さらなる燃えと萌えのために。もっとイタく、もっときもちわるく。
本稿は「オタク」について論じるものではない。「オタク論」について論じるものである。
位置づけとしては、拙稿「オタク道」の「0 はじめに」を、もう少しだけ力を入れて書き直したものとなる。
さて、世には「オタク論」が数多くある。すべてを論じることは不可能だ。そこで、かなり前の本なのだが、東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001年)を中心的に取り上げることにする。
『動物化するポストモダン』には、「オタク論」の問題の本質がほぼ完全に示されているからである。
以下の引用はすべてこの本からのものである。
また、敬称は慣例にしたがい略してある。
『動物化するポストモダン』についての批判は既に多く出ている。
そのうち重要なものを三つ示しておけば、以下のようなものになろう。
「オタク」に恣意的な特徴を強引に当てはめている。
「オタク」以外にも当てはまる特徴を「オタク」固有のものとしている。
サブカルチャーについての事実問題を多く誤認している。
これらの批判は正しい。しかし、これらを指摘するだけではあまり有効ではない。
東浩紀がこのような過ちを犯した原因を明らかにしなければならない。
『動物化するポストモダン』の冒頭、「1 オタク系文化とは何か」の一部を精読してみよう。ここにすべてがある。
東浩紀が「批評家・東浩紀」を自ら位置づける箇所である。
「一方で、権威あるマスメディアや言論界ではいまだにオタク的な行動様式に対する嫌悪感が強く、オタク系文化についての議論は、内容以前にそのレベルで抵抗にあうことが多い。実際、筆者自身、かつてアニメについての小著の企画が持ち上がったときに、ある有名な批評家から強い反発を受けて驚いたことがある。」(11頁)
「他方で、どちらかといえば反権威の空気が強いオタクたちには、オタク的な手法以外のものに対する不信感があり、アニメやゲームについてオタク以外の者が論じることそのものを歓迎しない。現代思想の学術誌で論壇に現れ、出自的にはサブカルチャーの世界から遠い筆者は、この点でも一部から反発を受けてきた。つまり、簡単に言えば、一方にはオタクなどにそもそも価値を認めない人々が、他方にはオタクについては特定の集団だけが語る権利をもっていると考える人がいて、その両者どちらにも加担しない立場を取るのはきわめて難しかったのだ。」(11頁)
そのような状況を打破するために東の仕事はある、というわけだ。
これが、東自身が語る「批評家・東浩紀」の「物語」である。
注意すべきは、この「物語」が、以下のような二項対立の前提の上に成立していることだ。
上の「物語」は、「言論界/オタク」という二項対立を前提としている。
そして、その二項対立は、「権威がある言論界/反権威のオタク」という、明快な「ポジ/ネガ」の対比として語られている。
興味深いのは、「東浩紀」が、この「言論界/オタク」という二項対立のどちらの項よりも優れた存在として規定されている、という点である。
「批評家・東浩紀」は「言論界」に所属している。
しかし、「言論界」において、「批評家・東浩紀」は特権的な位置を占めるとされる。
旧来の「言論界」は「オタクの価値」を理解できなかった。しかし、「批評家・東浩紀」は、それを理解できる、とされるのだ。
すなわち、「東浩紀/言論界」という二項対立が語られているのであり、これは、「批評家・東浩紀」が「言論界」において特別な存在である、ということを示すのである。
先に述べたように、「批評家・東浩紀」は「言論界」に所属している。それにもかかわらず、「批評家・東浩紀」は「オタク」にたいしても優位に立つ。
その論理は、以下のようなものだ。
「オタク」は「オタク的な手法」でしか語らない。「アニメやゲームについてオタク以外の者が論じることそのものを歓迎しない」。
ところが、「言論界」に所属している「批評家・東浩紀」は、そんな「オタク」では発見できないような「オタク」の「価値」を発見することができる。
それゆえに、「批評家・東浩紀」は「オタク」にたいしても啓蒙者の位置に立つとされるのである。
かくして、「東浩紀/オタク」という二項対立が成立する。
これが東浩紀『動物化するポストモダン』を支える二項対立である。
これらの二項対立を欠けば、「批評家・東浩紀」の「オタク論」は基盤を失い、倒壊する。
しかし、この二項対立の「物語」は創作の産物、悪く言えば捏造の産物であろう。
たしかに東の「アニメについての小著の企画」に反対した人間がいたのかもしれない。しかし、それと、「言論界」がそっくり「オタク」の「価値」とやらを否定している、ということとの間には、かなり距離がある。
