私家版オタク人名録

 オタクにかかわる実在の人物について、メモ程度のコメントをつけて並べています。基本的に緩いノリで書いているので、当該人物の詳細情報等にかんしては、目の前の箱で別に検索してください。

人名録項目

 更新記録:「田村ゆかり」を追加。(2014.02.14.)

(あ行)

あかほりさとる

 売上至上主義という態度がある。売上によってのみ作品は評価されるべきである、という態度だ。「なになにのBlu-rayはこれだけ売れたから傑作」あるいは「なになにはこれだけしか売れなかったから駄作」といった感じだろうか。さて、私には、この売上至上主義的な言説が、煽り文句としてさえピンとこない。なぜか。それは、あかほりさとる全盛期の記憶があるからだ。
 あかほり作品、かなりよく売れたのであるが、同時に、当時それなりに練れていたオタク連中にとっては明らかにいまひとつ面白いものではなかった。つまり、あかほり全盛期をアンチで過ごした経験をもつ連中は、「つまらんものでもなにかの拍子で売れてしまうものだ」ということを身にしみて知っているのである。そんな人間は、たとえ煽りの手段としてであれ、売上至上主義的に振る舞うことはできない。それは、青春をかけてディスってきたあかほり作品を認めることになってしまうからだ。そんなことがどうしてできようか。

芦田豊雄

 2011年7月、死去。私の考えでは、オタクであるための必要条件の一つに、自分がオタクであることを自覚している、というものがある。無自覚にオタクっぽくふるまっているだけでは、どれだけ金や時間を費やしていても、いまだオタク予備軍にすぎない。自分はオタクなんだ、と認めることができなければ、一人前ではないのである。
 さて、現代では、「オタク」という言葉が広く流通しているうえに、かつてのネガティヴなイメージが少々薄れてきたためであろうか、わりと早い段階で若い子たちは「自分はオタクである」という自己規定をするようである。そのせいで、自覚はあるのだが能力が足りない、という層が増えているわけだが、これはまた別の話。
 私自身は、そうではなかった。「オタク」という言葉を知らないままに、本能にしたがって「そういうふるまい」をしている時期が、80年代にかなり長く続いていたのである。そして、やっと本題に入るが、そういった時期にもっとも好きだったアニメの一つが『銀河漂流バイファム』だったのであるよね。他に挙げるとすれば、『超獣機神ダンクーガ』と『赤い光弾ジリオン』であろうか。さらに、あれ、自分と同じような連中が世間にもいるようだぞ、ということに気づいて、薄々とオタクを自覚しかけたときに、もっとも好きだったアニメのひとつが『魔神英雄伝ワタル』であった。ちょうどこのころに親がビデオデッキを購入して、それで録画していたのが『超音戦士ボーグマン』と『魔神英雄伝ワタル』だったのであるよ。
 つまり、私は、オタク幼年期の大事な時期に、芦田豊雄の創り出したキャラクターを深く愛していたのである。

麻生太郎

 オタクイメージの政治的利用という点では先駆者ということになろうか。注意すべきは、この人物にかんして論じるべきは、「オタク」の政治的利用ではなく、「オタクイメージ」の政治的利用であるということだ。彼(の陣営)は別にオタクに支持してもらおうとして、オタクに呼びかけているのではない。「オタク=若い人々に支持されている」というイメージをもつことでオタク以外の人々に支持してもらおうとして、そうしているのである。ちょっと考えてみればわかることであるが、オタクたちそのものに支持してもらおうとすることは、あまり選挙活動として有効ではない。怪しげな泡沫候補にたまにそういう人がいたりするが。

井上敏樹

 正直なところ、平成ライダーの井上敏樹作品は芸風からして大嫌いである。しかし、好きの反対は無関心、とはよく言ったもので、井上敏樹にたいする私の態度は憎しみ一辺倒のものではもちろんない。愛憎入り混じった複雑なものである。思い出すに、思春期のオタクにわりとありがちな流れに乗って、自然に特撮熱が醒め、アニメのみに関心が向かい始めていた私の首根っコを引っ掴んで強引に引き戻したのが、1991年の『鳥人戦隊ジェットマン』であった。さらに、1996年の『超光戦士シャンゼリオン』にも、こんな特撮もありうるのか、とブン殴られるような衝撃を受けた。井上敏樹がいなかったら、私はここまでの特撮オタにはなっていなかった、とまで言うと言いすぎかもしれないが、少なくとも今ある私になるためには、もっと遠回りしてしまっていただろう。『海賊戦隊ゴーカイジャー』第28話「翼は永遠に」で久しぶりに、そして、たぶん最後の再会を結城凱と果たして、やはり自分は井上敏樹に多くのものを負っている、ということを再確認したのちの感想である。

