している。
また、憲法学者の木村草太氏は、上記日弁連と同様に、曖昧な条件のもとで政府に権限が集中することの危険性を指摘した上で、「戦争や自然災害が、いつ起こるかは、予測困難だが、起きた時に何をすべきかは想定可能だ。そうした予測をもとに、誰が、どんな手続きで何をできるのかを事前に定めることは安全対策としてとても重要だ。警報・避難指示・物資運搬等の規則を細かく定めるのは、憲法ではなく、個別の法律の役割だ。外国でも戦争や大災害などの緊急事態には、事前に準備された法令に基づき対応するのが普通だ」という。
大日本帝国憲法(明治憲法)には"緊急勅令"というのがあって、あの悪名高い治安維持法はこの緊急勅令で言論の取り締まりなどが強化されました。ドイツでは、ヒトラーが緊急事態条項を利用して独裁体制を築き、フランスでは1961年のアルジェリア危機で緊急事態を発動して拷問などが行われました。アメリカやイギリスの憲法に緊急条項はなく、法律で対応しています。また、ドイツの憲法には現在でも緊急条項がありますが、それを行使する主体は議会であり、人権の制約については国民に抵抗権があります註35。
日本にはすでに、こうした緊急事態に対応するための法律があります。「災害対策基本法」、「新型インフルエンザ等対策措置法」、「武力攻撃事態等における国民保護のための措置に関する法律」などです。なぜ、これらの法律では不十分で憲法を改正しなければならないのか、それを具体的に示すことは非常に重要なはずですが、なぜか自民党の憲法改正提案(参考文献(4)、(5))には一切記載がありません。
一方で、コロナ対策をみると、効果の少ないマスクを大量に配ったり、GO TOキャンペーンをやったり、ちぐはぐな対応が目立ちました。危険性が指摘される憲法改正を前のめりで提案する前に、過去の経験も踏まえてもっとしっかりした対策を事前に練っておくべきではないか、私はそう思います。
人口減少が急速に進む地域で、選挙区が隣県と統合されることが発生している。また、都市部では区割り変更で選挙のたびに選挙区が変わり、誰に投票していいかわからなくなる。こうした状態を解消するために、「地域」が持つ意味に目を向け、都道府県単位の選挙制度を維持する。
現在の日本国憲法では「選挙権の平等」(14条、44条)、及び「衆参両議院は全国民の代表」(43条)であることが決められており、上記のような改正はこれらの基本原則を損なうものである。これらの原則に沿いながら、議員と有権者の間の近接性の確保や、選挙区を地域的な一体性に配慮して割り付けることは、議員定数の見直しや選挙制度の抜本的改革によって可能なはずであり、それは法律改正によって可能である。
GHQ草案では、貴族院をなくして1院制にすることになっていましたが、日本側が衆議院のチェックのためとして2院制にし、参議院には「再考の府」、「良識の府」という期待が込められました。しかし、具体的な議論が深まらないまま、当初多かった無所属議員が減って、衆議院同様に政党間での縦割りが進んで、第2衆議院などと言われることさえありました。参議院の役割については、「多様な民意の反映」、「地方代表的な性格」、「独自性の発揮」、などの意見があったものの、結論を出すことなく現在に至っています。一方で、2012年の最高裁判決で5倍近くに開いた1票の格差が「違憲」とされ、島根と鳥取、徳島と高知をひとつの選挙区にすることが決定しました。
上述のようにこの改正は、参議院の存在意義の問題と密接に関係しており、それと切り離して「合区解消」だけの改正をすることは、ナンセンスだと言わざるをえません。
現行憲法では義務教育の無償化がうたわれているのみだが、教育の重要性を国の理念として位置づけ、国民誰もがその機会を享受できるようにする。
また、現行憲法89条の条文は私立学校への助成が禁止されているかのように読めるので、現状に即した表現に変更する。
注.「また、…」以降の部分は解釈の問題なので、ここでの論評からは除外します。
「高等教育を含む教育の無償化」それ自体は、憲法改正によらずとも、法律や予算措置で可能であり、2010年、民主党政権は憲法改正せずに公立高校の授業料を無償化している。他方、自民党改憲案註39では教育が「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものである」と規定することで、教育は個人の幸福追求や成長発達のためという本来の目的が薄められ、教育に対する政治介入や国家統制の拡大を招く恐れがある。
無償化そのものが法改正だけでできることを自民党が知らないわけはないので、わざわざ憲法改正まで持ち上げたのは、これまで教育基本法の改正などで教育への国の関与を強めてきた流れの延長上にあるのではないか、と考えざるをえなくなります。また、この改正は日本維新の会を憲法改正に取り込むために追加したものだ、という説(参考文献(15)) に現実味を与えます。
しばらく前までの日本人は、戦争とか旧日本軍とかに対する"アレルギー"を持っている人がたくさんいたが、最近はそれもだいぶ少なくなってきた、というようなことを誰かが言っていました。終戦を迎えた人々は食べるものはなかったけれど、空襲警報を気にせずにゆっくり眠れる夜をどんなにありがたく思ったか。そういうなかでもたらされた新しい憲法の意味がしだいにわかってくるにつれて、それを好意的に受け止めた人たちが2度と元の時代には戻りたくない、と考えたのは当然のことではないでしょうか。
マッカーサーにとっては、自分の仕事をスムースに運ぶための一時的なものでしかなかった憲法が、結局80年近くも継続したのは、冒頭に申し上げた"アレルギー"の力であったことは間違いありません。そして、軍事より経済に注力することにより高度経済成長も実現されました。
ドイツではナチスの関係者は終戦と同時にすべて追放され、政治体制はガラっと入れ替わりました。日本では軍人政治家こそいなくなりましたが、旧体制を構成した人たちもたくさん残りました。その人たちにとって、新しい憲法は受け入れ難いものであり、1954年頃から憲法改正の動きが出てきますが、それ以外の多くの人たちはすでにその憲法を消化しており、改正は論外でした。