また、たしかに東が「アニメやゲームについて」「論じること」を歓迎しなかった人間がいたのかもしれない。しかし、それと、「オタク」という集合が「言論界」の外部に存在し、それがそっくり「言論界」が「オタク」を論じることを否定している、ということの間にも、かなり距離がある。
そして、「頭の固い古臭い言論界に若い知性溢れる批評家が登場し、無視されて卑屈に殻にこもっていた同世代の連中に価値があることを明らかにしてあげる」という「物語」となると、もはや、あまりにも陳腐にすぎて、失笑するしかない。
誰がこんな与太話を信じるだろうか。東の「物語」は、あまりにも「批評家・東浩紀」に都合がよすぎる。
実際に起こっていたことは、単に東の「アニメやゲームについての語り」にいくつか欠陥があって、それをいろいろな立場の人々がいろいろな方向から指摘していただけなのではないのか。
そのようなごく普通の批判を、二項対立の「物語」として語り/騙り直すことにより、東は、自らを「批評家・東浩紀」という特権的な位置に祭り上げただけなのではないか。
では、なぜ東は「物語」を創作してまで「オタク」を論じようとするのか。
「批評家・東浩紀」が、あくまで「言論界」に属していることに着目したい。「現代思想の学術誌で論壇に現れ、出自的にはサブカルチャーの世界から遠い」と自分で言っている。
さて、「批評家・東浩紀」は、「東浩紀/言論界」という二項対立において語られる。このためには、ただ「言論界」に属しているだけでは駄目だ。それだけでは業界に埋もれてしまい、二項対立が成立しない。「言論界に属しつつもそこで特別であること」が、否応なしに「批評家・東浩紀」には求められてくるのだ。
では、「言論界」で特別であるにはどうしたらいいのか。「言論界において価値ある事柄であるにもかかわらず、これまで誰も発見できなかったもの」を見い出さなければならない。
もうおわかりだろう。東にとっては、「オタク」こそが、まさに「言論界において価値ある事柄であるにもかかわらず、これまで誰も発見できなかったもの」なのである。
いや、正確に言えば、東にとっては、「オタク」はどうあろうと「そのようなものでなければならない」。そうでなければ、「批評家・東浩紀」がそもそも成立しえないからだ。
さて、「言論界」において東が専門とする「価値ある事柄」とは、もちろん「ポストモダン」である。
つまり、「オタクはポストモダンである」という結論は、「批評家・東浩紀」が成立するために、そもそものはじめから前提されているのだ。
しかし、もちろん、東の定式化する「ポストモダンとしてのオタク」など存在しない。
そこでなにが起きるのか。「言論界」での自らの専門分野である「ポストモダン」という物差しに合うように、東自身が「オタク」という集合を恣意的に構築するという事態が生じるのである。
サブカルチャーの周辺で「ポストモダン」で語れそうな話題のみを拾い集め、それに「オタク」という名前をつけて、集合そのものを創作するのだ。「ポストモダンとしてのオタク」は、東浩紀による勝手な構築物なのである。
項がまずあって、二項対立が成立したのではない。
二項対立が成立するように、項が構築されたのである。
東の「オタク論」が欠陥だらけのものとなるのも当たり前だ。
「オタク」に恣意的な特徴を強引に当てはめる。「オタク」以外にも当てはまる特徴を「オタク」固有のものとする。サブカルチャーについての事実問題を多く誤認する。
そうなるに決まっている。「ポストモダンとしてのオタク」そのものが、東自身の都合で要請、構築されたものなのだから。そんなものが「オタク」についての意味ある言説になるはずがないのだ。
しかも、東にとっては、それでいいのだ。あたかも「ポストモダンとしてのオタク」があるかのように語ることだけでも、「批評家・東浩紀」は「言論界」に成立しうるのだから。「占い」に根拠がなかったとしても、「占い師」が職業として成り立つのと同じである。
東浩紀は「ポストモダンとしてのオタク」を「発見」したのではない。
東浩紀が「ポストモダンとしてのオタク」を「発明」したのだ。
ここで、いったん東浩紀から離れてみよう。
私は、そもそも「オタク」からして実は存在しない、と考える。
「アカデミズム」や「マスメディア」、「ジャーナリズム」などの「オタク論」が、その対象としての「オタク」を「発明」してきただけなのではないか。
それゆえ、「オタク論」によって「オタク」の表象はまったく異なる。
中森明夫からこのかた、さまざまな「オタク」が「発明」されてきた。
「ハイカルチャー」系だけに限っても、すぐに複数を思いつく。
東浩紀は「ポストモダン」があてはまる「オタク」を「発明」する。
斉藤環は「精神分析」があてはまる「オタク」を「発明」する。
