さらなる燃えと萌えのために。もっとイタく、もっときもちわるく。
「エロゲーは本当にオタク文化なのか」において、エロゲーは萌えと抜きという二つの独立した論理に則って成立する、との考察を行った。この二つの論理のどちらを欠いてもエロゲーはエロゲーたりえない。
そうであるならば、オタクによるエロゲーレヴューは必然的にダブルスタンダードにならざるをえない、という結論が導かれるであろう。複数のエロゲーを一つの軸の上に優劣をつけて並べることは、原理的に不可能なのだ。
絵の上手さ、声優の演技、シナリオ等々の要素であれば、それらをすべて綜合して一定の評価に統一する、ということができよう。どれくらい萌えに寄与するのか、もしくは、どれくらい抜きに寄与するのか、という観点を立てればよいのだから。
しかし、萌えと抜きについてはまったく事情が異なる。
この二つを単純に足し合わせることはできない。二つは独立の変数として扱われねばならない。それゆえ、エロゲーを強引に一次元に順序づけしようとしても、どこかに無理が出てきてしまうのである。
そこで、本稿では一つの提案をしたい。
ダブルスタンダードを回避できないのであれば、評価軸を二つとり、二次元平面を構成してみたらどうか。これならば、エロゲーを適切に位置づけることができるのではないか。
そして、そのような試みから、萌えと抜きの相関法則について、いくつかの仮説を立てることができるのではないか。
二次元平面による評価くらいは、既に誰かがやっていそうである。私はエロゲーにそれほど通じていないので、最新の研究状況をよくフォローできていない。もしかぶっていたら、ご一報ください。ただし、私の狙いは表そのものよりも、表から導かれる仮説にあることを付言しておく。
・萌え度と抜き度という二つの独立のパラメーターを考える。
・横軸は、抜き度を表す。
・縦軸は、萌え度を表す。
カテゴリーC 名作萌えゲー (萌え度:高/抜き度:低) |
カテゴリーB 名作エロゲー (萌え度:高/抜き度:中) |
カテゴリーA 存在しない? (萌え度:高/抜き度:高) |
カテゴリーF 凡萌えゲー (萌え度:中/抜き度:低) |
カテゴリーE 及第作エロゲー (萌え度:中/抜き度:中) |
カテゴリーD 優良抜きゲー (萌え度:中/抜き度:高) |
カテゴリーI クソゲー (萌え度:低/抜き度:低) |
カテゴリーH 凡抜きゲー (萌え度:低/抜き度:中) |
カテゴリーG 存在しない? (萌え度:低/抜き度:高) |
この表では、個々のエロゲーは、萌え度と抜き度の関数として、その位置を規定されることになる。
そして、ここから読み取ることができる萌えと抜きの相関法則は以下のようなものである。
ものすごく萌えてものすごく抜けるエロゲーって、これまでにあっただろうか。ないのではないか。これが偶然ではないとすると、以下のような理論が説得力をもってくる。
すなわち、抜き狙いがある程度まで露骨になると、萌えは阻害される。
まったく萌え要素がない場合には、いくらエロを押しつけられてもなかなか抜けないと思われる。一般人の場合はどうか知らないが、少なくともオタクにとっては、そうではないか。逆に言えば、カテゴリーGを許すかどうかが、オタク的にエロを追求しているのか、普通人的にエロを追求しているのか、の判定基準になるのだ。
一言で表現しておこう。萌え度に欠けると、抜き度の上限は押さえられる。
二つの度合いをただ足し合わせると、カテゴリーBとカテゴリーDは同値となる。しかし、一般にオタクにとって名作として高く評価されるのは、カテゴリーBのほうだと思われる。
「エロゲーは本当にオタク文化なのか」で指摘したように、萌えはオタク固有の論理であるが、抜きはそうではない。すなわち、オタクにとって、萌えは抜きに優先する。まったく抜けないカテゴリーCが名作判定なのも、このためである。
仮説3が正しいとするならば、カテゴリーCとカテゴリーDのどちらを好むかが、萌え重視かエロ重視かの立場の差異ということになろうか。
純粋な萌えと純粋な抜きの対立になっていないことに注意されたい。エロ重視派も、オタクであるかぎり、萌えを無視できないのである。
上記の表は、九つにしか領域が区分されていない。
これでは具体的なレヴューの役には立たない。少なくとも5×5くらいに分類する必要があるだろう。
便宜上、カテゴリーEを及第作、と一まとめにしたが、多くのエロゲーはここに入ると思われる。実際は、ここがもっと細分化されることになる。
ただし、あまりにも細かくしすぎると、今度は萌え属性とか抜きどころの趣味とかにおける個人差が無視できなくなってしまうかもしれない。
ギャルゲーは、カテゴリーC、F、Iあたりに配置できよう。十八禁マークがついていなくても、寸止めなエロが含まれている場合があるので、横軸すなわち抜き度も無関係にはならないだろう。
その他にも、エロゲーを評価する軸はある。システムの快適性、燃えるかどうか、泣けるかどうか、バカさ、ゲーム性などなど。しかし、これらはエロゲーとしての評価においては中心的な役割を果たすものではない。付帯的なものとして扱うべきだろう。泣きについては、「「泣き」要素はオタクの本質をなすか」で一応の位置づけを示しておいたので、参照されたい。
以上、エロゲーレヴューのための方法論を考察した。
これに基づいて具体的なレヴューを展開してみたいところであるが、私はそれほどエロゲーをやらないので、まあ無理である。
いくつかの仮説を提示しえた、という程度の成果で満足することにしたい。
最後に謝辞を。以上の考察はエロゲーレヴューサイトPoisonousの毒舌隠者氏との対話に大きな示唆を受けている。どうもありがとうございました。