80年近く前、人々は憲法に平和な未来への夢を託しました。しかし、世代もかわり、記憶は薄れて、平和は当たり前のものになってきました。世界は冷戦が終わって、地球の持続可能性が叫ばれる時代になり、日本は経済が停滞し、少子高齢化という悩ましい問題もかかえるようになりました。憲法をリフレッシュすべき時が来つつある、と私は感じますが、一方で今、憲法改正を叫んでいる人たちが目指すのは、彼らの代表だった人が口にする「未来志向」という言葉とは裏腹に、100年以上前に戻るかのような憲法です。それは今回掲げられた4項目にもあらわれていますが、彼らのゴールである2012年の自民党憲法改正草案は、国家主義をめざしているとしか私には思えません。
80年前のアレルギーは消えつつあるかもしれません。しかし、これからの平和とは何だろう、と考える気持ちはいつまでも保持していきたいと思っています。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。思いつくままにつらつらと書いてきましたが、このレポートを機に、日本国憲法を考えるきっかけになれば幸いです。
古関「同上」,P226-P228
{ 1946年元日に発せられた昭和天皇の詔書の「人間宣言」は、官民挙げて平和主義に徹し、…国民との関係は「信頼と敬愛とによりて結ばれ」ている、としている。これは明治憲法の「天皇は神聖にして侵すべからず」に反し、「信頼と敬愛」という「象徴」に近い関係を発し、さらに平和主義を建設せよとGHQ憲法案より先に平和主義を命じていたのである。}(古関「同上」,P228)
古関「同上」,P230-P236
{ のちに「押しつけ」を主張した議員を含めて議会では、共産党所属の議員を除いて、みな賛成票を投じてきたのである。
とすると、それからだいぶ経った1954年を前後して、雨後の筍のごとく「押しつけ」論が簇生(そうせい)されたことは、何を意味していたのであろうか。再軍備という政治の季節を目の前にして改憲志向の政党から出されてきたことははっきりしているが、それではその対極にいたはずの国会議員や、象牙の塔の学者はどうして口をつぐんでしまったのであろうか。}(古関「同上」,P235)
{ 本書が明らかにしたごとく、9条の「平和条項」が少数の議員によってではあるが、自発的に修正されていた事実を勘案すれば、押しつけの虚構性は明白ではないか。}(古関「同上」,P236)
古関氏は、「自発的に修正」したものとして、「平和条項」をあげているが、日本側からの指摘で追加、変更、削除した部分はほかにも多数ある。
{ 憲法施行後にFECとマッカーサーは、日本政府と吉田茂に対して日本国憲法の「再検討」をしてもいいとの指示を与えていたのである。それは、やはり急いでいたことをGHQは自覚していたためであろう、と推測される。これに対して、日本政府は再検討をしたいとする意思表明をしていなかったのである。そのことは、「押しつけ」をよく知っていた日本政府も、さまざまにあった不満がこれによって治癒されたことを表明したと理解されても当然であろう。}(古関「同上」,P230)
第9条(現行)
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動た る戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、 永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第9条の二 (←追加)
前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
② 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
<自民党改憲案> ※内閣の事務を定める第73条の次に以下を追加
第73条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。
② 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。
(※国会の章の末尾に特例規定として下記を追加)
第64条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議員の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。
日本弁護士連合会 「憲法改正による緊急事態条項の創設及び衆議院議員の任期延長に反対する会長声明」(参考文献(8))
論座 木村草太「緊急事態条項の実態は「内閣独裁権条項」である」(参考文献(9))
憲法ネット103「飯島滋明(名古屋学院大学教授)「特措法の緊急事態宣言と安倍改憲の緊急事態条項」(参考文献(10))
論座 木村草太「緊急事態条項の実態は「内閣独裁権条項」である」(参考文献(9))
Wikipedia「国家緊急権」
青年法律家協会弁護士学者合同部会「緊急声明 自民党改憲案の問題点と危険性」(参考文献(12))
「(憲法を考える)参院とは何か、尽きない議論 誕生75年、憲法制定以来の宿題」朝日新聞2022/6/28(参考文献(13))
青年法律家協会弁護士学者合同部会「緊急声明 自民党改憲案の問題点と危険性」(参考文献(12))
仙台弁護士会の決議(参考文献(14))
<自民党の改憲案> ①と②は現行のまま、③を追加。第89条は一部修正
第26条
①すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有するし、経済的理由によって教育上差別されない。
②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
③国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
(注)公の監督が及ばない ← 現行は「公の支配に属しない」