村上隆は「現代芸術」があてはまる「オタク」を「発明」する。
宮台真司や大澤真幸や北田暁大は「社会学」があてはまる「オタク」を「発明」する。
どれも、自分のもちこんだ理論を勝手に投影して「オタク」という集合を構築し、それで自説を検証してみせているだけにしか思えない。(以下の論文集は社会学の立場から70年代および80年代の若者論を批判していて興味深い。人間、進歩していないなあ、とつくづく思わされる。小谷敏編、『若者論を読む』、世界思想社、1993年。)
もちろん、「あてはまるところにはあてはまる」わけで、これらの議論がすべて出鱈目だ、と言いたいわけではない。逆だ。個々の論点では説得力のあることを言っているのだが、ただ「オタク」という集合が存在する、としている一点において、これらの「オタク論」は救いようのない誤りを犯しているのである。
自分が興味をもって分析しうる現代社会の現象をよせあつめるまではいい。しかし、その担い手として「オタク」という集合を定立することが、明らかに間違っているのだ。
こういうわけで、「現代サブカルの中核」「日本経済の担い手のひとつ」「秋葉原の汗臭いブサイク」「やおい」「電車男」「ニート」「ひきこもり」「メイド喫茶に通い詰めるキモ男」「幼女向けアニメを観る成人男性」「キレる十四歳」「フィギュア萌え族」「ぷちナショナリスト」「ゲーム脳」「ロリコン」「改造ガンマニア」「2ちゃんねらー」「連続少女誘拐殺人犯」などといった、およそてんでばらばらの表象が、恣意的に文脈に応じて「オタク」と一緒くたにされる、などという事態が起きる。
そもそも「オタク」なぞは存在しないのだから、その都度の状況に応じて流通しやすい「オタク」像を構築するのはたやすいのだ。
「オタク論」とは、いわばただの自作自演行為なのである。
ついでに指摘しておけば、いわゆる「アカデミズム」系ではないが、大塚英志の「オタク論」も同様の傾向をもつ。彼はしばしば政治の文脈に載せて「オタク」を語るのであるが、やはり自らの外部に「意識の低い若い世代のオタク」という集合を構築している。「オタク世代論」もこれまで批判してきた「オタク論」の亜種として同様の誤りを産みやすいのだ。また、私の見るところ、大塚には、自らの問題意識に引きずられてか視野が狭くなり、薄っぺらいレッテル貼りをする傾向がある。だから笙野頼子の怒りを買う。
構築物としての「オタク」に共通する特徴があるとすれば、ただ一つだけである。
「オタク」は必ず「言論界」の外部の存在者とされる。
先に挙げた、「言論界/オタク」「東浩紀/オタク」という二項対立を思い出してもらいたい。
褒めるにしろ貶すにしろ、「オタク論」は、あくまで「オタク」を「言論界」の「価値」で評価するものでなければならない。「オタク」が「オタク」自身の言葉で自らの「価値」を語ってしまってはならない。それでは「批評家・東浩紀」などの「オタク論者」の出る幕がなくなってしまう。
「オタク」は「言論界」に通じるような言葉で喋ってはならない。「オタク」の言葉は「オタク」にしかわからないものでなければならない。同様の理由で、「言論界」と「オタク」のバイリンガルの存在も否定される。
かくして、「オタク」は必ず「言論界」の外部に構築される。「名無しでネットに脊髄反射で言葉を垂れ流す」というイメージが繰り返されるのは、このためである。「名無し」「ネット」「脊髄反射」のどれもが「言論界」の典型的対蹠物なのだ。
また、ほぼすべての「オタク論者」が、自分は「言論界」の人間であって、「オタク」ではない、「オタク」の語ることは理解できない、ということを過剰なまでに強調する理由もここにある。
この身振りは、一見「オタク」に敬意を払ってのことのように思えるが、騙されてはいけない。「オタク」を「言論界」から徹底的に排除する二項対立の論理が働いているだけなのだ。
ただし、もちろん、この罠から逃れている「オタク論者」がいないわけではない。たとえば荷宮和子である。荷宮の著作は読んでいてわりと楽しい。
「オタク」などは存在しない。「オタク論」が勝手に「言論界」の外部の人間を寄せ集め、カテゴライズしているだけだ。
いや、正確には、「オタク」とレッテルを貼られた人がすなわち「オタク」である、というべきだろう。
これに当然、「オタク」と名指された人たちは反発する。
しかし、どうしたらこれに対抗できるのだろうか。
「オタクなど存在しない」と叫んでももはや通用しない。すでに「オタク」概念は、「アカデミズム」「マスメディア」「ジャーナリズム」の「飯の種」としては、リアリティをもって流通してしまっているからだ。
さらなる問題は、対抗するためにも「オタク」という概念を使わざるをえない、という点にある。