岡田斗司夫

 かつて私はオタク黎明期のいわゆる第一世代を岡田斗司夫で代表させて、そのオタク論の批判を行った。(「オタク道」参照。)しかし、最近になって、本当に岡田はこの世代の代表者だったのか、ということに疑問を抱くようになった。というのも、第一世代の一般的な人々と比べても、彼のキャラクターへの愛のなさ、物語への愛のなさは抜きんでているように思われるからだ。彼はオタクジャンルの総合家ではない。キャラとストーリーにほとんど興味を示さない、かなり視野の限定された、特異なオタクである。すなわち、岡田は、オタク全般を代表していないどころか、第一世代かんしてさえ、多数派に属してはいなかったのだ。
 では、なぜ、そのような特異な志向をもつ人物が、1990年代の一時期、あたかもオタク全体を代表しているかのように語ることができ、また、それが広く受け入れられることになったのだろうか。
 ますだじゅん氏は、この理由を、岡田オタク論がキャラへの愛を欠くがゆえに、性愛性や変態性をも欠いたものであった、という点に見いだしている。私もこの意見に賛成するが、なぜ当時、性愛性や変態性がオタク論において忌避されるべき主題だったのか、という点については、私見を補足しておきたい。私は、この背景には、宮崎勤事件の影響がある、と考えている。あの事件に起因する壮絶なオタクバッシングがあり、それにたいするリアクションとしてオタク論が求められたときに、そのオタク論は必然的に性愛性や変態性を薄めたものでなければならなかった。そして、そのニーズに見事に答えたのが、岡田オタク論であったのではないか。その意味で、岡田斗司夫はまさに時代が要請したヒーローだったのである。
 この項目は掲示板におけるますだ氏、B_D氏、noir氏との対話に多くを負っている。ありがとうございました。

(か行)

笠原弘子

 音楽系の話。笠原弘子のファンというわけではないのだが、いくつか思い入れのある作品がある。1996年の『本当の私』は、オタクポップの可能性に開眼するきっかけになった作品の一つである。偶然に購入したのだが、声優のアルバムがここまでやれるのか、と、その楽曲の品質の高さに驚愕させられた。その後いくつか他の笠原作品も聴いてみたが、この一枚の出来は一段抜け出ていると私は思う。荒木真樹彦なるプロデューサーの功績であろうか。ともあれ、10「そっと夜に泣こう」は何度聴いても沁みる。もう一枚は、ベスト盤という位置づけでいいのだろうか、1997年の 『Memories III』である。私にとっての聴きどころは、Disc二枚組の二枚目、01「約束」、これに尽きる。その昔、懐かしの代々木アニメーション学院のCMに使われていた曲である。CMのほんのひとフレーズが深く印象に刻まれていたようで、数年後にふと思い出した私は、今度はフルで聴きたいなあ、と調べ始めたのだ。ところが、笠原弘子には『超時空要塞マクロスU』で使われた同名の「約束」という別曲があって、検索するとこっちがひっかかっちゃうのだよね。そういったわけで、少々辿りつくのに苦労した。それだけに、見つけたときの感動はひとしお。ゴタゴタのせいで期待値がやけに高くなってしまっていたにもかかわらず、それを裏切らないいい曲であった。

川上とも子

 2011年6月、訃報が公式に発表された。基本的には作品中心主義者でつくった人や中の人にはそれほど入れ込まないうえに、ニュースにたいしていちいち反応してどうこう、というのは芸風として合わない私ではあるが、それでも、オタ意識が目覚めて以降でもっとも衝撃をうけたアニメはなに、と訊かれたら、まあ最初かその次かには『少女革命ウテナ』が出てくるわけだし、もっとも愛したギャルゲーはなに、と訊かれたら、まあ最初かその次かには『トゥルーラブストーリー2』が出てくるわけだし、もっともその幸せを願った嫁はだれ、と訊かれたら、まあ最初かその次かには倉田佐祐理が出てくるわけだよ。なんともはや、オタキャリアもそこそこ長くなると、いろいろ予期しないことが起きるなあ。

