さらなる燃えと萌えのために。もっとイタく、もっときもちわるく。
基本的に漫画は単行本派である。その私が、毎週コンピニに走っている。和月伸宏『武装錬金』が読みたいからだ。
なぜそんなに『武装錬金』が良いのか。ステキなところはいろいろ挙げられる。ストロベリー。変態。どれも蝶サイコーだ。しかし、私にとって最も重要なのは、燃える真のヒーローがそこにいる、ということだ。
和月伸宏は、燃えるヒーローがどういう存在でなければいけないのか、をきちんと判っている。
武藤カズキは素晴らしい。
例えばここだ。
現在の単行本最新刊四巻135頁。第33話「諦めるな!」の一コマを見ていただきたい。
カズキの台詞「どっちも!オレはどっちも守りたい!!」である。
これだ。これに全てがある。
世の中にはなにかを選択しなければならない場合がある。
正しい選択肢が判っているならば、問題はない。それを選べばよい。
しかし、そのような状況ばかりではない。
どちらを選択したとしても、どこかの誰かを不幸にし、傷つけてしまう場合がある。あちらを立てればこちらが立たず。ディレンマというやつだ。
このような状況で、我々は仕方なくどちらかを選ぶ。そして、「仕方なかったんだ」と呟いて、自分を正当化し、居直る。そして、自分のせいで引き起こされたはずの誰かの不幸にも、目を塞ぐ。
これが寂しい現実だ。
しかし、ヒーローは違う。
ヒーローはなぜヒーローなのか。
私はこう思う。
進路に立ち塞がるディレンマ状況そのものをブチ撒けて破壊してしまう存在がヒーローなのだ。
どっちか選べと言われてどっちか選ぶのは凡人。「どっちも!オレはどっちも守りたい!!」と叫んで、選択すること自体を拒否し、そして本当にどっちも守ってしまうのがヒーローなのだ。
古典的悲劇は運命に翻弄される英雄を描く。
しかし、少年漫画のヒーローは悲劇の英雄とは異なる。月並みな表現であるが、少年漫画のヒーローは過酷な運命を自らの力で切り開くのである。
燃えの核心は、ヒーローの核心はここにある。
バトル描写の燃えなどは表層的なもので、飾りにすぎない。強さがインフレする敵どもをただ順に倒していくだけでは、少年漫画の正しい燃えは成立しないのである。
武藤カズキがいかに正統的な少年漫画のヒーローであるか、お判りいただけただろうか。
素晴らしいぞ和月伸宏。素晴らしいぞ『武装錬金』。私がまさに読みたかったものがここにある。
『武装錬金』は燃える。素晴らしく燃える。これで打ち切りの心配をせずに済むならなお有難い。
もっと人気が出ることを切に願ってやまない。