「私はオタクではない」と弁明するにしろ、「本当のオタクはこうなんだ」と主張するにしろ、どちらにしろ、「オタク」という語を使わざるえない。不本意ながらカテゴリーの流通および再生産に加担することになってしまう。
他のさまざまな差別問題と同じことが起こってしまうのだ。
可能な戦略は、「オタク」というレッテルを一度引き受け、それを「オタク」自身で咀嚼し、新しい意味を与えて語り直していく以外にはないだろう。
これはまさに、岡田斗司夫が『オタク学入門』(太田出版、1996年)で開始した作業である。当然のことながら、そのような作業には無理が出る。
私も、岡田の「語り直し」の内容には賛同するものではない。
しかし、岡田のオタクの定義を「誇大妄想的にも見えるこの主張」(10頁)と嘲笑する東浩紀の傲慢な物言いには、いささかの不愉快さを覚える。
たとえば、初期人種差別反対運動における「黒人」の「Black is beautiful」という主張をも、東は「誇大妄想的」と切り捨てるのだろうか。一度訊いてみたいものである。
ちなみに、私の具体的な戦略は、「オタク論」ではなく「オタク道」を、というものである。
「オタク道」は、既に存在する「オタク」の本質を探究するものではない。
「こうすればもっと面白いからこうしよう」という「快楽追求の方法論の提案」として「オタク道」は構想されている。そして、その提案した「快楽追求の方法」の中核にあるのが「妄想」であり、それに基づいて「妄想する存在」として「オタク」概念を新しく練り直そう、というのが、私の意図なのである。
私の定義する「オタク」は今ここに存在するものではなく、これからそれを目指していくものなのだ。
まあ、後づけだけどね。
ここで強調しておきたいのだが、私は、東や「オタク論者」の悪意や不誠実さを攻撃しているのではない。意図的にやっているとは思っていない。
問題は、鈍感さである。
『YU−NO』を論じたのちの、著作全体の締めの言葉はこうなっている。
「このようなすぐれた作品について、ハイカルチャーだサブカルチャーだ、学問だオタクだ、大人向けだ子供向けだ、芸術だエンターテイメントだといった区別なしに、自由に分析し、自由に批評できるような時代を作るために、本書は書かれている。」(174-175頁)
善意の言葉かもしれない。しかし、無思慮にすぎる。
この台詞そのものが、徹底的に「ハイカルチャー」「学問」「大人」「芸術」の言語であることに東は気づいていない。
このような主張は、「サブカルチャー」「オタク」「子供」「エンターテイメント」には絶対に許してもらえないものだ。鼻で笑われるだけだ。
この台詞は、あくまで、「ハイカルチャー」「学問」「大人」「芸術」の東浩紀が、「サブカルチャー」「オタク」「子供」「エンターテイメント」
の連中に「手を差し伸べる」、という構図においてのみ、成立するものである。
そして、「手の差し伸べ」は、「上の者」が「下の者」にたいしてすることでしか成立しえない。
つまり、「区別なしに自由に」という東の「手の差し伸べ」こそが、かえって上下の区別を再生産し強調しているのである。
いささか不適切な例を使わせてもらえば、これは、「黒人」に「名誉白人にしてあげよう」と「手を差し伸べる」類の行為だ。
少なくとも私にとっては、このようなお誘いはたいへんに侮辱的で不愉快なものである。
しかし、東はこれに思い至らない。なぜ自分が嫌われるのかわからない。ここまでくると、無邪気、無自覚も罪ではないか。
以上、東浩紀『動物化するポストモダン』を例にとり、「オタク論」という発想そのものについて批判した。
言わずもがなの注意をしておけば、このテキストは「オタク論」に対抗するという政治的意図のもと、都合のいい「オタク論」像を「構築」してもいる。
もちろん確信犯である。
最後に、私の積極的な主張を繰り返しておこう。
「オタクについて」語ろうとするな。ただただ「こうすればもっと面白い」ということを「オタクにむけて」語れ。
それだけである。
少し東浩紀の他の仕事についてコメントしておきたい。『存在論的、郵便的』はよく書けていると私も思う。日本語で読めるデリダの入門書としては多分今でもいちばんであろう。しかし、この著作においてすでに、「素朴なカテゴリーを前提にして問い直すことがなく、ありとあらゆるものをそれで暴力的に分類し整理して終わってしまう」という、本稿で問題にした東の姿勢が見て取れることは強調しておきたい。「ゲーデル的」とか「否定神学的」とか「論理的‐存在論的」とかいったレッテルは、入門書における道具立てとしての有効性は認めてもいいものだとは思うが、東センセイはそれを超えて振り回してしまうので、その粗さばかりがやけに目立つ結果になってしまっている。『批評空間』という一般向け雑誌に載せていたのだから仕方ないところもあるのだが。