栗本薫

 2009年5月、栗本薫が亡くなった。ライトノベルがジャンルとして確立される前にこの趣味に入った世代にとっては非常に重要な作家であるはずだ。私は『魔界水滸伝』でクトゥルー神話に初めて触れた。恩義は大きい。まあ、そのわりに『魔界水滸伝』も『グイン・サーガ』も途中で挫折していたりするのだが。
 なんとなく思い出したことを書いておく。高校時代、朝の通学の電車で一時期いつも一緒になる会社員のお兄さんがいてさ。小柄でハンサムな青年だったのだが、この人があるときから『グイン・サーガ』を第一巻から読み出したんだよ。通勤電車のなかで毎日ちょっとずつ読み進めていた。あの人は『グイン』をどこまで読み続け、栗本薫の訃報になにを思ったのだろうなあ。

小西寛子

 声優のアイドル化とともに、声優ゴシップがある種の娯楽として定着してしまった現在、さまざまな「やらかし」が面白おかしくネットなどで取りざたされるようになった。しかし、そういったものの多くは、基本的にはネタとして消費できる範囲のものにすぎない。人気絶頂期のさなかに小西寛子のやらかしたことの意味不明さとはレベルが違う。声優をめぐる騒動が起きるたびに彼女のことを思い出すのだが、いまだになにがなんだかわからん。

(さ行)

曽田博久

 『スマイルプリキュア』が始まるまえに、と思って、頑張って溜まっていた『スイートプリキュア』を全話見た。残念なことに、シリーズのなかで頭一つ抜けて出来が悪い作品になってしまったことに溜息をついた。一般的に、シリーズものはどうしても先行する成功作と比較されてしまうのが辛い。もちろん、流れに乗っかることでシリーズそのもののファンを取り込んで楽をしようと目論んでいるわけだから、そのぶんのリスクを負うのは仕方がないとも言えるのだが。ともあれ、シリーズものでもっとも難しいのは、変えてよいところと変えてはならないところの判断である。変えてよいところを変えないと、旧作をなぞっているだけだ、と言われてしまう。変えてはならないところを変えると、シリーズの魂を見失った、と言われてしまう。これがなんとも難しいのである。
 そんなことを思いつつ、東映戦隊、仮面ライダー、プリキュア、ガンダム、と、思いつくままに並べてみよう。シリーズを続ける安定感、という点では、東映戦隊が明らかにずば抜けている。毎年違うライターをつれてきつつも、毎年きちんと東映戦隊でしかない作品が出来あがる。この安定感はどこから来るのか。「これをやっていれば東映戦隊になる」「東映戦隊にしたいのならばこれだけはやるな」といった、フォーマットがきちんとしているからこその安定感であろう。では、そのフォーマットはどこから来るのか。私の仮説をメモしておきたい。
 ポイントは曽田博久なのではないか。たまに誤解している若い人がいるようなのだが、東映戦隊が毎年メインライター(シリーズ構成)を変えるようになったのは十五年くらい前のカーレンジャーあたりからのはず。それまでは、初期の試行錯誤期とジェットマンを除いては、曽田博久、杉村升の両先生がすべてメインで書いているのだ。とくに、曽田は、ゴーグルVから九作品、立て続けにメインライターをやっている。つまり、「東映戦隊のフォーマット」と我々が考えているものは、実のところは「曽田博久のフォーマット」なのである。
 さて、ここで重要なのは、曽田が東映戦隊の生みの親ではなかった、少なくともその中心にはいなかった、ということだ。一人のライターが最初からずっと書き続けていたとしても、なんらかのフォーマットは形成されるかもしれない。しかし、そこで形成されたフォーマットは、たいていの場合、そのライター本人とその周囲だけにしか理解できない個人的な方法論になってしまうであろう。ところが、曽田の場合は事情が異なる。曽田は、他人から引き継いだシリーズを長期に渡って受けもったのである。そうであったからこそ、曽田によって形成されたフォーマットは、次世代のスタッフたちでも参照できる公共的な枠組みとして機能しえたのではないか。
 というわけで、歴史から読みとった私の仮説はこうなる。シリーズもののフォーマットを固めたい、と思うならば、メインスタッフが一回交代したあとの二代目スタッフに長期政権を敷かせるべきである、と。ただし、残念なことに、昭和ののんびりした時代ならばいざしらず、現代ではこんな話はまったく現実的ではない。現代のシリーズものは、これからもいつまでたっても固まらないフォーマットと格闘しつづけることになるのだろう。

(た行)

田村ゆかり 追加

 私自身は田村ゆかりの大ファンというわけではない。脇から感心しながらずっと眺めていた立場でしかないので、不十分なところもあるかと思われるが、ご容赦願いたい。
 田村ゆかりにおけるアイドルは当初は芸、それも物まねに近い芸としての側面を強くもっていたように思われる。つまり、田村ゆかりは、アイドルそのものではなく、アイドルの真似をしている芸人としての性格をももっていて、それをも含めて評価されていたのである。ただし、真似といっても普通の真似ではない。田村ゆかりは、特定のアイドルを真似ていたわけではなく、アイドルとはそもそもこういうものでしょ、という我々の共通了解、つまりはアイドルの概念そのものを真似していたのであり、そこが田村ゆかりという特殊な存在の一つの核となっていた。ところが。その真似が度を越したレベルにまで達した末に、この現実世界において、田村ゆかり以上にアイドルらしい存在はいなくなった。現実世界におけるどんなアイドルよりも、田村ゆかりのアイドル芸は、アイドル的なのである。
 かくして、いろいろと捻りはあるが、『のうりん』にしろ『咲-Saki-』にしろ『弱虫ペダル』にしろ、物語中のアイドル的な存在は、田村ゆかり的な存在として描かれるのがもっともしっくりくる、ということになった。たとえば、物語中の超人気アイドルである木下林檎の声は田村ゆかりが当てるべきものであり、物語中の人気アイドルプロ雀士瑞原はやりの声は田村ゆかりが当てるべきものであり、物語中の人気アニメの主人公役声優が歌っているはずの電波ソング「恋のヒメヒメぺったんこ」は田村ゆかりが歌うべきものなのである。(『ペダル』の舞台版では「恋のヒメヒメぺったんこ」は桃井はるこが歌っているわけだが、こちらのしっくり感の解明は今後の課題としたい。)コピーがオリジナルになったわけだ。ポストモダン!

(な行)

中川翔子

 オタク系のネタを使うタレントは少なくないと思うのだが、そのほとんどが「オタクというネガティヴなものにコミットしちゃう私って面白いでしょ」というスタイルから抜け出すことができていない。「オタクである楽しさのそのままの肯定」というスタイルを有効に使えているのは、中川翔子くらいではないか。
 一般のオタクイメージへの影響、それも正の方向への影響という観点からすれば、彼女はもうすでにオタク史の教科書に載せるべき存在になっていると私は思う。「犯人の少年のバッグからは漫画と携帯ゲーム機が発見され…」といった紋切り型の報道がもう少しましな方向になりうるとするならば、それは中川翔子、または続く中川翔子的な存在の活躍にかかっている。

永野護

 『花の詩女 ゴティックメード』(2012年)を見てきた。久しぶりの、そして、相変わらずの永野節、鼻血を吹くほどに楽しかった。こんな感じでもっと『FSS』のアニメをつくってほしいのであるが、そうなると、もう一回くらい見に行って金を落とすべきなのだろうか。
 私は永野護の作品は普通の意味での「作品」ではないと考えている。いわゆる作品というものは、創作者が公共空間に発表するもので、そこで鑑賞や批評の対象となるわけだ。しかし、永野作品については、そんな受容をしても面白くもなんともない。永野作品とは、永野護という変な人の個人的な妄想がまずあって、それをみんなで覗き見て楽しむ、というかたちで成立している娯楽である。脳みそを割って直接中を覗きこむわけにはいかないので、便宜上漫画やアニメという体裁をとってはいるが、外に発表された作品はしょせんコピーであり、本体はあくまで永野護の脳内妄想なのだ。他方、一般的な作品は違う。作品は、完成されてはじめて作品なのであり、また、完成されたのちは創作者からも切り離された一個独立のものとして扱われる。そして、先立つ創作者の脳内イメージなどは、たかだか作品の原因のひとつにすぎないとされるのである。すなわち、永野作品は、漫画でもアニメでもなく、まさに「永野作品」という種類の独特の娯楽なのである。かくして私は、「『ゴティックメード』には作品としていろいろ穴がある」という評を、わかっていないニワカなものとして退ける。そもそも作品として受容すべきではないのだから。また、「『ゴティックメード』は作品として素晴らしい」という評を、混乱した狂信者的なものとして退ける。その頭抜けた面白さはあくまで妄想としての面白さであって、作品としては正直いろいろとポンコツなものなのだから。

野田昌宏

 2008年6月、死去。野田昌宏の思想はオタクの源流として位置づけられるべきだと私は考えている。自らの妄想をもって切り込むという物語にたいする根本的な態度(拙稿「妄想の系譜」を参照)もそうだし、よりわかりやすいところで、少女やメカやヒーローへの愛着をとってみてもそうだ。その思想は素朴であるが強靭きわまりない。1933年生まれの野田昌宏のうちに、いまなお我々が学ぶべきことがたくさん含まれているのである。オタク論の歴史という観点からすれば、たとえば岡田斗司夫などのほうが目立つのは確かだ。しかし、その生き様と思想がオタクの本質に届いているのは、世代が上の野田昌宏のほうなのである。ここに思い至ると、オタクが変化しただとか死んだだとかと騒ぎ立てる浅薄な世代論にいちいち反応するのも馬鹿らしくなってくる。本物は世代を超えるのだ。
 ともあれ、私がたいへんに影響を受けた存在のうちの一人であった。

(は行)

本多知恵子

 2013年の2月に亡くなってしまった。「エフヤマダ」という私の至極適当なHNの元ネタの一つが、火浦功『トリガーマン!』の登場人物、千人殺しのフェニックス・山田なのであるが、その『トリガーマン!』のカセットのドラマ(当時はCDではなかったのである)があって、そこでヒロインのミリアムをやっていたのが本多知恵子であった。主人公は鈴置洋孝。ついでに言えば火浦功『未来放浪ガルディーン』のカセットには井上瑶、塩沢兼人、富山敬、青野武、そしてここにも鈴置洋孝といった顔ぶれが。火浦功作品は私のオタクの出発点の一つなので、こうなると、なんだか本当に遠くまで来てしまった感がある。

(ま行)

村上隆

 多くのオタクがこの人のやっていることにたいして反射的に不快感を抱くわけだが、私はそういった反応には一理あると考えている。現代美術は他の文化領域の要素をしばしばそのうちに融通無碍に取り込む。これはすなわち、他の文化領域の文脈を暴力的に蹂躙する、ということ以外のなにものでもない。それにたいして、元の文化領域に属する人々が不快感を覚えるのは、至極正当なことである。その意味で、オタクたちの不快感を「現代美術の文脈をわかっていないがゆえの脊髄反射」と否定しきれないのである。
 さらに、現代美術とオタク文化のあいだには、ハイカルチャーとサブカルチャーという露骨な社会的位置づけの違いがある。そのため、現代美術がオタク文化を取り入れる、ということは、不可避にさらなる暴力性を孕むことになる。「文化的価値を与えてやった」的な上から目線がもつ暴力性などを考えていただきたい。これについてもまた、オタクたちが不快感を抱くのは当然であろう。
 さて、上のような事情であるのだがしかし、村上隆という人は、自らの営みがもつこのような暴力性にわりと無自覚、無神経なんだよね。これがまたさらにオタクたちを苛立たせる。その苛立ちには、オタクたちの被害妄想ももちろん混じってはいるのだが。

(や行)

ヤマグチノボル

 2013年4月に亡くなってしまった。現在のラノベ業界の戦略は、とにかく作品を大量生産粗製乱造でバラまいて、あとは市場における淘汰にお任せ、というものになっている。そうなると、アマチュアのノリが抜けきっていない作家や作品が増えてくるようになる。たとえば、自分の好きなもの書いたら売れちゃった、というような感じを思い浮かべていただきたい。それじたいが悪いことだ、とまでは言わない。そのような作品にももちろん面白いものはある。しかし、私はやはり、娯楽作品のプロフェッショナルがちゃんと読者の需要を見据えながら技巧をつくしてつくりました、というような作品が好きなのである。そして、ヤマグチノボルの作品はまさにそのようなものであった。

(ら行)

(わ行)

和田慎二

 2011年7月、和田慎二が亡くなってしまった。まだまだこれからの年齢だったのに。駆け出しオタだったころの私に「少女漫画というジャンルはここまで懐が深いのか、こんなこともやれるのか」という衝撃を叩きこんでくれた作家の一人であった。『スケバン刑事』はまあ別格として、『超少女明日香』とか『忍者飛翔』とか好きだったけれども、やはり個人的なこの一作を挙げるとすれば『ピグマリオ』であろうか。作品としてももちろん印象深いのであるが、クライマックスの途中で急に挟まれた、連載中断についての説明の中書きが忘れられない。まさにそのときに愛妻を突然亡くして筆を折ろうとまで思った、とあって、それでもちゃんと戻ってきて名作を描き上げたあたりに、本物の漫画家の凄みを感じて唸った記憶がある。『傀儡師リン』は、いつかまとめて、と思って、いまだにちゃんと読めていない。

(その他)

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